探求社の法語カレンダーの言葉を味わってみました

1998年の法語カレンダーより

お念仏は本当の私にして下さる復元力  98年2月
悪人正機 この私がめあて  98年3月
はたらきづめに はたらいて下さる 大きな願い  98年4月
まことの「いのち」に 目ざめさせていただく  98年5月
ご飯の尊い命をいただきながらすいません南無阿弥陀仏  98年6月
この「今」をおがまなければ  98年7月
「おかげさま」が見える目に  98年8月
世界でただ一人の自分を 光いっぱいにしていく責任者  98年 9月
ゆるしてもらって生きていた私  98年10月
如来さまのお慈悲にあわせていただきましょうね  98年11月
気がつかなくても 大いなる親のひざの上  98年12月

1999年の法語カレンダーより

「よろこび」をいっぱい袋に貯える年にしよう  99年1月
人生を耕させてもらう道 それがお念仏  99年2月
目がさめてみたら生きていた まっさらな朝のど真ん中に生かされていた 99年3月
「自分のねうち」が見えると 「おかげさま」が見えてくる  99年4月
生きがいに火をつける 生きがいにスイッチを入れる  99年5月
「してあげる世界」から 「させていただく世界」へ  99年6月
おかげさまのいのち おかげさまの中の私  99年7月
心を育てる畑を 荒らさないように  99年8月
まっ先に 聞かせていただかねばならぬのは 私であった  99年9月
仏法というのは心の味を育てる宗教  99年10月
小さな勇気でいいから わたしはそれがほしい  99年11月
ダメな人間なんてあるものか 人間はみんなすばらしいんだ 1999年12月

2000年の法語カレンダーより

一度きりの尊い道を 今 歩いている  2000年1月
寒さの中で あたたかさのよろこびを知らせてもらう  2000年2月
この「失敗」のおかげでといえるくらい 失敗から学ぼう  2000年3月
タンポポはどんな花もまねのできない タンポポの花を咲かせます  200年4月
子どもこそは おとなの父子どもこそは いのちのふるさと  2000年5月
願われていた私 赦してもらって生きていた私  2000年6月
ひとすじなわでは どうにもならない私  2000年8月
「しあわせ」の見える目  2000年9月
最高に不思議な「いのち」 それが今ここにある  2000年11月
どことても み手のまんなか おんげさまのどまんなか  2000年12月


お念仏は本当の私にして下さる復元力 1998年2月

 私たち人間の世界は約束事の世界です。その時代時代の約束(法や道徳)によって社会生活の秩序を保っております。みんなに平等でみんなが安心できる約束があればいいのですが、長い歴史の中では権力者や一部の人間の御都合によって約束事が定められました。たとえば江戸時代の士農工商、あるいは男尊女卑といった差別制度です。

 明治になって士農工商の 身分制度は改められましたが、今なお「先祖は武士であった」と差別制度の上に成り立った地位に誇りを持つ人がおります。

 逆にそのような過去の為政者によって作られた差別思想を容認する人たちによって結婚や就職の自由を奪われ、あるいは蔑視の言葉を投げつけられて人間としての尊厳を踏みにじられている人々も数多く現存します。

 また、「霊魂だ」「輪廻だ」と死を勝手にゆがめ、死者をケガレと見たり、慰霊やお祓いをしなければならないとする約束事や、方角や日に良い悪いを付け、人は暦によって行動しなければならないとする約束事に怖れおののいている人もたくさんおります。

 親鸞聖人はそのような約束事をウソ偽りの約束事と見抜かれ、人間の真の平等と自由をお念仏の中に見い出されました。

 歎異抄では「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします(煩悩をしっかりと持っている我々の、火に包まれた家のような、すべてのものがたちまちのうちに変転する世の中は、全部が全部そらごと・たわごとであってまことと言えるものがない、ただ阿弥陀如来の心である念仏のみが真実と呼べるものである)」と述べておられます。

 人間の作ったものはすべてそらごと・たわごとであるのは何故か。それは人間の勝手な分別心という煩悩から出来たものであるからです。

 人間に優劣を付け、生や健康を善とし、死や病気を悪と分ける、あるいは方角や日に善悪を付けては自らの行動を束縛している、果ては地球や宇宙も人間の欲によって食いつぶし破壊して行く、それらは人間の勝手な分別心という煩悩によるものですが、そのことに気づかずに悩み苦しんでいるのが凡夫という我々の生きざまです。

 ところが阿弥陀如来の心であるお念仏は、我々の考えや思いが人間の勝手な作りものであることに気づかせてくれます。人間に優劣は付けられない、生と死・健康や病気は分けるものでない、方角や日の善し悪しを気にせずに自由に行動せよと呼びかけ、本当に充実した人生を送る智慧がお念仏なのです。

 お念仏をいただいたものは変わります。煩悩だらけではあるが煩悩を肯定しない生き方へと変えられるのです。偏見や分別・差別を見抜き行動する私へとです。

悪人正機 この私がめあて 1998年3月

 悪人正機とは、「アミダ様の救いは悪人のためにある」ということです。

 歎異抄には『善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。(善人でさえ救われるのであれば、まして悪人が救われるのは、当然のことです。)』 との親鸞聖人の言葉があります。

 この『善人』とは、「努力次第で人生は開かれていく」と、自己の体力・知識・財産・地位・意志などを頼みにする人のことです。

 『悪人』とは、『自力の心をひるがえし(た)』人のことで、自力の心をひるがえすとは、自分の力や心では決して解決できない問題があることを知った人のことです。

 あるいは、自力を肯定する心にひそむ、うぬぼれやおごりの心に気がついた人といっていいでしょう。

 私たちは、人生が失敗もなく順調に進んでいる間は「なせば成る」と自己を過信し、「成らぬは人のなさぬなりけり」と他を批判しております。

 しかし、ひとたび逆風が吹けば、自己の無力さ、自力の有限性を知らされます。

 逆風とは、愛する者との突然の死別であったり、老いや病気、あるいは信頼していた者との関係崩壊などです。

 私たちは逆風のない人生、永遠の幸せを望みますが、諸行無常の世に生きる限り、逆風は必ず吹きます。そして絶望と深い悲しみの中に放り出されるのです。

 しかし、大切なものを失って初めて自力の限界を知り、他力というアミダ様の真実に出会う人がおります。

 反対にますます、自力という虚妄の世界にすがりつく人がおります。

 『自力の心をひるがえす』とは、アミダ様の真実に出会い自己の本当の姿を知らされ、この世の本当のありさまに気づかれた人のことです。

 自己の本当の姿とは煩悩だらけの私であるということです。欲と怒りと愚痴で毎日を過ごし、善いことをすればいつまでもそれを手柄として持ち続け、恨みやねたむ心を正当化しながら生きている。そんな自己の姿を発見するとき、私たちは善人などとはほど遠い、悪人としてしか生きようのない私を自覚するのです。

 ところが親鸞聖人は、そんな悪人として生き続ける私のためにアミダ様の救いがあると断言されました。

 教行信証には涅槃経の言葉を引用されております。

 『親の愛は、どの子に対しても平等であるが、病気になった子がいれば、親の愛はひとえにその子に注がれる。仏・如来も同じである。如来は衆生(命あるものすべて)に対して平等の慈悲を持つが、罪なる者(悪人)において、ひとえに深い慈悲心を注ぐのである。』と。

 愛するものを失って悲しまない者はいない。しかしアミダ様は「泣くな」という仏様ではないのです。悲しみや苦悩のまっただ中にある者と共に泣き、共に歩んでくださる仏様です。そしてその歩みの中から目覚めを促してくださるのです。それは「アミダという働きの世界には生も死もないのですよ」という目覚め です。

はたらきづめに はたらいて下さる 大きな願い 1998年4月

 世界三大宗教の一つである仏教は、他の二大宗教(キリスト教とイスラム教)のような創造主を認めません。

 神によって人間を含むすべてのものが造られたと考えるのでなく、すべては自然の働きによって成り立っていると考えており、お釈迦様はこの自然の道理を悟られたのでした。

 自然の道理は縁起の法(因果の法)とも呼ばれますが、「如」と表現されることもあります。

 「如」とは「ありのまま」 のことで、すべては因と縁によって成り立っており、「なるべくしてなる」あるいは「なるようにしかならない」厳然とした真実の世界を「如」と呼ぶのです。

 たとえば、水が高きから低きへと流れるのは「如」の事実ですし、地球の北半球に住む者は家の南側が明るいのも「如」の真実です。

 百歳を超えても元気で過ごせるのはそれだけの因と縁(条件)がそろった「如」の事実であり、若くても因と縁がそろえば病気や事故で亡くなって行かなければならないのも「如」の真実なのです。

 一方、迷信などがはびこるのはこの「如」の事実から目をそらし、自分に都合の悪いことは他(霊魂・方角・日・年回りなど)のせいにしてしまうからです。

 このように正しく「如」の真実に目を向けていくのは最も大切なことですが、それだけでは問題(苦悩)は解決しません。

 たとえば、「なぜ我が子が死んだのか」と問う母親に、「交通事故による外傷性ショックのためです」と事実を告げても苦悩は解決しないのです。

 「如」の真実をそのまま受け入れられれば我々に苦悩はありませんが、受け入れられない私があるから苦悩は存在するのです。

 お釈迦様は自然の道理(「如」の真実)を悟られましたが、もう一つ、「如」の 真実の働きも悟られたのでした。そしてその働きを「如来(如から我々の元へやって来た働き)」と表現されました。

 それは水が高きから低きへ流れ、その高低を無くそうとするがごとく、「如」という真実は、真実に目覚めないところにある苦悩の者を、真実に成らしめたいという働きをも持つのです。

 子を亡くして悲しまない親はおりません。しかし、その死によって自己のもろさや世のありのままの姿(如)に気づくとき、その子は「如来」の働きをしております。

 故人の生前の姿にだまされず、「如来」として片時も離れず真実に目覚めさせようと働き続けている故人に出会いましょう。

 故人の働きによって、人間の勝手な想いで造り上げた狭い世界を飛び出し、我もまた故人と同じ自然の道理の「如」という広大な世界の中にあること発見するとき、亡くなった者の働きをおかげさまと仰ぐことが出来ます。

 そしてそれはまた、故人の仏様としての大きな願いの中に私がいるということです。

まことの「いのち」に 目ざめさせていただく 1998年5月

 過日、関西出身で藤沢市に住むKさんが、三十三歳で亡くなられた奥様の一周忌を京都の大谷本廟で勤められました。

 先日、そのご報告とお礼にお寺へ立ち寄られ、「こんなものを作って皆さんにお配りしました。」と奥様のことを書かれた追悼文のようなものを下さいました。

 とても素敵な文面でしたので皆様にもその一部をご紹介したいと思います。 (私が妻を思うときに、まず思い浮かぶ言葉が「感謝」という言葉です。これは妻が私の人生に対して特に大切なものを多く与えてくれたことに対して私が感謝しているということと、妻自身が素直に「ありがとう」が言える感謝深い人であったということです。

 妻は感謝深い人であることによって「自分で幸せになれる」人だったと思います。

 私は、妻が「よい人生であった」と思いながら死を迎えることができたのではないかと思っていて、そのことが、比較的若くしてこの世を去ることになった妻に対しての私の心の救いとなっています。

 私が学ばなくてはならない点は、妻は「幸せを感じ取る」能力が高かったということだと思います。まったく同じ状況におかれても、幸せに感じられる人と不幸せに感じる人がいるように、幸せかどうかというものは自分で決めるものだと思うのです。

 「今の現状を感謝して受け入れることができる」「今目の前にあるものを他との比較でなく、そのものの価値として捉えられる」ことによって妻は自然に幸せになっていくことができたのではないかと思うのです。妻はささいな身の回りの事にも喜びを見出せる人でした。

 また妻は、自分が幸せであることでまわりを明るくし、私を含めたまわりの人を幸せにしていってくれたと思います。  また妻は、「今を生きる」ことができる人だったと思います。思い出は思い出として大事にしながらも、昔の思い出にとらわれることはなく、将来のことを不安に思ったり気を取られたりして今をおろそかにするようなこともない、そんな、今に没頭して自然に生きることができる人だったと思います。私たちが生きているのは、まさに、今という時間であり、今を大切にすることこそが人生を豊かにできることだということを教えてくれたように思います。)

 Kさんの奥様は難病と共に晩年の数年間を過ごされました。病中にありながらも「感謝の心」を持ち、「今を生きる」その姿勢には頭の下がる思いがいたします。他との比較の中で不平不満を口にする私とは桁違いの素晴らしい精神の持ち主です。まさに「まことの『いのち』に目ざめ」られたお方でした。

 今は仏様となって私たちを導いて下さっておられる、そう思えてなりません。

ご飯の尊い命をいただきながら すいません 南無阿弥陀仏 1998年6月

 子供の言葉には時々ハッとさせられます。

 先月末のことです。二才五ヶ月の次男が機嫌よく一人で遊んでいたかと思うと突然「ごめんね」とつぶやきました。

 そばにいた私と坊守は何のことか意味が分からず、「今なんて言ったの」と訊ねました。次男は私と坊守をジッと見つめながらまた「ごめんね」とつぶやくのでした。

 誰に対して、何を謝っていたのか、いまだに不明ですがなぜか感動しました。

 感動した理由をいろいろ考えてみましたが、一つには彼の「ごめんね」は私たち全人類が持たなければならない「ごめんね」のように思えました。それは私達ひとり一人が今ここに存在することへの「ごめんね」とでも言うのでしょうか、意識するしないに関わらず造り続けている罪に対する「ごめんね」であります。

 食事一つを考えましても生まれてから今日まで、どれほどの生命を頂いてきたのでしょうか。そしてその頂いた生命の数々に対して心の底からの感謝が出来ているでしょうか。また頂いた生命に胸を張れるだけの生き方が私たちに出来ているのでしょうか。まったくもってお恥ずかしいとしか言いようのない私です。

 これは食事だけにとどまらず、衣食住すべてに言えることです。

 感動した理由の二つ目は、次男の「ごめんね」が、本当の「ごめんね」を忘れている私自身への目覚めを促す「ごめんね」であったことです。

 「ごめんね」が形式だけ口先だけの「ごめんね」になってしまっている自分、あるいは自分を正当化して、「ごめんね」を言うことは損である、プライドに関わる、と考えている自分を発見いたしました。

 特に夫婦や親子といった関係の中ではなかなか「ごめんね」が出てまいりません。他人に対してはわりと素直に「ごめんね」が出てまいりますが、親しい間柄ではなかなか出てこないのが現実です。

 つまり、見栄を張る必要のないところでさえ見栄を張っている自分がいるということです。

 私は親だ、子だ、夫だ、妻だ、姑だ、嫁だ、といったこだわりを捨てて、素直に「ごめんね」が言える家庭こそ自分らしく生きて行ける、そして相手をそのまま認めあうことの出来る本当の家庭なのだと思います。

 二才五ヶ月の息子が発した「ごめんね」の本当の意味は分かりませんが、私と坊守に大事なものを教えてくれたような気がいたします。あとで坊守と二人で話し合ったとき、「ごめんねなんて言わなくていいのにね」と涙ぐんで話しておりましたが、私達は子供に「ごめんね」の言葉を期待してはおりません、素直に「ごめんね」が言える子供になってほしいのです。

この「今」をおがまなければ 1998年7月

 浄土真宗の救いを顕わす大切な言葉に、平生業成という言葉があります。

 平生業成とは、阿弥陀如来の救いは「今」の救いであるということです。

 親鸞聖人はこの平生業成のこころを末灯鈔に

 「真実信心の行人は、摂取不捨のゆへに正定聚のくらいに住す。このゆへに臨終まつことなし、来迎たのむことなし、信心のさだまるとき往生またさだまるなり」と示されました。

 私なりに解釈しますと、

 「阿弥陀如来の信心をいただいた者は、阿弥陀如来のおさめとって捨てはしないという救いの中に今すでにあるため、身は迷いの世にありながらも、すでに浄土往生が定まっているのである。だから、臨終に阿弥陀如来の救いがあるのだとか、いのち終わるときに阿弥陀如来が迎えに来る、という考えがあってはならない。信心という阿弥陀如来への絶対帰依心(まかせきる心)が定まったときに、救いもまた定まるのである。」 ということです。

 つまり平生業成とは、臨終や来迎の救いに対して、阿弥陀如来の救いは「今」であることを顕わす言葉なのです。

 一般的には浄土往生という言葉をいのち終わった後の出来事と解釈しておりますが、親鸞聖人は命終の後とは考えておられませんでした。信心の定まる今が浄土往生の定まる時であると解釈されたのです。

 それゆえ、死にざまは全く関係ありません。病気で亡くなろうが、事故で亡くなろうが、あるいは自殺という亡くなり方であろうが、死にざまは一切関係ない、大事なことは、今、信心をいただいている身であるかどうかということです。

 逆に言えば、人の死にざまを見て、あの人は迷っている、とか、浄土に往生した、などと言うなということです。

 問題はこの「私」が今、阿弥陀如来に浄土往生をまかせきった、信心の人となっているかどうかということなのです。

 ですから浄土真宗は臨終や死んだ後には関係ないのです。 大切な人の死は、私に「目覚め」を促す尊い縁として受け止めてゆきますが、亡くなった方を供養していく宗教ではないのです。

 たまに、「いずれ住職にお世話になりますから」という人がおりますが、死んだ後ではお世話は出来ないのです。生きている今が浄土往生のご縁の結び時なのです。

 妙好人浅原才市さんは、 「才市は臨終すんで  葬式すんで  都にこころ住ませてもろて  南無阿弥陀仏と  浮世すごすよ」 と詩っておられます。

 阿弥陀如来の信心をいただいた者は臨終も葬式も終わっているのです。この身は浮世という諸行無常の世にありながら、すでにお浄土のハタラキの中にあるということでしょう。人としてのいのちが終われば本当の都、お浄土に生まれるだけのことなのです。

 阿弥陀如来のご本願を聞き続ける才市さんにとって、死は浄土往生の縁でしかないのです。死を悩むことなく、今を喜ぶことが出来る。阿弥陀如来の救いの真髄です。

「おかげさま」が見える目に 1998年8月

 私たちは両親を縁としてこの世に生を受けました。母親だけ父親だけで生まれてきた者は誰もおりません。またその親もそれぞれの両親を縁として生まれてきました。親・子・孫の三代の関係で最低七名の命が存在します。四代ですと4×2でもう八人増えて十五名の命が存在したことになります。五代の関係ですと8×2でもう十六人増えて三十一名の命の存在がありました。

 このように計算して行きますと、たとえば本願寺の今の門主は二十四代目ですので千六百七十七万七千二百十五名の命の存在が確認されます。私達の二十四代も同じ事です。これが三十代・五十代・百代となるとどれぐらいの人数になるのでしょうか、暇な人は計算して住職に教えて下さい。

 とにかく数知れない多くの命の存在によって私の命が成り立っております。

 顔も名前も知らないひとり一人の人生を想像するのも楽しいですが、どのような縁で夫婦となったのか想像してみるのも面白いものです。

 泥棒や殺人者もいたかも知れませんし、略奪愛や失楽園のような関係、あるいは嫌いな人の所へ渋々嫁いだ花嫁さんもいるかもしれません。

 そのような数知れない人々の人生と、数知れない出会いによって今の私の存在があるということは確かなことです。そして誰一人欠けても私の存在はないというのも事実です。このような事実をどのように表現すればいいのでしょうか。

 親鸞聖人はこの命の流れを「無始以来(始めの無い命の流れ)」と表現されました。始まりのない過去世からの命の流れの中にある私の命は、私の命のようであって私だけの命でない。計り知れないご縁によって成り立っている命なのです。

 お釈迦様は縁起の法を悟られたと言われております。縁起とは縁って起こるということです。さまざまなものが縁って(関係しあって)成り立っているのがこの世の姿なのです。

 それは地球の裏側の出来事がエルニーニョ現象や地球の気候として私たちの生活に深く関わっているように、または太陽の黒点の活動が地球に影響を与えるように、あるいは山に降った雨が川を流れて平原を潤すように、地球に限らず全宇宙を含め、この世にあるものすべてが関わりを持っているという事実です。

 あなたも私も、見知らぬあの人もこの人も、行ったことのないあの山もこの川も、名前も知らない空を飛ぶ鳥も地中の生き物も、すべてが縁起の法の上に成り立っているのです。

 そのひとつ一つは私たちの認識の限界を超えております。人間の頭では、はかることができません。はかることはできないが確かに私と関わっている縁を古人は「おかげさま」と表現されたのでした。

 この世に生を受けたのはおかげさまです。病気をいただくのもおかげさま、死んでゆくのもおかげさまなのです。すべてはおかげさまの世界の中にあるのです。

 親鸞聖人の言葉です。 「一切の有情はみなもって世々生々の父母兄弟なり(すべての命は無始以来の親密な関係を持つ父母兄弟である)」 おかげさまから出た言葉です。

世界でただ一人の自分を 光いっぱいにしていく責任者 1998年9月

 仏説無量寿経の中に「独生独死、独去独来」という言葉があります。註釈版聖典では「人、世間愛欲のなかにありて、独り生まれ独り死し、独り去り独り来る」とあります。

 つまり、人は誰でも夫婦や親子・兄弟・親類・友人という関係の中で生きているが、突きつめると、替わる者や替わることの出来ない、独り生まれ独り死んでいく存在であるということです。

 今月の法語は、自分の人生は自分の責任において生きていくしかなく、やり直しのきかないたった一度の人生を、光り輝く人生としてほしいという東井義雄先生の願いのこもった法語です。

 「光いっぱい」の人生を歩まれた人に妙好人の方々がおられます。

 妙好人の記録や物語を拝見しますと、本願他力の道に人生の光明を見いだし、どなたも何十年という厳しい求道聞法の結果として、全身にあふれんばかりの光りを受けて人生を過ごされました。

 それは私たちの行動のもととなっている損得や愛憎・善悪という自力の分別心、つまり人間の殻がうち破られるのが並大抵のことではないことを証明しております。

 しかし一度この殻をうち破られますと、見るもの感じるものすべてが、光り輝いた存在と受け止めることが出来るのです。自他を超えた世界に身を置くとでも言うのでしょうか、煩悩を持ちながら煩悩を主体としない、本願をより所とした人生が開けてくるのです。

 それは煩悩を持つ者をそのまま救うと誓われた阿弥陀如来の誓願に随順した人生と言っても良いでしょう。

 浅原才市さんの詩です。 「ええなあ  世界虚空がみな仏  わしもその中  南無阿弥陀仏」

 世界虚空というのは世界中のものすべてということです。本願をより所として世界を見た才市さんにとって、見るもの感じるものすべてが光り輝く仏さまと受け止めることが出来るのです。そしてそれは、「ええなあ」としか表現できない世界なのでした。

 こんな詩もあります。 「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏  どこにいても南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の中にいる  南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」

 どこにいても何をしていても、南無阿弥陀仏という阿弥陀さまの本願の光の中にいる自分を発見し慶んでおられます。

 妙好人にとっての聞法は自力を取られる聞法です。阿弥陀如来の本願を聞くことは、即ち自力を捨てさせられることであり、それは聞いたという自力の行為も取られ、聞こえてきたという表現しかできない絶対他力の聞法でした。

 もう一度才市さんの詩です。 「聞いて助かるじゃない  助けてあるを  いただくばかり  この才市もな  そうであります  ありがとうございます  南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」

 妙好人の方々は、たった一度の自分の人生を大切にされました。生まれて来て良かった、生きて来て良かったと言いきれる人生、そして死んで行ける世界を自己の責任者として阿弥陀如来の本願の光の中に見いだしたのです。

ゆるしてもらって生きていた私 1998年10月

 プロ野球のペナント争いが熾烈になってまりました。特に横浜ベイスターズ(大洋ホエールス)が38年ぶりの優勝に大手をかけ、地元横浜では神社を造ったりベイスターズにちなんだ酒やグッズが大好評だそうです。

 毎年この時期に気になりますのは「他力本願」という言葉の誤用です。自力優勝の可能性が無くなったチームに対してよく使われる言葉ですが、「他力本願」は私たち浄土真宗の最も大切な言葉の一つですので、他人まかせとか、他者をあてにする、といった負のイメージで使用されると悲しくなります。

 親鸞聖人は「他力とは如来の本願力なり」と宣言され、自力での悟りに対して、阿弥陀如来の本願力によって救われていく道を「他力本願」と示されたのでした。

 このように浄土真宗は自力無効の立場から他力の救いを説く宗旨ですが、一般的には自力での悟りを目指す宗教や宗派が多いようです。

 自力での悟りを目指す宗教は当然ながら自分の力を肯定するところから出発しております。新宗教あるいは新々宗教ですと霊能力や超能力の開発によって悟りを開き、病気や悩みを克服することを目指しております。

 既存の宗派においても自力の行を積むことによって悟りを開き、何ものにも煩い妨げられることのない寂静なる涅槃の境地を目指しております。

 ところが浄土真宗はそのような自力有効の立場と全く逆の自力無効を説く宗派なのです。つまり、自らの力では何ものにも煩い妨げられることのない寂静なる涅槃の境地を開くことが不可能であり、霊能力や超能力の開発も、凡夫としてしか生きようのない私には夢まぼろしの絵空事であると受け止めております。

 「凡夫としてしか生きようのない私」、他力と自力を分けるキーポイントはここにあります。

 親鸞聖人はご自身のこととして「凡夫とは、迷いのもととなる煩悩が身に満ちており、欲も多く、怒りや腹立ち、そねみやねたみの心をつねに持ち、臨終を迎えるまで消えず絶えない(一念多念証文・意訳)」と示されました。

 また教行信証では「阿弥陀如来によって知らされたことですが、悲しいことにこの私、親鸞は、愛欲という果てしない広海に沈み、名誉欲という大きな山に迷い、救いを喜ぶ心も起きず、浄土での真実の証に近づくことも快しまない、 まことに恥ずべきことであり、痛むべきことである(意訳)」と、自身が、阿弥陀如来の救いの中にありながらもその救いを喜べず、むしろ如来に背を向けた生き方をしている罪悪深重の凡夫以外の何者でもないことを告白されておられます。

 このような罪悪深重の凡夫の自覚(懺愧)は同時に、そのような者を目当てに立てられたのが如来の本願であるとの信(歓喜)を持ちます。あるいは、如来の本願を聞くところに罪悪深重の凡夫としての真の自覚が生まれてくると言ってもいいでしょう。

 自力と他力。それは自分の本当の姿の自覚で分かれます。自力を誇る人は自力の宗教でもいいと思います。でも私は他力本願こそ私が私になれる道だといただいております。

如来さまのお慈悲にあわせていただきましょうね 1998年11月

 海外で生活しておりますと、「あなたの宗教は何ですか」とよく質問されます。これは「あなたの生活の規範となるものは何ですか」の質問と同じと考えてもよいと思います。

 つまり宗教を大事にする国では、人間は私利・私欲に流されてしまう存在だから、考え方や行動の規範・拠り所を持つことが必要であると考えているのです。

 ですから、宗教を持たない人は「私利・私欲で行動する人」であり、「信用できない人」と受け止めます。

 これは、日本の現代社会、特に現在問題になっている社会モラルや企業倫理に当てはめますと、いかに日本という国・国民が宗教に無関心であるか、あるいは、宗教を私利・私欲のために利用しているかがよく分かります。

 たとえば、バブル経済を生んだ元凶は、金融機関の秩序のない儲け主義であったことが明らかになりました。不動産会社に多額の融資を行い、価値のない土地にまでどんどん金をつぎ込み地価を上げさせ、日本経済を泡沫の夢へと誘ったのは、金融機関の私利・私欲、社利・社欲でした。

 バブルが崩壊すると一転して自己資本の比率回復のため、貸し渋り・融資金回収などに走り、多くの中小企業を倒産に追い込みました。

 現在、金融機関の経営陣の責任問題が浮上しているそうですが、同時に、社会モラルや企業倫理も半ば公的な企業である金融機関には問われることでしょう。

 このように、人間は生活や行動に規範がなければ、欲を中心にして動いてしまうのです。それも自分や家族・会社といった狭い範囲での繁栄のみを求める欲です。

 そして、その欲を満足させるために宗教を利用しているのも日本人です。家の中の神棚、会社の屋上にある祠、町内の氏神などは、限られた特定の者だけに繁栄をもたらす神なのです。

 宗教を大事にする国は、けして特定の者だけに繁栄を約束する宗教を大切にしているわけではありません。むしろそのような人間の浅はかな欲の抑制のため、社会道徳のために宗教を大事にしているのでした。ですから宗教を持たない人は信用されず悪者のような印象を持たれ、逆に宗教を持つ人は信用できる善人であると多くの人が解釈しております。

 ところが、宗教はそのような道徳や社会秩序の目的のためにあるのではありません。道徳や社会秩序は宗教の飾りとして付随してくるものではありますが、本当の宗教は本当の自己に目覚めることを目的とします。自分自身の真の姿を知るということです。

 仏教で説く縁起の法は、自分自身が様々な縁によって構成されていることを知らせるものです。父母の縁、家族・社会の縁、食べ物の縁・自然の縁等、無数の縁によって自分自身が出来ていることを知るとき、全宇宙のすべてのものが自己を形成しており、おかげさまと頭を下げずにおれない存在であることを教えてくれます。

 道元禅師が「仏道とは自己をならうことなり」と明らかにされたように、自己に目覚めることは同時に他のかけがいのない存在に目覚めることなのです。

気がつかなくても大いなる親のひざの上 1998年12月

 長男の時もそうでしたが、もうすぐ三才になる次男と遊ぶ「かくれんぼ」が面白い。

 本人は完璧に隠れているつもりなのでしょうが、こちらはどこに隠れているかすっかりお見通しです。

 あまりあっさりと見つけてもかわいそうなので、しばらく捜すふりをします。

 絶対に見つからないと思っている次男は楽しくて仕方ないようですが、すぐにこらえきれずになって満面笑顔で「ここだよ」と言いながら飛び出してきます。

 「なーんだ、そこにいたのか」と私がビックリしたように感心すると、天下を取ったような顔で「そうだよ」と答えるのでした。

 それから次男の「もう一回やろう」攻撃が延々と続きますが、私が見つけない限り、同じ場所に同じように隠れ、同じ言葉が交わされて時間が過ぎて行きます。

 最後は根負けした私の「もうおしまい」の言葉で「かくれんぼ」は終了となりますが、 引き続き次男の提案で「はっけよいをしよう」と相撲に競技変更することもよくあります。

 こちらも私が三回に一度は負けてあげるのですが、勝つ喜びを知った次男との対戦は限りなく続き、最後はやっぱり私の「もうおしまい」で千秋楽を迎えるのでした。

 ところで歎異抄の第九条に「仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば」という言葉があります。意訳しますと、「阿弥陀如来はすでに、私たちが『煩悩をしっかりと持っている迷いの存在』であることを見抜かれておられます。」という意味です。

 この第九条は、必ず救うと誓われた阿弥陀如来の願いを聞きながら心から喜べない者、そして、まだまだお浄土には生まれたくない(死にたくない)という思いを持つ者に対して、阿弥陀如来の救いはそのようにしか生きることの出来ない者が目当てであることを明らかにし、どんなに力んでみても阿弥陀如来の目から見た私たち凡夫の姿は、煩悩をしっかりと持っている迷いの存在であり、しかしだからこそ、その大悲と大慈は凡夫の自力を一切あてにしない「絶対他力」の救いとして完成されていることを我々に説き開いたものです。

 「かくれんぼ」や「はっけよい」の相撲の子供のように、私たちは私たちの本当の実力を勘違いしているのではないでしょうか。

 どうあがいても自力では解決しようのない、老病死の苦悩や愛する者との別離。意地を張り、我慢をして、耐えているふりをしている私たちに阿弥陀如来は、「もう我慢しなくていいですよ。あなたの悲しみは知り通しております。私にあなたのその悩みと悲しみを下さい。私はそれらを喜びに変えてあなたに与えましょう。」と呼びかけて下さっておられます。

 親鸞聖人は 「本願力にあひぬれば  むなしくすぐるひとぞなき  功徳の宝海みちみちて  煩悩の濁水へだてなし」 と、阿弥陀如来の救いの海では煩悩の濁水も功徳の水に変えられると慶ばれました。

1999年の一味法話集



「よろこび」をいっぱい袋に貯える年にしよう  99年1月
人生を耕させてもらう道 それがお念仏  99年2月
目がさめてみたら生きていた まっさらな朝のど真ん中に 生かされていた  99年3月
「自分のねうち」が見えると 「おかげさま」が見えてくる  99年4月
生きがいに火をつける 生きがいにスイッチを入れる  99年5月

 「してあげる世界」から 「させていただく世界」へ  99年6月

 おかげさまのいのち おかげさまの中の私  99年7月

心を育てる畑を 荒らさないように  99年8月
まっ先に 聞かせていただかねばならぬのは 私であった  99年9月
仏法というのは心の味を育てる宗教  99年10月
小さな勇気でいいから わたしはそれがほしい  99年11月
ダメな人間なんてあるものか 人間はみんなすばらしいんだ 1999年12月

「よろこび」をいっぱい袋に貯える年にしよう 1999年1月

 新年早々、毎度のことではございますが、勝手ながら来恩寺住職は1999年を平成11年ではなく「門徒元年」と名付けることにいたしました。あしからず。

 門徒元年とは来恩寺有縁の皆様が、本当の意味での浄土真宗の門徒になる出発の年ということです。

 門徒とは、仏教各宗派で一般的にいわゆる檀家と呼ばれている信者のことです。

 浄土真宗が檀家と呼ばずに門徒と呼ぶのは、寺と檀家といった過去の封建的な寺檀制度が浄土真宗にはそぐわないためです。

 私たちは寺との関係でなく親鸞聖人の開かれた浄土真宗という宗門の中の一員ですので門徒なのです。

 ですから来恩寺も檀家を持ちませんし、寺檀制度を将来に亘って作る気もありませんのでご承知おき下さい。

 ところで、住職のいう「門徒元年」とは、実家や嫁ぎ先が浄土真宗だから門徒というのでなく、浄土真宗の教えを中心とした生き方をされる方を門徒と呼び、来恩寺有縁の皆様がそのような真の門徒になるための最初の年を1999年の本年と定めたからです。

 門徒本来の生き方は「浄土真宗の生活信条」(門徒向けのお経本の最初の方に書いてある。ご参照下さい。)のような生き方でありますが、住職はそこまで堅苦しいことは申しません。

 住職の考える門徒は、まず、浄土真宗の教えを聞きたいと思っておられる方です。

 浄土真宗は「聞」の宗教ですので、とにかく聞かなければその教えを理解できるはずがないからです。(最終的には人間の理解の限界を超えた仏の世界にうなずくだけなのですが…)

 次は、聞いた教えを現実生活に反映させる気のある方です。

 たとえば人生に於ける決断や行動を、大安・仏滅・友引といった日の善し悪しや風水でいう方角などの占い・迷信に頼らず、自由な行動の出来る生き方こそ本当だと思う人。

 あるいは病気や家庭不和などの自分にとって不都合な結果を、名前の字画やご先祖・水子の霊などに責任転嫁することなく、真正面から受け止めたいと思っておられる方。

 また、「みんながするから自分も…」といった主体性のない生き方をしたくない人、これらの人は立派な門徒です。 そしてこのような生き方は教えを深く聞かれた方にはごく自然な営みなのです。

 「門徒物忌み知らず」という宗派外からの嘲笑のような言葉がありますが、葬儀や法事に際して一般的に行われている忌み事(六文銭や釘打ちの儀式・逆さ屏風・清め塩等々)は、死や死者を穢と見る行為であると真の門徒は見抜き、迷信や俗信から解放された人間らしい生き方を実践されたのでした。それは聴聞(教えを聞くこと)によって培われた結果なのです。

 今年は来恩寺にご縁のある方々が本当の門徒となるためのスタートの年「門徒元年」です。今までお寺で聴聞される機会の無かった人はもちろん、お寺の法話会に何度も足をお運びの皆さんも、真の門徒となるべく新たな気持ちでご聴聞にお励み下さい。本当のよろこびに出会えます。

人生を耕させてもらう道 それがお念仏 1999年2月

 来恩寺の前を小井出川という名の川が流れております。

 昨年の初夏頃から来恩寺より川上の土手の工事が始まり、コンクリートでなく、水辺の動植物に配慮した自然に優しい川に生まれ変わるべく連日工事が行われております。

 工事当初より見るともなしにその工事を眺めておりますが、最初はきれいに整地され、芝生が敷き詰められた気持ちの良い土手も、一週間、二週間と時間が経過しますと、見る見るうちに雑草に覆われてしまいます。

 秋頃に一度、業者の方が草刈りをしている姿を見ましたが、また春になると雑草に覆われた土手になりそうな気がいたします。

 蓮如上人ご在世の頃にこんなお話があります。

 ある人が蓮如上人を訪ねられ、その心の内を告白いたしました。

 「蓮如様、私の心は竹で編んだ籠に水を注いだようなものです。法座のお座敷では仏法をありがたくも、また尊くも感じ、喜ばせていただいておりますが、法座を離れ日常の中におりますと、籠の目の間から水が漏れるように、すぐにまたもとの心に戻ってしまうのです。」と。

 それを聞かれた蓮如上人は、「ならばその籠を水につけなさい。我が身という籠を法の水に浸しておくならば、籠の中はいつも水が溢れているでないか。」とおっしゃられたそうです。

 ウーンと唸ってしまいそうな見事なお応えですが、蓮如上人には他にもこれとよく似た言葉があります。

 「仏法を心にとどめよ」とか、「仏法をあるじ(主)とし、世間を客人とせよ」のお示しも同じ事を言っておられるのだと思います。

 私たちは仏法を聞かせていただき、感動の中で時には涙ぐむほどの法悦を感じるときがあります。  しかし、日常の慌ただしさの中に戻れば、仏法のことなどどこ吹く風と、怒りや欲、そして愚痴にまみれた生活を送っております。

 「仏法を心にとどめよ」とは、法座の席だけでなく日常の中で仏法を喜ぶ人となりなさいというお示しです。

 「仏法をあるじ(主)とし、世間を客人とせよ」の言葉は、世間の損得勘定に従って生きるのでなく、仏法という真の拠り所を持ち、仏法を毎日の生活の指針(あるじ)としなさいというお示しなのです。

 それはお念仏の中で生きるということです。お念仏を称えながら生きることは、常に阿弥陀さまのはたらきの中にある自己を発見することであり、「これが本当の生き方なのか」と人生の根本の問いを持ちながら生きることでもあります。

 世間に流されることなく、自分が本当の自分として生きていく道こそ仏法をあるじとしたお念仏の道なのです。

 きれいに整地された土手も放っておけば草で覆われてしまいます。入れたはずの水も穴があれば必ず漏れてしまいます。

 毎日の生活の中にこそ仏法が必要であり、仏法があればこそ、はえてきた草にも気づき刈ることもできる。穴がある器であっても水の中では穴も障害にはならぬと生き抜く力をいただけるのです。

目がさめてみたら生きていた まっさらな朝のど真ん中に 生かされていた 1999年3月

 毎月の法語は、詩人で教育者でもあった、故・東井義雄先生の詩から抜粋したものですが、今月の法語の原詩は、「目がさめてみたら」というこんな詩です。

 目がさめてみたら
 生きていた
 死なずに
 生きていた
 生きるための
 一切の努力をなげすてて
 眠りこけていた
 わたしであったのに
 目がさめてみたら生きていた
 劫初以来
 一度もなかった
 まっさらな朝のどまんなかに
 生きていた

 いや
 生かされていた。


 私たちは自分の意志や努力で生きているように思っておりますが、はたしてそうでしょうか。

 東井先生の詩のように、夜寝ている間は「生きるための一切の努力」はしておりません。生きるための努力はしていないが目が覚めると生きていた、といったところが本当のところではないでしょうか。

 昼間はどうでしょう。昼間起きている時は確かに意志を持っております。仕事に出かけたりお買い物に行ったりするのは私たちの意志や努力です。

 でもその意志は生きるための意志ではないようです。

 生きるための意志や努力とは、心臓を動かして全身の血管に血を送ったり、呼吸をして酸素を肺から吸収するということですが、どうやらこれは私たちの意志で行っているのではないようです。

 じゃあ私たちの意志とは何かというと、多くは欲ではないでしょうか。仕事に励むのもよりよい生活を求めてのことですし、食事も空腹を満たして美味しいものを食べたいという欲を満足させる行為のような気がいたします。

 生きるための意志や努力はほとんど持っていない、していないのが私たちではないでしょうか。

 でも生きております。東井先生の言葉を借りれば「いや、生かされていた」ということです。

 夜も昼も、寝ている時も起きて行動している時も、生かされて生きているとしか表現できない私たちです。起きている間は自分の意志で生きているように錯覚しているだけのことなのです。

 四十八才でガンで亡くなった鈴木章子さんの詩です。

 死にむかって
 進んでいるのではない
 今をもらって生きているのだ
 今ゼロであって当然の私が
 今生きている


 東井先生も鈴木章子さんも「生かされて生きている」というこの身の真実に気づかれた方々でした。

 自分の努力で生きているわけでもないのに、今ゼロであって当然であるのに生きていること、これはいただきものの命であるということです。

 今日の朝もいただきものです。使い古しの朝でなく、今日だけの、ただ今だけのまっさらな朝の光をいただいているのです。

 気がつけば全部いただきものということです。

「自分のねうち」が見えると 「おかげさま」が見えてくる 1999年4月

 四年に一度の統一地方選挙が始まります。

 一度に複数の首長や議員を選ぶことは、選挙管理委員会などの選挙に掛かる費用が大幅に節約できるということで実施されるようになったそうです。

 大変結構なことですが、費用(税金)を抑えるということでは首長や議員の給与を廃止にしても良いのではないかと思います。つまりボランティアということです。

 議員活動の必要経費は消しゴム一つに至るまで税金でまかなっても良いと思いますが、立候補制(議員になりたい人を選ぶ)によって選出された議員は、「無給でも議員になりたい」と思っている人がなればいいと思います。

 それでは裕福な者しか立候補出来ない。と思われる方もおられることと思いますが、議員さんの生活費は支援者が提供すればいいのです。

 つまりそれぐらいしてくれる支援者を持たない人は人望もなく、立候補をする資格がないということにすればいかがでしょうか。

 また、支援者から提供された生活費は税金を徴収した後本人に手渡されます。つまり国や県、市町村などは議員給与という税金を使わず、逆に議員さんから税金をいただくという寸法です。これは税金という給与をもらいながら、有権者や支持者に対して偉そうにしている議員さんを更正させる手段として有効ではないかと思います。なにしろ支持者が減れば自分の生活費も減ってしまうのですから。

 立候補者の選挙費用も極力抑えるべきです。選挙活動は市や県の広報に公約を掲載したり、公開討論会などに限るようにしてはいかがでしょうか。そうすれば政党助成金などと言う税金の無駄遣いや、暴走族のように近所迷惑な選挙カーの騒音もなくなると思うのですが。

 問題はこのような提案をしても決定するのは現在の議員さん達であるということです。

 議員はボランティアという考え方は浄土真宗の議員さん達と同じです。

 私たちの浄土真宗本願寺派は日本の国会よりも早く宗会(宗派の最高決定機関)に代議員制を導入いたしましたが、当初より議員さん達は無報酬であったと聞いております。 もちろん現在の教区や組の役員さんも全員無報酬のボランティアです。宗教活動ですから当然といえば当然ですが、どこかの宗派のように支部長手当といったものは一切ありません。

 築地本願寺にいたころの私の仕事は、刑務所や少年院を訪問する宗教教誨師の団体や、保護司会・少年連盟などのお世話をすることでした。

 特に教誨師の先生方は定期・不定期に関わらず頻繁に施設を訪問し、受刑者達にお話をしておられました。時には死刑執行の場に立ち会い、受刑者と一緒に涙で最後の勤行を行ったりするその活動には尊敬の念を強くいたしましたが、みんなボランティアの活動なのです。

 そして本物のボランティアに宿る精神は「おかげさま」の心と教えられました。

 「おかげさま」から「出来るだけの事をしたい」という行動が生まれてくるのだと思います。

生きがいに火をつける 生きがいにスイッチを入れる 1999年5月

 生きがいの「かい」という言葉を辞書(大辞林)で引いてみますと、「その行為に値するだけのしるし。また、それだけの値打ちや効果。」とあります。

 つまり生きがいとは、生きているに値するだけのしるし。であり、生きている値打ちや効果。ということでしょうか。

 それでは「あなたの生きがいは何ですか」と問われたとき、皆さんはなんと答えられるでしょうか。難しい質問ですが一度ゆっくり考えてみて下さい。

 仕事ですか。あるいは子供ですか。それとも社会奉仕などの活動ですか。色々な意見があると思いますが、こうしてはっきりと質問されると結構つらいものがあると思います。それはつまり漠然と生きているからです。

 失礼を承知で言わせてもらえば、ほとんどの方は「生まれたから生きている」といった生き方をしているのではないでしょうか。

 確かに仕事に生きがいを見いだした方もおられたことでしょう。また、子供が生きがいと考えていた時期もあったかと思います。でも、定年を迎え、子供も独り立ちしたあと、本当に生きがいと呼べるものが無くなっているのが現在の熟年・老年の方々ではないでしょうか。

 これは今の青年・壮年層にも通じることですが、変わってしまうものに生きがいを持てば、必ずその生きがいは消滅してしまうのです。

 では、仏教では生きがいをどう考えているのでしょうか。

 仏教各宗派に共通する「礼讃文」の前文です。
 『人身受けがたし、今すでに受く。仏法聞きがたし、今すでに聞く。この身今生にむかって度せずんば、さらにいずれの生にむかってかこの身を度せん。』

 現代語に釈しますと、
 『生まれ難き人間として生まれ。聞き難き仏法を今聞いている。この命を、この人としての生のあるうちに明らかにしなければ、いったいいつ明らかに出来るのか。』
と意訳できると思います。

 またその最後には、
 『無上甚深微妙の法は、百千万劫にもあい遇うことかたし。われ今見聞し受持することをえたり。願わくは如来の真実義を解したてまつらん。』とあります。

 こちらも現代語に釈しますと、
 『この上ない真実の教えに出遇えることは、どう考えてもあり得ないことである。しかし今私はその教えに遇い、その教えを聞くことができる。願いは、如来の救いをこの身で解したいということです。』と意訳できます。

 「礼讃文」の前文において、仏教の生きがいは「私の命を明らかにする」(原文は「度す」)とされ、後文においては、「阿弥陀如来の救いを体現する」(原文は「如来の真実義を解」す)ことであるとされております。

 つまり、教えを聞くことによって「私の命の本当の拠り処を明らかにする」ことがこの世に生を受けた生きがいだと言うのです。

 そしてその拠り処とは生死を超えた拠り処です。これさえあれば死んでいけるという拠り処を持つところに、人生の意義があるのだと思います。
「してあげる世界」から 「させていただく世界」へ 1999年6月
 ずいぶん前の「ライオン寺だより」にも書きましたが、『善人ばかりの家には争いが絶えず、悪人だけの家には争いがない』という言葉があります。

 なぜ?。と首をひねる方もおられることと思いますが、その答えは、家族みんなが『自分は善人である』と考えているということは、『私は正しい』と主張していることなのです。ですから自分の考えや意見と違った発言などがあると我慢できなくなります。家族全員が自分の考えを主張するとどうなるでしょう。当然争いとなります。だから『善人ばかりの家は争いが絶えない』ということになるのです。

 夫婦喧嘩などは善人同士の争いの典型です。

 『私は夫や子供のために、自分のことは後回しにして一生懸命頑張っている』と考えている奥さんと、『私は妻や子のために自分のやりたいことも我慢して一生懸命働いている』と考えているご主人は、確かに自分を犠牲にして家族のために頑張っているという点で善人同士だと思います。

 でもこの善人同士が自分のことを批判されるとたちまち喧嘩になるのです。  よくある夫婦喧嘩のセリフです。

 妻『私がこんなにしてあげているのに、よくそんなことが言えるわね』

 夫『何を言う、君は何もしてないじゃないか。僕の方が君の何倍も頑張っているんだ』

 妻『この間だって・・・・』

 夫『僕もこの前・・・・』 といった具合です。

 反対に自分を悪人と思っている夫婦の会話です。

 夫『君にばかり辛い思いをさせて申し訳ないね』

 妻『いいえ、私の方こそお役に立てずに済みません。』 といった具合に喧嘩になるわけがありません。

 住職夫婦がどちらに属するかは皆さんの想像にお任せいたしますが、善人夫婦は「してあげる世界」に住んでおり、悪人夫婦は「させていただく世界」に住んでおります。そして住職一家は「狭い家」に住んでおります。

 「狭い家」は余談ですが、どうも「してあげる世界」には我慢がともなうようです。反対に「させていただく世界」は我慢する必要もない、現代風に言うならばストレスのない世界ではないでしょうか。

 昔から我慢は美徳のように考えられておりますが、我慢には無理があり、いつか爆発する日がやってまいります。それもちょっとしたことがきっかけとなるようです。

 私たちは我慢する必要のない世界こそ本物であるという認識を持ちましょう。

 「してあげる」という自分中心の小さな世界から抜け出し、「させていただく」という自分を超えた大きな世界に目を向けたいものです。

 つまりそれは『他力』に目覚めると言うことです。

 他力とは自分の欲のために他人の力を当てにするという意味ではありません。私を私として存在したらしめる大いなる力のことを『他力』と呼び、「限りなきハタラキ」という意味の『阿弥陀』と同義語です。

 この他力に目覚めた人こそ「させていただく世界」に住む人、聞法の人なのです。
おかげさまのいのち おかげさまの中の私 1999年7月
 以前にも「雑記」に書きましたが、童話を読んでいて「なぜ」とか「どうして」と思ってしまうことがよくあります。

 「ウサギと亀」のお話でも、亀はどうして寝ているウサギを起こしてあげなかったんだろうとか、「浦島太郎」では、なぜ乙姫様は開けてはならない玉手箱を太郎にあげたのだろうか、イソップ(?)童話の「アリとキリギリス」のアリは、自分さえよければそれでいいのか。などです。

 童話なのだから競争心や「ざまあ見ろ」といった報復心をあおる内容でなく、「ウサギと亀」や「アリとキリギリス」なら、協調や親切心を喚起する内容の方がいいと思いますし、「浦島太郎」ですとハッピーエンドの方が読む者の心に優しさが伝わると思うのですが・・。

 特に「浦島太郎」のその後が気になります。

 開けてはならない玉手箱を開けた浦島太郎は白い煙と共におじいさんになってしまったのですが、老人福祉も何も充実していない時代に浦島太郎を独りぼっちの老人にしてしまうとは、作者は相当意地悪な人だと思います。

 しかし考えようによっては知り合いもなく話も合わない世界で長生きするより、余命幾ばくもない老人として、思い出を胸に安らかに死を迎える方が幸せと考えられなくもないですが・・。ひょっとするとこの童話は私たちに、長生きするだけが幸せではないということを教えてくれているのでしょうか。

 脳死・臓器移植が日本でも本格的に行われるようになりました。

 この脳死・臓器移植について気になることがあります。それは、「命が長さで判断されてしまいがちなこと」と「命の差別が生まれること」、そして「誰かの死を待つ心を持つこと」です。

 医学や科学の進歩により私たちは、短命より長命、病気より健康を善とし、平均寿命より長く生きられれば幸せ者で、短ければかわいそうな不幸せ者といったレッテルを貼っております。つまり命の価値を長さで判断してしまっているようですが、それでいいのでしょうか。

 また、臓器移植に関して言えば、お年寄りの患者は明らかに臓器移植の対象となっていないようです。老人よりは若い者の命の方が尊いという命の差別がないでしょうか。

 そして脳死・臓器移植の一番の問題は、誰かが死ななければ臓器移植が成り立たないと言うことです。当然そこには、他人の死を心待ちにするという心が生まれます。この心を私たちは正当化できるのでしょうか。

 仏教は「命の尊さは長さではない」「命に優劣はない」「生のみに執着することなかれ、死もまた我らなり」を教えてくれます。  特に現代は「生への執着」が顕著なようです。臓器移植という延命技術の進歩によってますます私たちは「生」に執らわれているようです。

 つい五十年、いや二、三十年前まで私たちは死を厳しいご催促と受け入れ、生も死も「おかげさま」という縁の世界の中での営みであることを理解していたように思います。

 この臓器移植問題をご縁として、いま一度私たちの生死に対する受け止め方を考えてみてはいかがでしょうか。

心を育てる畑を 荒らさないように 1999年8月
 今年も「夏休み一泊子供会」に大勢の子供達が参加してくれました。

 学校と違ってお寺の子供会の良いところは、学年を越えてみんなで活動することだと思います。

 毎年、四班に分けてゲームや活動を行っておりますが、上級生は下級生の面倒をよく見てくれますし、下級生も上級生の指示に従って足手まといにならないよう頑張っておりました。

 兄弟姉妹の少ない少子化の時代ですので、お互いに頼りにしたり、されたりするのが新鮮で楽しいのかも知れません。

 学校のように同級生ばかりで活動しておりますと、一見楽しそうですが、強い子が弱い子の面倒を見るといった心は育ちにくいと思います。

 また、子供達以上に楽しんでいたのが、班のリーダーをはじめとするスタッフの皆さんでした。

 自分の子供達はもう高校生や大学生・社会人になっている四十代・五十代のスタッフにとって、小学生を中心とする子供会参加者との触れ合いは、忘れていた何かを思い出させてくれるようです。

 子供達にとっても、自分のお父さんお母さんより年上の人と遊んだりゲームをするのは滅多にないことですので、スタッフが息切れをするぐらい思いっきり遊んでおりました。

 このようにお寺の子供会は学年や年齢を越えて楽しめるのが特徴ですが、もう一つ大事なことは、宗教的情操心が育てられることではないでしょうか。

 三年前から就寝の前に「キャンドルサービス」を行うことにしましたが、真っ暗な本堂の中で、阿弥陀さまの前に灯されたロウソクから灯をいただき、子供達の手から手へと次々に灯されてゆく明かりだけで進められる不思議な時間と空間は、参加者に独特な感動を与えております。

 それは阿弥陀さまのハタラキを「光明」と表現されたお釈迦さまの心に触れることであり、真っ暗な暗闇の中でも、たった一本のロウソクの明かりによって大きな安心をいただき、その明かりが次第に広まるにつれ、自分自身の姿と回りの姿が見えてくる。そんな光のハタラキは、どんな言葉よりも身体で体験してもらった方が子供達にとって理解しやすいのではないでしょうか。

 また、浄土真宗の食前や食後の言葉も子供達には新鮮なようでした。

 ただ「いただきます」「ご馳走さまでした」だけでなく、 「おかげさま」の心を持って食事をすることは、簡単なようで家庭ではなかなか実行できないものです。

 特に、食事を用意してくれた方に「おかげさま」と感謝するだけでなく、食事そのものの命を拝んでいただくといった「おかげさま」の心をこれからも大事にしていただきたいと思います。

 慌ただしい現代社会ですが、子供達にはぜひ小さな頃からこの「おかげさま」の心を伝えていただければと思います。

 食前・食後の言葉です。

 食前の言葉 『み仏と皆さまのおかげによりこのご馳走を恵まれました。深くご恩を喜び有り難くいただきます。』

 食後の言葉 『尊いお恵みによりおいしくいただきました。おかげでご馳走さまでした。』
まっ先に 聞かせていただかねばならぬのは 私であった 1999年9月
 先月中旬、大雨による事故が相次ぎました。

 特に悲惨だったのは、神奈川県の丹沢湖にそそぐ玄倉川の中州にテントを張って、キャンプ中だった人たち18人を襲った水難事故でした。

 生存者5名、死者は13名、最後の行方不明者が発見されたのは先月29日、事故から16日目のことです。

 事故の原因は、自然を甘く見過ぎていた結果とされておりますが、それにしても、中州に取り残された人々を写したビデオの影像と、その後の悲惨な結末には胸を締め付けられる思いがいたしました。

 特に濁流に流される前の家族や友人の生前の姿を、遺族や残された方々がどのような思いで観ていたのかを想像するとき、言葉にならない悲しみがこみ上げてまいります。

 前日から降り続く激しい雨に、上流にあるダムの関係者や警察の人が何度もキャンプを中止して引き揚げるよう注意し、ダム放流のサイレンも通常より長くそして多く鳴らしたそうですが、今回の被害者たちは去年も同じような経験をし、何事もなくキャンプを終えた経験からその警告を無視したそうです。

 結果、このような惨事が起きてしまいました。

 再三の警告をちゃんと受け止めていたら、まだ歩いて渡れるぐらいの水位のうちに避難していたらと、怒りににも似た、何ともやるせない思いがこみ上げてまいります。

 このやるせなさはどこから来るのかと自問したとき、この人たちを責めることのできない自己を発見いたしました。 私もこの人たちと同じ道を歩んでいることに気づかされたのでした。

 諸行は無常である、この世は儚い、いつ何が起きてもおかしくない命を生きているんだよと、数知れない忠告と警告を亡くなられた方々や先人、あるいは毎日の報道で聞かされておりますが、その警告に耳を貸さず、昨日も元気でいたから今日も明日も何事もなく過ぎていくだろうと、根拠のない不確かな経験知の中で日暮を続けているのが私なのです。

 川の中州どころでない、断崖の崩れかけた岩場を絶対安心とテントを張っている私、あるいは、風の中のロウソクの灯にも似て、いつ消えてもおかしくない命を生きていることに気が付かず、燃え尽きるまでは消えないとタカをくくっているのが私達の本当の姿ではないでしょうか。

 仏法聴聞とはそんな私の姿に気づくことであり、いつ、どのような状態の中にあっても大きな安心をいただく教えに出会わさせていただくことと理解しております。

 仏法聴聞によって悲しみや苦しみが無くなる訳ではありません。煩悩を持つ凡夫であるかぎり、諸行無常の悲しみや苦しみから逃れることはできません。しかし、その中にありながらも確かな安心があることを仏法は教えてくれるのでした。

 それが阿弥陀如来の救いです。アミダというはかり知れないハタラキは、無限の慈悲と無限の智恵を持って私達人間の浅はかな考えと思いを一気にぶち破ります。

 「南無阿弥陀仏」の名号は「無限の命に帰依せよ」との無限の命からの働きかけです。人間の殻に閉じこもるな、あなたも無限の中にあるのだ、との呼びかけをご聴聞するのです。
仏法というのは心の味を育てる宗教  1999年10月
 秋が深まってまいりました。

 日本に於いては何をするにも一番良い季節と位置づけられているようです。

 謂く、「スポーツの秋」「読書の秋」「食欲の秋」「観光の秋」「芸術の秋」「八代あき」などです。

 これだけ「○○の秋」と形容されますと、何かしなければいけないような気になりますが、「八代あき」は別にして、何もしなくても立派に実行できるのは「食欲の秋」ぐらいでしょうか。

 特にこの季節は食べ物がひときわ美味しく感じられます。

 食欲が旺盛になるので美味しく感じるのか、美味しいものを食べるから食欲が出るのか…。

 たぶんハウスで育てられた物と違い、夏の日差しをいっぱいに受けた露地物の果物や野菜を食べるから食欲が旺盛になるのだと思います。

 それにしても太陽の光は不思議な力を持っております。

 植物に光合成を促し、果物には甘みを与え、生き物には成長と活力を与えてくれます。

 地球上のあらゆる生命の源となっているのが太陽の光のように思えます。

 そんな日の光の不思議さを先人は「渋柿の 渋がそのまま 甘みかな」と歌いました。

 干し柿をご存じでしょうか。干し柿は甘柿でなく渋柿で作られます。秋に収穫した渋柿の皮をむき、冬の間日の当たる場所に干しておくだけで、渋柿は甘くて美味しい干し柿となります。

 誰が発見したのか知りませんが、日の光は渋柿の渋を天然の甘みに変える力を持っているのです。

 渋が甘みに…。科学的には渋みの成分である○○○が日の光の△△△に照射されることによって甘みを持つ×××に変化する。といったことなのでしょうが、それにしても不思議です。

 他の野菜や果物も同じような太陽の光の不思議な働きによって美味しい味となるのでしょう。

 では、私達の心の味は何によって育てられるのでしょうか。

 今月の法語の作者東井義雄先生は、仏法によって心の味が育てられるとされました。

 私達は個々の価値判断によって生じる悲しみや喜び、あるいは怒りや寂しさといった心の味を持っております。

 同じ事柄でも人それぞれで受け止め方が違いますので、心の味も千差万別ですが、その心の味が育てられるとはどういうことでしょうか。

 親鸞聖人は仏法、特に阿弥陀仏の救いの一つに転悪成善(悪を転じ善と成す)という救いがあると明らかにされました。

 ここでいう悪とは、人間の勝手な価値判断で生まれてくる悪のことです。

 つまり我々人間にとって、病気や愛する人との死別などは、心の味としては悲しみや苦しみ・寂しさを伴う、出来るならば避けて通りたい悪そのものですが、仏法によってその人間の勝手な価値判断が崩され、縁起という広大な世界を知らされることによって、悪と思っていた出来事を尊いご縁と受け止めることの出来る心持ち、つまり心の味を「転悪成善」と示されたのでした。

 悲しみや寂しさの渋みが仏法という日の光に出会うことによって甘みへと転ぜられるということです。

小さな勇気でいいから わたしはそれがほしい 1999年11月

 阪神淡路大震災以降「ボランティア」の重要性と必要性が広く認知されるようになったように思いますが、以前から、ボランティア活動は「当事者や被災者の気持ちを考える想像力」によって成り立っているのではないかと考えております。

 ボランティアと少し違いますが、環境問題なども想像力を必要とする問題です。

 1999年9月30日午前10時35分、茨城県東海村にあるJCOウラン加工施設で臨海事故が起きました。

 16キロのウランと水とで隔壁も制御棒もない、世界最小のステンレスバケツ製原子炉を作ってしまったのです。

 この原子炉は20時間ものあいだ中性子線を含む放射能を放出し、作業員と救急隊員、そして付近住民らを被爆に至らしめ、今もまだ近隣住民に目に見えない恐怖を与えております。

 以前、来恩寺の団体参拝旅行でお訪ねした東海村にある真宗「願船寺」の副住職、藤井学昭氏の今回の事故に対する言葉です。

 『動燃では炉のような危険な所に入るのは下請けや日雇いの作業員で、正規職員は入らない』

 『すべての段階で危険がともなう原発を、現在の生活そのものを維持するためには仕方がないというのは、豊かさ、便利さの中で感覚が麻痺している』

 『原発はエネルギー問題ではなく、放射能問題なのです。(問題を)すりかえています』

 『資料が出されていない。測定した数値を明らかにしないで安全だ安全だという』

 『今回の事故は何だったのか明らかにせず、安全だとすることによって事実に目を閉じていく』

 『戦争や水俣で何が抜け落ちていくのかというと、現場の人間が切り捨てられていくのです。現場で殺された人を見ていかなければいけません』 

『想像力を出して、工場の周りに何人いたのか、何をしていたのか自分の所で考える。そしてお寺でも地域でも自分のいる所で問い合わせ抗議していく、声を出していく。これが地元と連帯していくことではないですか』

 今回の事故の原因は「想像力の欠如」だと思います。経験の少ない作業員の無謀な行動に対する想像力の欠如、駆けつけた救急隊員が被爆するかも知れないという想像力の欠如、最悪の臨界事故に対する付近住民の避難と防災の想像力の欠如などですが、最大の想像力欠如は原子力のない安全な生活への想像力です。

 原子力は主に発電のエネルギーとして利用されておりますが放射能の恐怖がつきまといます。火力や水力も地球や動植物などの生態系に悪影響を与えます。

 安全で環境への悪影響の少ないエネルギーは太陽光・風力・地熱などの自然エネルギーですが、そのコストは原子力とは比べものにならないそうです。

 また、当然そのコストは電気使用料として我々の元へ回ってまいります。現在の数倍の使用料かも知れませんが、そろそろ本気でこの問題を考えても良い時期のように思います。

 それは、私達の生活を見直すこと、つまり正面から取り組む「勇気」です。

(今回の記事は、調布市西照寺副住職、酒井淳氏のレポートをもとに書きました。)

ダメな人間なんてあるものか 人間はみんなすばらしいんだ 1999年12月 

 人間の行動や性格は環境に大きく作用されるものです。

 犬や猫などの動物は生まれながらに犬や猫の性質を持っておりますが、人間はオオカミに育てられればオオカミのようになってしまいます。人間に育てられた犬が人間のように両手を使って食事をするということはないようです。

 つまり人間の成長にとって環境はとても大事な要素であると言うことです。

 3年ほど前に読んだ「囚人狂時代」(見沢知廉著・ザ・マサダ発行)は著者自身が囚人として12年間過ごした刑務所の実体と、受刑者の様子などがリアルに書かれており、今後の参考にはしたくありませんがとても面白い本でした。

 その中に「運命の分かれ道」という章があり、殺人犯の殺人を犯したきっかけや犯罪の引き金などが、自分では予期しなかったちょっとした出来事によって起こってしまったことが書かれております。

 例えばヤクザの兄貴分を殺してしまった男の話です。

 自分の女を兄貴分に寝取られてしまった男は、兄貴分を殺す目的で首都高に車を走らせます。しかし、途中で冷静になり「あの女は所詮そんな女だったんだ」と気を持ち直し首都高を降りようとします。が、たまたまその日だけその降り口が封鎖されていたため、そのまま兄貴分の家に近い高速の降り口で降り、結局は殺してしまったという話です。

 その時、降りようとしていた降り口が封鎖されていなければ、男は素直に家に帰っていたはずでした。

 また別の男は、遊ぶ金ほしさに銀行強盗を計画します。

 銀行の様子を外から窺い、押し入るタイミングを計りますが、お年寄りや子供を巻き添えにしたくないと考えた男はなかなか押し入ることが出来ませんでした。

 緊張で全身が汗だくになり、結局、男は強盗をあきらめ帰路に就きます。

 途中、のどの渇きを覚えた男は、路上の当たり付き自販機でジュースを買います。コインを入れ目的のジュースのボタンを押すと、ピピピという音と共に電飾が回転をはじめ、男に大当たりが出ました。

 すると男はクルリと向きを変えて来た道を引き返し、今度は緊張することもなく銀行に押し入りました。

 男にとって、自販機の大当たりが引き金となって強盗を決断したのでした。

 自販機が当たり付きでない普通の自販機であればその男の人生は変わっていたことでしょう。

 その他、著者は重大な犯罪もちょっとしたきっかけで起きることもある、むしろそのような場合の方が多いのではないかと、刑務所で付き合いのあった囚人達の犯歴を通して警告しております。

 もちろんそのようなきっかけは犯罪の言い訳になりませんが、私達も環境ときっかけがあれば犯罪者となる可能性があることは否定できません。自分は絶対にそんなことはしないと自信を持って言い切れる人がいるのでしょうか。

 条件が整えば何をしでかすか分からない私達ですが、そのような環境に近づかない努力は出来ます。それはまず、恨みや憎しみ、復讐や「ざまあみろ」の心を正当化しないことです。そしてお互いが敬いながら生きていくことのすばらしさを学ぶことです。

2000年の一味法話集

一度きりの尊い道を 今 歩いている  2000年1月

寒さの中で あたたかさのよろこびを知らせてもらう  2000年2月

この「失敗」のおかげでといえるくらい 失敗から学ぼう  2000年3月

タンポポはどんな花もまねのできない タンポポの花を咲かせます  200年4月

子どもこそは おとなの父子どもこそは いのちのふるさと  2000年5月

願われていた私 赦してもらって生きていた私  2000年6月

ひとすじなわでは どうにもならない私  2000年8月

「しあわせ」の見える目  2000年9月

最高に不思議な「いのち」 それが今ここにある  2000年11月

どことても み手のまんなか おんげさまのどまんなか  2000年12月

一度きりの尊い道を 今 歩いている  2000年1月


 「♪新しい朝が来た 希望の朝だ」の歌で始まるのはNHKのラジオ体操ですが、ついに西暦2000年の新しい朝がやって参りました。

 一つの通過点ですのでそんなに騒ぐことではないと思うのですが、あえて言わせてもらえば、この今月の法話をお読みのあなたは、西暦2000年の1月1日まで生きていた方です。

 そして今月の法話2月号を読めた方は2000年の2月1日まで生きておられた方です。「それがどうした。」と言われても困るのですが、これは事実です。

 では、いつまで読むことが出来るでしょうか?。5年先?10年先?それとも50年先の今月の法話も読むつもりでおられますか?。

 フッフッフッフ。それは甘い考えというものです。何故なら、皆さんがどんなに長生きをしようとも、私が原稿を書く気にならなければこの今月の法話は来月号ですら更新できないからです。つまりこの先読めるか読めないかはすべて私の手の中にあるということですよ明智君。

 ということで、新年早々つまらないことを書いてしまいましたが、人生何が起こるか分からないということを言いたかっただけです。(それにしては前置きが長い)

 ところで、五木寛之さんの「人生の目的」(幻冬舎)がベストセラーになりつつあります。素晴らしい本です。

 本の中で五木さんは「生きなければならない。生きつづけていてこそ目的も明らかになるのである。」と強調されておられます。これは今日の自殺者急増に警鐘を鳴らしたものですが、私もそう思います。

 私たちの人生には悲しい別れや、つらいこともあるでしょう。何が起こってもおかしくない世界に生きている我々です。

 そんな時、「どうして私だけが…」「なんで…」とつい愚痴が出てしまうものですが、歳月を重ねてもう一度その過去を振り返るとき「生きてきて良かった」「悲しい別れがあったけど、出会えて良かった」「尊いご縁であった」と言える人生を送りたいものです、それがお念仏をいただいた者の人生だと思うのです。

   親鸞聖人の御和讃に
     『本願力にあひぬれば
     むなしくすぐるひとぞなき
     功徳の法海みちみちて
     煩悩の濁水へだてなし』

(阿弥陀如来の心に出逢った者は、けしてむなしい人生を送らない。それは煩悩という悲しみや恨み・怒りの濁った水が、ひとたび慶びに満たされた功徳の海に入れば、煩悩の水と功徳の水に分けることが出来ないように、むしろ慶びに変えられてしまうのである。意訳)

という御和讃があります。

 私の父は51才と2ヶ月で亡くなりました。朝から晩まで、大きな声で人目もはばからずどこでもお念仏を申していた父でした。そんな父の死は私にとって大きなショックであると共にこの上ない悲しみでした。

 でも、今は父の死が慶ばれるのです。悲しみは今でもあります。父がいれば…と思うこともよくあります。でも、その悲しみよりも数倍の慶びを父は教えてくれました。

 お念仏に出会えてよかった。人生に無駄なものはない。

 心からそう思います。 合掌

寒さの中で あたたかさのよろこびを知らせてもらう  2000年2月


私(来恩寺住職)は15年ほど前、本山から辞令をいただき、本願寺の函館別院に2年間勤務いたしました。

 函館別院の勤務体制は別院の門信徒を10の地区に分け、10人の職員がそれぞれの地区を責任を持って受け持ち、月参り・法事・葬儀などの仏事を行うことでした。

 月参りとは故人の月命日(5月12日に亡くなれば毎月12日が月命日)に自宅でお参りをすることです。

 私の受け持ちの地域は1日に平均10軒前後の月参りがあり、4輪駆動車で回っておりました。雪道の走行が上手くなったのも別院勤務のお陰です。

 函館は6月頃から10月上旬頃までは気持ちの良い季節ですが、10月下旬から5月中旬頃まではストーブが必要です。

 特に真冬に暖房のない生活は考えられないのですが、月参りに行きますと時々暖房のない生活を体験いたします。

 それは、お仏壇のある部屋が普段使わない部屋で、しかも家人が月命日を忘れていたりしたときです。

 「おはようございます。」と玄関を入りますと、「あら、すっかり忘れてたわ、ごめんなさい。」と言ってそれから仏間に暖房を入れるのです。当然、短時間で部屋が暖まるはずもなく、氷点近く、時には氷点下の寒さの中でお参りをすることも度々でした。

 常夏のハワイから帰国したばかりの私には、まるで拷問か罰ゲームを受けているような寒さでした。

 でも、寒い仏間から暖かいリビングに通され、出された一杯のかけソバならぬ一杯のお茶の有り難さは格別でした。

 ところで、1980年、今からちょうど20年前に本願寺のご門主が世界中の門信徒に向けて『教書』を出されました。その冒頭に、

 『宗教は、人間のかかえている究極的な問題、すなわち、老病死の苦悩の解決にかかわるものであります。釈尊が出家される機縁となったのも、その問題であり、老病死が迫っていることに気付く時、人間は、今ここに生きていることの意味を問わずにはおれません。この問題を解決しようとするところに、宗教の根本的な意義があります。』

 と、宗教の意義を挙げられました。そして最後に、

『念仏は、私たちがともに人間の苦悩を担い、困難な時代の諸問題に立ちむかおうとする時、いよいよその真実をあらわします。』

と、お念仏の真の力を示されました。

 『教書』に出てまいります『老病死の苦悩』・『人間の苦悩』・『困難な時代の諸問題』とは、季節に例えれば冬の寒さのことです。そして『念仏』とはその寒さの中でいただく一杯のお茶のことだと味わわせていただいております。

 若くて健康で、死の問題など遠い先のことと考えている人には念仏の教えは無用かも知れません。

 でも、諸行無常の中にある自分の命を考えるとき、老病死は先のことでなく、現実問題としてこの私に直面していることに気づきます。

 そしてお念仏の教え、つまり阿弥陀如来の悲願の声がこの身の上にかけられていたことを知らされたとき、私達は胸を張って苦悩や困難に立ち向かって行くことが出来るのです。

この「失敗」のおかげでといえるくらい 失敗から学ぼう  2000年3月

 「おかげ様」あるいは「おかげ」という言葉はじつに曖昧な言葉だと思います。英語にはこのような言葉はないと聞きましたが、そんな気がいたします。

 特にキリスト教文化が浸透している国々は、「神との契約」に代表されますように、日常生活の全般が契約によって成り立っておりますので、日本語の「おかげ様」のように対象がはっきりしない存在は認められないようです。逆に、「おかげ様ってどこの誰なんだ」と質問されそうです。

 海外のスポーツ選手のインタビューでも、「神」や「家族」「協力者」「地域の皆様」といった言葉はよく聞かれますが、対象が明らかでない「おかげ様」といった表現はありません。

 この日本語の「おかげ様」を深く考えてみますと、浄土真宗の大事な言葉「他力」と同じような意味があるように思います。

 私がここに存在するのは、私以外の大きなハタラキによるものであって、「誰」あるいは「何」と特定できない、無数のハタラキによるものです。

 仏教ではこれらのハタラキを「他力」と呼んでおります。つまり、自分の意志に関係なく自分を存在させる力のことです。「他人」「人まかせ」といった意味の言葉ではありません。

 例えば、「けさ、目が覚めた」という事実を考えてみましょう。

 目が覚めるということは「生きている」ということですが、昨夜、寝床に入ってから、心臓を動かしたり、呼吸をしたりという基本的な生きる努力をした人は誰もいないと思います。夜だけでなく、起きている間もそんな生きる努力をしていないのが私たちなのです。

 しかし、朝になれば自然に目が覚める。何故でしょうか。「今朝、目が覚めた」理由を挙げよと言われて、「これとこれです」と答えられる人はまずおられないと思います。 健康状態など身体の働きはもちろんのこと、環境や地球・宇宙などの無数の自然の恵みを受けて私たちの目が覚めたのです。

 このようにすべての事柄を考えて行きますと、私たちは自力で生きているとはとてもいえない存在であることが分かります。

 努力も同じ事です。自力の代表的な言葉である努力も、他力という大きな恵みの中での努力です。「自分一人の力で成し遂げた」事など一つもないのが私たちなのです。

 私たちがよく使う「おかげ様」は、無数のご縁を喜ぶ言葉として定着しておりますが、喜べないご縁もあります。病気や自分にとって不都合な出来事が起こったとき、私たちは「おかげ様」という言葉を発することはありません。でもよく考えてみますと、そのような出来事も無数のハタラキによって起こっているのです。

 自分に好都合の場合だけ「おかげ様」と喜ぶ。こんな所にも我欲と執着心を持つ人間の姿が浮き彫りになっておりますが、本当は、すべて「おかげ様」の事実なのです。喜びを求めるだけでなく、悲しみにもしっかりと目を向ける、そんな生き方が「真実に生きる」ことだと思います。

タンポポはどんな花もまねのできない タンポポの花を咲かせます  200年4月

 春です。卒業や入学・入社の季節。木や花の子供達も親元を離れ、元気に飛び立つ季節となりました。

 全国三千万の花粉症の皆さん、お元気ですか。皆さんには辛い季節ですが樹や花を恨まないようにしましょう。

 さて、三十年近く前の春四月、私も高校進学と同時に親元を離れて、京都での下宿生活に入りました。

 その高校は浄土真宗の宗門校で、普通科の中に仏教コースという、主に寺院の子弟を集めて特別な授業を行うコースのある学校でした。

 当然のように寺院子弟である私はそのクラスに編入され、毎日、通常授業の後に居残りで仏教を学んでおりました。

 お隣の大学から講師が来ての授業は、仏教史・仏教学概論・真宗史・真宗学概論・声明(ショウミョウお経のこと)などで、特に仏教独特の漢字の読み方には閉口しました。

 「生死はショウジと読みなさい」とか、「四諦八聖道はシテイハッセイドウでなく、シタイハッショウドウです」とか、「四諦の中の集諦はジッタイと読みます」「安心はアンシンでなくアンジンです」などです。

 漢字の読み方は慣れてくればスラスラと読めるようになりますが、最も辛いのは声明の時間でした。

 講師が先ずお手本を披露し、その後私たち生徒が真似をするのでした。

 皆さんも経験されたことでしょうが、お経は眠くなるのです。特に若い高校生にとってあのユッタリとしたリズムは、誰が歌う子守歌よりも眠気を誘います。

 眠気をこらえながらの授業はまるで拷問でした。

 「先生、歯磨きをしてパジャマに着替えてもいいですか」と叫びたいくらいの気持ちで授業を受けておりました。

 そんな高校生活の中で忘れられない先生がおります。高校三年の時の現代国語の先生です。

 筋ジストロフィーといって身体の筋肉が日に日に衰えていくという難病を持っていた先生です。一階の職員室から三階の私たちの教室まで、階段の途中で何度も休みながらやって来ては楽しい授業をしてくれた先生です。

 私たちも「先生そんなに階段がしんどいんやったら、職員室からおぶって来たろか」と本気で言うぐらいみんなから慕われておりました。

 「アホ言うな」と笑って応えておりましたが、自分の身体のこともあったのでしょうか、生徒の元気な姿を見るのが大好きな先生でした。特に高校野球は予選から欠かさず応援に行っておりました。

 口癖は「一日一日を大事にせえよ」
「一人ひとりみんな違うから面白いんや」でした。

 後になって、お浄土の有様が説かれた阿弥陀経の「青い色からは青い光が、黄色い色からは黄色の光が…」の言葉に出会ったとき、先生が言っていたのはこの事なんだと気が付きました。

 一日一日が新鮮な二度と来ない一日であり、一人ひとりが違っていてみんなすばらしい光を持っている。

 違いを同じにするのが平等ではありません。違いを認めてその違いが何の障害にもならない。それが私達の平等です。

 そして違いがあってもその違いを認識する必要もない、これが浄土の平等なのです。

子どもこそは おとなの父子どもこそは いのちのふるさと  2000年5月

 子供は子供が好きである。

 長男が赤ちゃんの時も、次男が赤ちゃんの時もそう思いましたが、1才3ヶ月になろうとする長女を見ていて、今またそのような思いを強くしております。

 買い物などで外出すれば必ず大人より子供に興味を示します。じっと見ていたり、言葉にならない言葉を発しております。

 公園へ行けば他の子供が遊んでいるそばまで行って一緒に遊ぼうとします。そしてオモチャでも何でも自他の区別がありません。

 ハワイのお寺にいた頃、お寺の境内地に以前は日本人学校として使用されていた建物がありました。私がそのお寺に赴任して間もなく、その建物を保育園として利用したいとの現地の人の申し出があり、貸しておりましたが、二・三才の子供達が元気にお寺の境内で遊んでいる姿を毎日のように眺めておりました。実に楽しそうでした。

 ハワイは元々カメハメハ大王に代表されるハワイ王朝の統治する国でしたが、現在はアメリカの一州となり、移民により様々な民族が混在する州となりました。

 その保育園の子供達の民族系も、現地のハワイアン、ポリネシアン、イギリスやドイツなどの白人系、アフリカなどの黒人系、日系人などの東洋系、イタリア・ポルトガルなどの南ヨーロッパ・ラテン系など様々でした。

 長女はまだ保育園や幼稚園にも行っておりませんのでよく分かりませんが、でも、もしその保育園に入れば何の抵抗もなくいろんな子供達と仲良く遊ぶことでしょう。

 白紙状態と言って良いと思います。あるいは平等と言って良いかも知れません。肌の色の違いや言葉が違っていてもそのことが遊びや子供同士の生活の上で一切問題にならないのが三・四才頃までの子供の素晴らしさです。

 いつの頃からでしょうか、違いを認識し、その違いが差別の対象となるのは…。

 きっと親の言葉の意味が解りかけた頃から違いを認識し差別が始まるのだと思います。つまり、親に差別意識があれば子供にもそのまま差別意識が生まれるのだと私は思っております。例えば「男の子は男らしく、女の子は女らしく」といった差別意識を親から教えられるのです。

 部落差別はその典型です。親や大人の人から聞かなければ被差別部落の存在を子供たちが知ることはありません。大人たちから間違った被差別部落の情報を得ることによって子供達もまた差別者となっていくのです。子供たちを差別者にしてはなりません。部落差別の解消は私たち大人の問題です。

 以前「本願寺新報」に日系カナダ人の話が載っておりました。日本のある家庭で日本の子供たちとお絵かきをして遊んでいたとき、「はだ色」という名前のクレヨンがあることに驚いたそうです。「はだ色」は日本人の肌の色のことです。世界には黒い肌の色の人もおれば茶色や赤に近い肌の色の人もおります。子供たちに「フレッシュカラー」をはだ色と教えてはならないと思います。肌の色は何色であってもいいのですから。

 大人は小さな子供から大事なことを学びましょう。

願われていた私 赦してもらって生きていた私  2000年6月

 八月の末ごろだったと思います。関西では地蔵盆という行事があります。

 町内にあるお地蔵様の前にテントを設け、その中で待機しているお年寄りたちが、お参りに来た子供たちにお菓子や飲み物を与える行事です。

 現在も続いていることと思いますが、子供たちにとってはお正月に匹敵するほど楽しい行事であったように思います。

 なんせ、お正月は笑顔で「おめでとうさん」と言えば労せずして親戚や知人からお年玉と称するお小遣いをもらえますし、地蔵盆では町内にある三カ所ほどのお地蔵さんにお参りするだけで持ちきれないほどのお菓子を手に入れることが出来るのです。

 遠征と称して隣町のお地蔵さんまでお参りをしてお菓子を貰うこともありましたし、「あそこのお地蔵さんは気前がエエで」とか、「あっちのお地蔵さんはケチや」といった「町内お地蔵さん太っ腹情報」も流れておりました。

 子供たちにとって、地蔵盆でのお地蔵さんは、クリスマスのサンタさんをしのぐ人気者でした。ただしその時だけで、普段は見向きもされないお地蔵さんでしたが…。

 とにかく、残り少なくなった夏休みをお菓子に囲まれて生活できる、夢のような行事が地蔵盆なのです。

 さて、そのお地蔵さんの起源には諸説あるようですが、関西の地蔵盆に登場するお地蔵さんは子供たちを守ってくれるお地蔵さんのようです。 たぶん幼い子供を亡くした親が子供の幸せをお地蔵さんに託して建立されたものだと思いますし、親心の象徴が道端に立つお地蔵さんと言ってもよいでしょう。

 地蔵盆の行事は、そんな親心をあなた達も知ってちょうだいと、町内のお年寄りたちがあの手この手で私たちに気づかせてくれる行事なのかも知れません。そんなこととはつゆ知らず、勝手にお地蔵さん太っ腹ランキングを付けていた私たちは何とも罰当たりな子供たちでした。

 こんな経験があります。高校・大学、そして浄土真宗の伝道院などを修了するまでの約十年を京都で過ごしましたが、ハワイ開教使となるべく永住権を取得するまでの半年間、故郷に戻ってお寺の仕事などを手伝っておりました。 ある日、町内を歩きながらふと目に留まったのが懐かしい地蔵盆のお地蔵さんでした。

 浄土真宗には地蔵信仰がありませんのでお参りすることもなく、どんなお地蔵さんだったかと祠の中をのぞき込んでみましたら宝珠と杖を持った昔のままのお地蔵さんでした。 その時、雷に打たれたような衝撃が体中を走りました。 お地蔵さんは立ち続けていたのです。

 私がどこで何をしていても、私が生まれる以前から現在に至るまでじっと立ち続けているお地蔵さんが、今、阿弥陀如来の慈悲の心を私に伝えて下さっているのだと思えました。

 阿弥陀如来の慈悲の心は、私が気付かなくても常に私の上にかけられております。それは、どこにいても親の心が子の上にかけられているのと同じように…。

 手を合わせてお念仏を申させていただきました。お地蔵さまの阿弥陀さまに。


ひとすじなわでは どうにもならない私  2000年8月

 浄土真宗の教えに「悪人正機」があります。阿弥陀さまの救いの目当ては悪人であるということです。

 有名な歎異抄第三条には、

 「善人が浄土に往生するのであれば、悪人はなおさら往生できる。
 ところが世間の人は、『悪人でさえ往生できるのであるから、善人はなおのこと往生できる』という。

 これはほとんどの人がそのような考えを持っているけれども、阿弥陀さまの救いという点から言えば間違いである。

 なぜなら、浄土に生まれようと自力に励んでいる人は、本願他力、つまり『我にまかせよ』という阿弥陀さまの呼びかけ・救いをあてにしていないからである。

 しかしこのような人も自力というウヌボレの心を捨てて、阿弥陀さまの救いにまかせれば、浄土に往生するのである。

 考えてみれば、様々な煩悩を持つ我々には、どのような行であっても完成することが出来ない。しかし、そのような者を目当てに阿弥陀さまは本願を建てられたのであるから、阿弥陀さまの救いは悪人のためにあるのだ。

 逆に言うならば阿弥陀さまをたのみにする悪人こそが救われて行くのである。
 だから『善人が浄土に往生するのであれば、悪人はなおさら往生できる』と親鸞聖人は仰ったのである。」(意訳)

 少々引文が長くなりましたが、浄土真宗の悪人正機の意味を少しはご理解いただけましたでしょうか。

 仏教でいう善人・悪人は、自分の力で煩悩を捨て、悟りを完成できる人が善人。逆に自分の力では悟りに至ることの出来ない、煩悩を持ちながらしか生きられない者を悪人と私は理解しております。

 善人を悟りの完成者という意味で言えば、本当の善人はお釈迦様ただ一人と考えております。

 このような善人・悪人という見方をすれば、すべての人間は悪人になってしまいますが、それで良いのではないでしょうか。

 私たちは悪人と呼ばれたくない、善人と呼ばれたいという意識を心のどこかに持っております。もっと考えれば世の中の出来事を善人の立場でことごとく批判・価値判断しているのではないでしょうか。

 悲惨な事件や事故の報道を聞いて犯人や加害者を簡単に死刑にしてしまう私の心。

 私にはあんな惨いことは出来ないと言いながら人間以外の生き物なら平気で殺すことが出来る私の価値観など。

 私は悪いことはしてこなかった。私は悪いことはしない。といったウヌボレと自負こそが実は歎異抄の第三条の問題とするところなのです。

 自分の思い通りに物事が運べば自分の功績にして喜び、逆であれば他人を批判し腹を立てるのが私たちです。ところがその「自分の思い通り」の「思い」が煩悩であることには気が付かないのです。

 他人に親切を施すことは素晴らしいことですが、そのことが自分の手柄となってしまって、相手が礼を言ってくれなければ腹を立てる私。それはつまり親切をすれば礼を言ってくれると期待する私の思いが煩悩そのものであると言うことです。

 「ひとすじなわではどうにもならない私」がおります。

「しあわせ」の見える目  2000年9月

 時々、アマゾンなどの未開発地域に住む人たち、あるいは機械文明の入ってこなかった頃の日本人と現代日本人はどちらの方が「しあわせ」なんだろうかと思う時があります。

 現代日本は諸外国にも負けないほど便利で豊かな国です。 家庭においては掃除機・洗濯機・電気冷蔵庫・炊飯器などの登場により、楽に家事がこなせるようになりました。

 社会においても交通手段の整備により移動が迅速に、情報ネットワークの発達により多量の情報を入手・発信できるようになりました。この「ライオン寺だより」もワープロという文章作成機がなければ発行されませんでした。(住職の字が下手なため)

 このように便利な世の中となりましたが、はたして「しあわせ」と呼べるのかどうかはなはだ疑問です。ただ忙しくなった、そして欲深くなった、そんな気がいたします。

 昔の人々の生活を想像してみますと、夜は日が沈むと共に床に就き、朝は夜明けと共に起きる。歩いて行けるだけの範囲で働き、生活の糧を手に入れる。情報が極端に少ないため、欲も少なく、太陽や天候・大地などの自然に感謝し、死や病などの現状をそのまま受け入れる、などです。

 平均寿命は50才ぐらいだと思いますが、充実した人生50年を生きていたのではないでしょうか。

 現代日本の平均寿命は世界一だそうですが、だから現代日本人は「しあわせ」とはとても思えません。

 特に情報が多量ゆえにますます混乱しているのが現代人ではないでしょうか。

 情報が多いということは、情報を比較し選択するという作業が必要になります。そして選択に失敗しますと必ず後悔が生まれます。

 例えば、病院やお医者さん選びです(お坊さんでも良いのですが…)。

 現代は病院やお医者さんを近所の評判や治った人の情報などで、私たちが選んで診てもらう時代です。

 患者取り違えや医療ミスなどは別ですが、私たちは診察や治療の結果が良ければお礼を言い、悪ければ病院やお医者さんを非難したり、もっと良いお医者さんに行っておれば…などと後悔いたしますが、江戸時代などでは病気が治った治らないという結果でなく、お医者さんに診てもらえるだけで幸せでした。

 お医者さんに診てもらい、結果としてその人が亡くなったとしても、それがその人の寿命であったとみんなが納得したことでしょう。

 不平不満だらけの現代人とは雲泥の差があります。

 また、脳死・臓器移植という新たな医療が定着しつつありますが、これも人間の生への執着・欲を助長するような気がいたします。

 もうそろそろ、欲を駆りたてるような科学や技術の進歩は人間の「しあわせ」とは無関係、むしろ不幸であることに気付く時代ではないでしょうか。

 そして何もなくても「しあわせ」と言える自分を目指して努力すべきだと思います。「知足(足を知る)」への努力です。

 現状を喜べる自分になること、それは生かされて生きている事実を知ることから始まります。

 おかげさまの世界を知ることです。

最高に不思議な「いのち」 それが今ここにある  2000年11月

 「いのち」って何だろうと思うときがあります。

 また、今、自分がここに存在している不思議さに感動するときがあります。

 今でも覚えておりますが、小学生の頃、自分と他人はどうして違う人間として生まれてきたのだろうと考えたことがあります。結論は出ませんでしたが…。

 仏教は「諸法無我」を説きます。これは単独で存在している物は何一つとしてない、すべての物は関わり合って存在している、ならば、どれを取って「我」とするのか、「我」と呼べるものはない、という「縁起」の事実を言っているのです。

 例えば海の波を考えてみましょう。波は何で出来ているのかと言えばすべての命の源と呼ばれる海水です。

 その海水は、地球誕生時、あるいはそれ以降の水素と酸素の結合や、宇宙や太陽の働き・大気の変化による雨などによって誕生したと思いますが、以後も様々な動植物の死骸や最近では人間の作り出した化学汚染物質なども含みながら変化を続けております。

 その海水が気候の変化による空気の動き(風)によって小さな「うねり」となり、次第に他のうねりと結合して大きなうねりとなったり、互いにぶつかり合って消滅したりを繰り返して海岸までやって来ます。

 海岸までやって来ますが「うねり」という波は最初の海水の成分を持ったうねりとは異なります。これは浮き輪に乗って海に漂っているとよく分かります。波が来ても浮き輪は大きく流されません。うねりによって大きく持ち上げられ少しは移動するかも知れませんが、ずっとそのうねりの中にいるのではないのです。

 うねりは海水を上下させ少しは移動させるかも知れませんが、同じ海水が移動しているのではないのです。次の海水に力を伝達しているだけなのです。

 そうして海岸までたどり着いた「うねり」は、岩や砂によって砕かれ、元の海水に戻りますが、また新たな縁(ハタラキ)によって波という「うねり」になるかも知れませんし、あるいは蒸発して雲となり雨となるかも知れません。

 このように波は様々な縁によって誕生し、また様々な縁をもらって変化しております。

 どの地点の波であっても、計り知れないご縁というハタラキをいただいているのであり、一瞬一瞬でそのご縁は違っているのですから、同じ波であってもその構成は違うのです。

 では一つの波の「我」はどの地点を指せばいいのでしょうか。指せるはずがありません「無我」なのですから。「無我」とは固定できない様々なご縁によって出来あがっている存在ということです。

 波と同じように私たちも無我の存在です。過去からの様々な必然的なご縁によって存在しているのです。でもその必然的ご縁で出来あがった「いのち」を考えるとき、「よくもまあご縁が揃ったことよ」と感動せずにはおれません。

 それは「不思議」としか表現できない事実です。そしてそのご縁のハタラキを「アミダ」と呼び、お釈迦様は人格を持たせて表現して下さいました。それが阿弥陀如来のお姿なのです。頭が下がります。

どことても み手のまんなか おんげさまのどまんなか  2000年12月

 隔日発行の中外日報というタブロイド版10〜16ページの宗教情報新聞を取っております。

 仏教各宗派やキリスト教・神道など、いろんな宗教の動きや出来事を載せており、浄土真宗は「真宗」というページに本願寺派や大谷派・東本願寺派などの記事が載っております。

 先日の11月23日号に、「阿弥陀様に」と1億円進納。という見出しで、福岡で農業を営む女性(78)が西本願寺に寄付をした記事が出ておりました。

 夫と一緒に先祖伝来の田畑を耕して米や野菜を生産し、自家製の漬物などを販売して得た収入と、道路の拡張工事で田畑を売却したお金を銀行に預けていたそうで、20年前に御主人が亡くなり、子供もいなかったため、手次寺の前住職さんに相談されたそうです。

 前住職さんは独り身の女性の今後を案じましたが、女性は「それくらいは何とでもなります」と言い、「今日までお育ていただいた阿弥陀如来様にお納めしたい」と1億円の進納を申し出て、手次寺にも1千万円の懇志を納められたそうです。

 本願寺関係者は「個人のご懇志としては最も高額ではないか」「今日のような世の中でなかなか出来ることではない。女性の尊いご懇念を大切にしたい」と感謝しているそうです。

 また、同号に本願寺の奨学生の記事が出ておりました。

 本願寺教学助成財団が毎年行っている奨学金の伝達式が行われ、今年度は419人に渡されたそうです。この奨学金は私もいただいておりました。

 また、東京都世田谷区の篤信のご門徒の遺族が、故人の遺志に基づき、「立派な本願寺派の僧侶養成に役立ててほしい」と教学助成財団に5千万円の寄付を申し出ているそうです。

 同じ日の中外日報に2つもの高額寄付の記事が載っておりましたのでウーンと唸ってしまいました。

 別に、皆さんも見習って来恩寺に寄付をしなさい、という意味で取り上げたのではありません(少しはあるような気もいたしますが…)。

 本願寺は、そしてすべての浄土真宗のお寺は、このような多くの門信徒によって支えられているのだという想いで胸がいっぱいになったから取り上げたのです。

 来恩寺の本堂建立の時もそうでした。自由意志での寄付をお願いいたしましたが、多くの皆さんからご寄付をちょうだいしお寺が建ちました。

 年月を経過いたしますと、ご寄付をいただいた御恩も忘れがちになるものだと反省しておりますが、もっと大きな「おかげさま」も忘れがちな私たちです。

 それは福岡の女性が言った「今日までお育ていただいた阿弥陀如来様」の一言です。

 20年前に夫を亡くされてからどれほどのご苦労があったか想像できませんが、この女性はいつも阿弥陀様と一緒に、阿弥陀様を拠り処として生きてこられたのでしょう。

 私たちも阿弥陀様のハタラキを身に感じながら、想いながら生活したいものです。

 それは悲しいときも嬉しいときも「おかげさまで」「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と言葉に出すことです。

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