お茶目な生活 |
不定期更新
今月(2004年2月)から「お茶目な生活」というコラムを立ち上げました。
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少年時代のお茶目な生活 |
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その1 | 三輪トラックにひかれたお茶目な私 2004/1/30 UP |
その2 | 真冬の川に落ちたお茶目な私 2004/1/30 UP |
その3 | 川で溺れたお茶目な私 次回予定 |
その1 三輪トラックにひかれたお茶目な私 2004/1/30 UP |
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たしか小学2年の時だったと記憶しております。 |
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その2 真冬の川に落ちたお茶目な私 2004/1/30 UP |
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たしか小学5年の時だったと記憶しております。 現在はすぐ近くに小学校が出来ておりますが、当時私の通っていた小学校(加古川市立加古川小学校)は家から約2キロの距離にありました。 小学生にとっての2キロは大人の10キロ程度に相当するぐらいの距離だと思いますが、それ以上に、帰り道はいつも麦畑で隠れんぼをしたり、積んであるワラで小屋を造ったりして、家に着くのはいつも夕方でした。 冬の寒い日の下校時でした。いつものメンバー4・5人(同級生・悪友)は、普段は通学路の半ばにある中学校をぐるっと回る帰路を選んでいたのですが、何を思ったかその日は2年後に通うであろう中学の校庭を突っ切って帰ることにしました。 しかし、その中学は生徒の逃走防止用(?)に校庭のまわりを幅2〜3メートルの堀のような川が巡らされており、帰路をショートカットするためにはその川を渡らなければなりません。 ちょうどその日はその川にハシゴが渡されており「どうぞ寄っていってちょうだい」と、夜の繁華街の怪しげなおネエちゃんのように私たちを誘うのでした。 「これやったら渡れん(る)で」とAが提案しました。 「ほんまや、渡れそうやな」とB。 「渡ろか」と私。 「そやけど相当古いハシゴみたいやで」とCが警告を発しました。 ハシゴをよく見ると確かに真ん中あたりが腐っているように思いましたが「べっちょないやろ」と私が真っ先に渡りかけました。 二・三歩行って「ミシッ」という音がしたので四つん這いになって慎重に進んでいきました。 友だちは「やめとき」と止めましたが、私は「べっちょない、べっちょない」を連発しながら(自分に言い聞かせながら)ソロソロと進んでいきました。 ちょうど真ん中あたりに来たときです。突然「バキッ」と音を立ててハシゴが折れました。 私は「ウワッ」と叫んでそのまま水の中へ「ドボン」と落ちました。 「バキッ」「ウワッ」「ドボン」で0.5秒ほどでした。 水は少なかったとはいえ、四つん這いでしたからそのまま全身が真冬の川に浸かってしまいました。 友だちがカバンを持ってくれ、全身ビショビショで震えながら家まで帰りました。 母親から「なんであんたはそんな向こう見ずやの」と叱られました。 友だちは母親に「やめときゆうて止めたんやで」と言って自己保身にまわっております。(まあちゃん、お前や) 母親からは「ほんまあんたは無茶しいやった」と今でも言われます。 でもいまだに疑問なのですが、 「誰が」 「何の理由で」 「あんなとこに」 「腐ったハシゴおいとったんじゃぁ」 と思うお茶目な私です。 |