「 私の都市開教 」
 来恩寺住職(元湘南布教所専従員)橋本正信の場合


近年
何かと注目を浴びている都市開教ですが
これから
都市開教をめざす方々の一助になればと思い
元都市開教専従員としての私の経験と
私なりの意見を述べさせていただきます。
ご笑読下さい。

其の壱 都市開教とは
ご存じのように
浄土真宗本願寺派の都市開教とは
本派寺院の少ない人口急増地域において
法座などの寺院活動を行い
広く浄土真宗のみ教えを人々に伝える活動です。
宗派では
東京首都圏・中京都市圏・京阪神都市圏に
対策本部を設置し
都市開教を推進しております。
特に
首都圏における都市開教は
その必要性が早くから指摘されており
実際
他の2本部に比べ活動も活発なようです。
しかし
その活発な活動に比例して
都市開教に関わる様々な問題や批判も表面化してまいりました。
そのことは
其の六 都市開教の問題点と批判で
詳しく述べてみたいと思います。

其の弐 布教所の開設
首都圏における一般的な布教所開設までの主な手順としては
@対策本部(築地別院)での研修
A開設候補地域の調査
B該当組との話し合い
C布教所としての物件探し
D本部の発令
E開設
となります。
私の場合
築地別院の職員でしたので
@は免除され
AからCまでの手順を踏んで
平成3年8月1日
対策本部より
湘南布教所専従員に任命されました。
そして
妻と当時1才10ヶ月の長男と共に
神奈川県茅ヶ崎市矢畑の借家において活動を開始。
平成6年
本堂・庫裡の完成に伴い
現在地(茅ヶ崎市今宿)に移転いたしましたが
今年(2000年)の8月で丸9年が経過しました。
普通
開設までの手順で最も大切なことは
Bの該当組との話し合いです。
開教希望者と組
そして対策本部の三者で話し合いが持たれますが
既存寺院の経済活動に大きな影響を与える可能性がある拠点の開設ですので
話し合いは慎重です。
既存寺院のほとんどの住職そして関係者は
首都圏における都市開教の必要性を認めておりますが
自分の寺院のすぐ近くでの活動は
やはり不安があるようです。
それは
開教希望者の人物像が判らないところに起因している場合が多いようです。
気心の知れた
そして
自分と気の合う人物なら喜んで受け入れる
そんな傾向もあるようです。
このことについては
其の四 設立当初の活動で
提言したいと思います。

其の参 活動助成金
都市開教専従員には活動助成金が支給されます。
私の場合
布教所設立1年目は毎月30万円
2年目が25万円そして
3年目以降は0円でした。
これはつまり
設立から2年間で独立採算の体制を整えなければならない
ということです。
助成金の半分以上は
布教所の家賃として消えてしまいますので
正直なところ
不安な2年間でした。

其の四 設立当初の活動
設立当初の主な活動は
近隣寺院の葬儀などのお手伝いと
法話会への出向でした。
幸いなことに
築地別院職員時代
東京教区教務所において
布教団を担当しておりましたので
教区内寺院の法話会日時なども掌握しており
マナー違反のようですが
後任の担当者に
出向の便宜を図っていただいたこともありました。
この
教務所に勤務していたということは
神奈川県茅ヶ崎市という
鎌倉組内へ布教所を設立した大きなご縁ともなっております。
それは
当時
ご門主の組巡教教区担当者として
鎌倉組に何度も足を運び
組長さんや組内寺院の皆様と親しくなれたことです。
そして
組内の皆さんが
私の
鎌倉組内での布教所設立の願いに快く賛同して下さり
現在においてもいろいろ協力して下さっていることは
教務所に勤めていたことも遠因の一つになっているのだと思います。
そこで
わたしからの提言ですが
これから
都市開教専従員をめざす皆さんには
まず
各組の組長さんや教区会議員さん
そして
教区内寺院のご住職方と接する機会の多い
教務所勤務をお薦めいたします。
都市開教という大きな志を持つ他教区出身の者にとって
ほんの数ヶ月の研修と調査で
拠点を決定することは無謀なことですし
たとえ
組が受け入れてくれたとしても
助成金が切れる前に独立採算の道を確保するのは
非常に困難なことであり
それは
地域性や門信徒の利便性を無視し
都市開教活動が
単にリベートを通した葬儀社とのビジネス活動へと
変貌してしまうおそれがあるからです。
都市開教希望者の皆さんには
拠点決定の前から
組の皆さんと親しくお付き合いをし
信頼できる協力者を見つけておくことも
これからは必要なことではないでしょうか。
それはまた
自身の勝手な行動を抑制する力ともなってくれると思います。
そして
組内寺院の皆さんも
都市開教専従員の良き理解者
協力者となっていただければと思います。
門信徒の皆様にとっても
近くのお寺の方が楽に参拝出来ますし
御法義の繁盛にも繋がるのではないでしょうか。
都市開教を受け入れ
引き込み
一緒になって悩み・喜ぶことこそ
真の
同朋教団の姿だと思います。

其の五 布教所の活動
布教所の活動といっても
法座活動や葬儀・ご法事の執行など
既存寺院の活動と何ら変わるところはないと思っております。
私の場合
開設4ヶ月後に初法座を開きました。
たまたま都内の知り合い寺院から
「私の寺のご門徒がすぐ近くに住んでいる」
「声を掛けてみたら?」
と勧めてくれましたので
法話会は
毎月第3土曜日午後1時半から
お勤めは正信偈六首引き
ご法話は私が行う。
と決定し
平成3年12月21日土曜日午後1時半
10畳の部屋に御本尊を御安置し
記念すべき初法座が開かれました。
出席者は
私と妻と長男
そして
都内寺院から紹介された方とその方の友人1人の
5人でした。
全員が緊張した法話会でした。
第2回目の法話会は
開所式といたしました。
組内寺院のほとんどのご住職方が出席して下さり
式後はお斎を用意してご接待いたしました。
僧侶以外の出席者は
4人でした。
その後
回を重ねるたびに出席者は増えて行き
2週間に1度発行されている地方情報紙への広告の効果もあってか
1年後には
10畳の仏間には入りきれない人数となりました。
門信徒の皆さまには窮屈な思いをさせ
申し訳なく思いましたが
うれしくて
うれしくて
涙があふれました。
その後
毎月1日午後3時より
歎異抄や正信偈の勉強会である
「聖典に学ぶ会」が発足し
その他
お隣の上正寺と合同の夏休み一泊子供会
上正寺と対抗のソフトボール大会
湘南布教所独自の
花まつり記念ボウリング大会
降誕会記念ゴルフ大会
報恩講記念ゴルフ大会

何が記念なのかよく分からない
私の趣味での催し物も数多く行っております。
また
年に一度は団体参拝があり
本山への念仏奉仕団は隔年で行っております。
湘南布教所の法話会・勉強会の特色は
駅までの送迎が挙げられると思います。
ご自宅まで送迎できれば一番良いのでしょうが
私一人の力ではとても無理です。
現在は
車でお越しの方々のご協力と
門信徒間のつながりの活性化などにより
徐々にこの問題は解消されつつありますが
それでもまだ
20名ほどの方を駅まで送迎しておりますので
門信徒間のネットワーク作りも
今後の課題と考えております。
それから
もう一つ活動の特色を挙げるとすれば
寺報「ライオン寺だより」の発刊です。
平成4年7月に創刊し
毎月1度
幸いにも今まで休みなく発行しており
2000年の10月号で
100号となりました。
試行錯誤を繰り返し
現在は
A4サイズ縦書き4ページの寺報ですが
葬儀やご法事でご縁をいただいた門信徒と
私の友人知人合わせて
約千部を発行しております。
先の蓮如上人五百回遠忌法要で
はからずも
ご門主から
寺報発行の重要性をお示しいただきましたが
その通りだと思います。
法座に参加したくても何らかの事情で参加できない門信徒
そして
浄土真宗のみ教えと
私の思いを理解していただく手段として
「ライオン寺だより」は
創刊当時の予想をはるかに超えた働きをしてくれております。
記事の執筆や編集・印刷・発送まで
門信徒の手を煩わすことなく進めておりますが
部数も増えたため
そろそろ印刷ぐらいは
業者に頼もうかと考えております。
今以上に
読みやすい紙面をめざして。

其の六 都市開教の問題点と批判
其の壱で述べました通り
布教所が増え
都市開教の活動が活発になりますと
その活動に比例して
様々な問題や批判も表面化してまいりました。
都市開教希望者
および
布教所を設立した者の悩みや
既存寺院の問題とするところを挙げてみますと
@布教所開設の問題
A布教所の所属についての問題
B葬儀社との癒着問題
そして
C宗教法人取得の問題
などがあります。
@番目の布教所開設の問題とは
物件探しと家賃の問題です。
非法人教会と違い
ほとんどの都市開教専従員は
借家での宗教活動を余儀なくされます。
資金が豊富にあれば
最初から独立した礼拝施設と
住居などを建立するのでしょうが
そんな事例は今まで聞いたことがありません。
私も借家からスタートいたしましたが
問題は
宗教活動を目的とした使用者に
家を貸してくれる人は
極めて少ない
ということです。
オウム以後
ますます
困難になってきているような気がいたします。
それから
布教所の主目的は
法座を行うということですので
仏間としての広い部屋と
交通の利便性が条件となります。
首都圏で
交通の便の良い広い借家は
家賃も驚くほど高いのです。
みんなそのことでまず
挫折感を覚えます。
次の
A布教所の所属についての問題とは
布教所は宗派のどこにも属さない団体である
ということです。
東京教区にありながら
教区や
教区内のどの組にも属さないのが布教所です。
先般
東京教区教務所
および
東京教区災害対策委員会
から出されました
東京教区僧侶名簿には
24組の何処にも
布教所の名前はありませんし
布教所のページもありませんでした。
教区内の寺院に所属する布教所専従員は
わずかに
所属寺の欄に名前と住所・電話番号はありますが
それ以外は
布教所名も
専従員名も
掲載されていないのです。
災害時
布教所は
そして
専従員とその家族・門信徒は
見捨てられてしまうのでしょうか。
早く
布教所の宗派での立場と
専従員の
所属寺問題などの
法整備を進めていただきたいものです。
非法人教会として宗派に包括されれば…
という方もおりますが
包括されるには
宗派規定の御本尊の問題や役員会・総代会の問題など
借家で活動する布教所には無理な事柄も多いのが実情であり
そのような
布教所の所属に関する明確な法が無いため
教区だけでなく
組・組内寺院・布教所
それぞれが
どのように対応して良いのか
分からないのが現状のようです。
そしてそれは
布教所にとって
尊厳に関わる問題であることは
 間違いないと思います。
これは
非法人教会主管者の
所属寺問題も
 同様です。
次の
B葬儀社との癒着問題は
既存寺院の皆さんからよく聞く問題です。
つまり
リベートを通した
葬儀社からの葬儀の斡旋です。
どうしてそのような問題が起きるかを考えてみましょう。
まず
布教所の基本収入は
既存寺院と同じく
布施収入です。
その中でも
過去からの門信徒
あるいは
墓地を持つ既存寺院と違い
法事が少ないといった理由から
葬儀の布施に維持費を依存する率は
新しい布教所ほど
高率です。
普通
葬儀でご縁のあった門信徒の年回法事を行うようになるのは
一周忌を迎える翌年からです。
次が2年目の3回忌
その次は6年後の7回忌です。
私の場合
開設から9年が経過しましたので
現在
最も古い門信徒でも
まだ7回忌を行っている段階ですが
一周忌・3回忌のご家庭もありますので
徐々にではありますが
葬儀に依存する率は
下がってまいりました。
しかし
まだしばらくは
法事の布施や懇志だけで寺院を維持するのは
困難な状況です。
すべての布教所がそうだとは言いませんが
設立して日の浅い布教所ほど
葬儀による布施収入が必要であることは
否定できないと思います。
葬儀以外のご縁が少ないのですから…。
このことは
そのような事情を知った葬儀社や葬儀社の社員が
公然と
あるいは社に内密で
葬儀を紹介する見返りとして
リベートを要求する一因となっております。
しかし
古くからある寺院のほとんどは
葬儀社からのそのようなリベートの要求に
毅然とした態度で断っておられますが
それは
断っても経済的に影響が少ない
あるいは
寺院活動が維持できるからだと思います。
門信徒数の少ない布教所にとって
そのような
葬儀社からの要求を拒否することは
なかなか出来ることではありません。
しかたなく
そして
泣く泣く
布施の一部を葬儀社へのリベートとして渡す
そんな布教所もあります。
少し私の場合をお話しします。
其の四 設立当初の活動
の冒頭で
「設立当初の主な活動は近隣寺院の葬儀などのお手伝い」
と書きましたが
その中には葬儀そのものを任されたことも度々でした。
お手伝いでなく
今後
「湘南布教所の門信徒となるよう
お取り継ぎをしなさい」

葬儀そのものを任せてくれるのです。
もちろん
喪主は布教所近辺にお住まいの方で
所属寺を持たない方の葬儀です。
このことは
布教所としての活動を続ける上での
とても大きな安心感と
私自身
近隣寺院に対する信頼感が生まれました。
最近は
「もう体力もついただろう」と
あまり任せてくれません。
まだまだ体力不足なのに…。
でも
そのことで
葬儀社の方と信頼関係が築けたのは
事実です。
それが体力ということだったのでしょうか。
葬儀社へのリベートの件ですが
開設当初は
リベートを要求する葬儀社や葬儀社社員の要求に
そんなものなのかと思い
言われる通りにしておりましたが
止めました。
止めた理由は
リベートを渡すと
近隣の葬儀だけでなく
遠隔地での葬儀も依頼してくるからです。
葬儀の後のご法事や
遠隔地からの門信徒の法話会への出席を考えると
続ける気にはなれませんでした。
それに
リベートを要求する葬儀社が
この辺りには少ないことも助かりました。
リベートを
当たり前のように要求する地域があると聞いておりますが
湘南においては少数であるようです。
特に大規模葬儀社は
寺院への葬儀の依頼も
担当者が直接するのでなく
葬儀社内のある部署が
喪主の住所と寺院の住所を照らし合わせて
依頼してくることが多いのです。
リベートを要求するのはごく一部の葬儀社です。
でも
首都圏全体を見ますと
リベートを要求する葬儀社の方が
多いようです。
葬祭業界も不況なのでしょう。
体力のない寺院・布教所は
葬儀社と提携し
葬儀を斡旋していただいているようですが
既存寺院の批判の多くは
近隣にそのような葬儀社と癒着した布教所が出来たため
自分の寺の門信徒以外の葬儀が来なくなった。
ということと
遠隔地から来て
葬儀だけを行い
その後の法事などはその地域の寺院に任せている。
といった批判です。
もっともな批判だと思います。
既存寺院の中には
都市開教の布教所のほとんどがそのような活動を行っており
今後も同じような行動をすると考え
新しい布教所の設立を認めない方もおられるようです。
ここ数年
布教所の新設が
以前に比べて少なくなっているのも
また
組によっては
5年
いや10年以上も新設の布教所がないのも
こんな批判が浸透しているためではないでしょうか。
これは
其の弐 布教所の開設の中で
布教所開設の手順
B該当組との話し合い
にも
大いに影響しております。
この
葬儀社と寺院・布教所の癒着問題は
教区や組で一度徹底的に議論してみてはいかがでしょうか。
それから
この問題に関して一言付け加えますと
葬儀社の方々は
寺院や布教所の活動
そして
住職など
僧侶の体質も鋭く見ております。
単に
リベートがもらえないから葬儀を依頼しない
といったことではないようです。
リベートをもらわなくても
大切な顧客の葬儀を
たとえ遠隔地の寺院であっても
信頼できる住職に依頼することもあるようです。
いや
そちらの方が多いのではないでしょうか。
癒着問題を議論する前に
私自身
そのことを考えてみたいと思います。
次は
C宗教法人取得の問題です。
都市開教布教所のめざすところは
内的には
宗派・教区・組に所属し
宗派・教区・組と共に
ご法義繁盛のために活動することです。
外的には
非営利の公益団体として
本願寺派の宗法にもあるように
人類永遠の福祉に貢献すること
だと思いますが
その活動のためには
宗教法人として
広く認知してもらう必要があります。
普通
宗教法人の認知は
宗教団体が活動している場所の
都道府県の知事によってなされます。
認知されますと様々な恩典が与えられますが
その一つが
税法上の非課税処置です。
もちろん
住職をはじめお寺から給与をいただいている者は
一般サラリーマンと同じく
所得税などは源泉徴収されますが
境内地や境内建物に対する
固定資産税は免除
宗教活動におけるお寺の収入も非課税です。
これは
寺院の会計上
また活動を続けるに当たって
非常にありがたい恩典です。
また
宗教法人を取得しますと
墓地の造成も可能になります。
墓地の運営は
宗教活動の一環として
宗教法人に認められている権利です。
このように
宗教法人を取得いたしますと
さまざまな恩典が与えられますが
この
宗教法人取得がまた難しいのです。
神奈川県の例を挙げますと
県庁私学宗教課の指導は
@活動している宗教団体であること
A3年以上の活動実績があること
B独立した礼拝施設があること
Cある程度の信者がいること
D定期的に役員会が開かれ
予・決算書や会議議事録等の書類が揃っていること
E包括する宗派があることが望ましい
F負債が寺院財産の一定割合以下であること
などです。
布教所にとって
1番大きいハードルは
Fの負債の問題です。
私の場合
平成6年に
独立した礼拝施設である本堂が完成したため
@〜Dの条件が揃い
Eも
平成10年11月19日付で
宗派に非法人教会として包括されましたので
クリアーいたしましたが
問題はやはりFの負債の問題です。
本堂・庫裡の完成と同時に
1億9千万円の負債を抱え込みましたが
これは
全財産の7割ほどの額でした。
現在は
負債の割合もずいぶん減りましたが
それにしても
宗教法人取得は容易なことではありません。
特に
ある宗教法人による
テロリストのような事件の続発や
宗教法人の売買・霊感商法などが社会問題となり
現在は
法人の認可がより厳しくなったようです。
健全な活動を行っている者にはいい迷惑ですが
仕方のないことなのでしょう
きっと…。

其の七 これからの都市開教
いろいろ勝手なことを書いてまいりましたが
最後に
「これからの都市開教」として
宗派や教区・組
そしてこれから都市開教をめざす方々に対する
私の要望を纏めたいと思います。
まず
宗派・教区・組に対しましては
都市開教を個人の力に頼るのでなく
教団ぐるみで育てていただきたい
ということです。
つまり
キリスト教や創価学会・天理教のように
必要と思われる拠点に財力と人材を投入することです。
宗派で実行していただければよいのですが
宗派や教区がだめなら
組で実行してはいかがでしょうか
それは
将来寺院が必要と思われる組内の数カ所をピックアップし
組内寺院の協力で本堂を建立し
都市開教を希望し
都市開教に燃える人材を配置する。
もちろん
組がその人の給与も保証するのです。
具体的には
本堂の土地と建立費が2億円ならば
組内寺院20ヵ寺として
1ヵ寺1千万円ずつを拠出します。
給与は各寺が毎月2万円ずつを出し合えば
40万円です。
そして
その寺院の収入の内
次年度への繰越金の一部を組の会計に繰り入れ
20年後か30年後か分かりませんが
建立費に相当する額に達したところで終わりにします。
この方法ならば
宗教法人も早く取得できますし
個人にも負担がないのではないでしょうか。
精神的な負担は別にして…。
また
生活費が保証されますので
葬儀社と結びついた
強引な活動もする必要がないと思いますし
組内寺院に遠慮して
そんな行為は出来ないと思います。
私は将来
お寺に体力がつけば
組の何ヵ寺かと協力して
あるいは
私だけでも
この計画を進めたいと考えております。
それは
都市開教専従員の苦労とつらさをよく知っているからです。

次に
これから都市開教を
めざす人への助言です。
それは
「笑顔を忘れないで」
ということです。
私自身は
まわりの皆さまに支えられ
あまり感じなかったのですが
これからの都市開教には
様々な困難と辛苦が待ち受けていると思います。
でも
笑顔でやり過ごしましょうよ。
家族がいれば
家族だけでもいいと思います。
笑顔の絶えない家庭にしましょう。

最近
「法は人を通して伝わる」
そんな思いを強く持っておりますが
それは
親しみやすい笑顔が出発点のような気がいたします。

以上
都市開教について
私の経験から
思いつくまま書かせていただきましたが
最後までおつき合い下さいまして
ありがとうございました。

南無阿弥陀仏


      

検索エンジンを利用してこのページに来られた方はここをクリックすればトップページへ行きます
トップページへ