1999年の一味法話集
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「よろこび」をいっぱい袋に貯える年にしよう 99年1月 |
人生を耕させてもらう道 それがお念仏 99年2月 |
目がさめてみたら生きていた まっさらな朝のど真ん中に
生かされていた 99年3月 |
「自分のねうち」が見えると 「おかげさま」が見えてくる 99年4月 |
生きがいに火をつける 生きがいにスイッチを入れる 99年5月 |
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心を育てる畑を 荒らさないように 99年8月 |
まっ先に 聞かせていただかねばならぬのは 私であった 99年9月 |
仏法というのは心の味を育てる宗教 99年10月 |
小さな勇気でいいから わたしはそれがほしい 99年11月 |
ダメな人間なんてあるものか 人間はみんなすばらしいんだ 1999年12月 |
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新年早々、毎度のことではございますが、勝手ながら来恩寺住職は1999年を平成11年ではなく「門徒元年」と名付けることにいたしました。あしからず。
門徒元年とは来恩寺有縁の皆様が、本当の意味での浄土真宗の門徒になる出発の年ということです。
門徒とは、仏教各宗派で一般的にいわゆる檀家と呼ばれている信者のことです。
浄土真宗が檀家と呼ばずに門徒と呼ぶのは、寺と檀家といった過去の封建的な寺檀制度が浄土真宗にはそぐわないためです。
私たちは寺との関係でなく親鸞聖人の開かれた浄土真宗という宗門の中の一員ですので門徒なのです。
ですから来恩寺も檀家を持ちませんし、寺檀制度を将来に亘って作る気もありませんのでご承知おき下さい。
ところで、住職のいう「門徒元年」とは、実家や嫁ぎ先が浄土真宗だから門徒というのでなく、浄土真宗の教えを中心とした生き方をされる方を門徒と呼び、来恩寺有縁の皆様がそのような真の門徒になるための最初の年を1999年の本年と定めたからです。
門徒本来の生き方は「浄土真宗の生活信条」(門徒向けのお経本の最初の方に書いてある。ご参照下さい。)のような生き方でありますが、住職はそこまで堅苦しいことは申しません。
住職の考える門徒は、まず、浄土真宗の教えを聞きたいと思っておられる方です。
浄土真宗は「聞」の宗教ですので、とにかく聞かなければその教えを理解できるはずがないからです。(最終的には人間の理解の限界を超えた仏の世界にうなずくだけなのですが…)
次は、聞いた教えを現実生活に反映させる気のある方です。
たとえば人生に於ける決断や行動を、大安・仏滅・友引といった日の善し悪しや風水でいう方角などの占い・迷信に頼らず、自由な行動の出来る生き方こそ本当だと思う人。
あるいは病気や家庭不和などの自分にとって不都合な結果を、名前の字画やご先祖・水子の霊などに責任転嫁することなく、真正面から受け止めたいと思っておられる方。
また、「みんながするから自分も…」といった主体性のない生き方をしたくない人、これらの人は立派な門徒です。 そしてこのような生き方は教えを深く聞かれた方にはごく自然な営みなのです。
「門徒物忌み知らず」という宗派外からの嘲笑のような言葉がありますが、葬儀や法事に際して一般的に行われている忌み事(六文銭や釘打ちの儀式・逆さ屏風・清め塩等々)は、死や死者を穢と見る行為であると真の門徒は見抜き、迷信や俗信から解放された人間らしい生き方を実践されたのでした。それは聴聞(教えを聞くこと)によって培われた結果なのです。
今年は来恩寺にご縁のある方々が本当の門徒となるためのスタートの年「門徒元年」です。今までお寺で聴聞される機会の無かった人はもちろん、お寺の法話会に何度も足をお運びの皆さんも、真の門徒となるべく新たな気持ちでご聴聞にお励み下さい。本当のよろこびに出会えます。 |
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来恩寺の前を小井出川という名の川が流れております。
昨年の初夏頃から来恩寺より川上の土手の工事が始まり、コンクリートでなく、水辺の動植物に配慮した自然に優しい川に生まれ変わるべく連日工事が行われております。
工事当初より見るともなしにその工事を眺めておりますが、最初はきれいに整地され、芝生が敷き詰められた気持ちの良い土手も、一週間、二週間と時間が経過しますと、見る見るうちに雑草に覆われてしまいます。
秋頃に一度、業者の方が草刈りをしている姿を見ましたが、また春になると雑草に覆われた土手になりそうな気がいたします。
蓮如上人ご在世の頃にこんなお話があります。
ある人が蓮如上人を訪ねられ、その心の内を告白いたしました。
「蓮如様、私の心は竹で編んだ籠に水を注いだようなものです。法座のお座敷では仏法をありがたくも、また尊くも感じ、喜ばせていただいておりますが、法座を離れ日常の中におりますと、籠の目の間から水が漏れるように、すぐにまたもとの心に戻ってしまうのです。」と。
それを聞かれた蓮如上人は、「ならばその籠を水につけなさい。我が身という籠を法の水に浸しておくならば、籠の中はいつも水が溢れているでないか。」とおっしゃられたそうです。
ウーンと唸ってしまいそうな見事なお応えですが、蓮如上人には他にもこれとよく似た言葉があります。
「仏法を心にとどめよ」とか、「仏法をあるじ(主)とし、世間を客人とせよ」のお示しも同じ事を言っておられるのだと思います。
私たちは仏法を聞かせていただき、感動の中で時には涙ぐむほどの法悦を感じるときがあります。
しかし、日常の慌ただしさの中に戻れば、仏法のことなどどこ吹く風と、怒りや欲、そして愚痴にまみれた生活を送っております。
「仏法を心にとどめよ」とは、法座の席だけでなく日常の中で仏法を喜ぶ人となりなさいというお示しです。
「仏法をあるじ(主)とし、世間を客人とせよ」の言葉は、世間の損得勘定に従って生きるのでなく、仏法という真の拠り所を持ち、仏法を毎日の生活の指針(あるじ)としなさいというお示しなのです。
それはお念仏の中で生きるということです。お念仏を称えながら生きることは、常に阿弥陀さまのはたらきの中にある自己を発見することであり、「これが本当の生き方なのか」と人生の根本の問いを持ちながら生きることでもあります。
世間に流されることなく、自分が本当の自分として生きていく道こそ仏法をあるじとしたお念仏の道なのです。
きれいに整地された土手も放っておけば草で覆われてしまいます。入れたはずの水も穴があれば必ず漏れてしまいます。
毎日の生活の中にこそ仏法が必要であり、仏法があればこそ、はえてきた草にも気づき刈ることもできる。穴がある器であっても水の中では穴も障害にはならぬと生き抜く力をいただけるのです。 |
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毎月の法語は、詩人で教育者でもあった、故・東井義雄先生の詩から抜粋したものですが、今月の法語の原詩は、「目がさめてみたら」というこんな詩です。
目がさめてみたら
生きていた
死なずに
生きていた
生きるための
一切の努力をなげすてて
眠りこけていた
わたしであったのに
目がさめてみたら生きていた
劫初以来
一度もなかった
まっさらな朝のどまんなかに
生きていた
いや
生かされていた。
私たちは自分の意志や努力で生きているように思っておりますが、はたしてそうでしょうか。
東井先生の詩のように、夜寝ている間は「生きるための一切の努力」はしておりません。生きるための努力はしていないが目が覚めると生きていた、といったところが本当のところではないでしょうか。
昼間はどうでしょう。昼間起きている時は確かに意志を持っております。仕事に出かけたりお買い物に行ったりするのは私たちの意志や努力です。
でもその意志は生きるための意志ではないようです。
生きるための意志や努力とは、心臓を動かして全身の血管に血を送ったり、呼吸をして酸素を肺から吸収するということですが、どうやらこれは私たちの意志で行っているのではないようです。
じゃあ私たちの意志とは何かというと、多くは欲ではないでしょうか。仕事に励むのもよりよい生活を求めてのことですし、食事も空腹を満たして美味しいものを食べたいという欲を満足させる行為のような気がいたします。
生きるための意志や努力はほとんど持っていない、していないのが私たちではないでしょうか。
でも生きております。東井先生の言葉を借りれば「いや、生かされていた」ということです。
夜も昼も、寝ている時も起きて行動している時も、生かされて生きているとしか表現できない私たちです。起きている間は自分の意志で生きているように錯覚しているだけのことなのです。
四十八才でガンで亡くなった鈴木章子さんの詩です。
死にむかって
進んでいるのではない
今をもらって生きているのだ
今ゼロであって当然の私が
今生きている
東井先生も鈴木章子さんも「生かされて生きている」というこの身の真実に気づかれた方々でした。
自分の努力で生きているわけでもないのに、今ゼロであって当然であるのに生きていること、これはいただきものの命であるということです。
今日の朝もいただきものです。使い古しの朝でなく、今日だけの、ただ今だけのまっさらな朝の光をいただいているのです。
気がつけば全部いただきものということです。 |
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四年に一度の統一地方選挙が始まります。
一度に複数の首長や議員を選ぶことは、選挙管理委員会などの選挙に掛かる費用が大幅に節約できるということで実施されるようになったそうです。
大変結構なことですが、費用(税金)を抑えるということでは首長や議員の給与を廃止にしても良いのではないかと思います。つまりボランティアということです。
議員活動の必要経費は消しゴム一つに至るまで税金でまかなっても良いと思いますが、立候補制(議員になりたい人を選ぶ)によって選出された議員は、「無給でも議員になりたい」と思っている人がなればいいと思います。
それでは裕福な者しか立候補出来ない。と思われる方もおられることと思いますが、議員さんの生活費は支援者が提供すればいいのです。
つまりそれぐらいしてくれる支援者を持たない人は人望もなく、立候補をする資格がないということにすればいかがでしょうか。
また、支援者から提供された生活費は税金を徴収した後本人に手渡されます。つまり国や県、市町村などは議員給与という税金を使わず、逆に議員さんから税金をいただくという寸法です。これは税金という給与をもらいながら、有権者や支持者に対して偉そうにしている議員さんを更正させる手段として有効ではないかと思います。なにしろ支持者が減れば自分の生活費も減ってしまうのですから。
立候補者の選挙費用も極力抑えるべきです。選挙活動は市や県の広報に公約を掲載したり、公開討論会などに限るようにしてはいかがでしょうか。そうすれば政党助成金などと言う税金の無駄遣いや、暴走族のように近所迷惑な選挙カーの騒音もなくなると思うのですが。
問題はこのような提案をしても決定するのは現在の議員さん達であるということです。
議員はボランティアという考え方は浄土真宗の議員さん達と同じです。
私たちの浄土真宗本願寺派は日本の国会よりも早く宗会(宗派の最高決定機関)に代議員制を導入いたしましたが、当初より議員さん達は無報酬であったと聞いております。
もちろん現在の教区や組の役員さんも全員無報酬のボランティアです。宗教活動ですから当然といえば当然ですが、どこかの宗派のように支部長手当といったものは一切ありません。
築地本願寺にいたころの私の仕事は、刑務所や少年院を訪問する宗教教誨師の団体や、保護司会・少年連盟などのお世話をすることでした。
特に教誨師の先生方は定期・不定期に関わらず頻繁に施設を訪問し、受刑者達にお話をしておられました。時には死刑執行の場に立ち会い、受刑者と一緒に涙で最後の勤行を行ったりするその活動には尊敬の念を強くいたしましたが、みんなボランティアの活動なのです。
そして本物のボランティアに宿る精神は「おかげさま」の心と教えられました。
「おかげさま」から「出来るだけの事をしたい」という行動が生まれてくるのだと思います。 |
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生きがいの「かい」という言葉を辞書(大辞林)で引いてみますと、「その行為に値するだけのしるし。また、それだけの値打ちや効果。」とあります。
つまり生きがいとは、生きているに値するだけのしるし。であり、生きている値打ちや効果。ということでしょうか。
それでは「あなたの生きがいは何ですか」と問われたとき、皆さんはなんと答えられるでしょうか。難しい質問ですが一度ゆっくり考えてみて下さい。
仕事ですか。あるいは子供ですか。それとも社会奉仕などの活動ですか。色々な意見があると思いますが、こうしてはっきりと質問されると結構つらいものがあると思います。それはつまり漠然と生きているからです。
失礼を承知で言わせてもらえば、ほとんどの方は「生まれたから生きている」といった生き方をしているのではないでしょうか。
確かに仕事に生きがいを見いだした方もおられたことでしょう。また、子供が生きがいと考えていた時期もあったかと思います。でも、定年を迎え、子供も独り立ちしたあと、本当に生きがいと呼べるものが無くなっているのが現在の熟年・老年の方々ではないでしょうか。
これは今の青年・壮年層にも通じることですが、変わってしまうものに生きがいを持てば、必ずその生きがいは消滅してしまうのです。
では、仏教では生きがいをどう考えているのでしょうか。
仏教各宗派に共通する「礼讃文」の前文です。
『人身受けがたし、今すでに受く。仏法聞きがたし、今すでに聞く。この身今生にむかって度せずんば、さらにいずれの生にむかってかこの身を度せん。』
現代語に釈しますと、
『生まれ難き人間として生まれ。聞き難き仏法を今聞いている。この命を、この人としての生のあるうちに明らかにしなければ、いったいいつ明らかに出来るのか。』
と意訳できると思います。
またその最後には、
『無上甚深微妙の法は、百千万劫にもあい遇うことかたし。われ今見聞し受持することをえたり。願わくは如来の真実義を解したてまつらん。』とあります。
こちらも現代語に釈しますと、
『この上ない真実の教えに出遇えることは、どう考えてもあり得ないことである。しかし今私はその教えに遇い、その教えを聞くことができる。願いは、如来の救いをこの身で解したいということです。』と意訳できます。
「礼讃文」の前文において、仏教の生きがいは「私の命を明らかにする」(原文は「度す」)とされ、後文においては、「阿弥陀如来の救いを体現する」(原文は「如来の真実義を解」す)ことであるとされております。
つまり、教えを聞くことによって「私の命の本当の拠り処を明らかにする」ことがこの世に生を受けた生きがいだと言うのです。
そしてその拠り処とは生死を超えた拠り処です。これさえあれば死んでいけるという拠り処を持つところに、人生の意義があるのだと思います。 |
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「してあげる世界」から 「させていただく世界」へ 1999年6月 |
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ずいぶん前の「ライオン寺だより」にも書きましたが、『善人ばかりの家には争いが絶えず、悪人だけの家には争いがない』という言葉があります。
なぜ?。と首をひねる方もおられることと思いますが、その答えは、家族みんなが『自分は善人である』と考えているということは、『私は正しい』と主張していることなのです。ですから自分の考えや意見と違った発言などがあると我慢できなくなります。家族全員が自分の考えを主張するとどうなるでしょう。当然争いとなります。だから『善人ばかりの家は争いが絶えない』ということになるのです。
夫婦喧嘩などは善人同士の争いの典型です。
『私は夫や子供のために、自分のことは後回しにして一生懸命頑張っている』と考えている奥さんと、『私は妻や子のために自分のやりたいことも我慢して一生懸命働いている』と考えているご主人は、確かに自分を犠牲にして家族のために頑張っているという点で善人同士だと思います。
でもこの善人同士が自分のことを批判されるとたちまち喧嘩になるのです。
よくある夫婦喧嘩のセリフです。
妻『私がこんなにしてあげているのに、よくそんなことが言えるわね』
夫『何を言う、君は何もしてないじゃないか。僕の方が君の何倍も頑張っているんだ』
妻『この間だって・・・・』
夫『僕もこの前・・・・』 といった具合です。
反対に自分を悪人と思っている夫婦の会話です。
夫『君にばかり辛い思いをさせて申し訳ないね』
妻『いいえ、私の方こそお役に立てずに済みません。』
といった具合に喧嘩になるわけがありません。
住職夫婦がどちらに属するかは皆さんの想像にお任せいたしますが、善人夫婦は「してあげる世界」に住んでおり、悪人夫婦は「させていただく世界」に住んでおります。そして住職一家は「狭い家」に住んでおります。
「狭い家」は余談ですが、どうも「してあげる世界」には我慢がともなうようです。反対に「させていただく世界」は我慢する必要もない、現代風に言うならばストレスのない世界ではないでしょうか。
昔から我慢は美徳のように考えられておりますが、我慢には無理があり、いつか爆発する日がやってまいります。それもちょっとしたことがきっかけとなるようです。
私たちは我慢する必要のない世界こそ本物であるという認識を持ちましょう。
「してあげる」という自分中心の小さな世界から抜け出し、「させていただく」という自分を超えた大きな世界に目を向けたいものです。
つまりそれは『他力』に目覚めると言うことです。
他力とは自分の欲のために他人の力を当てにするという意味ではありません。私を私として存在したらしめる大いなる力のことを『他力』と呼び、「限りなきハタラキ」という意味の『阿弥陀』と同義語です。
この他力に目覚めた人こそ「させていただく世界」に住む人、聞法の人なのです。
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おかげさまのいのち おかげさまの中の私 1999年7月 |
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以前にも「雑記」に書きましたが、童話を読んでいて「なぜ」とか「どうして」と思ってしまうことがよくあります。
「ウサギと亀」のお話でも、亀はどうして寝ているウサギを起こしてあげなかったんだろうとか、「浦島太郎」では、なぜ乙姫様は開けてはならない玉手箱を太郎にあげたのだろうか、イソップ(?)童話の「アリとキリギリス」のアリは、自分さえよければそれでいいのか。などです。
童話なのだから競争心や「ざまあ見ろ」といった報復心をあおる内容でなく、「ウサギと亀」や「アリとキリギリス」なら、協調や親切心を喚起する内容の方がいいと思いますし、「浦島太郎」ですとハッピーエンドの方が読む者の心に優しさが伝わると思うのですが・・。
特に「浦島太郎」のその後が気になります。
開けてはならない玉手箱を開けた浦島太郎は白い煙と共におじいさんになってしまったのですが、老人福祉も何も充実していない時代に浦島太郎を独りぼっちの老人にしてしまうとは、作者は相当意地悪な人だと思います。
しかし考えようによっては知り合いもなく話も合わない世界で長生きするより、余命幾ばくもない老人として、思い出を胸に安らかに死を迎える方が幸せと考えられなくもないですが・・。ひょっとするとこの童話は私たちに、長生きするだけが幸せではないということを教えてくれているのでしょうか。
脳死・臓器移植が日本でも本格的に行われるようになりました。
この脳死・臓器移植について気になることがあります。それは、「命が長さで判断されてしまいがちなこと」と「命の差別が生まれること」、そして「誰かの死を待つ心を持つこと」です。
医学や科学の進歩により私たちは、短命より長命、病気より健康を善とし、平均寿命より長く生きられれば幸せ者で、短ければかわいそうな不幸せ者といったレッテルを貼っております。つまり命の価値を長さで判断してしまっているようですが、それでいいのでしょうか。
また、臓器移植に関して言えば、お年寄りの患者は明らかに臓器移植の対象となっていないようです。老人よりは若い者の命の方が尊いという命の差別がないでしょうか。
そして脳死・臓器移植の一番の問題は、誰かが死ななければ臓器移植が成り立たないと言うことです。当然そこには、他人の死を心待ちにするという心が生まれます。この心を私たちは正当化できるのでしょうか。
仏教は「命の尊さは長さではない」「命に優劣はない」「生のみに執着することなかれ、死もまた我らなり」を教えてくれます。
特に現代は「生への執着」が顕著なようです。臓器移植という延命技術の進歩によってますます私たちは「生」に執らわれているようです。
つい五十年、いや二、三十年前まで私たちは死を厳しいご催促と受け入れ、生も死も「おかげさま」という縁の世界の中での営みであることを理解していたように思います。
この臓器移植問題をご縁として、いま一度私たちの生死に対する受け止め方を考えてみてはいかがでしょうか。
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心を育てる畑を 荒らさないように 1999年8月 |
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今年も「夏休み一泊子供会」に大勢の子供達が参加してくれました。
学校と違ってお寺の子供会の良いところは、学年を越えてみんなで活動することだと思います。
毎年、四班に分けてゲームや活動を行っておりますが、上級生は下級生の面倒をよく見てくれますし、下級生も上級生の指示に従って足手まといにならないよう頑張っておりました。
兄弟姉妹の少ない少子化の時代ですので、お互いに頼りにしたり、されたりするのが新鮮で楽しいのかも知れません。
学校のように同級生ばかりで活動しておりますと、一見楽しそうですが、強い子が弱い子の面倒を見るといった心は育ちにくいと思います。
また、子供達以上に楽しんでいたのが、班のリーダーをはじめとするスタッフの皆さんでした。
自分の子供達はもう高校生や大学生・社会人になっている四十代・五十代のスタッフにとって、小学生を中心とする子供会参加者との触れ合いは、忘れていた何かを思い出させてくれるようです。
子供達にとっても、自分のお父さんお母さんより年上の人と遊んだりゲームをするのは滅多にないことですので、スタッフが息切れをするぐらい思いっきり遊んでおりました。
このようにお寺の子供会は学年や年齢を越えて楽しめるのが特徴ですが、もう一つ大事なことは、宗教的情操心が育てられることではないでしょうか。
三年前から就寝の前に「キャンドルサービス」を行うことにしましたが、真っ暗な本堂の中で、阿弥陀さまの前に灯されたロウソクから灯をいただき、子供達の手から手へと次々に灯されてゆく明かりだけで進められる不思議な時間と空間は、参加者に独特な感動を与えております。
それは阿弥陀さまのハタラキを「光明」と表現されたお釈迦さまの心に触れることであり、真っ暗な暗闇の中でも、たった一本のロウソクの明かりによって大きな安心をいただき、その明かりが次第に広まるにつれ、自分自身の姿と回りの姿が見えてくる。そんな光のハタラキは、どんな言葉よりも身体で体験してもらった方が子供達にとって理解しやすいのではないでしょうか。
また、浄土真宗の食前や食後の言葉も子供達には新鮮なようでした。
ただ「いただきます」「ご馳走さまでした」だけでなく、
「おかげさま」の心を持って食事をすることは、簡単なようで家庭ではなかなか実行できないものです。
特に、食事を用意してくれた方に「おかげさま」と感謝するだけでなく、食事そのものの命を拝んでいただくといった「おかげさま」の心をこれからも大事にしていただきたいと思います。
慌ただしい現代社会ですが、子供達にはぜひ小さな頃からこの「おかげさま」の心を伝えていただければと思います。
食前・食後の言葉です。
食前の言葉 『み仏と皆さまのおかげによりこのご馳走を恵まれました。深くご恩を喜び有り難くいただきます。』
食後の言葉 『尊いお恵みによりおいしくいただきました。おかげでご馳走さまでした。』
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まっ先に 聞かせていただかねばならぬのは 私であった 1999年9月 |
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先月中旬、大雨による事故が相次ぎました。
特に悲惨だったのは、神奈川県の丹沢湖にそそぐ玄倉川の中州にテントを張って、キャンプ中だった人たち18人を襲った水難事故でした。
生存者5名、死者は13名、最後の行方不明者が発見されたのは先月29日、事故から16日目のことです。
事故の原因は、自然を甘く見過ぎていた結果とされておりますが、それにしても、中州に取り残された人々を写したビデオの影像と、その後の悲惨な結末には胸を締め付けられる思いがいたしました。
特に濁流に流される前の家族や友人の生前の姿を、遺族や残された方々がどのような思いで観ていたのかを想像するとき、言葉にならない悲しみがこみ上げてまいります。
前日から降り続く激しい雨に、上流にあるダムの関係者や警察の人が何度もキャンプを中止して引き揚げるよう注意し、ダム放流のサイレンも通常より長くそして多く鳴らしたそうですが、今回の被害者たちは去年も同じような経験をし、何事もなくキャンプを終えた経験からその警告を無視したそうです。
結果、このような惨事が起きてしまいました。
再三の警告をちゃんと受け止めていたら、まだ歩いて渡れるぐらいの水位のうちに避難していたらと、怒りににも似た、何ともやるせない思いがこみ上げてまいります。
このやるせなさはどこから来るのかと自問したとき、この人たちを責めることのできない自己を発見いたしました。 私もこの人たちと同じ道を歩んでいることに気づかされたのでした。
諸行は無常である、この世は儚い、いつ何が起きてもおかしくない命を生きているんだよと、数知れない忠告と警告を亡くなられた方々や先人、あるいは毎日の報道で聞かされておりますが、その警告に耳を貸さず、昨日も元気でいたから今日も明日も何事もなく過ぎていくだろうと、根拠のない不確かな経験知の中で日暮を続けているのが私なのです。
川の中州どころでない、断崖の崩れかけた岩場を絶対安心とテントを張っている私、あるいは、風の中のロウソクの灯にも似て、いつ消えてもおかしくない命を生きていることに気が付かず、燃え尽きるまでは消えないとタカをくくっているのが私達の本当の姿ではないでしょうか。
仏法聴聞とはそんな私の姿に気づくことであり、いつ、どのような状態の中にあっても大きな安心をいただく教えに出会わさせていただくことと理解しております。
仏法聴聞によって悲しみや苦しみが無くなる訳ではありません。煩悩を持つ凡夫であるかぎり、諸行無常の悲しみや苦しみから逃れることはできません。しかし、その中にありながらも確かな安心があることを仏法は教えてくれるのでした。
それが阿弥陀如来の救いです。アミダというはかり知れないハタラキは、無限の慈悲と無限の智恵を持って私達人間の浅はかな考えと思いを一気にぶち破ります。
「南無阿弥陀仏」の名号は「無限の命に帰依せよ」との無限の命からの働きかけです。人間の殻に閉じこもるな、あなたも無限の中にあるのだ、との呼びかけをご聴聞するのです。
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仏法というのは心の味を育てる宗教 1999年10月 |
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秋が深まってまいりました。
日本に於いては何をするにも一番良い季節と位置づけられているようです。
謂く、「スポーツの秋」「読書の秋」「食欲の秋」「観光の秋」「芸術の秋」「八代あき」などです。
これだけ「○○の秋」と形容されますと、何かしなければいけないような気になりますが、「八代あき」は別にして、何もしなくても立派に実行できるのは「食欲の秋」ぐらいでしょうか。
特にこの季節は食べ物がひときわ美味しく感じられます。
食欲が旺盛になるので美味しく感じるのか、美味しいものを食べるから食欲が出るのか…。
たぶんハウスで育てられた物と違い、夏の日差しをいっぱいに受けた露地物の果物や野菜を食べるから食欲が旺盛になるのだと思います。
それにしても太陽の光は不思議な力を持っております。
植物に光合成を促し、果物には甘みを与え、生き物には成長と活力を与えてくれます。
地球上のあらゆる生命の源となっているのが太陽の光のように思えます。
そんな日の光の不思議さを先人は「渋柿の 渋がそのまま 甘みかな」と歌いました。
干し柿をご存じでしょうか。干し柿は甘柿でなく渋柿で作られます。秋に収穫した渋柿の皮をむき、冬の間日の当たる場所に干しておくだけで、渋柿は甘くて美味しい干し柿となります。
誰が発見したのか知りませんが、日の光は渋柿の渋を天然の甘みに変える力を持っているのです。
渋が甘みに…。科学的には渋みの成分である○○○が日の光の△△△に照射されることによって甘みを持つ×××に変化する。といったことなのでしょうが、それにしても不思議です。
他の野菜や果物も同じような太陽の光の不思議な働きによって美味しい味となるのでしょう。
では、私達の心の味は何によって育てられるのでしょうか。
今月の法語の作者東井義雄先生は、仏法によって心の味が育てられるとされました。
私達は個々の価値判断によって生じる悲しみや喜び、あるいは怒りや寂しさといった心の味を持っております。
同じ事柄でも人それぞれで受け止め方が違いますので、心の味も千差万別ですが、その心の味が育てられるとはどういうことでしょうか。
親鸞聖人は仏法、特に阿弥陀仏の救いの一つに転悪成善(悪を転じ善と成す)という救いがあると明らかにされました。
ここでいう悪とは、人間の勝手な価値判断で生まれてくる悪のことです。
つまり我々人間にとって、病気や愛する人との死別などは、心の味としては悲しみや苦しみ・寂しさを伴う、出来るならば避けて通りたい悪そのものですが、仏法によってその人間の勝手な価値判断が崩され、縁起という広大な世界を知らされることによって、悪と思っていた出来事を尊いご縁と受け止めることの出来る心持ち、つまり心の味を「転悪成善」と示されたのでした。
悲しみや寂しさの渋みが仏法という日の光に出会うことによって甘みへと転ぜられるということです。
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阪神淡路大震災以降「ボランティア」の重要性と必要性が広く認知されるようになったように思いますが、以前から、ボランティア活動は「当事者や被災者の気持ちを考える想像力」によって成り立っているのではないかと考えております。
ボランティアと少し違いますが、環境問題なども想像力を必要とする問題です。
1999年9月30日午前10時35分、茨城県東海村にあるJCOウラン加工施設で臨海事故が起きました。
16キロのウランと水とで隔壁も制御棒もない、世界最小のステンレスバケツ製原子炉を作ってしまったのです。
この原子炉は20時間ものあいだ中性子線を含む放射能を放出し、作業員と救急隊員、そして付近住民らを被爆に至らしめ、今もまだ近隣住民に目に見えない恐怖を与えております。
以前、来恩寺の団体参拝旅行でお訪ねした東海村にある真宗「願船寺」の副住職、藤井学昭氏の今回の事故に対する言葉です。
『動燃では炉のような危険な所に入るのは下請けや日雇いの作業員で、正規職員は入らない』
『すべての段階で危険がともなう原発を、現在の生活そのものを維持するためには仕方がないというのは、豊かさ、便利さの中で感覚が麻痺している』
『原発はエネルギー問題ではなく、放射能問題なのです。(問題を)すりかえています』
『資料が出されていない。測定した数値を明らかにしないで安全だ安全だという』
『今回の事故は何だったのか明らかにせず、安全だとすることによって事実に目を閉じていく』
『戦争や水俣で何が抜け落ちていくのかというと、現場の人間が切り捨てられていくのです。現場で殺された人を見ていかなければいけません』
『想像力を出して、工場の周りに何人いたのか、何をしていたのか自分の所で考える。そしてお寺でも地域でも自分のいる所で問い合わせ抗議していく、声を出していく。これが地元と連帯していくことではないですか』
今回の事故の原因は「想像力の欠如」だと思います。経験の少ない作業員の無謀な行動に対する想像力の欠如、駆けつけた救急隊員が被爆するかも知れないという想像力の欠如、最悪の臨界事故に対する付近住民の避難と防災の想像力の欠如などですが、最大の想像力欠如は原子力のない安全な生活への想像力です。
原子力は主に発電のエネルギーとして利用されておりますが放射能の恐怖がつきまといます。火力や水力も地球や動植物などの生態系に悪影響を与えます。
安全で環境への悪影響の少ないエネルギーは太陽光・風力・地熱などの自然エネルギーですが、そのコストは原子力とは比べものにならないそうです。
また、当然そのコストは電気使用料として我々の元へ回ってまいります。現在の数倍の使用料かも知れませんが、そろそろ本気でこの問題を考えても良い時期のように思います。
それは、私達の生活を見直すこと、つまり正面から取り組む「勇気」です。
(今回の記事は、調布市西照寺副住職、酒井淳氏のレポートをもとに書きました。)
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人間の行動や性格は環境に大きく作用されるものです。
犬や猫などの動物は生まれながらに犬や猫の性質を持っておりますが、人間はオオカミに育てられればオオカミのようになってしまいます。人間に育てられた犬が人間のように両手を使って食事をするということはないようです。
つまり人間の成長にとって環境はとても大事な要素であると言うことです。
3年ほど前に読んだ「囚人狂時代」(見沢知廉著・ザ・マサダ発行)は著者自身が囚人として12年間過ごした刑務所の実体と、受刑者の様子などがリアルに書かれており、今後の参考にはしたくありませんがとても面白い本でした。
その中に「運命の分かれ道」という章があり、殺人犯の殺人を犯したきっかけや犯罪の引き金などが、自分では予期しなかったちょっとした出来事によって起こってしまったことが書かれております。
例えばヤクザの兄貴分を殺してしまった男の話です。
自分の女を兄貴分に寝取られてしまった男は、兄貴分を殺す目的で首都高に車を走らせます。しかし、途中で冷静になり「あの女は所詮そんな女だったんだ」と気を持ち直し首都高を降りようとします。が、たまたまその日だけその降り口が封鎖されていたため、そのまま兄貴分の家に近い高速の降り口で降り、結局は殺してしまったという話です。
その時、降りようとしていた降り口が封鎖されていなければ、男は素直に家に帰っていたはずでした。
また別の男は、遊ぶ金ほしさに銀行強盗を計画します。
銀行の様子を外から窺い、押し入るタイミングを計りますが、お年寄りや子供を巻き添えにしたくないと考えた男はなかなか押し入ることが出来ませんでした。
緊張で全身が汗だくになり、結局、男は強盗をあきらめ帰路に就きます。
途中、のどの渇きを覚えた男は、路上の当たり付き自販機でジュースを買います。コインを入れ目的のジュースのボタンを押すと、ピピピという音と共に電飾が回転をはじめ、男に大当たりが出ました。
すると男はクルリと向きを変えて来た道を引き返し、今度は緊張することもなく銀行に押し入りました。
男にとって、自販機の大当たりが引き金となって強盗を決断したのでした。
自販機が当たり付きでない普通の自販機であればその男の人生は変わっていたことでしょう。
その他、著者は重大な犯罪もちょっとしたきっかけで起きることもある、むしろそのような場合の方が多いのではないかと、刑務所で付き合いのあった囚人達の犯歴を通して警告しております。
もちろんそのようなきっかけは犯罪の言い訳になりませんが、私達も環境ときっかけがあれば犯罪者となる可能性があることは否定できません。自分は絶対にそんなことはしないと自信を持って言い切れる人がいるのでしょうか。
条件が整えば何をしでかすか分からない私達ですが、そのような環境に近づかない努力は出来ます。それはまず、恨みや憎しみ、復讐や「ざまあみろ」の心を正当化しないことです。そしてお互いが敬いながら生きていくことのすばらしさを学ぶことです。
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