妙好人のことば |
阿弥陀さまのお心をいただいた妙好人さんたちの光り輝くことばをご紹介します。
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「因幡(いなば)の源左(げんざ)さん」 |
第1回目は「因幡」(現在の鳥取県東部)に住んでいた源左さんの言葉です。 ある人が近所のお寺の坊守さんを「かわいげの無い坊守だ」と話しているのを聞いた源左さん。 「かわいげが無い、かわいげが無いって、無けりゃ有るほうが出せば良かろうが」と言いました。 なるほど、無ければ有るほうが出すのは当然のことです。 人の批判ばかりせずに自分にかわいげが有るかまず考えなさいということ。 批判ばかりの人に「かわいげ」は無いですね。 |
「石見(いわみ)の才市(さいち)さん」 |
今回は「石見」(現在の島根県温泉津町)に住んでいた才市さんの言葉です。 「風邪をひけばセキが出る 才市がご法義の風邪をひいた 念仏のセキが出る出る」 風邪をひくとセキが出ます。止めようと思っても止まりません。 才市さんがご法義という信心の風邪(阿弥陀さまのお心をいただくこと)をひきました。この風邪のセキは「お念仏」です。 止めようにも止まらない「南無阿弥陀仏」というセキが次から次へと出てくるのです。 称えようと思って称えるお念仏でなく、自然に出てくるお念仏。 他力の念仏です。 |
「讃岐(さぬき)の庄松(しょうま)さん」 |
今回は「讃岐」(現在の香川県)に住んでいた庄松さんの言葉です。 生前からご法義が篤く、お同行に慕われていた庄松さんが臨終の床についたときのことです。 独り身の庄松さんのことを心配したお同行たちが「ひょっとして庄松さんが亡くなっても、我々が立派な墓を建てるので安心してくれ」と言いました。 それを聞いた庄松さんは「おらぁ、墓の下にじっとしてはおらんでのぉ」と答えたとのこと。 阿弥陀仏の救いによって仏となる身に定まった者にとって、お墓は遺骨の安置所であって仏のハタラキ場ではないのです。 |
「讃岐(さぬき)の庄松(しょうま)さん」 2 |
今回も前回につづき庄松さんの言葉です。 京都のご本山(庄松さんは真宗興正派)で帰敬式(おかみそり式)を受けていた庄松さん、突然法主の衣の袖をつかみ「アニキ、覚悟はよいか」と尋ねました。 周りにいたみんなはびっくりしましたが、後で法主に呼ばれて声をかけた訳を尋ねられ「立派な緋の衣を着ていても、地獄を逃れることはならぬので後生の覚悟を聞いたまで」と答えました。 法主は親身になって後生の意見をしてくれたことを大変喜ばれ、以後、兄弟のようなお付き合いが始まったそうです。 |
「讃岐(さぬき)の庄松(しょうま)さん」 3 |
庄松さんは字が読めませんでした。 ある日、そのことを知っている者が庄松さんを困らせようと、みんなの前で「庄松さん、お経のここの部分を読んでもらえないか」と経本を差し出しました。 庄松さんが字を読めないことを知っていた周りの人たちは驚きましたが、庄松さんは平気な顔で「庄松を助けるぞよ、庄松を助けるぞよと書いてある」と答えました。 経本にそんなことは書いていないのですが、庄松さんはお経の字面ではなく、お経の意味を読みとっていたのです。 正解です。 |
「因幡(いなば)の源左(げんざ)さん」 2 |
今回は「因幡の源左さん」その2です。 源左、息子に「誰だ、柿の木にイバラをくくりつけたのは」 息子「そりゃわしだけど、若い者が柿を取りに来てかなわんけのお」 源左「せがれや、他の家の子にけがをさせたらどうするだ」そう言ってイバラを外して代わりにハシゴを掛けた。 しばらくたって、息子「父さん柿の木のハシゴ、まだ取らんのかのう」 源左「まあ置いとけや」 息子「置いときゃ人が何んぼでも取るで」 源佐「人が取っても、やっぱり家の者が余計食うわいや」 妙好人源左さんは我欲の少ない人でした。 |
「因幡(いなば)の源左(げんざ)さん」 3 |
あるお同行が源左さんに「わしはお寺の法座ではお救いがありがたくいただけるけど、家に戻りゃちっともありがたくない。ほんとにわしはニセ同行じゃ。」と言いました。 それを聞いた源左さんは「ニセになれたらもうエエだ。なかなかニセにはなれんでの。」と答えたそうです。 み教えを聞くということは罪悪深重の我が身を知らされることであり、そのような者を必ず救うと誓われた阿弥陀さまのお慈悲をお聞かせいただくことなのです。 「わしはニセ同行」と言えることは、お救いをお救いと慶べないどうしようもない我が身を知った者だということです。 「私こそは立派な信者」とうぬぼれる者には、お救いは遙か彼方なのです。 |
「石見の才市さん」 2 |
「才市よい うれしいか ありがたいか」 「ありがたい時ゃ ありがたい なんともない時ゃ なんともない」 才市さんの自問自答の言葉です。 日常の自分の気持ちを素直に語っておられます。ありがたい時もあるし、なんともない時もあると。 阿弥陀如来のご法義はこちらがありがたがったら救われる、ありがたくなかったら救われないという性質のものでなく、そのどちらもが自分の姿であり、そこから抜け出すことは不可能なのです。 そんなフラフラした凡夫の感情を頼りに信心を探そうとすることに誤りがあります。 「まかせよ」という阿弥陀如来の声に素直に従うばかりなのです。 |
「石見の才市さん」 3 |
「ええなあ 世界虚空が みな仏 わしもそのなか なむあみだぶつ」 妙好人の皆さんに共通することは、自他という分別を超えたものすごく大きな世界を持っていることだと思います。 この詩で才市さんは、この世にあるすべてのもの(世界虚空)は阿弥陀さまというご縁によって成立している存在(みな仏)であり、この私もそのご縁によって成立している(わしもそのなか)ことを喜んでおります。 最初の「ええなあ」に才市さんの信心が凝縮されているように思います。ある妙好人は「お慈悲はぬくいでなあ」と表現されましたが、才市さんと同じ心持ちであったことと思います。 |
「金子みすゞさん」 |
近年の妙好人に童謡詩人の金子みすゞさんがおられます。その詩には浄土真宗のご法義が溢れております。 「さびしいとき」 私がさびしいときに、 よその人は知らないの。 私がさびしいときに、 お友だちは笑ふの。 私がさびしいときに、 お母さんはやさしいの。 私がさびしいときに、 佛さまはさびしいの。 この詩から「一人じゃないよ、私がおりますよ」という仏さまの声が聞こえます。 |
「鈴木大拙さん」 |
「宗教には二つの対峙する思想が含まれていて、その関係から人間の宗教生活が出るのである。 二つの思想を仮に無限と有限といっておく。 無限のなかには、大智、大悲、涅槃、遊戯自在、自然法爾、求めれば応じるもの、いっさいをゆるすもの。 有限のなかには、分別識、愛憎、生死、業・因果、人為、求めてやまぬもの、許されざるを恐れるものがあるとみる。 これらの二列に並べられた項目は、絶対に相容れぬものであるが、両者は絶えず対立しつつ、しかも、合致せんとしてやまぬものである。 そして、そのやまぬところに、人間の悩みがある。そこから宗教が生まれてくる。」 なるほど…(住職談) |
「利井鮮妙和上」 |
利井鮮妙(1834-1914)、大阪府高槻市常見寺出身(元住職)。 兄明朗と共に真宗僧侶の英才育成機関「行信教校」を設立。 62才で本願寺派勧学となる。 《海水に塩かげんはいらぬ》 「御開山様(親鸞聖人)は、真如一実之信海と信心を海におたとえになった。 海水は塩水であります。世の中に、塩気が足らぬと海につまみ塩をしたり、塩がきついと海に水をさしたり、海に加減する人はあるまい。 今、南無阿弥陀仏の信心は、御慈悲の海、御智慧の海であります。 故に、凡夫の手元の加減はいりません。行者の計いはやめて、仏の御計いに任すばかり、仏の大海の徳のままが、私の徳になるのであります。」 (『よすみ法語』三代法語より) |
「利井鮮妙和上」 2 |
《道理理屈は知らずともよい》 「拾円紙幣はどんな印を押し、どんな事が書いてあるか、そんなことは知らないでも拾円札は拾円で通用する。 六字名号(南無阿弥陀仏)は、如何なる訳のものか如何にして往生するのか、そんなことは知らないでもよい。ただ、信ずる(まかせる)ひとつで往生させてもらうのである。」 (『よすみ法語』三代法語より) 法然上人は「愚者になりて往生す」と言われましたが、愚者とは疑いを知らない子どものような心を持った人のことだと思います。 人間の浅はかな知恵で如来の無限の慈悲を考えても分かるはずがありません。 理解を超えた絶対の信頼が如来と凡夫の関係です。 母親と乳飲み子のようなものです。 |
「利井鮮妙和上」 3 |
「平生重荷を持ちつけた者は、物を持たぬ時は何となく手もとが物足らぬように思うけれども、汽車に乗るときに荷物を一切ひとまとめにして手廻りとして預けてしまうと、いかに荷物を持ちつけた者でも安心して汽車の中で新聞でも読んでいることが出来る。 自力の執心というのは、久遠劫来出離の重荷を気にかけた癖である。この癖があるから何か手にかけたい、何か持たないと安心でないと思うのであるが、出離の重荷はたしかな如来様がことごとく受け持って下さるのであると思えばなんと気楽な事ではないか。」 (『よすみ法語』三代法語より) 「知ろう・手に入れよう」ではなく「預けた・まかせた」が真宗のご法義です。 |
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