みすゞの詩

 掲載した詩は、金子みすゞ『ほしとたんぽぽ』JULA出版局、矢崎節夫『金子みすゞ いのちとこころの宇宙』JULA出版局からの転載です。
 できるだけ原文のまま掲載しましたが、一部、旧仮名づかいを読みやすく改めたり、漢字に直したりいたしました。


 ライオン寺だより201号(2009年3月号)から
「みすゞの詩」をスタートいたします。
 金子みすゞさんの詩を読んでの
住職の味わいを書かせていただきます。


私と小鳥と鈴と 2009年3月

大漁 2009年4月

星とたんぽぽ 2009年5月

蜂と神さま 2009年6月

ばあやのお話 2009年7月

積もった雪 2009年8月

不思議 2009年9月

蓮と鶏 2009年10月

 2009年11月

 雀のかあさん 2009年12月

鯨法会 2010年2月

見えないもの 2010年3月

 2010年4月

さびしいとき 2010年5月

こぶとり 2010年6月

かぐやひめ 2010年7月

一寸法師 2010年8月

海のお宮 2010年9月

雀のおやど 2010年10月



私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい


 今月から「みすゞの詩」と題して私の大好きな童謡詩人金子みすゞさんの詩を味わっていきます。

 この企画は、以前に実行した気がするのですが、住職がうろ覚えということは、読者の皆さんは「絶対忘れてる」ということですので再度実行いたします。あしからず。

 みすゞさんは明治36年山口県に生まれ、大正末期、すぐれた作品を数多く発表し、西條八十氏に『若き童謡詩人の巨星』とまで称賛されながら、昭和5年、26才の若さでこの世を去りました。(酒井大岳著『金子みすヾの詩を生きる』から)

 その詩の多くは、仏教の慈悲の心と智慧の眼で感じた世界・見えてきた世界を表現したもののように私には思えます。

 この「私と小鳥と鈴と」の詩も、仏教の平等観を見事に表現しております。最後の〈みんなちがって、みんないい〉の言葉によって、命のあるものも命のないものも、すべてのものが完璧な平等になりました。

 この詩は小学3年生の国語の教科書に載っておりますが、子どもたちがこの詩によって、自分と友達の能力や個性などは、みんな違っていて当然、いろんな考えがあって当然と、すべてのものを「そのまま」に認めていく、「本当の平等観」を学んで欲しいものだと思います。

 この詩の教科書への掲載を認めた「文科省はえらい」と一応ほめておきましょう。



大漁

朝焼小焼だ
 大漁だ
 大羽鰮の大漁だ。

 濱は祭りのやうだけど
 海のなかでは
 何萬の
 鰮のとむらひ
(お葬式のこと)
 するだらう。


 金子みすゞさんの生まれ育った山口県大津郡(現・長門市)仙﨑は昔も今も漁村です。

 この詩を読んでの私の勝手な想像です。

 ある晴れた日の明け方、いつものように村人たちは浜に総出で地引き網の綱を引いております。

 この日は久しぶりにイワシの大漁でした。遠くからでも網の中でイワシたちが元気よく飛び跳ねているのが分かりました。

 大きく膨らんだ網が浜に近づくにつれ、村人たちのかけ声は大きくなり、顔は年に一度のお祭りの時のように、みんなニコニコしていました。

 そのお祭り騒ぎのような浜にいて、樽の中でピチピチと跳ねる大量のイワシを見つめながら、みすゞさんの思いは、親を、子を、兄弟を地引き網で捕られてしまい、辛うじて生き残った海の中のイワシたちの上にあるのでした。

 「今頃はみんなで、ここにいるイワシたちのお葬式をしているのかな…」と。

 みすゞさんの感性にはいつも感心してしまいます。

 大漁の歓声の湧く浜にいながら、大漁で嬉しいことには違いないと思うのですが、なぜか「申し訳ない」という思いを持ってしまう感性。

 どのような生き物の「いのち」も、いや、「いのち」を持たないものにも、自分と同じ「いのち」を見い出すことの出来る感性。

 みすゞさんの感性では「あたりまえ」の出来事はきっとないのだと思います。



星とたんぽぽ

青いお空の底ふかく、
海の小石のそのやうに
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

ちってすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼にみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。


 みすゞさんの詩はどれも素晴らしいのですが、特に「喩え」の的確さ・見事さにはいつも感心します。

 この詩も「昼の星」「瓦の隙間のタンポポの綿毛」を喩えに出して、「見えないけれども確かにある真実」といいますか、普段は忘れていても「夜になれば」「春になれば」その存在を思い出し、その事実に気づく私たちの「不誠実さ・いい加減さ」を指摘してくれている詩です。

 私が小学校の先生でしたら、子どもたちに「『昼の星』や『タンポポの根』以外に『見えぬものでもあるもの』を考えて下さい」ときっと聞くことでしょう。

 皆さんでしたら何を思い出しますか。私がまず思い出したのは「阿弥陀さま」でした。そしてその次は「この地球に住む出会ったことのない人々」です。

 阿弥陀さまは目には見えませんが、真実を知らせる「ご縁」として私たちに休みなく働きかけております。

 地球に住む出会ったことのない人々も、私がその存在を知らないだけで、みんな尊い命を輝かせようと生きている、あるいは、その命が危機にさらされているかも知れません。

 「見えないものはない」のでなく、見ていないだけなのです。研ぎ澄まされた心の眼にはハッキリと見えるのです。



蜂と神さま

蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。

さうして、さうして、神さまは、
小ちゃな蜂のなかに。


 この詩を最初に読んだとき、「神さま」をどのように捉えたらよいのかと悩みましたが、最近は「命のはたらき」と考えております。

 みすゞさんは「すべての存在は命のはたらきの中にあり、命のはたらきはすべての存在の中にある」ことをご存知でした。そして、それらすべての存在の一つ一つはお互いに関係し合って存在するもので、別のものとして存在しているものはないのだ、ということをこの詩で教えてくれます。

 「ガタピシ」という表現をご存じでしょうか。漢字では「我他彼此」と書きますが、調和のない状態を表す言葉です。つまり、我と他、彼と此のように、すべてを分けて考えることは間違いであることを教える表現です。

 すべてのものは大きな命のいとなみの中に存在しており、よく考えると本当は「自他」の区別も出来ないのですが、私たちはついつい分けて考えてしまいがちです。

 妙好人の浅原才市さんの詩に「ええな、世界虚空がみなほとけ。わしもそのなか、なむあみだぶつ」というものがあります。「ええな」とは喜びの表現です。阿弥陀如来の一味平等の「命のはたらき」のなかに『私もいる』という喜びを表現した詩です。

 金子みすゞさんの詩は私たちに優しさを、浅原才市さんは喜びを教えてくれます。どちらも仏道の真実です。



ばあやのお話

ばあやはあれきり話さない、
あのおはなしは好きだのに

「もうきいたよ」といったとき、
ずいぶんさびしい顔してた。

ばあやの眼には、草山の、
野ばらのはながうつってた。

あのおはなしがなつかしい
もしも話してくれるなら、
五度も、十度も、おとなしく、
だまって聞いていようもの。

 年を取ると誰でも「もの忘れ」が激しくなります。

 住職も最近は、顔や特徴は浮かんでいるのですが、名前が出てこない人物や物がよくあります。

 顔や特徴が浮かんでいるのはまだ良い方で、ひどいときは、思い出そうとしていた事柄も忘れてしまい「何を思い出そうとしていたんだろう?」といった漠然とした疑問を持つこともあります。

 もっとひどいのは、思い出そうとする気力もないときがあることです。トホホ…。

 みすゞさんの詩のように、年配者が同じ話を何度もするのは普通のことです。むしろ、自分の感動を人に伝えたいと思う優しさが同じ話をさせるのでしょう。

 この詩を読んで「聴聞の心得」なるものを思い出しました。

 一、この度のこのご縁は、初事と思うべし。

 一、この度のこのご縁は、我一人の為と思うべし。

 一、この度のこのご縁は、今生最後と思うべし。

 「初事」「一人」「最後」のキーワードは、聴聞に限らず、日常生活を送る上においても大切な心得だと思います。

 「ばあやのお話」のような経験は誰にもあるのではないでしょうか。

 いま私は、お念仏を称える中で、私なりの「ばあや」たちのお話を何度も聞いております。



積もった雪

上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしてゐて。

下の雪
重かろな。
何百人ものせてゐて。

中の雪
さみしかろな。
空も地面もみえないで。


 詳しいことは知りませんが、みすゞさんの時代(大正の頃)の山口県は、冬になるとけっこう雪が降り積もっていたようです(今も?)。

 冬になると初雪が、あるいは何度目かに降った雪が溶けきらずに、またその上に雪が降り積もる…。そうしたことを繰り返して、最初に地面を覆った雪は根雪となって春を迎えるのでしょうか。

 そんな幾層にも重なった雪を眺め、みすゞさんの想いはそれぞれの雪に注がれるのでした。
 「私と小鳥と鈴と」「大漁」の詩もそうでしたが、みすゞさんはどんなものとも心を通わせることができる能力の持ち主です。今回は雪です。

 しかも、目の前の降り積もった雪を眺めながら、「一番下は何日前の雪、その上は何日前の…」と、それぞれの雪が降った日を記憶しているかのように、そして、それぞれの雪を自分や自分の家族、大切な友だちのように考えることができるみすゞさんなのです。

 最後の「中の雪 さみしかろな 空も地面も見えないで」の句によって、雪の感情をみすゞさんが読み取っていることが分かります。

 上の雪と下の雪の「寒い・重い」の感覚を感じることも凄いことなのですが、中の雪に「淋しい」という感情をみすゞさんは感じ取ったのです。

 この日、みすゞさんも淋しかったのでした。



不思議

私は不思議でたまらない、
黒い雲からふる雨が、
銀にひかっていることが。

私は不思議でたまらない、
青い桑の葉たべている、
蚕が白くなることが。

私は不思議でたまらない、
だれもいぢらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。

私は不思議でたまらない、
誰にきいても笑ってて、
あたりまえだということが。


 この詩も私の大好きな詩ですが、皆さんもみすゞさんと同じような「不思議でたまらない」気持ちになったことはないでしょうか。

 以前にも何かに書いたと思いますが、私が覚えている1番の不思議体験は小学校4、5年の時のことです。

 それは、「僕という命がここにあって、友だちの命がそこにある。他にも命はいっぱいあって、それぞれが別の命として生まれてきて、今ここでいろんな話をしたり笑ったりしている。」「でも、なぜ命はいっぱいあるのに、僕は僕として生まれてきたのだろう。」という命の不思議に対する疑問でした。

 こんな疑問は誰に聞けばいいか分かりませんし、どのように説明すればいいのかも分かりませんでしたので、その時はそのままにしておきましたが、みすゞさんのこの詩を読んだとき「そうなんだよね」と大きく相づちを打ってしまいました。

 考えれば考えるほど、答えの見つからない不思議だらけの中に居りながら、いつの間にかその不思議を「あたりまえ」で済ましている自分に気づきます。

 皆さんに質問です。
 「命はどこから来てどこへ行くのですか。」
 教えてください。



蓮と鶏

 
泥のなかから
 蓮が咲く。
 それをするのは
 蓮じゃない。

 卵のなかから
 鶏がでる。
 それをするのは
 鶏じゃない。

 それに私は
 気がついた。
 それも私の
 せいじゃない。



 金子みすゞさん。この人はどのくらい仏法を聴聞し、どれほど仏教を学んだ人なのか。

 あるいは聴聞や学びを意識せずとも、生まれながらに仏教の真髄を体得できる素質や素養が彼女にはあったのでしょうか。

 仏教は「自然(じねん:自ずから然らしむこと)」や「縁起(えんぎ:縁によって生滅を繰り返すこと)」の道理を説きます。

 親鸞聖人はこの「自然」を「『自ずから』とは、誰かがあれこれと計らうことではない。『然』とは、そのようになるという意味であり、これもまた計らいを離れたものである」と示されました。

 みすゞさんはこの「自然」「縁起」の道理を詩にしたのでした。

 蓮は蓮自身の計らいや手柄によって泥の中から花を咲かせるのではない。鶏もまた、鶏自身の計らいや手柄によって卵から出てくるのではない。みんな「自然」「縁起」の道理に促されて花を咲かせたり生まれてくるのであると。

 そして、そんな蓮や鶏の行動を促す「自然」「縁起」の道理に気づいたのも、私の思考を促す「自然」「縁起」の道理であったことに驚いたのです。

 「絶対他力」の世界です。




うちのだりあの咲いた日に
酒屋のクロは死にました。

おもてであそぶわたしらを、
いつでも、おこるおばさんが、
おろおろ泣いて居りました。

その日、學校でそのことを
おもしろそうに、話してて、

ふつとさみしくなりました。



 みすゞさんは幼い頃の思い出や、心に残っている出来事も詩にします。

 この「犬」の詩も小さな頃の出来事ではありますが、いつまでも忘れられない出来事、と言うより、忘れてはならない「事件」として、無意識の識(本能的な意識?)が記憶にとどめておいたものだと思います。

 遊びに夢中になっている自分たちを、いつも怒ってばかりいる酒屋のおばさん。特に可愛がっていたという感じでもなかったのに、飼い犬が死んだとき、おばさんはそれまで見せたことのない姿を子どもたちにも見せました。

 怒り顔のおばさんは見慣れているけど、周りをはばかることなく「おろおろ」と泣くおばさんは初めてでした。

 子どもたちは怖いおばさんの意外な一面を見て、あるいは、いつも怒られているウップンを晴らすかのように、「見た?」「見た?」と学校での笑い話とするのでした。

 みすゞさんも最初はおもしろがってみんなと笑い合っていたのですが、でもその笑いは、「死」という悲しみに結びついた笑いである事に気づくのでした。

 おばさんの悲しみの大きさに気づかなかった自分、人の悲しむ姿を笑っている自分、そんな自分をみすゞさんは「さみしい」と表現したのでした。

 …よく分かります…。



雀のかあさん

子供が
子雀
つかまへた。

その子の
かあさん
笑つてた。

雀の
かあさん
それみてた。

お屋根で
鳴かずに
それ見てた。


 巣から小雀が誤って落ちてしまったのでしょうか。

 まだ飛べない小雀を、人間の子どもがつかまえ、不思議そうに手にとって見つめながら、母親につかまえたことを誇らしげに報告します。

 母親は珍しいこともあるものだと、笑いながらその子と子雀を見比べております。

 そんな、私たち人間にすればほほえましい光景を少し離れた場所で眺めていたみすゞさんですが、屋根の上にいる母雀の姿が目にとまりました。

 母雀は我が子の様子をかたずを呑んで見ております。その視線は小雀から一瞬たりとも離れることはありません。

 人間の母子と雀の母子、一方は笑顔がこぼれ、もう一方は命の緊張感がみなぎる場面です。

 みすゞさんの詩の多くは「いのち」を取り上げておりますが、みすゞさんの「いのち」に対する考えは、《どんな「いのち」も平等に尊いのだ》、《「いのち」に差別があってはならないのだ》ということです。

 そんな「いのち」の平等観を持つみすゞさんにとって、雀の母子の様子、特に母雀の視線はみすゞさん自身の視線でもあるのです。

 淡々とした表現の中に、その視線が感じられます。



鯨法会

鯨法会は春のくれ、
海に飛魚採れるころ。

濱のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面をわたるとき、
村の漁夫が羽織着て、
濱のお寺へいそぐとき、

沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘をききながら、

死んだ父さま、母さまを、
こひし、こひしと泣いてます。

海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。


 今でもあると思いますが、私の故郷では食肉となった動物の法要が年に一度行われています。町のいろんな宗派の僧侶を大勢集めての大法要です。

 日本人は、特に「いのち」を扱う職業の人たちは、自分たちの生活のために犠牲となった「いのち」に対する罪悪感を深く持ち続けております。「すまない」「ごめんね」という思いです。ですから全国でそんな「いのち」に対する法要がたくさん執り行われております。

 みすゞさんのこの詩は、そんな「いのち」の犠牲の上に成り立つ生活を送る「漁師」たちの思いと、そんな漁師たちの思いを少しでも分かってほしいと願う、みすゞさんの鯨の子に対する思いがあふれた詩です。

 その日、漁師たちは羽織で法要を迎えます。鯨法会の日は年に一度の「いのち」に対する特別な、そして厳粛な日なのです。

 みすゞさんは子鯨に訴えます。「漁師さんたちを許してあげて」「漁師さんたちだけでなく、その漁師さんたちに罪を造らせている人間を許して」と。

 お寺の鐘の音は、そんな漁師さんたちとみすゞさんの懺悔の叫び声なのです。

 それに比べて私たちは…。



見えないもの

ねんねした間になにがある。

うすももいろの花びらが、
お床の上に降り積もり、
お目々さませば、ふと消える。

誰もみたものないけれど、
誰がうそだといいましょう。

まばたきするまに何がある。

白い天馬が翅のべて、
白羽の矢よりもまだ早く、
青いお空をすぎてゆく。

誰もみたものないけれど、
誰がうそだといえましょう。



 みすゞさんの白昼夢のような想像はいつも私を楽しませてくれます。

 この詩もそんな楽しい想像の詩ですが、往生論註(曇鸞大師)のこんな言葉を思い出しました。

 「?蛄(けいこ)春秋を識らず、伊虫あに朱陽の節を知らんや」

 ?蛄とはセミのことですが、夏に生まれ夏に死んでいくセミは、春や秋のあることを知りません。春や秋を知らないということは、夏という季節のこともその意識の中にはないということです。

 みすゞさんの詩で味わうと、私たちは夏のつかの間だけ生きているセミと同じように、目が覚めている間のことしか意識しませんが、意識のない寝ている間、瞬きの間に様々な出来事が起きていても(様々なご縁をいただいていても)不思議なことはないのですよ、と言うことでしょうか。

 みすゞさんはその詩の多くで「唯物主義」「実証主義」を批判いたします。実体としての「もの」ではなく、むしろ目に見えないもの、実証できないものの中に真実があることをよくご存知なのでした。




お花が散って
実が熟れて、

その実が落ちて
葉が落ちて、

それから芽が出て
花が咲く。

そうして何べん
まわったら、
この木は御用が
すむかしら。



 この詩を読んでいたら、三月十日の未明に強風によって無残にも根元から倒壊した、鎌倉市鶴岡八幡宮の大銀杏を思い出しました。

 樹齢は八百年以上とのことで神奈川県指定の天然記念物でもあり、歴史の証人(源実朝を暗殺した公暁が身を隠していたという伝説が伝えられている)とも呼ばれていた大銀杏でした。

 八幡宮では根元部分から三~四メートルのところで幹を胴切りし、根元側をそばに植え直して土中に残った根から芽が出るのを待つそうですが、みすゞさん風に表現すると、元の大銀杏は八百回以上もまわって御用を終えたということでしょうか。

 詩のタイトルは「木」ですが、この詩でみすゞさんは自分を含むすべてのものの命を考えているような気がいたします。

 春が過ぎると夏が来て、夏を終えると秋を迎え、秋の次には冬が来る、そうしてまた春を…。
そのように私たちの命はまわりつづけ、やがて終わるときがやって参りますが、みすゞさんはその命の終わるときを「御用がすむ(とき)」と表現したのでした。

 木は花を咲かせて実をつけ、その実が落ちてまた花を咲かせる。それが木の営みであり「御用」なのです。そしてそれは存在としての自然の道理なのです。

 一回でまわり終える御用もあれば何十回と続く御用もあります。あるいは一回もまわらないうちに終える御用もあるでしょう。でもそれでいいのです。

 そしてその御用がどんな御用であったかを考えるのは、御用を終えた者でなく残った者です。



さびしいとき

私がさびしいときに、
よその人は知らないの。

私がさびしいときに、
お友だちは笑うの。

私がさびしいときに、
お母さんはやさしいの。

私がさびしいときに、
仏さまはさびしいの。


 みすゞさんがよく仏法を聴聞されていたことが分かる詩です。

 「よその人」とは縁のない人たちのことでしょう。国内外を問わず、いたる所で悲惨な事件や事故・災害が頻発しておりますが、「よその人」は無関心です。でもその現場に友人や家族が一人でもおれば、無関心ではいられない、悲しいけれどそれが私たちの現実です。

 「お友だち」は私が寂しいとき、笑顔で励ましてくれます。『頑張って』と…。でも『頑張ってという言葉は、私たち被災者にはとても冷たい言葉として響くのですよ。』と、ある震災被災者から聞いたことがあります。『頑張って』が命令のように聞こえるのでしょうか…。

 「お母さん」のやさしさ・慈悲の心を仏教では小悲といいます。小悲とは哀れみや悲しみ・育みの心ですが、そのやさしさや慈悲の心にも限界があります。

 「仏さま」の慈悲のお心は「同悲」とか「大悲」と呼ばれます。みすゞさんは仏さまの「同悲」の心をこの詩で表現されたのです。私がさびしいときは仏さまもさびしい、と。

 仏教を信じれば、お念仏を称えれば、さびしい気持ちや悲しい気持ち、辛い気持ちが無くなるのではありません。「自分は独りじゃない」「いつも阿弥陀さまと一緒」という心を恵まれるのです。

さびしいときに必要なのは、励ましや同情ではなく、ただ、そばにいてくれる存在であることをみすゞさんは教えてくれているのです。



こぶとり

~ おはなしのうたの一 ~

正直爺さんこぶがなく、
なんだか寂しくなりました。
意地悪爺さんこぶがふえ、
毎日わいわい泣いてます。

正直爺さんお見舞いだ、
わたしのこぶがついたとは、
やれやれ、ほんとにお気の毒、
も一度、一しょにまいりましょ。

山から出て来た二人づれ、
正直爺さんこぶ一つ、
意地悪爺さんこぶ一つ、
二人でにこにこ笑ってた。


 この詩は童話「こぶとり爺さん」のお話の続きを、私ならこんな結末にすると、みすゞさんが自らの感性で書き上げた詩です。みすゞさんの優しさがあふれております。

 みすゞさんには「みんなが幸せでなければ、私も幸せになれない」「他を犠牲にした幸せなどいらない」といった思いがあるようです。

 最後の「二人でにこにこ笑ってた」で、みすゞさんの幸福観・価値観が分かります。そして私たちまで幸せな気分にさせてくれる表現です。

 最近、沖縄の基地問題が連日報道されております。先日は全国の知事さんたちが招集され、沖縄の負担を軽減する案が話し合われましたが、唯一、大阪府の橋下知事だけが「沖縄県などの犠牲の上に大阪府民は安全をタダ乗りしている。できる限りのことはしたい。」と応分の負担を表明しました。

 首相はまず始めにこの全国知事会議を開催し、負担の公平性を国民に訴えるべきだったと思います。いきなり徳之島では徳之島島民が猛反対するのは当然のことです。

 みすゞさんが生きていたらどのように考えるでしょうか。とにかく、この問題を風化させてはなりません。考えましょう。



かぐやひめ

~ おはなしのうたの二 ~

竹のなかから
うまれた姫は、
月の世界へ
かえって行った。

月の世界へ
かえった姫は、
月のよるよる
下見て泣いた。

もとのお家が
こいしゅて泣いた、
ばかな人たち
かわいそで泣いた。

姫はよるよる
変わらず泣いた、
下の世界は
ずんずん変わった。

爺さん婆さん
なくなってしもうた。
ばかな人たちゃ
忘れてしもうた。

 この詩も童話「かぐや姫(竹取物語)」の“その後”をみすゞさんなりに創作したものです。

 童話「かぐや姫」には、かぐや姫に求婚する五人の道楽息子たちが登場し、結婚の意思のないかぐや姫は、彼らに入手不可能な幻の宝を要求するのですが、五人の道楽息子たちは、手に入れたとウソをついたり、偽物を作ってごまかそうとしたりする「ばかな人たち」でした。

 さて、月の世界へ帰ったかぐや姫は、お爺さんお婆さんと楽しく過ごしたもとの暮らしが忘れられず、五人の道楽息子たちも相変わらずの「ばかな人たち」であるのを気の毒に思い泣けてくるのでした。トホホ…と。

 歳月は流れても、もとの暮らしを思うかぐや姫の気持ちは変わりませんが、地球の人々や村の様子はすっかり変わりました。

 やがて自分を大切に育ててくれたお爺さんお婆さんもなくなりました。道楽息子たちは相変わらずの「ばかな人たち」ではありますが、今では、かぐや姫の存在すらすっかり忘れてしまっておりました。

 トホホのホ…です。



一寸法師
~ おはなしのうたの三 ~

一寸法師でなくなった
一寸法師のお公卿さま、
お馬に乗って、行列で
うまれ故郷へおかえりだ。

父さん、母さん、にこにこと、
一寸法師のおむかえに、
ちいさなお駕籠を仕立てましょ、
駕籠舁きゃすばやい野ねずみだ、
えっさ、えっさと出てみれば、
おや、おや、大したお行列、
どなた様じゃとよく見れば、

一寸法師でなくなった
一寸法師のお公卿さま。


 この詩も童話「一寸法師」の〝その後〟をみすゞさんなりに創作したものです。

 この詩を読んでまず頭に浮かんだのが、年老いたお父さんお母さんの淋しそうな笑顔でした。

 武士になりたいという夢を持って勇んで都に出た息子(一寸法師)が、立派な公卿になったことを風のたよりに聞き、久しぶりに生まれ故郷に帰ってくると知った老夫婦、それはそれは大そう喜んだことでしょう。

 息子のためにと、好物の食べ物もたくさん用意し、着替えの小さな着物やかわいい草履なども新しく作ったことでした。

 遠い都から何日もかかって帰ってくるからと、小さな駕籠も用意し、息子の友達であった野ねずみに駕籠かきを頼み、老夫婦そして一寸法師の仲間たちみんなで見晴らしの良い高台まで出てみました。

 するとどうでしょう。遠くから立派な大行列がこちらにやって参ります。よく見るとその行列の中心は一寸法師、いや、今では立派なお公卿さまとなった息子の姿でした。

 それまでにこにこしていた老夫婦でしたが、息子が自分たちの手の届かない存在になってしまったようで、なんだか淋しい作り笑顔になるのでした。


海のお宮
~ おはなしのうたの四 ~

海のお宮は琅玕(ろうかん)づくり
月夜のような青いお宮
青いお宮で乙姫さんは
きょうも一日、海みています。
いつか、いつかと、海みています。

いつまでみても、
浦島さんは、
陸へかえった
浦島さんはーー

海のおくにの静かな昼を、
うごくは紅い海くさばかり、
うすむらさきのその影ばかり。

百年たっても、乙姫さんは
いつか、いつかと、海みています。

 かぐや姫、一寸法師、そしてこの浦島太郎。みすゞさんの書く〝その後〟は、どれもが切なさを感じさせます。

 浦島さんと過ごした竜宮城での楽しい時間は瞬く間に過ぎ去り、玉手箱を開けなければ、また永遠の時間の中で再開できる二人だったのでしょうが、約束を破って玉手箱を開けてしまった浦島さんは、時間を超越することが出来なくなったのでした。

 そんなこととはつゆ知らず、乙姫さんは来る日も来る日も、浦島さんの帰りを待っているのでした。

 「人間、長生きをすることは、実は淋しいことでもあるのですよ」と誰かが言いました。

 連れあいや子どもに先立たれ、知り合いや友人も次々と亡くなっていく。

 確かに、ひとりこの世で長生きすることが、果たして幸せなことなのだろうかと疑問に思います。

 特に愛おしい人と別れた寂しさは、耐え難いものがあることですが、そんな寂しさの中にいるかぐや姫さんに教えてあげたいことがあります。

 それは、どれだけ長生きをしても、この世には必ず別れがあります。でもその別れた人と倶にまた会える一つの場処があることをです。


雀のおやど
~ おはなしのうたの五 ~

雀のお宿に春が来て、
お屋根の草も伸びました。

舌を切られた小雀は、
ものの言えない小雀は、
たもと重ねて、うつむいて、
ほろりほろりと泣いてます。

父さん雀はかわいそで、
お花見振袖購いました。
母さん雀もかわいそで、
お花見お団子こさえます。

それでも、やっぱり小雀は、
ほろりほろりと泣いてます。

 おとぎ話の「舌切り雀」は、私たちに何を教えようとしているのでしょうか。

 傷ついた小雀を助けるお爺さんの優しさなのか、それともお婆さんの大切な糊を食べてしまったスズメを通して、罪と罰を教えているのでしょうか。

 あるいは「つづら」の大小の選択から、小欲を勧め、強欲を戒めているのでしょうか。

 みすゞさんが学んだのは、そのような『優しさ』や『罪と罰』、『小欲の勧め』『強欲の戒め』ではなく、『現実はやり直すことが出来ない』ということであったようです。

 舌を切られた小雀は、時間が経ってまた舌が生えてきた訳ではありません。お父さんお母さんがどんなに優しい人(雀)たちであっても、小雀にとっては、舌をなくしたという現実は変わりませんし、その悲しみはずっと続くのでした。

 被害者と加害者という表現は適切でないかも知れませんが、この詩を通してみすゞさんは、「した者(加害者)」がその行為を忘れていても、「された者(被害者)」はいつまでも傷ついているのですよ、ということを私たちに教えてくれているように思います。


玩具(おもちゃ)のない子が

玩具のない子が
さみしけりゃ、
玩具をやったらなおるでしょう。

母さんのない子が
かなしけりゃ、
母さんをあげたら嬉しいでしょう。

母さんはやさしく
髪を撫で、
玩具は箱から
こぼれてて、

それで私の
さみしいは、
何を貰うたらなおるでしょう。


 20という切りの良い数で、金子みすゞさんの詩の味わいを終了します。

 数あるみすゞさんの童謡詩の中から、私の特に好きな詩20編を取り上げ、味わってまいりましたが、みすゞさんの感性や優しさが皆さんにも伝わったでしょうか。

 詩を読むだけでなく、こうして皆さんに文章にしてお伝えすることで、みすゞさんの素晴らしさが私なりに再認識・再確認できました。

 みすゞさんの詩の根底には浄土真宗のみ教えが流れております。

 「土徳(どとく・その地方が育んだ素晴らしい精神風土)」、という言葉がありますが、みすゞさんが生まれ育った仙崎(山口県長門市)は、まさしく浄土真宗のみ教えが深く染みわたった土徳のある地方です。

 この「玩具のない子が」の詩でもそうですが、目に見えるもの、形のあるものにごまかされるな、形のないもの、目に見えないものにこそ真実があることをみすゞさんは教えてくれております。

 私たちは阿弥陀さまをいただくのです。