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雑記集

寺報「ライオン寺だより」に掲載中の雑記を集めたものです。
読み返してみますと来恩寺の歴史がよく分かります。
ぜひ最初から続けてお読みください。

1993年

1994年

1995年

1996年

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2011年


1992年

1992年8月号

バルセロナオリンピック

 バルセロナオリンピックが始まっております。

 各国の選手が技や美しさを競い合い、観戦する我々にもさわやかな感動を与えてくれます。

 特に、大会三日目に行われた、水泳の女子平泳ぎで金メダルを取った、岩崎恭子さんの泳ぎには涙が出ました。

 オリンピック一週間前に14才になったばかりの彼女は、切れのいいピッチ泳法で世界記録保持者のアニタ・ノールをゴール直前に抜き去り、五輪記録も更新して優勝しました。無欲の勝利とでもいうのでしょうか、大会前メダル候補にも挙がらなかった彼女が、世界の頂点に立ったのです。

 その後の各競技を見ていて感じたことですが、特に日本選手のなかであまりにも金メダル確実と騒がれたため、銀メダルで終わるとぶ然としている選手がいましたが恭子さんのはにかんだような笑顔と対照的で、「銀で充分、よくやりましたね」と声を掛けたいくらいでした。

 マスコミを始め、我々まわりの者の期待がプレッシャーとなり、ソウルからの4年間、そんな選手たちを苦しめていたのだと思います。

 今後は自分自身のために競技を続けてくれたらと願います。それだけでも我々は感動できます。 それにしましても、恭子さんの「いままで生きてきた中で、一番幸せです」のひとことには笑えました。

 私たちも、人それぞれに人生は違いますが、いつも「いままで生きてきた中で、『今』が一番幸せです」といえる人生を送りたいものです。


1992年9月号

霊感商法

 最近の結婚は大勢で挙げるのが流行っているらしく、連日テレビ雑誌等のマスコミを賑わせております。(暇なのでテレビはよく観ております。スミマセン。)

 別に大勢で結婚式を挙げることに反対はいたしません。ご両人の好きずきですので、「勝手にしたら」という気持ちです。むしろ一組で挙げるよりも楽しいのではないかとも思います。費用も安くついて…。

 結婚相手は一部有名人を除いて前日に知らされるそうですが、これも驚きません。こういうご時勢ですから…何が起こっても…。実際「お父様のお勧めの方なら…」と嫁ぐ人がいるのですから。

 問題はツボです。事情を解らずぼんやりテレビを観ている人には“鞍馬天狗”がコケザルのツボを捜しているのかと思うぐらい、ツボ・ツボと騒いでおります。

 霊感商法というのだそうですがこれを買えば幸福が訪れるとか、無病息災・家内安全などというふれこみで、ツボや絵・印鑑・健康食品・その他諸々を売りつけるそうです。それも法外な値段で。

 売る方も売る方だが、買う方も買う方だとヘンに感心してしまいますが、実際に何百万、何千万というお金を出して買った人達の救済を考えて行かなければならないと思います。

 皆さんのまわりにもそんな商法で買ったものがないか、一度点検してみましょう。たとえば、数回使っただけで洋服掛けに変身してしまった、ぶら下がり健康器などが部屋の隅にあれば要注意。

 それと、お札や御守りなども…。

1992年10月号

聴聞の場

 昨年の12月から法話会を始めましたが、先月は仏間いっぱいの人で、うれしくて思わず記念写真を撮ってしまいました。

 蓮如上人は「御一代記聞書」の中で、『一宗の繁昌とは人が多く集まり、勢力が大きいことではなく、一人でも多く信をとることである。』と述べられておられますが、住職としてはやはり少ないよりも、たくさん来て下さるほうがうれしいものです。

 集まってこられる方の大半は浄土真宗の流れをくむ方々です。中には他宗の方もおられますが、どなたも浄土真宗の話を聞きにこられていらっしゃるので、しっかりとお取り次ぎしなければと思っております。

 ご聴聞の大切さを、先の「御一代記聞書」の中から二、三紹介いたしますと。

 『仏法は若き時たしなめ、年寄れば行歩もかなわず、眠たくもあるなり。』

 『仏法は世事に費やす時間をさいて聞くべし。世事の暇に法を聞くように思うこと、あさましきことなり。仏法には明日ということはないのだから。』

 『「いたりてかたきは石なり、いたりて柔らかなるは水なり、水よく石を穿つ、心源徹しなば菩提の覚道なにごとか成ぜざらん」という古き詞あり。いかに不信であろうとも、聴聞を心がければお慈悲の力によって信を得ることができる。ただ仏法は聴聞に極まることなり。』

 その聴聞の場がお寺です。来恩寺もはやく広い聴聞の場が欲しいものです。

 狭くても来て下さいね。

1992年11月号

貴花田とりえ

 10月26日午後10時45分頃、息子の3才の誕生日を夫婦でお祝いしぼんやりとニュースステーションを観ておりましたら、久米宏さんが突然「ビッグニュースが飛びこんで参りました。相撲界のプリンス貴花田が結婚いたします。お相手はあの宮沢りえさんです。」という原稿を読み上げました。

 一瞬「エッ!」と驚きましたが、次の瞬間「嘘でしょう?」と思ったものです。

 日本シリーズで西武ライオンズが優勝しても「さもありなん」としか思いませんが、このニュースにはビックリいたしました。案の定翌日のスポーツ紙の数社は、西武の優勝そっちのけの一面トップの扱いだったそうです。

 20才と19才に驚いたのか、それとも超人気者同士の組合せに驚いたのか、どちらにしろ「さもありなん」と思えなかった我が思考の貧困さを嘆きますが、それにしても、翌日のご両人のインタビューの受け答えと、考えのしっかりした様には感服いたしました。

 興味半分の記者の質問にも丁寧に対応し、特にいつもは無口な貴花田関の一言一言は、決意の固さを示すと共に、相手への思いやりが感じられ、好感が持たれました。

 りえちゃんは「こんなすてきな人にはもう巡り合えないと…」ということで決意したそうですが、素晴らしい言葉です。私たちもこんな気持ちで人と接したいものです。

 結婚式はお相撲さんなので神前なのでしょうね。私としてはぜひ仏前でしていただきたいのですが

 それも来恩寺本堂完成後に。

1992年12月号

勉強会発足か

 今年もはや師走となりました。

  思い起こせば(すぐに思い出せますけど)、去年の夏、築地本願寺の布教所「来恩寺」として茅ヶ崎に出てまいりましてから、二度目の冬を迎えようとしております。  

 ほのぼの法話会も、始めてからちょうど1年経ちました。

 第1回目の法話会は出席者2名。2回目が4名。3回目は8名、4回目が16名と倍々に出席者が増えてゆき、このままでは12月頃には布教所が人で一杯になり、死者が出るかと家族中心配しておりましたが、最近は20〜25名位で落ち着いてまいりました。

 出席者の中から「勉強会」をという声も出てまいりましたので、浄土真宗の教えを系統的に学ぶ意味から、また自分の勉強のためにもと思い、来年2月より法話会以外にも、月に1度開催することにいたしました。

 最初は「嘆異抄」を中心にして勉強していく予定です。ぜひ今まで来恩寺にお越しでない方もご参加下さい。

1993年

1993年2月号

「許されて…」

 先日、皇太子妃に、外務省に勤務する小和田雅子さんが内定いたしました。

 後日、お二人で記者会見に臨まれ、ある記者が「美智子皇后さまもご結婚当初は、皇室のしきたりとかで大変ご苦労され、毎日泣いていらしたそうですが…。」と質問したとき、皇太子殿下は「皇后さまからそのようなことを聞いたことはございません。ただ、強く印象に残っておりますのは、皇后さまが、『私は自分に不足しているところを、回りの方々から許されて今日まできたのよ。』とおっしゃられたことです。」と応えておられました。

  『許されて…。』という言葉に妙好人「因幡の源左」さんの話を思い出しました。

 ある日、源左の住む村に有名な布教使がやってきました。所用で出掛けていた源左がお寺に着いたとき、ご法話はすでに終わっていました。

 しかたなく講師部屋に行き、布教使の肩を打ちながら、「今日のお話はどのようなお話だったのですか?」と尋ねました。「今日は『ならぬ堪忍、するが堪忍』。堪忍できないところを堪忍するのが本当の堪忍ということであるという話をしたんじゃよ。」と、その布教使は答えました。

 それを聞いた源左は、「おらは、まだ人さまを堪忍したことがございませんでなぁ。人さまに堪忍されてばっかりおりますだ。」と答えたそうです。

 驕慢の心からは「許されて…」という言葉は出てまいりません。

 素晴らしいお母さまに殿下は育てられたことです。

1993年3月号

読者の反応

 「ライオン寺だより」は毎月1日発行を心掛けておりますが、諸般の事情(たいがいは住職の怠慢)により遅れることもしばしばです。今月もやっぱり遅れました。

 なんで2月は28日しかないんだと、訳の判らない愚痴をこぼしたりしております。

 現在、約300の縁ある方々にご送付いたしておりますが、多くは築地本願寺にお参りをされたことのある湘南地方に住む方々や、法事や葬儀でご縁をいただいた方です。なかには面識のない人もたくさんいらっしゃいます。

 ときどき、「いったい何人の人が目を通して下さっているのだろう」と、不安になることがあります。多く見積もって50%位の人かな。とか、いやそのまた半分位しか読んでもらえないのじゃ…。といった具合にです。

 私がこんな気持ちになるのは、わが家に毎日のように届けられるダイレクトメールの大半を、送り先の会社名だけを見て、封を切らずにクズカゴに直行ということがよくあるからです。

 ですから、ちょっとでも反応がありますと嬉しくて仕方ありません。特に、一度もお会いしたことのない方からの反応ですとなおさらです。

 そこでお願いですが、「ライオン寺だより」に対する批評・文句等、何でも結構ですので、ご意見をお待ちいたしております。

 ここまで書いてふと気が付きましたが、読んでない方はこのメッセージも読んでないということなんですよね…。

 だめだこりゃ!

1993年4月号

スポーツの季節

 今月一面の法話は少し解りにくいと思います。

 紙面の都合上、具体例をあげることなく書きましたが、書いている本人も頭が痛くなりました。読む方はもっと頭の痛いこととご同情申し上げます。

 さて、まもなくプロ野球が始まります。サッカーのJリーグも始まります。小さな頃からスポーツ(特に球技)大好き少年だった私にとって春は楽しみな季節です。

 特に野球は小学生の頃、近所の子供たちと勝手にチームを作り、日曜日などは他校のグランドで草野球をしている少年野球チームにその場で対抗試合を挑むという、道場破りのような野球をしておりました。

 大学1年のときテニスを始めましたが、こちらもクラブや同好会といった堅苦しいところは避け、気の合った友達5、6人と、その>当時人気のあったボルグやコナーズと同じウエアーに身をつつみ、「これからはトップスピンの時代だぜ」などと、のたまわっておりました。

 それでも週3日位はテニスコートでボールを追っておりましたので、人並み以上の実力とうぬぼれておりましたが、30才を過ぎてからはテニスコートを走るチャンスもなく、最近は、「正座ならだれにも負けない」と自負している毎日です。

 しかし、正座ばかりでは足腰も衰えますので、ダイエットのためにも何かスポーツをと考えているこの頃です。

 やっぱりスポーツと浄土真宗は、外から眺めるより参加したほうが楽しいですね。

1993年5月号

吉本興業

 吉本興業といえば、関西では3才の子供も知る、お笑いを中心にしたタレント事務所です。

 小学校の頃からクラスのひょうきん者に対して、「吉本へ行け」という言葉はバカにする表現でなく、最高の賛辞でしたが、高校の同級生の一人に、本当に吉本へ入った者がおります。

 卒業後すぐ笑福亭松鶴の弟子になったそうですが、笑福亭鶴志という芸名でデビューしました。

 現在も関西では活躍しているそうですが、高校時代はプロ野球選手になりたかったようで、朝から晩まで練習しておりました。ちなみに高校は京都の平安高校でした。

 彼とは通学電車が同じで、電車を降りてからよく冗談をいいながら学校まで通いましたが、まさか吉本へ入るとは思いもよりませんでした。

 ところが先日、仲の良い僧侶の先輩と世間話をしていると、「俺も吉本のステージに立ったことがある。」と突然切り出され、座っていた椅子から転げ落ちるほど大笑いをしました。

 全関西の小・中・高校生のひょうきん者があこがれるあの晴舞台、吉本のステージに立ったことがあるとは、まさに晴天のヘキレキでした。

 人間、あまりに意外なことがあると笑ってしまうものだということに気がつきました。

 聞けば、大学時代ジャズバンドを組んでいたそうで、吉本のミュージック・コントのメンバーの一人が急病で、代役として演奏したそうです。

 何事も聞いてみなければ分からないものですねぇ。

1993年7月号

電柱広告

 法語カレンダーの法話でも書きました「加山雄三通り」のことですが、自分の名前をそのような道路の名として付けられていることを本人がご存知ならば、けっこう恥ずかしく思われているのではないかと思います。

 私だったら一生その道路は通らないだろうと思います。

 なぜなら、先日来恩寺の広告を市内の電柱数本に出しました。宗派名をアピールするため、「浄土真宗」とだけ大きく書いてくれと頼んだのですが、東電広告からクレームがつき、結局「浄土真宗来恩寺」と書くことになりました。

 完成後、その電柱の前を通ったとき、あまりの恥ずかしさに顔を真っ赤にして、うつむきながら通り過ぎた次第です。

 浄土真宗にご縁のある方に、浄土真宗のお寺がご近所に出来ましたよ、ということを知らせるつもりだったのですが、まるで裸で街を歩いているような気になりました。

 今は大型台風でも来て電柱が倒れてくれないかという気持ちです。

 ですから、加山雄三さんも、きっと恥ずかしい思いをしておられるに違いないと、勝手に考えております。

 ところで、もうすぐ衆議院議員選挙があります。選挙用のポスター掲示板に、候補者の顔写真がズラリと貼られておりますが、どのようなお気持ちなのか、一度聞いてみたいものです。

 もし「恥ずかしい」という方がいらっしゃったら、ぜひその方に投票しようと思います。

 恥ずかしくない政治を行なってくれそうな気がして…。

1993年8月号

私たちの番

 私(来恩寺住職)の生まれ育ったお寺は兵庫県にあります。

 昔か らお念仏の盛んな地方で、秋から冬にかけては、各家庭で在家報恩講(親鸞聖人命日法要)を勤める のが当たり前の土地柄です。むしろ、家族の命日法要よりも大事に するぐらいです。

 近隣の寺院の中では比較的大きなお寺ですが、法座が開かれるとご講師の話に熱心に耳を傾けられる方々で満堂です。「仏教は聴聞に極まる」の言葉どおり、聞法の道場としての機能を遺憾なく発揮しております。

 現在のお寺は、水害で全壊したのを、百年以上も前に門信徒が再建したものです。土地を寄付した人や、材木を寄付した人、労力でご寄付をした人など、今も境内にその氏名を刻んだ記念碑が建っております。

 そして、そのような方々のおかげによって、今も脈々とお念仏の教えが受け継がれ、この私のもとまで届いたことを想うとき、その尊さ、ありがたさに頭が下がります。

 来恩寺もこの度、お寺を建てることになりました。皆様にご迷惑をかけないようにとがんばってまいりましたが、やはり一人の力には限界があります。近々、有縁の皆様にご寄付のお願いを申し上げる所存でございますので、ご協力下さいますようお願い致します。

 ご利益中心の宗教が多い中、まことの教えを子や孫にも伝えて行きましょう。今度は私たちの番。 そんな気がいたします。

1993年9月号

君の名は

 角川書店社長の角川春樹氏が覚醒剤取締り法違反の容疑で逮捕されました。

 角川さんとは直接の関係はありませんが、50代後半以上の方にとって「春樹」という名前には懐かしい響きがあるのではないかと思います。

 先頃、NHKで新しくなって放映されたそうですが、戦後しばらくして大ヒットしたテレビ番組、 「君の名は」の主人公が春樹さんと真知子さんでした。

 詳しくは存じませんが、すれ違いばかりのメロドラマであったそうです。  当時、番組放映中は銭湯の女湯がガラガラであったと聞いておりますし、真知子巻といったファッ ションも流行したそうです。

 そういえば私が小学生の頃、どうしてまわりの同級生やその前後の学年の友達に、春樹・真知子といった名前が多いのか疑問を持った記憶があります。今となっては母親・父親の年代もけっこうミーハーしてたんだと、自分がミーハーである原因に納得したりしております。

 名前については、新・加勢大周事件も驚きました。そのうち続・加勢大周や続々・加勢大周も出てくるかと期待しておりましたが、こちらは一件落着のようです。

 また、最近は意味のない当て字の名前が多いようです。息子の幼稚園にも、どこから見ても日本人だが、名前だけは外国人といった 子供がおります。

 名前には親の願いを込めましょう。その子が大きくなって、願いのかかった自分で あったと自覚できるような。

1993年10月号

初めての運動会

 運動会の季節です。我が家の一人息子も、初めて幼稚園の運動会に年少組で参加しました。

 徒競走もあるということで、一週間ぐらい前から、家でスタートの練習を行いました。ヨーイドンと部屋の中で何度となく練習しましたので、おかげでベン・ジョンソンとまではゆきませんが、結構上達いたしました。

 さて、運動会当日、いつもはなかなか起きないのですが、興奮のためか息子は朝の5時頃目を覚まし、6時頃にはすっかり出発の準備が整いました。しかし、集合は9時です。

 私は、家内から席取りを命じられ、シートを持って会場である小学校のグランドに向かいました。するとどうでしょう、運動場はすでにパッチワークのようにシートで覆われておりました。

 8時半頃、息子と家内とおばあ ちゃん(家内の母が来てくれていた)を会場に送り届け、家内にビデオを任せた後、私は法事を数件済ませ昼過ぎにかけつけました。

 息子の出番はすべて終了しておりましたが、最後に父と子での体操があります。しかし、息子は珍しく早起きしたためか、自分の競技が終わると寝てしまい、閉会式も夢の中でした。

 家に帰って徒競走のビデオを見ました。練習の甲斐あってか、素晴らしいスタートです。しかし、途中からよそ見をしたり気を抜いたらしく、ずるずると順位が後退 しました。部屋が狭いためスター トだけで、ゴールインの練習をしなかったのが敗因のようです。

 来年こそはと誓い合う父子でした。

1993年11月号

ディズニーランド

 先日、最近の編集傾向を確かめる意味で「ライオン寺だより」を創刊号から読み返してみました。

 発見したことは「ライオン寺だより」が「家庭だより」に変身しつつあることでした。出来るだけ個人的なことは書かないように努めておりますが、面白いことがあるとつい書いてしまいます。

 今回も家庭での出来事を書きます。

 子供にはいつも驚かされます。 先月末、息子が4才の誕生日を迎え、二日後東京ディズニーランドに親子で出かけました。

 私は初めてでしたが、息子は生後8ヵ月の時に家内と来たことがあります。

 しかし、その時の記憶はまったくなく、見るものすべてが新鮮で感動しているようすでした。

 ジェットコースターのようなスピード感のある物や不気味な物が嫌いらしく、いくら誘っても頑として受け付けません。

 その代わりぬいぐるみショーやパレードには目を輝かせて見入っており、フレンチカンカンでは大笑いをしておりました。

 特に最後に観たピーターパンのショーでは、ラストでピーターパンが空を飛び、私も感動してしまいました。

 夜の8時頃家に戻り、楽しかったショーやパレードの話を息子と始めました。

 私が「ピーターパンがお空を飛んですごかったね。」 と話しかけると、息子も「うん、すごかったね。」とうれしそうに応えます。

 しかし、「でも、ヒモがついてたよ。」の一言で会話は途絶え、部屋には一瞬吹雪が舞い込みました。

 『夢のないヤツは嫌いだ』と思う父親でした。

1993年12月号

大阪城と御堂筋

 先月末、全日本大学女子駅伝が大阪の長居陸上競技場を発着点として開催され、出身校の龍谷大学が出場するということでテレビで 観戦いたしました。

 社会人のトップランナーから短期大学部の学生となった岡本を擁する龍谷大学は、第四区で中央大学に抜かれるまでずっと首位を譲 らず、結局は4着でゴールしましたがなかなかの健闘ぶりでした。

 しかし中継を観ていて残念に思った場面が二ヵ所ありました。

 一つ目は確か2区だったと思いますが、大阪城を背景に龍谷大学の乙女がトップで疾走していた場面。

 二つ目はこれも龍谷大学のランナーが御堂筋をトップで走っていた場面でした。大阪城と御堂筋。二 つとも大阪を代表する場所ですが龍谷大学と因縁浅からぬ関係にあります。  

 龍谷大学は西本願寺の宗門校ですが、本願寺は今から450年ほど昔、現在大阪城の建っている場所にありました。

 信長の執拗な攻 撃に遭い各地を転々とした後京都に移りましたが、数十年の間本願寺があった場所が今の大阪城なのです。

 また御堂筋という名の由来 は西本願寺の津村別院(北御堂)と東本願寺の別院(南御堂)から付けられたものです。

 テレビ中継を観ていて、いつそのことを実況のアナウンサーが言ってくれるかと待っておりましたが、結局触れませんでした。

 二三日後、知人とその時の話をして、「アナウンサーが他宗派に違いない」という結論に達しましたが、皆さんはどう思われます?

1994年

1994年1月号

サンタさん

 子供とデパートなりスーパーに出かけますと必ず何かせがまれます。

 それはお菓子であったりおもちゃであったり色々ですが、先日も家内と一緒に買い物に出かけた息子が綿あめ製造器を買ってくれとせがんだそうです。

 ちょうどクリスマスの前でしたので、家内はクリスマスプレゼントのつもりで勇気を出して買いました。

 お寺さんがクリスマスなどするのかと叱られそうですが、ツリーを飾ったりキリスト誕生のお祝いこそいたしませんが、異宗教だからといって一切受け入れないとゆうそんな了見の狭さは持ち合わせておりません。

 家に帰ってから家内が子供に、「サンタさんのプレゼントにも限りがあって、もうプレゼントをもらった子のお家には来ないのよ」と話しておりましたので、いい機会と思い私も息子に飢餓で苦しむ子供たちのことや、戦争の犠牲になっている子供が大勢いることを話しました。

 素直に話を聞いていた息子がしばらくして「おとうさん」と呼びます。何か決心したような顔をしていましたので、これは今年はサンタさんからのプレゼントを諦めたかと思いきや、「おとうさん、順ちゃんがサンタさんになってあげる。」と言い出しました。

 息子の思いがけない言葉にビックリした私が、「プレゼントはあるの?」と聞くと、「ほら」と自分のおもちゃ箱を指さしました。

 いらなくなったおもちゃがプレゼントだそうです。

 笑いながらほめてあげました。(しまった、また家庭通信になってしまった)

1994年2月号

バレンタインの思い出

 2月14日はバレンタインデーです。

 女性から男性に愛を告白する日だそうです。

 日本ではチョコレートが愛を代弁してくれるそうですが、いったいいつ頃から始まったのでしょうか。

 私が小学生の頃はありませんでした。

 中学の時ももらったことがないのでなかったと信じております。

 高校時代はあったかも知れませんが、男子校のカレンダーには2月14日が抜けていたように思います。

 大学の時のバレンタインの思い出にこんなことがあります。

 悪友3人で共通の友達一人にイタズラを仕掛けました。

 その友達には親にも公認の恋人がおりましたが、イタズラとは彼の家にチョコレートを届けることです。

 しかしただ届けただけでは面白くないのでメッセージを添えることにいたしました。

 文面は、『私を捨てないで下さい。あけみ』でした。

 お金を出し合い、さっそくチョコレートを購入した我々は、彼と彼女が家にいることを確認し、彼の母親に「頼まれ物ですが彼に渡して下さい」といって、ネズミ小僧のようにその場を立ち去りました。

 その友達はすぐにイタズラと判ったそうですが、恋人の誤解を解くのに相当の時間が掛かったそうです。

 数ヵ月後二人は別れてしまいましたが、あけみさんのチョコレートが原因とは聞いておりません。
 それにしても愛のチョコレートを考え出した日本のチョコレート業界は偉いと思います。

 もしチョコレートがお念珠であれば、バレンタインデーも様変わりしていたことでしょう。

 残念です。

1994年3月号

平成米騒動

 お米が売っておりません。

 スーパーやお米屋さんを数軒回りましたがどこにもありません。

 ついに去年の凶作の影響が出てきたようですが、ないのは国産米だけのようで、国産米と外米を混ぜたブレンド米やタイ米はあるようです。

 タイ米のような長粒米を見ていてハワイにいた頃を思い出しました。

 日本産のお米しか食べたことのなかった私は、カリフォルニア米を見たときは驚きました。

 アメリカは今でこそ日本のコシヒカリのような品種のお米も作っているそうですが、私がいた頃スーパーに並んでいるのは長粒のカリフォルニア米ばかりでした。

 始めは強い違和感があり、これはお米ではないと思っておりました。

 しかし慣れとは恐ろしいもので、日本に帰ってくる頃にはまったく違和感がなくなり、むしろ日本米よりおいしいんじゃないかとさえ思っておりました。

 この平成米騒動のニュースをテレビで観ておりますと、タイの現地の人のインタビューがありました。

 その人の「日本のお米はベトベトしておいしくなく、タイ米のほうが絶対おいしい。」の主張につい納得してしまいました。

 私たちは私たちの主観でものを言います。例えばテレビでイモムシを食べる人たちを見て、よくあんなものが食べられると言ったりしておりますが、これは隣の家へ行き、「あなたの家の食事は変だ」と言っているようなものです。

 外米も慣れればおいしいと思います。

 納豆も慣れればおいしいそうですが、まだ慣れない私です。

1994年4月号

宣伝活動

 最近立て続けに入ったお電話で「先日家族の葬儀を出しました。うちは浄土真宗のお西ですが、葬儀のときの僧侶が違う宗派の僧侶みたいなので四十九日の法要をそちらに頼みたいのですが…。」といったご相談がありました。

 手次の寺院のないご遺族は葬儀社の方に僧侶の手配を頼まれるようですが、浄土真宗の寺院の数も少なく、また来恩寺もまだこちらに参りまして日が浅いため葬儀社の皆さんの中には存在を知らない方も多いようです。

 そこで今後そのような事態が起こらないよう、ぜひ皆さんに以下のような行動をお願いいたしたいと思います。

 例@主婦の場合(街角で…。)

 主婦A「…ところで奥さんのお家のご宗旨は?」。

 主婦B「さあ…確か浄土何とかだったような気がするわ」。

 主婦A「浄土真宗?、それならうちと同じじゃない。お寺はやっぱり来恩寺さん?」。

 主婦B「いえまだ決まったお寺がなくって…」。

 主婦A「それなら絶対来恩寺さんにしなさいヨ。来恩寺さんならサービス満点でまかせて安心よ」。

 主婦B「……」。

 例Aご主人の場合(会社で。)

 ご主人「…ところで君の家の宗教は何だ?」。

 部下「はい確か浄土真宗です」。

 ご主人「おっ、君もそうか。実はうちもそうなんだがお寺はもちろん来恩寺さんだろうね」。

 部下「はっ、はい…。そんな気がいたします」。

 ご主人「君もなかなかやるねえ、よし今夜は一緒に一杯やるか。ハッハッハッハ…」。

 (少し無理があるような気もいたしますが、ヨロシク。)

1994年5月号

Jリーグ観戦

 先月の半ばに息子と初めてJリーグを観戦いたしました。

 平塚競技場で行われたベルマーレ平塚対鹿島アントラーズ戦です。

 ご近所のよしみでベルマーレの応援団(サポーター)席に陣取り、息子にはベルマーレの旗を買い与えての観戦でしたが、息子はゲームよりも応援の太鼓やたくさんの旗が面白いらしく、しばらくは旗を振りながら変なタコ踊りを周りの皆さんに披露しておりました。

 前半終了後にやっと我に返ったようで、『まだ始まらないの?』と聞いてくる始末です。

 後半に入りましてもゴール裏の席で選手の動きがよくわからないということもあり、ゲームに集中せずに走り回っておりましたが、やがて飽きてきたのかあくびをしながら「帰りたいコール」を連発しておりました。

 なだめすかして何とか終了まで居りましたが試合の結果などまったく気にすることもなく、帰りの車の後部座席ではまた例の旗を振りながらのタコ踊りを沿道の皆さんにご披露しておりました。

 今でも時々旗を持って家の中で踊っておりますので、ご希望の方はぜひご観覧下さい。 

 子供には何でも体験させてあげたいと思っておりますので、機会があればクラシックのコンサートやバレエの公演会などへも連れて行くつもりです。

 しかしまたあの変な踊りを会場の皆さんにご披露するのではないかとゆう不安もありますが、それ以上に父親が眠くなったり「帰りたいコール」を連発しそうで、まだまだ出かける勇気はありません。

 (家庭通信)

1994年6月号

お引っ越し

 まもなくお寺の完成と同時に引っ越しが待ち構えております。

 学生時代から現在までに十回程度引っ越しを経験いたしましたが、今回で最後になりそうです。

 結婚してからは荷物の整理などは家内に任せっきりでしたが、今回も家内は覚悟しているらしく、引っ越してからも収納に便利な持ち運びのできる半透明のプラスティク製のボックスを、テレビショッピングで買おうかどうか迷っている様子です。

 以前6個で1万円だったのが、現在は8個で1万円と益々お得になったそうですが、気にして観ているときはなかなかテレビショッピングに出ないそうです。

 私は「もう少し待てば10個で1万円になるかもしれないし、おまけとして高枝切りばさみも付いてくるよ。」などと茶化しておりますし、息子は段ボールの切れ端や新聞の折り込みの裏に描いた何だか訳の分からない、大人から見ればゴミのような物を親に捨てられないようにと、今から後生大事に自分のおもちゃ箱にため込んでおります。

 近々、家内と息子の間で一悶着あることでしょう。

 考えてみれば他人には不必要な物でも、当人にとれば「いつか役立つ時が来る。」と、捨てられない物も結構あるようです。

 それと古くなったお位牌や御札・御守りなどの仏具・神具も簡単に捨てられないようです。
 移転後、そういった仏具神具をお炊きあげする日を設けますのでもうしばらくお待ち下さい。

 一般ゴミはご自分で処分して下さい。

1994年7月号

ご本尊お迎えツアー

 御本尊をお迎えにご本山までバスで行って参りました。

 門徒会館に夕刻到着、翌日午前6時のお朝事に全員で参拝し、帰敬式(おかみそり)も6名が受式され、感激の涙を流しておられました。

 朝食後は国宝の書院を参拝部の方にご案内いただき感嘆の声をあげました。

 11時からご門主さまのお内仏である真実閣に総勢27名が通され、厳かな雰囲気のなか、御点検と授与式が行われました。

 仏さまを讃える「讃仏偈」の読経は心にしみ入り、感動のお念仏は口をついて飛び出して下さいました。

 帰りのバスのなか、参加者全員に御本尊を抱いていただきましたが、いとおしみながら、そっと抱く手は喜びに震え、どの顔も少年少女のように輝いておりました。

 御本尊を手に一人ひとり記念撮影を行ない、阿弥陀さまから消えることのない一生の宝物をいただいた、涙と感動の御本尊お迎えツアーでした。

 わが息子、順正(じゅんしょう)君は、帰りのバスの中でもやっぱり踊っておりました。

1994年8月号

クラス会

 表に書いたクラス会のことです が、自分のことはさて置き、23年も経てば人間変わるものです。

 太っていた子が痩せていたり、痩せていた子が「ギネスに挑戦してるの?」と聞きたくなるくらい太っていたり、髪の毛が薄くなっていたり真っ白だったり色々です。

 特に女の子の変わり様には驚きました。会の始めこそ少女のように振る舞っておりましたが、時間が経つにつれてみんなすっかりオバタリアンになっておりました。

 なかでもビックリしたのは、小学校・中学校と目立たずおとなしい存在で、クラス会でも我々男子の間で「あんな子いたっけ?」と思うような女の子が、男ばかりの三次会までついてきてカラオケを歌いまくり、あげくには怒り上戸の泣き上戸で、「なんで男だけ離婚してもすぐ結婚できるのよ」と文句を言われてしまいました。

 一応日本の全男性を代表して謝っておきましたが、聞けば、最近好きな男ができて離婚したそうです。

 男女別姓など近々法律が改正されるそうですが、確かに日本の法律は女性を差別したものが沢山あるようです。

 今後クラス会は4年に一度、サッカーのワールドカップが開催される年に開かれることになりましたが、高校などと違って特に公立の中学のクラス会の一番よいところは、自分を飾る必要がなく、育った言葉で話せるところでしょうか。

 クラス会への行きの新幹線の中では標準語で話しておりましたが、帰りはすっかり関西弁に戻っておりました。

 ほな、サイナラ。

1994年9月号

:下宿生活

 一つの事柄に対する物の見方は人によって千差万別であることを学生時代のある暑い夏の日に実感いたしました。

 大学2年の夏でした。当時下宿生が十人ほどの学生下宿に部屋だけを借りて外食生活しておりましたが、夏休みでほとんどの下宿生が帰省した後アルバイトやクラブ活動で残ったのは私を含め三名ほどでした。

 夏休みも終わりに近づいた暑い日の午後、その三人に不測の事態が訪れました。食費の工面がつかなくなったのです。

 下宿生が大勢いたときは、次の仕送りやバイト代が入るまでのお金の貸し借りは当たり前のことでしたので何ともなかったのですが、その日、三人同時に財布の底が尽きました。

 困った私はない知恵を絞り、縁の下にゴロゴロと転がっているお酒やビールの瓶を売って食べ物を買うことを提案いたしました。

 ところが下宿の最長老(当時6年生だったと思う)で酒豪のK先輩は、「いや、食べ物より酒を買ってこい」と言い出しました。理由は「この程度の瓶を売ったぐらいでは三人の食事代としては一食分しかない、しかし安い焼酎を飲んで寝てしまえば二食は助かる」とのことでした。

 あまりの名案に感動した私ともう一人は、さっそく酒を買いに走りました。

 流動食だけの晩餐を終えた我々三人は、計画通り次の日の昼近く目覚めましたが、二日酔いだけは予定外でした。

 今年のように暑い夏には必ず思い出す、青春の一コマです。

1994年10月号

骨董趣味

 東京対大阪、あるいは関東人対関西人といった記事や番組を雑誌やテレビでよく目にします。

 例えば、関西人のあいさつは「もうかりまっか?」「ぼちぼちでんな」であるとか、会話は「ええ加減にしなさい」で終わるといった内容です。

 関西出身の私としましては、それこそ「ええ加減にしなさい」と言いたくなる記事がたくさんあります。

 記者や番組制作者は関西人はすべて商人か吉本興行に属するぐらいに考えているようですが、一般的関西人が「もうかりまっか?」とあいさつすることはまずありません。

 ただ、「関西人は安いものを買って自慢する」という記事には、「そうかもしれない」と思いました。

 先日、父の13回忌で実家へ帰ったとき、何を思ったか兄が突然骨董趣味に走っておりました。

 それも自ら骨董品のオークション会場に出かけ、これはと思った品を競り落とすぐらいに凝っているらしいのです。

 家に並べられた得体の知れない骨董品を、兄が自慢そうに説明し「なんぼしたと思う?」と聞いてきます。

 骨董の価値を知らない私が適当に答えると、「これはそんな安い品物ではない、本当は○○万円ぐらいの値打ちがあるが、それを○万円で落としてきた。」と言って一人で喜んでおりました。

 最近そんな兄のお寺での法話会は、参加者の高齢化が目立ってきたそうです。

 兄の骨董趣味も来る所まで来てしまったかと思う今日この頃です。

1994年11月号

将来の夢

 先日お誕生会が息子の通う幼稚園のクラスで開かれたそうです。

 10月生まれは息子ともう一人、女の子がいたそうですが、息子が持ち帰った学級通信に、二人の将来の夢が書いてありました。

 女の子は花屋さんになりたいそうで、息子はお医者さんになりたいと書いてありました。

  「お坊さんになりたい」という言葉を期待していた私と家内は思わず顔を見合わせました。

 夜、お風呂の中で息子にそっと確認すると、『だってお父さんはお坊さんで亡くなった人のお参りをするでしょ、その時みんな悲しんでるから死んだ人を生き返らせてあげるの。』という答えが返ってきました。

 息子の意外な言葉に『ふうん』と応えるしかなかった私ですが、ぼんやりしているようで父の後姿とお参りの人々の姿をしっかりと観察し、息子なりに心を痛めていたことが分かりました。

 たぶん息子が「死んだ人は生き返らない」ということを理解するのは、そう遠い日ではないでしょう。

 しかし、「肉体はほろんでもその心はいつまでもお念仏の中に生き続ける」ことを同時に知ってくれればと思います。

 そして、先に亡くなった者も、やがて亡くなってゆく私も、共に永遠のいのちの中に出会うことのできる、阿弥陀の世界、「お浄土」のあることを、聴聞を通して聞き開いてもらいたいと願います。

 息子よ、お医者さんもいいけどお釈迦様も人々の心の病を治す、医王と呼ばれていたんですよ。

1995年

1995年1月号

住職の初夢

 その朝、来恩寺住職の部屋から眺める富士の頂きは、まわりの山々よりも背が高い分だけどこよりも早く太陽の光を浴び、まだ醒めきらぬ住職の腫れぼったい目にはいつか観た3Dの映画のように飛び出して見えていた。

 実際、山の中腹を飛ぶナスをくわえた鷹を、傍らにあった息子の虫取り網で捕まえようとして、危うく三階の窓から落ちそうになるぐらい、その日の富士山は間近に見えていた。

 本堂には子供たちの歓声が響いていた。

 誰かのエレクトーンの伴奏で、子供たちが歌う「恩徳讃」の澄んだ歌声も聞こえている。

 今月の当番班の子供たちはすでに仏参の準備を始めており、黒板に進行表を書いている子、司会や調声の練習をしている子、ローソクやお線香に火を点けている子など、それぞれが自分の役割をわきまえ責任感に満ちあふれていた。

 定刻通りに仏参が始まった。子供たちは「三つの約束」や「誓い」をすでに暗記しており、「正信偈」の節もすっかり頭の中に入っていた。

 また、いじめや喧嘩もなく、年長者は年少者の面倒をよくみており、どの子の顔も笑顔でいっぱいで、その瞳はキラキラと輝いていた。

 そして住職は、「いつ観ても素晴らしい」と小さくつぶやくと、『理想の子供会』のビデオを止め、またベッドにもぐり込んだ。

1995年2月号

震災情報

 今月は阪神大震災の特集のような「ライオン寺だより」になりました。

 来恩寺住職のもとへは全国の友人から続々と災害の情報が飛び込んでまいりますが、来恩寺門信徒の皆様にもお見舞のお電話を多数いただきありがとうございました。紙面を借りて御礼申し上げます。

 この度の震災に関して知人のエピソードを入手いたしましたので二つほどご披露いたします。

 庫裡を全壊して本堂が避難所となっている寺の坊守さんは、避難所に避難している人たちが街頭で新興宗教のボランティアの人達が作った食事を食べているのを見て「皆さんは頂いて下さい。でも私はいりません、それで飢え死にしても私は本望です。」とキッパリと言い切ったそうです。

 それを聞いたお寺にお世話になっている人達は「なんか食べにくいなぁ…」と言ったという話。

 これも庫裡を全壊して本堂が避難所となっている寺のアウトドアライフの好きな住職の話。

 ガス・水道・電気といったライフラインがすべて止まっても住職は何処からかプロパンガスのボンベや飲料水、あげくには簡易トイレも二つ調達してきてお寺に設置し、避難者の皆さんから絶大な信頼を得ているとか。

 以前から山登りが好きでテント生活や野宿も苦にならず、避難生活もニコニコしながら焚き火などを楽しんでいるとのこと。

 ただ一つ悲鳴を上げているのは住職一人で遺体の処理や葬儀にてんてこ舞いだそうで、僧侶の交代要員が欲しいそうです。

1995年3月号

震災情報 2

 2月28日現在、おかげさまで義援金総額 688,540円、救援物資段ボール箱15箱分が集まりました。

 救援物資は被災地へ送りましたが、義援金は本山へ3月中旬に送付させて頂きます。 

 ところで、被災者の皆さんは地震に非常に敏感になっているようです。

 精道小学校での炊き出しの時、私にはまったく感じないのですが、並んでる人達が「いま余震があった」と教えてくれたり、プロパンガスでなんとか店を開けていたトンカツ屋さんで、東灘区の友人と昼食をとっていた時、それまでざわついていた店内が急に静かになり、何事かと尋ねると「地震や」と言ったまま声を発しませんでした。

 夜もよく地震の夢を見るそうで、子供たちも震災いらい親のそばを離れないそうです。

 また、自殺者が多いことも聞きました。

 連鎖を避けるためか、あまり報道されないそうですが、相当数の自殺者が出ていることは事実のようです。

 親や兄弟・子供、そしてまだローンの残っている家や財産を失った者にとって、生きる希望が持てないのも無理もないことです。

 行政の対応と精神科医や宗教者などのケアが叫ばれておりますが、やはり日ごろのご聴聞が大切であることを感じました。

 人間の作ったものは必ず壊れるものです。

 家や町だけでなく親子や親類・友人などの絆も、死によって必ず壊れゆくことを聞き、本当に頼りになるものは何かを、日ごろのご聴聞を通して聞き開いてただきたいものです。

1995年4月号

きれいなお姉さん

 先月の法話会でも少しお話いたしましたが、5才の息子とテレビを観ていて、パナソニックの「きれいなお姉さんは好きですか?」のコマーシャルに、息子が「ハイ好きです」と答えたのには驚きました。

 私が「ヘー、順ちゃんはきれいなお姉さんが好きなんだ」と確認すると、「うん」と元気よく答えた後「お父さんは?」と逆に質問されました。

 突然の逆襲にビックリして「お父さん?…お父さんもやっぱり好きかな…」とハッキリしない応え方をしましたが、正直言ってきれいなお姉さんは好きです。

 ただ、きれいなお姉さん像は時代や場所とともに変化するようです。ちなみに私のきれいなお姉さん歴を披露いたしますと、近所のお姉さんや幼稚園の先生に始まり吉永小百合であったり南佐織や天地真理、キャンディス・バーゲンにダイアナ・ロス、あるいは伊藤ランとか風吹ジュンなど。

 最近ではジョディー・フォスターに…。秩序もキリもないのでやめておきましょう。

 実際、人間の趣味嗜好は実に曖昧なもので、人・哲学・本・音楽・絵・食べ物・酒・映画・季節・家具・環境など、考えれば考えるほどフラフラした自分が見えてまいります。

 たぶん、勝手なことばかり言って多くの皆さんに迷惑をかけて過ごしてきたことでしょう。

 そしてまた、同じように勝手なことを言ってこれからも生きて行くのでしょうネ。

 すみませんねぇ本当に。

1995年5月号

慶讃法要

 いよいよ今世紀最大(あと5年ほどで来世紀ですが)のイベントともいうべき、「慶讃法要」が秒読み段階に入りました。

 何度も申しておりますが、新しく誕生したお寺の落成法要に出会えることは、人類の歴史の上からも非常に希有な事柄であります。

 ほとんどの方は昔からあるお寺との付き合いしか体験できませんが、来恩寺の門信徒の皆様はゼロからスタートしたまったく新しいお寺と、それぞれの家の初代として出会われたのです。

 これは子や孫の代は言うに及ばず、遠く子孫の方々にも称賛されるべきご勝縁であります。

 ところが、先般ご案内いたしました法要の返信ハガキを集計いたしますと、法要と記念講演・記念式典の出席者は多いのですが、稚児行列と祝賀会の出席が非常に少ないのです。

 特に法要の華とも言うべき稚児行列には、来恩寺門信徒のお子さんの参加が20名程度(4月30日現在)でした。

 お稚児さんは小さな頃しか参加できませんし、きれいな稚児衣装を着けて行列した思い出は一生残るものです。

 返信ハガキに欠席と書いた方も、お子さんお孫さんが将来へんな宗教に入らない保険のために、ぜひお稚児さんとして参加させて下さい。

 また、来恩寺近くのホテルサンルート平塚で開催いたします祝賀会へもご家族でご出席下さい。

 仏教讃歌を聞きながらの素晴らしいお食事でこの勝縁を共に慶ばせていただきましょう。

最終締切りは5月15日です。何とぞよろしく

1995年6月号

義援金

 連日のオウム報道に隠れてしまった感のある「阪神大震災」ですが、依然10万人近くの方が避難所生活をされておられます。

 浄土真宗本願寺派の被災寺院は268ヵ寺、また、地震で亡くなられた方のうち、1千名以上がご門徒だそうです。

 来恩寺では皆さんからの義援金約80万円と仮設住宅用の生活用品を、本山ならびに被災地にご送付させていただきましたが、本山に集まりました義援金の総額は約8億3千5百万円だそうです。

 このうち寺院復興と門信徒への弔慰金として5億2千3百8十万円、兵庫県へ5千万円が届けられております。しかし、月日の経過と共に義援金の募金も次第に少なくなってきているようです。

 そこで来恩寺住職と大学時代の友人2名(岐阜と長崎のいずれも僧侶)は、「神戸ファイト」ステッカーを作製し、知り合いの寺院に原価(1枚百円)でお分けいたしております。

 門信徒の皆様に販売していただき、利益分すべてを義援金に廻していただければとの想いからです。

 販売価格は各寺院にお任せしておりますが、来恩寺では5百円以上(4百円が義援金)の募金をいただいた方に1枚差し上げております。デザインは友人のデザイナーにお願いいたしましたが、なかなかの出来映えです。

 被災地を末永く応援したいと思いますので、来恩寺にお越しの際にぜひお買求め下さい。

1995年7月号

サブリミナル効果

 「サブリミナル」という映像や情報の伝達方法が問題になっております。

 科学的に実証されておりませんが、人間の潜在意識を刺激する伝達方法だそうです。

 比較的古くからあったそうですが、先日TBSテレビがオウム報道の中で使ったことが問題になりました。

 人間の視覚でほとんど認識できないほどの短い時間(30分の1秒程度)、本来の映像とは別の映像を挿入することによって、その映像を潜在意識に植えつける手法だそうです。  

 映像を見ている人間には、無意識のうちに意識させられるという非常に卑劣な情報伝達方法ですので、問題になるのも当然です。

 以前から「サブリミナル」ではないかと住職が気になっているのは「インナートリップ」のコマーシャルです。

 歌とアニメだけのコマーシャルですが、最後に「インナートリップ」と文字が出た後、一瞬ですが「霊友会」の文字が出てまいります。意識しなければ判らない映像です。

 それならばと、湘南に浄土真宗のみ教えの流布をもくろむ来恩寺住職は(オウムは世界征服ですが…)、言葉の「サブリミナル」を皆さんにご提案いたします。

 お友だちやお知り合いとの日常会話の一瞬に、早口で『ライオン寺』、あるいは『浄土真宗』と言っていただくのです。そうすれば相手の潜在意識に鮮やかに焼き付くはずです。

 しかし失敗して「変人」といった印象がクッキリと焼き付く可能性もありますので、やっぱり止めておいたほうが無難ですね。

1995年8月号

目立ちたがり屋さん

 この原稿を書いている今日、7月19日は参院選の真最中です。

 ですから選挙結果を知らないままこの原稿を書いております。

 選挙結果をどこかの宗教の教祖のように予言する気は毛頭ありませんが、世の中には何を考えているのか解らない人たちが大勢いるものだと感心しております。反面こういう人たちが世の中を面白くしているのかも知れないと思ったりもしております。

 今朝の朝刊を読んでおりまして「東京選挙区定数4、立候補者数72」の記事にはひっくり返りました。

 有力候補者の8名はまあいいでしょう。その他の64名は何を考えているのでしょうか。  

 選挙に立候補するにはかなりの額の供託金が必要です。

 供託金は規定得票数に達しない者の分は没収されるはずです。

 この64名にはその金額がはした金なのでしょうか。

 それとも当選する確信があったのでしょうか。

 はたまた、奥さんや家族の者に「お父さんは立派だからきっと当選するわよ」などとおだてられたのでしょうか。

 「わからん」としか言いようがありません。

 誰か止めてあげる人がいなかったのでしょうか…。

 政党名もわかりません。

 ふざけているとしか思えない政党名がずらりと並んでおります。

 これら立候補者や政党の背後には何か目に見えない魔の手、「目立ちたがり屋さんの神様」でもついているようです。

 でもこういう人達が出てくる世は平和だと思います。

 恐怖政治の下ではこうはいきませんから。

1995年10月号

選手宣誓

 久しぶりに「住職ご一家便り」を書かせていただきます。

 というのもこの原稿を書き出したたった今、息子(順正)が幼稚園から帰って来るなり重大発表をしたからです。原稿の差し替えです。

 その重大発表とは息子いわく、「ぼく幼稚園の代表なんだって」であります。

 私が「何その代表って?」と聞くと、「幼稚園の運動会でセンセイってする代表だよ」と平然と応えるのでした。

 私が、「センセイって、手をこう突き出してする宣誓?」と聞くと、「ウンそうだよ。今日、先生と練習したの」と言うではありませんか。

 息子の幼稚園は年少から年長まで約340名ほどの比較的大きな幼稚園です。

 何でまた、朝寝坊で食べるのが遅く、人にスリスリするのが好きで一人で寝られない息子が?と思わずにはおれません。

  「本当?」と聞くと「本当だよ」と連絡帳を見せてくれました。

 連絡帳には担任の先生から「運動会で宣誓をお願いすることになりました。おうちでも練習して頂けたらと思います」と勝手なお願い文と宣誓文が書いてありました。

 先日、運動会でクラス対抗リレーがあると聞いてバトンタッチやコーナーの走り方の練習をしようと誓い合ったばかりなのに、今またリレー以上に大変な「宣誓」の練習をすることとなったのです。

 果たしてうまく行くかどうか今から心配ですが「しかしどうして息子が?」という疑問は消えません。

 息子は「宣誓オシッコ」などと冗談を言っておりますが、親は落成法要より緊張しております。

1995年11月号

選手宣誓 2

 先月の雑記の続編です。

 運動会での宣誓をすることになった息子順正とその父正信は、運動会までの連日宣誓の練習に励みました。

 先生が教えてくれた宣誓文は、『宣誓、僕たちは、今まで練習してきた遊戯や競技を力いっぱい行うことを誓います。最後までごゆっくりご覧下さい。平成七年十月八日、湘南やまゆり第二幼稚園、園児代表、たか組、橋本順正。』といった簡単なものでした。

 練習はまず、『遊戯や競技』の発音が子供には難しいのではっきりと発音することと、十月八日の「ようか」の読み方と意味を教えることから始まりました。

 意外にも息子はあっけないほど簡単に覚えてしまい。何度くり返しても間違いのない完璧な『宣誓』が出来るようになりました。

 ところが悲劇はその完璧さがわざわいしたのでした。

 十月八日、日曜日は朝から雨でした。

 運動会は予備日の十日体育の日に延期されたのでした。

 八日を信じて疑わなかった橋本親子はあわてました。さっそく十日の読み方を教え練習しましたが、一度覚えてしまった八日はなかなか頭から出ていってくれません。

 「じゅうがつとうか・じゅうがつとうか」と何度も練習しましたが3回に2回は間違ってしまうのです。

 いよいよ当日、秋晴れのもと、息子が全園児や園児の父母や家族の前でさっそうと宣誓を始めました。

 『せんせい・・・・・・・へいせいしちねん、じゅうがつようか…』

 親子で雨を恨んでしまいました。

1995年12月号

ウィンドウズ

 興味のない人には何のことだか解らないでしょうが、最近ウィンドウズ95というパソコンの基本ソフトが発売されました。

 難しいパソコン操作をより簡単にするため開発されたそうですが、深夜のパソコンショップに行列ができるほどの人気でした。

 しかし私には当分必要のないもののようです。

 以前コンピューターに詳しい人に私の希望(例えば新聞作りに役立つ書体の多さや、写真の取り込みなど)を言ってパソコンの見積りを出していただきましたが、彼が言うには難しい表計算や資料作りの必要のない私にはワープロで充分だそうです。

 そういえば私にはお寺の経費決算や税務処理、あるいはご門徒の接待から子供の世話までしてくれる、歩くスーパーパソコンとも言うべき坊守がおりました。

 こちらの指示通り動かないことも時々ありますが、まあ今のところ市販のパソコンは必要ないようです。

 それにしても最近のワープロはよく出来ていると感心します。現在のワープロは4代目ですが、活字や写真を読み取って編集したり電話回線を使っての通信・ファックスも出来ます。

 本願寺の通信ネットワーク「真宗ネット」の情報を引き出したくて購入したものですが、なかなかのものです。

 また、ニフティーという通信の会員にもなり、いろんな情報を得ておりますが、最近の通信上の宗教戦争(創価学会対反創価学会)はなかなか迫力があります。

 皆さんも一度体験してみて下さい。

 (こんな記事も書いておりました。懐かしいです。  2003年1月 住職談)


1996年

1996年1月号

住職の初夢

 その朝、いつものように二日酔いの頭で昨夜の出来事を思い出しては「一人反省会」をベッドの上で開いている住職であった。

 各部屋や廊下からは朝の挨拶の声が明るく響いていたが、住職の頭の血管という廊下では、赤血球と白血球と昨夜のアルコールが賑やかに朝の挨拶を交わしていた。

 このビハーラ施設が竣工してはやくも半年が経過しようとしていた。

 医療と宗教が密接に結びつい>た理想の施設である。末期ガンなどの治療や患者と家族への心のケ>アーを中心に行う施設であるが、病気でない一人暮らしの方も数多住んでおり、そのような方はボランティアとして皆さんの世話をして下さっている。

 この施設のすぐれたところは、仏教を前面に打ち出しているところであった。朝は朝食前に礼拝堂で朝の勤行と法話があり多くの方々が参加していた。もちろん動くことのできない方はテレビを通じて参加することができた。

 日中は僧服を着た僧侶が気がねなく(普通はまだ早いと嫌がられる)各部屋を訪問し患者さんの悩>みを聞き、宗教の大切さを理解してくれているお医者さん、看護婦・看護士さん、そして先ほどのボランティアの皆さんもにこやかに患者さん達と接していた。

 一日の最後は就寝前の礼拝で終る。昨夜はそのあとで娯楽ルーム にあるカラオケで盛り上がってしまった住職と仲間であった。
1996年2月号

次男誕生

 毎度お騒がせ致しております住職一家ですが、この度、二男顕正(けんしょう)君の誕生でまたまた皆様をお騒がせ致してしまいました。

 年末の29日午後11時半頃、家内に陣痛が始まり病院へ送って様子を見ておりましたが、たぶん明け方の出産であろうと勝手に決め、長男のことも気になりお寺へ引き返してウトウトしていた30日午前2時過ぎ、家内に付き添っていただいていた藤井さんから無事出産のお電話を頂きました。

 予定日を3日過ぎての出産でしたが、体重2642gの男の赤ちゃんでした。長男の時と違ってつわりがひどく女の子とばかり思い込んでおりましたので、男の子との報を聞いて少し驚きました。

 そしてそれからが大変でした。わが家のお正月の準備が何もできていなかったのです。

  去年から始めました元旦会法要の方は、幸い12月の法話会で出産予定日のすぐ後ということもあり、法要後のお料理などは持ち寄りという提案をいただき助かりましたが、元旦のわが家の朝食はカップラーメンでした。長男と私とそしてお手伝いの石崎君との、男ばかり三人のさみしい新春一回目のお食事でした。坊守も病院で正月を迎えることは初めてと嘆いておりました。

 このような慌ただしい年末年始を過ごさせていただきましたが、皆様には何かとお世話になりましたこと厚く御礼申し上げます。

 仏さまからお預かりした尊い命を大切にして、み仏と皆様のご恩に報いたいと思います。 

1996年3月号

水ガメ

 神奈川県と東京都などで水不足が深刻になってまいりました。

  3月から大幅な取水制限が設けられるそうですが、県の広報や市の広報では節水を訴える文字が日増しに大きくなってきております。

 昨年末に突然長男になった我らの順正君は、ひらがなとカタカナと簡単な漢字が読めますので、広報に踊るそれらの文字を心配そうに読んでおりました。

 ある日の広報に相模湖ダムの水位が下がっている写真と、大きく「水ガメがピンチ」と書いてあったのを見た彼は、心配そうな顔で『お父さん、水ガメって海にもいるの?』と、私に聞きました。

 私が『はあ?』と聞くと、『あっそうか、海にいるのは海ガメか!』と一人納得しておりました。

 どうやら彼は水ガメを生きている亀と勘違いして相当心配している様子でしたが、私はおかしくてつい吹き出してしまいました。

 しばらく大笑いした後、水ガメ とは動物の亀じゃなくて、お水を入れておく瓶のことだと説明しましたが、本物の水瓶を見たことのない彼には亀の甲羅か何かに水を貯めておくぐらいに理解したかもしれません。

 水ガメは理解できなくても深刻な水不足は解ってくれたようで、最近では「もったいない」を連発しております。

  お風呂のお湯も彼に聞いてからでないと替えられませんし、一緒にお風呂に入るとシャワーも満足に使わせてくれません。

  しばらくこんな生活が続きそうですので、雨が降ることを切に願う住職一家の今日この頃です。


1996年4月号

子供会

 どうも4月からの子供会参加者が少ないようです。来恩寺の近くに来恩寺門信徒の子供が少ないことと、子供会の楽しさを皆さんがご存じないのが原因ではないかと思います。

 来恩寺にご縁のある皆さんのお宅は湘南全域にございます。ご近所でしたら子供たちが歩いて一人でこれますが、遠方ですとどうしても親の車か電車・バスを利用することになります。だから参加を見合わせているといったお宅もあるようです。

 また、お寺の子供会の楽しさについては、本願寺の子供会活動を永年行なって来た住職としましては、ぜひ皆さんに知っていただきたいと思っております。

 学年や地域を超えて一緒に遊び一緒に学ぶ事の楽しさ。仏参や仏教讃歌を通しての宗教的情操教育は、いじめや自殺の多い現代子供社会を乗り切る大きな力となります。

  また、お寺の各種行事に子供たちも積極的に参加し、子供たちのお芝居も皆さんに好評でした。 ぜひ大人の皆さん方に子供たちの輝いたひとみを見ていただければと思います。

 来恩寺ではこれからも子供会への参加を呼びかけて行きたいと思っております。遠方の親御さんには送迎のご負担がございますが、月に一度のことです。ぜひ親子でご参加いただければと思います。

 十人そろえば楽しい子供会ができます。参加者が少なければ住職の子供たちだけでも行ないます。

  今二人なのであと八人、ちょっとつらい気もいたしますが…。


1996年5月号

自転車泥棒

 昨年の秋頃に自転車を盗まれました。

  3年ほど前、健康とダイエットのために量販店で安く買ったマウンテンバイクです。駅の近くの駐輪場に鍵をかけて停めておいたところ盗まれてしまいました。

 警察に盗難届を出し、放置自転車の管理場所も見て回りましたが結局見つかりませんでした。

 4月に入り暖かくなってきたので、石崎君(僧侶の勉強中)に新しい自転車を買ってきてもらおうとお金を渡し、その量販店に向かってもらいましたところ、彼から 『盗まれた自転車によく似ている自転車が停めてある』と電話が入りました。

  私が『近くの派出所に行って警官に確認してもらって』と言うと、しばらくして警察官から連絡が入りました。

 やっぱり盗まれた自転車です。それも新しい鍵を付けて今でも乗り回している風とのことです。

  警察官の『今から張り込みます。何かあったら連絡します。』の声に思わず「太陽にほえろ」の石原裕次郎を連想してしまいました。

 息子の順正にそのことを話すと彼は目を輝かせて『見に行こう』 と言い出しましたが、雨も降り出し、「張り込み」の邪魔もしてはいけないので家でワクワクしながら連絡を待ちました。

 2時間後ぐらいでしょうか、警察官から連絡が入りました。『雨が降ってきましたので張り込みは中止します。自転車を引き取りに来て下さい。』とのことです。

 その時、私の「石原裕次郎」は音を立てて崩れました。もちろん山さんもゴリさんも一緒にです。


1996年6月号

お祭り男

 来恩寺では各種行事を通して皆 様にお寺へ足を運んでいただきたいと、様々な催しを企画しており ます。

 3月31日(日)には、上正寺との「ソフトボール対抗戦」を行いました。女性・子供を含めて18名が来恩寺から参加して下 さいましたが、結果は22対22の引き分けに終わりました。試合後は上正寺の皆さんとバーベキューで大いに盛り上がりました。

 5月11日(土)には、「家族そろって地引き網」を湘南海岸で行いました。大人・子供合わせて60名がご参加下さり、特に子供たちに生きた魚の命に思いを致す機会と企画いたしました。

 今後の予定は9月14日(土)に「家族そろってボーリング」を予定しておりますので奮ってご応募下さい。ライオン寺だより8月号で募集いたします。

 このように来恩寺は楽しいお寺をめざしておりますが、本当は住職が単にお祭り騒ぎの好きな人間だけのことだったりして…。

 ご迷惑でしょうがお付き合い下さい。


1996年7月号

その男

 その男と出会ってから半年が過ぎようとしている。

  出会った頃のように相変わらず無口な男であるが、お寺の行事にはなぜか毎回参加している。

  毎月の法話会はもちろんのこと、勉強会へも顔を出すようになった。

  3月のソフトボール大会には、出場こそしなかったが日陰で寝そべりながらそっと観ていた。

  5月の地引き網でも網を引くことはなかったが、みんなの注目を一身に集めていた。

 そして最近、その男の視線を痛いほど背中に感じる。

  彼の気配を感じて振り返ると、彼は意味もなく笑っているか、さもなくば視線が合う度に微笑みを送ってくるようになった。…不気味である。

 男の名は顕正(けんしょう)。 私の次男、生後6ヵ月である。

 何がうれしいのかいつも笑っている。人間として生まれてきたことを喜んでいるのか、または私に「しかめっ面をして生きるな、どうせ生きるなら笑いながら生きようぜ」と意見をしているのか…。それは分からない。

 ただ、そんないつもニコニコ笑っている彼を見ていると、そこに忘れてはならない人間の根本の喜びがあるように思えてならない。

  それは「人身受け難し、いますでに受く」の喜びである。それはまた「逢えてよかったね」の出会いの喜びでもある。いずれ必ず別れは来るであろうが、「出会えたことを喜ぼうね」と彼は呼びかけているのだろうか。

 とにかく、この『雑記』に彼のことが今後も載り続けることだけは確かなようである。


1996年8月号

創刊50号

 アトランタオリンピックなどで誰も気づいていないようですが、『ライオン寺だより』が50号を迎えました。

  毎月休まずに発行しておりますので、創刊から4年と2ヵ月が経ったことになります。

 几帳面だが飽き性の三日坊主が得意であった私(来恩寺住職)にとりましては、オリンピックで金メダルを取ったような偉業であり ます。

 そういえば創刊の年もオリンピックの年でした。この「雑記」にもバルセロナ大会の岩崎恭子選手(水泳)の言葉を紹介したこともありました。

 創刊からA4版裏表といった体裁を変えておりませんが、最近はA4版の倍サイズのA3版にして写真やカットをふんだんに使った読みやすい「たより」にしようかとも考えております。

 とにかく読んで下さる皆さんのお陰で何とか続けさせていただいている「ライオン寺だより」ですが、100号目には何か記念事業を忘れずに行いたいと思います。あと4年と2ヵ月後です。

 あ!またオリンピックの年だ。


1996年9月号

「蓮如」

 五木寛之さん作、劇団前進座の公演『蓮如、われ深き淵より』が11月22日から12月24日まで銀座のセゾン劇場で行われます。

 来恩寺の所属する東京教区鎌倉組では、12月21日(土曜)の正午開演分の公演を観劇することが決まりました。

 当日が来恩寺の定例法話会の日(第3土曜日)になってしまいましたので、法話会を観劇会に変更させていただきたいと思います。

 組内各寺院へは15名分の割引チケット(1枚八千二百円、通常九千円)が配布されましたが、観劇希望者が多い場合は一般席のチケット購入も可能かと思います。もし来恩寺で30名を超える希望者があった場合はバスでの観劇ツアーも考えておりますが、詳しくは今月の法話会(彼岸会)でご連絡いたしたいと思います。

 ところでこの公演に私(来恩寺住職)も出演する予定です。21日昼の部のみの出演で、役柄は蓮如上人を慕う村人Aというセリフのないエキストラで、少々役不足ですが前進座の人に誘われましたので出ることにいたしました。

  つまり皆さんはお席から、住職はステージからの観劇となります。

 そういうことでただ今住職は村人Aの役作りに悩んでおります。セリフがないということはそれだけ演技力が要求されます。昔から名優は背中で演技すると言われるくらいですから。

  前進座の人にうかがいますと、村人Aの立ち位置はほとんどライトの当たらない場所だそうですが、皆さんには住職の名演技をお見逃しなきよう。


1996年10月号

選挙

 また選挙がやってまいります。今回は小選挙区比例代表制という新しい選出方法だそうですが、初めての試みということで、どの政党や候補者も戦々恐々としているようです。

 以前「ライオン寺だより」に、ハワイの子供たちの選挙に対する一面をご紹介いたしましたが、ぜひこの機会に皆さんのご家族でも政治について話し合っていただきたいと思います。

 ところで、最近目につきますのは、政治家が自らの当選のために政党を移ったり、党名を変えるといった自己保身の姿勢です。政党は政策や志を同じくする集団であってほしいと思います。

  特に選挙公約が選挙に勝つための公約であり、当選後は平気な顔で公約違反を犯す。そんな候補者だけには投票したくないと思いますし、だまされてはならないと思います。

 それから選挙母体のための政治もごめんです。宗教団体も政治家の選挙母体としていろいろあるそうですが、特定の団体に有利な政治や政策であってはならない。これからの政治家は日本国民のみならず、地球全体を考えた政治を行っていただきたいものです。

 これは我々有権者も同じことです。選んだ政治家に立派な政治を行ってもらうためには、私利私欲を捨てなくてはなりません。我田引水的な考え方で政治家を選ばず地球規模で考えたいものです。

 偉そうなことを書いてしまいましたが、沖縄問題等の諸問題を風化させないためにもあえて書きました。

  ぜひ投票に行きましょう。


1996年11月号

お下がり

 オサガリ、あるいはオフル、新しいところでリサイクルとも言いますが、わが家の次男(顕正)は長男(順正)の使っていたものをまた使っております。

 肌着やお洋服はもちろん、オモチャから哺乳ビンまで、新しくいただいた物もありますが、ほとんどは長男の使っていたものです。

 6才の年令差がありますので友人の赤ちゃん達にあげてしまったものもありますが、長男のときのようにすべて買いそろえるといったことはありません。親にとっては大助かりです。

 ところが私(住職)の経験から言いまして、小学校の高学年ぐらいになりますとこのオサガリが大嫌いになります。

 自分が使っているものがオサガリだと気がついたのは、まっすぐに立っていてもズボンのひざが走っている格好になっていたり、汚した記憶がないのに服が妙に薄汚れていたり、やぶいた覚えもないのにツギがあたっていたりすることでした。

 頭の片隅の『この服はどこかで見たことがある』といったあやふやな記憶が、『これは兄が着ていた服だ』と確信となったとき、親に猛烈に抗議をするのでした。

  しかしその抗議はたいていの場合「もったいない」の一言で即座に却下され、兄の「お前は橋の下で拾ってきた子だからそれでいいんだ」の言葉にくやし涙を浮かべます。

  こうして次男・三男はたくましくなっていくのです。

 顕正、お前もたくましく育ってくれ、そして出来るならばなるべく遅くオサガリに気づいてくれ。


1996年12月号

この一年

 今年も残り僅かとなりました。

  来恩寺といたしましては、21日の『蓮如』の観劇が本年最後の行事となります。住職は出演が決定した日から背中で泣かせる演技の練習に励んでおりますが、皆様には双眼鏡のご持参をおすすめいたします。

 振り返りますと、家内が出産のための入院中に行われた「元旦会法要」に始まり、定例法話会や春の彼岸会・上正寺とのソフトボール大会(22対22)・永代経法要・地引き網大会・盆法要・一泊子供会・ボーリング大会・秋の彼岸会・団体参拝旅行・報恩講法要・聖典勉強会など、皆様にはいろいろとお世話になった一年でした。

 心残りは上正寺とのソフトボールの決着がついていないことですが、来春に再戦を予定しておりますので、皆様には冬期練習を怠らないようお願いいたします。

 それと来恩寺ゴルフコンペとカ ラオケ大会もできませんでした。ゴルフは何人ぐらいがされるのか予想が立たず、カラオケは一人一曲としても30人位集まりますと相当時間がかかってしまいますので先送りとなりました。でもどちらもぜひ行いたい企画です。

 各種法座は参拝者も増え、ありがたいことと喜んでおります。定例法座は住職が法話をさせていただいておりますが、特別法要は来年もご講師をお招きしてのご法座となりますので、お友だちやご家族とご一緒にご参加下さい。

 来恩寺の基本テーマは来年も変 わりません。『楽しくなければお 寺じゃない!』です。

  ヨロシク!

1997年

1997年1月号

初舞台

  旧臘21日、銀座セゾン劇場において、住職の初舞台が実現いたしました。そのご報告です。

 来恩寺からは総勢30名(組内寺院で一番多かった)の皆様が、 我が子の発表会を見守る保護者のように観劇して下さいました。

 エキストラの受付を済ませた住職は、助演者という名札をもらい六畳ほどの控室に通されました。 当日のエキストラは私を含め6名でしたが、そのうち二人は前進座の養成学校の生徒さんで、あとの四人は全くのど素人、男性は私一人でした。

 出番まで時間があるということで、まずお弁当をいただき、その後、私だけ男性の楽屋に連れてゆかれました。

  担当者の「パンツ一枚になって下さい」の言葉に驚きましたが、門徒Aの衣装(丈の短い着物に脚絆と頭巾)は全部その人が着けてくれました。

 控室に戻ると女性陣も衣装に着替え終わっており、しばらくして別の担当者(役者さん)が我々の出演場所の説明と演技指導をじつに丁寧にしてくれました。

 出演は全三幕中、二幕最後の本願寺が打ち壊された後に門徒衆が心配そうに出てきて御文章をみんなで唱和する場面の1分間と、最終場面の、船で旅立つ蓮如上人との別れを惜しむ場面の1分間(どちらも悲しくも感動的な場面)、そしてカーテンコールでした。

 保護者の皆さまの中には見逃された方も多いと思いますが、それにしてもカーテンコールは気持ちのいいものです。

 何だかクセにな りそうな住職の初舞台でした。


1997年2月号

天下一品

 福岡市西区今宿に徳正寺という浄土真宗のお寺があります。そのお寺にご縁のある住谷さんという女性(現在伊勢原市に在住)から 徳正寺の寺報『光輪』(発行人は武内洞達先生)を毎回いただいて おります。

 創刊は昭和27年といいますから、私(来恩寺住職)の生まれる前からの寺報です。頭の下がる思いで毎回楽しみに読ませていただいておりますが、その光輪誌の中で『天下一品』という言葉に出会いました。

 天下一品は天下一番ではありません。天下一番は他と比べた時の言葉ですが、天下一品は「比べる ことのできない尊いもの」という意味の言葉です。

 いのちを含めて、本当は目に見えるもの、感じるもの、すべてが一期一会の天下一品、一つしかないものなのに、愚かにも他と比べながら生きていた私であると反省させられます。

 我が息子たちも天下一品の息子たちです。長男と次男の性格や行動の違いには驚きの連続です。

 長男(7才)は小さな頃から暇があれば寝ておりました。今でもよく寝る子ですが次男(1才1 ヵ月)はとにかく元気で、寝る時間を惜しんで暴れております。

 物を大事にする長男は自分のおもちゃを泣きそうになりながら次男から守っておりますが、次男は雄叫びをあげながら襲撃しております。

 もう少しおとなしい天下一品になってと願うのは私だけでなく、長男の切なる願いでもあります。


1997年3月号

得度

 2年前から昼間は来恩寺で、夜は東京仏教学院で仏教と真宗の勉強をしている石崎君が、このたび得度することになりました。

  15日の彼岸会法要は度式を受ける研修のため京都の西山別院に滞在しておりますが、4月の聖典に学ぶ会や花祭りボウリング大会・永代経法要のおりには、皆さまに剃髪した頭と新米僧侶の初々しい姿をご披露できると思います。

 思い起こせば20年前私も度式を受けました。私たちの頃は研修期間中、休憩と就寝をのぞいてほとんど正座でしたので、得度といえばまず足の痛さを思い出します。それから鬼のような二人の厳しい指導員(実際、自らを西山の青鬼 ・赤鬼と呼んでいた)の顔も思い出します。

 今はイスに座って講義を受けたり食事をいただけるそうですが、 当時はすべて正座で、足の痛さと鬼指導員のシゴキに途中で帰る者もおりました。

 しかし、厳粛な雰囲気の中、御影堂でいただいたご門主のおカミソリの感触と、研修期間中とはまったく違う、僧侶になったことを心から喜んでくれた二人の指導員の笑顔は今も忘れられません。

 浄土真宗では僧侶になったからといって、超能力や霊能力が身につくわけではありません。むしろ、どこまでも煩悩だらけの自分であることに気づかしめられ、そのような者を目当てに如来のご本願があることの慶びを人に伝えてゆく 『自信教人信』の生活が真宗の僧 侶です。
  石崎君の得度のご縁で、またまた反省しきりの住職です。


1997年4月号

風邪

 先月の終わりからひどい風邪をひいてしまいました。高熱で頭がボーとして文章がまとまらず、この「ライオン寺だより」も大幅に遅れてしまいました。

 ひきはじめの三日ほどは食欲がまったくなく、何もノドに通りませんでしたが、今はだいぶ良くなりました。12日の「花まつりボウリング大会」までにはなんとか治したいものです。

 今回の風邪は家族全員がひきました。まず長男が先月の半ばに私と同じ症状でダウンしました。小学校6年間の皆勤賞をねらっている彼は、終業式の日まで休まずに登校しました。立派でした。

 次は坊守です。彼女も活発な次男の世話のために寝ておられず、 高熱と戦いながら家事などをこなしておりました。

 次が住職の私でした。こんなときにかぎって葬儀や法務、それと高校野球(住職は平安出身です) が重なってしまい、ゆっくりと養生できませんでしたのでいまだに本調子ではありません。

 最後が次男でした。ところが彼だけは熱があろうと鼻水をたらしていようと普段と変わりなく暴れ回っておりました。風邪もそんな彼だけには参ったようで、二日ぐらいで退散したようです。

 風邪をひいて一番困るのは咳が出ることです。頭がボーとしてい るのは熱があってもなかってもいつものことですので平気ですが、職業がら咳だけはお経が読めませんので困ってしまいます。

  歌手やアナウンサーの方もノドには気を使っているのでしょうね。


1997年5月号



 長男(順正)が町内の少年野球 チーム「萩園イーグルス」に入ってお ります。

 毎週日曜の朝から夕方まで練習に行っておりますが、実に楽しそうです。将来の夢はプロ野球選手とお坊さんになることだそうです。

  つまり、打って、走って、投げて、守れるお坊さんです。逆から言えば、お経の上手な法話もできるプロ野球選手ということです。

 ぜひ夢を実現してほしいものですが、住職も夢が二つあります。

 一つは「ビハーラ病棟の開設」です。これは浄土真宗東京ビハー ラの皆さんとの共同の夢ですが、 ガンの患者さんや家族の心のケアーができる、仏教ホスピスの病棟の建設です。

  費用や運営面から既存の病院との連携が必要ですが、ぜひ実現したい夢です。

 二つ目は「ライオン寺スポーツ少年団」の結成です。野球だけにとどまらず、サッカーやテニス、 バスケットにバレーボール、スキーにスノーボード、ヨットにウイ ンドサーフィン、キャンプやハイ キングなどの、あらゆるスポーツにチャレンジする男の子と女の子の集まりです。

 これは子供たちにスポーツを通 しての友達作りや体力作りと、いろんなスポーツを経験する中で、自分にあったスポーツを捜してもらいたいと思うからです。

 しかし、これだけの施設と用具それにスタッフを確保するのは莫大な費用がかかりそうなので、当面はお寺に卓球台とラケットとピンポン玉を揃えておくことにいたしました。

  誰か、安く購入できるところを教えてくれませんか?


1997年6月号

応援

 先日、長男の野球チームの対抗試合を見に行きました。3、4年生が中心の試合でしたので、長男は出場しませんでしたが、なんとも面白い試合でした。

 結果は長男のチームが11対1の10点差をつけての3回コールド勝ちでしたが、その11点はノーヒットでの得点でした。

 相手チームのピッチャーが四球の連続と長男チームの盗塁、そして相手守備陣のエラーの連続での11得点でした。

 とにかくバッターは打席に立っているだけで出塁できるので、なんとも楽な試合でしたが、いつ終わるのかと少し不安になった試合でもありました。

 相手チームは1ヒットでの1点でしたが、ピッチャーがもう少ししっかりしていればどうなっていたか分からない試合でした。

 少年野球にはよくあるケースなのでしょうが、あれで入場料でも取っていたら暴動が起きそうな試合でした。

 ところで、プロ野球や高校野球などで前から気になることがあります。それは応援のしかたです。 巨人阪神戦を例えに出しますと、よく、「かっとばせー松井!阪神倒せオー!」と応援しておりますが、応援とはそんなものじゃないだろうと思っております。

 応援とは自分のチームを応援することで、相手チームをけなすことではないはずです。私が野球を始めたころはこんな応援はありませんでしたが、最近、やたら目につきます。こんなところにも病んできた現代社会を見るようです。


1997年7月号

蛇の目傘

 子供の頃から雨の日などによく歌っていた歌に、「雨々ふれふれ」(題名不詳)があります。

 ところが最近になってこの歌の歌詞に出てくる「蛇の目でお迎え」の蛇の目がどういうものであったか思い出せなくて気になっております。

 蛇の目ミシンというミシン会社がありますが、まさかお母さんが重いミシンをかついでお迎えにくるとは考えられませんので、傘の一種であることは容易に想像できますが、はたしてどんな傘だったのでしょうか。

 蛇の目というぐらいですから、ひょっとして無数のヘビの目が描かれている傘なのでしょうか。もしそうなら迎えに来てもらった子供は何とも気味の悪い思いをして家まで帰ったことでしょう。

 蛇の目傘はあとで辞書でも引いて調べることにしますが、この歌の歌詞のように子供はみんな水が大好きなようです。我が家の息子たちも水が大好きで、雨上がりの水たまりなどは好んで入って行きます。梅雨空でなかなか乾かない洗濯物のことなどいっこうに気にせず、特に下の子は歓声を上げながら水たまりに向かって行きます。

 私も水たまりが大好きでしたが、いつの頃からか服の汚れを気にして入らなくなりました。雨の中を服の汚れも気にせずに遊べたらきっと気持ちいいことだと思います。

 大人になるにつれて何事にも汚れるのを気にするようになったのでしょうか。それはいいことなのか、どうなのか…。


1997年8月号

見せしめ?

 先月はじめ、京都の仏具店と兵庫県の県庁に行く用事に併せて、中学の同窓会のため実家(加古川市)に帰りました。

 同窓会は四年に一度サッカーのワールドカップの年と決めておりましたが、幹事が勘違いして一年早めの開催でした。

 幹事曰く 『確かにワールドカップの年と決めたけど、本戦の年とは決めなかったぞ。今、予選を行っているので今年でもいいんだ。』と勘違いを認めませんでした。そういえば昔から屁理屈のうまい男だったことを思い出しました。

 ところで同窓会の話題はもっぱら阪神淡路大震災のことと、須磨の連続小学生殺傷事件でした。

 大震災の方は、家が全壊した友人も今回参加しておりましたので、それぞれの体験談であっと言う間に時間が過ぎてゆきました。

 小学生殺傷事件の方は、実家の兄嫁(小学校の先生)も言っておりましたが、集団登下校などでもう大変な騒ぎだったようです。

 同級生のほとんども小・中学生を子供に持つ親となっておりますので、特に須磨に住む友人は容疑者逮捕までの恐怖と、容疑者が中学生であったことの衝撃を語ってくれ、一同大きくうなづいておりました。

 それにしても…と思うのは、 ある写真週刊誌が容疑者の少年の写真を掲載したことでした。駅の売店や一部の書店では販売を取りやめたところもあったようですが、販売していたところでは開店と同時に飛ぶように売れたということです。そんなに容疑者の顔を見たい人が多いのでしょうか。 顔を知ってどうするのでしょうか。その顔を覚えていて容疑者が帰ってきたときに差別するのでしょうか。

 私は、悪いことをしたのだから当然だと、「見せしめ」の論理が世間に通用する事を危惧いたします。


1997年9月号

甲子園

 初めて平安高校の応援に甲子園まで行ってまいりました。

 私が在学していた三年間は残念ながら甲子園出場の機会が無く、入学する直前の選抜大会と、卒業した直後の選抜大会に出場しております。ですから我々の同級生は在学中の三年間を「平安高校、魔の三年」あるいは「歴史に残らない平安の三年間」と呼んでおります。(冗談です。)

 さて、決勝前日の夜に京都入りした私は、同級生と前祝いを祇園で行い、当日は応援団バスでの甲子園入りを約束して別れました。応援はすでにバスの中から始まり、甲子園のアルプススタンドまで続いていると思ったからです。

 ところが当日朝、バスの出発場所である本山北側の新境内地は、出発時刻の数時間前から黒山の人だかり、五十台の応援バスはすでに満員の状況で、係員は「バスはいくらでも手配できるが、アルプススタンドの入場券がもう無いんです。」と我々に説明しておりました。

 それでも何とかチケットを手に入れた私と同級生は応援バスに乗り込みました。甲子園までの約二時間、バスの中は平球会(平安高校野球部OBの会)の大先輩たち(みんな八十才前後)を中心に大いに盛り上がりました。そんな大先輩たちの会話です。

 大先輩A 「あんたは○○さんの後輩ですか。」

 大先輩B 「いえ、彼とは同級ですねん。」

 大先輩A 「ふーん。彼も生きてるかなぁ。」

  大先輩B 「死んだという噂は聞いてまへんなぁ。」

 すごい会話をするもんだと飲んでいたウーロン茶を吹き出しそうになりました。

 甲子園のアルプススタンドは同窓会の会場でもありました。卒業以来見ていない顔が大勢揃っており、みんな遠近各地から母校の応援に駆けつけたのです。それにしても最近同窓会づいていると思う住職の熱い夏の一日でした。


1997年10月号

奉仕団

 念仏奉仕団の話ですが、奉仕団への参加回数が十回目、十五回目、二十回目などの方々は表彰されるそうです。今回は十回目の方々と十五回目の皆さんが閉会式で表彰されておられました。

 十回目の表彰を単純に計算いたしまして、一年に一回の奉仕団なら十年、三年に一度ですと三十年かかる計算になります。

 仮に来恩寺が三年に一度奉仕団を計画したといたしまして、二十回目の表彰を受けるためには六十年かかります。

 今回長男の順正も参加いたしましたが、現在七才の彼が二十回目の表彰を受けるには六十七才まで元気で長生きする必要があります。住職は百一才の時に表彰を受けるつもりですが、どうぞ今回参加された皆様も、そして次回からの参加の皆様も、健康で長生きをしていただければと思います。

 この表彰は一つの励みであります。今回表彰を受けられた皆様も表彰が目当てで参加されたわけではないと思います。いつの間にかそんな回数になっていたといったところでしょう。でもその「いつの間にか」がありがたい。


1997年11月号

たたり神

 先日、長男と一緒に久しぶりに映画を観ました。観たのはこの夏に話題になりました宮崎駿監督のアニメ、「もののけ姫」です。平日でもあり、時期も時期だけに案の定映画館はガラガラで、観客は私たちを含めて十人ぐらいでした。

 映画は「環境破壊」・「人間と自然の共存」をテーマに作られておりましたが、私が共感したところは、山の神である大イノシシが自然を破壊する人間に傷つけられ殺されようとするその時、怒りと恨みで「たたり神(祟りをおこす神さま)」に変身しようとするのですが、もののけ姫が「だめだ、たたり神になるな、恨みの気持ちからは何も生まれない」と大声で大イノシシをさとす場面でした。

 以前から考えていることですが、怒りや恨みの気持ちは消えないものなのでしょうか。

 私は怒りや恨みの心は決して肯定できるものではないと考えております。怒りや恨みの心は「やられたらやりかえせ」式の復讐の心でしかないと思うからです。

 最近の凶悪事件などの報道を見ておりまと、この復讐心を正当化し、肯定しているような気がしてなりません。被害者の家族にわざと「殺したい」とか「死刑にしてほしい」という言葉を出させるインタビューのやり方には疑問を感じます。

 子供や肉親を殺されたり傷つけられた者の怒りと恨みは、経験のない私には計り知れないものがあります。「殺したい」「死刑になればいい」という家族の気持ちも十分すぎるほど理解できます。

 もし私がそのような家族の立場に立ったとき、同じような言葉を発するかもしれません。あるいは本当に犯人をこの手で殺してしまうかもしれません。

 でも怒りと恨みの気持ちを肯定しようとは思いません。「ざまあみろ」の心をどうしても正当化できないのです。

 もののけ姫の「たたり神になるな」の言葉は胸に響きました。炎のような怒りと恨みの心で身の置き場のない、「たたり神」に私はなりたくない。

 それだけです。



1998年

1998年2月号

お墓がない

 先月のライオン寺だよりに「墓地に関するアンケート」を同封いたしましたが、図らずも「お墓がない」という映画が上映されるそうです(されております、かな)。

 返信の期限を明記しませんでしたので毎日ポツリポツリとハガキが返ってきておりますが、住職もお墓がない一人なのでした。

 もちろん兵庫の実家にお墓はありますが、永住を決めた湘南の地にはお墓がありませんので、思わず私も一番に墓地必要者名簿に名前を載せてしまいました。

 墓地の造成はまだもう少し先のこととなる予定ですが、将来、皆様にはぜひ住職と一緒の墓園で素晴らしい「骨まで愛して」生活を送りましょう。急がなくても結構ですけど…。

 ところで墓地の必要性ですが、よく「墓地がないと 亡くなった者が迷う」などと言う人がおりますがそんなことはありません。墓地は死者のためでなく生きてる者のためにあるのです。

 何故なら墓地という形あるものを縁として我々は教えに遇うことが出来るのです。寺院墓地であるならなおさらです。亡くなった者がよろこんでいた教えを、形や儀式をご縁として残った者が引き継いで行く、これが浄土真宗の墓地の本来の意味であり儀式の必要性です。浄土真宗のご門徒たちの多くが京都の大谷本廟へ分骨する習わしも、お念仏を相続するご縁とするためです。

 散骨や葬儀・法事を行わないことを遺言する人がおりますが、それは本当の宗教を知らない人です。自分の意志を伝えられないばかりか、残してゆくものに対して無責任なことなのです。


1998年3月号

バレンタイン

 毎年バレンタインデーの前になると気をもみます。

 それは今年もチョコレートをもらえるか、それとももらえないかです。

 これは住職のことでなくて現在小学校二年生の長男のことです。

 幼稚園の時からクラスメートの女の子数人にチョコをもらっていた長男は、毎年この日を楽しみにしており、三月には典型的な日本人のように律儀にもちゃんとお返しをしております。

 そんな長男を見ておりますと、チョコをもらえなかったらきっと悲しむだろうなと、親は自分のこと以上に心配をしてしまうのです。

 去年のバレンタインデーのことです、  学校から帰ってきた長男に「チョコはもらったの」と聞きますと、「うん」と返事をしましたが、もらったのは先生からの一つだけでした。カバンを置いて友達の家に遊びに行く後ろ姿は、どこか寂しげでした。

 しばらくして玄関のチャイムが鳴りましたので外に出ますと、長男を訪ねてきた女の子三人が立っておりました。

 長男の留守を告げると、「これ渡してください」とチョコを渡されました。  突然のことでしたので、「ど、どうもすみません。たいへん結構な物を」と、赤くなりながら訳の分からないことを口走っておりました。

 今年は十四日が第二土曜で学校が休みでしたが、訪ねてきた女の子からと、十六日の月曜日にもまた長男はもらっておりました。

 自分のことではないのですがどうもこの時期は心臓によくないと思う父親でした。


1998年4月号

宗教観

 東大卒業生のある友人が「犯罪者を一番多く出している大学は東京大学だ」と言っておりました。

 そんな馬鹿なと思いましたが、確かに最近の報道では収賄や接待漬けなどの汚職等、権力を利用した犯罪者は東大卒業生が多いような気がいたしますが、犯罪者の出身校の統計などないようですのでうかつなことは言えません。

 しかし、性や暴力などの犯罪は統計的に確実に低年齢化しているようです。

 援助交際と名を変えた中高校生の売春や、ナイフを使った殺人や傷害などの犯罪、そしていじめによる自殺も毎日のように報道されております。

 今、子供を取り巻く家庭や学校、あるいは社会などの環境はどうなっているのでしょうか。そしてどうなって行くのでしょうか。

 また、それと同じように子供たちに関して憂慮するのは、正しい宗教観が育っているかどうかです。

 特に、法事でのお孫さんたちの出席が少ないことには不安を持っております。子供たちを宗教行事に参加させないことは、将来必ず自分へのツケとなって回ってまいります。

 死をケガレと見たり、死者をゴミのように扱い、自分自身の救いを聞くご縁である法事を面倒だからと行わない、そんな大人となるでしょう。

 そして宗教を自分の欲を満足させる道具として利用し、欲にボケた欲の奴隷として大事な人生を無意味に送ってしまう。そんな大人が増えそうな気がいたします。

 どうかご家族のご法事では子供たちをお寺に連れてきてください。そして正しい宗教観を持ち、命の尊さと生かされて生きている喜びを子供たちにも知らせてください。

 親の責任だと思います。


1998年5月号

僧侶の本分

 昨年の三月に得度をしました石崎君が、先月には僧侶の次の資格である「教師」を取得しました。

 尊師でなく教師ですので間違っても石崎尊師とは呼ばないようにしましょう。

 「教師」は宗教法人法にも定められている資格ですが、浄土真宗本願寺派の場合は住職となる場合に必要な資格です。

 本願寺派の宗門法規を見てみますと、教師規程第一条には、「教師は、僧侶の本分をつくし、一般僧侶の範となり得るものに、これを授与する。」とあります。

 次に本願寺派の「僧侶」を調べてみますと、宗法に、「教義をひろめ、法要儀式を行い、門徒その他の信者を教化育成し、他力信仰の本義の開顕に努め、人類永遠の福祉に貢献する、宗門の目的」を遵奉し、得度式を受けた者を我が宗門の僧侶と呼ぶようです。

 また、得度式に際しては「一、終身僧侶の本分を守り、勉学布教を怠らないこと。二、師命に随順し、和合を旨とし、宗門の秩序をみださないこと。三、言行を慎み、道徳を守り、宗門の体面を汚さないこと。」も誓わされております。

 私(来恩寺住職)の場合、二十年ほど前に得度式を受けて僧侶となり、教師を取得いたしましたが、このたびあらためて宗門法規集を読んで逃げ出したくなりました。

 勉学布教は怠っておりますし、門徒その他の信者の教化育成もおぼつかない、ましてや人類永遠の福祉に貢献するという大胆な目的には敬服至極であります。

 でも来恩寺有縁の皆様と共に出来ることから始めたい、切にそう願っています。


1998年6月号

締切

 「ライオン寺だより」が遅れてしまいました。原稿の執筆を予定していた月末が忙しかったせいです。

 住職の場合、記事を書くのは記事の内容に関係なく相当の集中力が必要ですので、突然の葬儀や用事などが入ってしまうと書く気力がさっぱり起きません。

 「じゃあ、もっと早くから書いたら」と考えられる読者もいらっしゃることと思いますが、それは無理なご注文です。なぜなら住職は苦しいことは先のばしにしたい性格ですし、締め切りまで間があればなおのこと集中力の高まるはずもないからです。

 ですから住職が毎月ドキドキしながら月末を迎えている事を読者諸兄もよく理解して、寛大なる心で「ライオン寺だより」の発刊を待ちましょう。特に神経質な方は「小さな事は気にしないように」という住職の愛の試練なのだと発刊の遅れを受け止めていただければ幸甚に存じます。

 ところで、今月の「法語を聞く」の杉本正信師の本は一読をお薦めいたします。

 真言宗の僧侶であった師が、仏教では説かないヒンズー教の教え(密教)をとり入れ、人間の欲と権力に結びついた真言宗の矛盾についてのくだりは、真言密教についての怒りと悲しみが窺えますし、ご自分の葬儀や、人権、ヤスクニ神社問題を通して自己を問う姿勢には頭が下がります。

 師がこの本を著されたのは親鸞聖人の「自信教人信(自ら信じた道を人にも伝えてゆく)」の営みと同じ営みからのような気がいたします。その源は「人生を無駄にしないで」の阿弥陀如来の願いです。


1998年7月号

神棚

 先月の法話会で、浄土真宗は阿弥陀如来という仏さまを救いの主とし、他の諸仏・諸神を頼みとしない。むしろそのような諸仏に頼むことを雑行雑修と言い、阿弥陀如来の救いを疑うことになること。

 また、神棚やお札・お守りの矛盾についても話させていただきました。

 その夜、法話会に参加されていたIさんという男性からお電話をいただき、神棚を取り外す相談を受けました。

 Iさんは最愛の奥様を先般亡くされ、ご自身は曹洞宗の家のご出身でしたが、奥様の縁で浄土真宗に改宗された方です。

 神棚について簡単にご説明いたしますと、明治になって富国強兵という政策や神国日本という意識を推し進めるため、各家庭に祀ることを義務づけたもので、明治以前は一般の家庭には一切ありませんでした。

 日本が大東亜共栄圏の名のもと、侵略戦争に突き進むために利用されたのが神道であり、神棚なのです。

 浄土真宗が神棚を祀らないのは、阿弥陀如来の救いのほかに何の必要があって神棚を祀る必要があるのかと言うことと、家庭の神棚が、個人や家族の欲を満足させるだけの祈りの場となっているからです。

 神棚を外すと罰が当たるとか良くないことが起きると怖れる人がおりますが、Iさんの他にも神棚を外された方を大勢知っております。

 皆さん、神棚やお札を外したことがアミダという大きな世界に出会うご縁になったようです。

 どうも仏教徒を名乗る日本人の宗教観はおかしい。最近その思いがますます強くなっております。キリスト教徒やイスラムの人が神棚を祀っていると言うことを聞いたことがありません。皆さんもそろそろ、本物の仏教徒の喜びを知ってみませんか。


1998年8月号

お腹の赤ちゃん

 住職一家にまた赤ちゃんが誕生いたします。予定は来年二月という事です。長男は住職が三十四歳のときの子で、六年後に次男が生まれ、今度は次男と三歳違いの子供です。

 長男が誕生してから子供番組を一緒に見るようになりましたが、もう少しで子供番組を見なくてすむというところに次男が誕生したのでした。

 そして今度また赤ちゃんの誕生によって住職の子供番組鑑賞会は続くことになったわけです。いったいいつになったらニュースやスポーツ番組をゆっくりと見ることが出来るのでしょうか。こうなれば死ぬまで子供番組を見続けて子供番組評論家にでもなってやるといった気持ちです。

 ところで最近、お母さんのお腹に赤ちゃんがいることを知った次男(二歳七ヶ月)は、会う人みんなに「お腹に赤ちゃんがいるの」とふれまわっております。「おはよう」の挨拶の前に「お腹に赤ちゃんがいるの」と報告するのでした。

 長男の友達(小学三年生)が遊びに来ても「お腹に赤ちゃんがいるの」です。友達は「何を言ってんだ」といった顔で無視して遊んでおりますが、次男は誰かに会う度に「お腹に赤ちゃんがいるの」と言い続けております。

 不思議なんだろうと思います。お母さんのお腹に赤ちゃんがいることが。あるいは大人以上に命そのものとふれあっているのかも知れません。そしてその命の不思議さ尊さをみんなに知ってもらいたいと願っているのでしょう。

 ところが二、三日前から自分のお腹にも赤ちゃんがいると言い出しました。次男の負けん気の強さです。「お父さんもいるんだよ」とお腹の脂肪をつかんでみせると、「それは違う」と否定されました。どこまで解っているのか…。


1998年9月号

ゴルフ

 住職としてお寺におりますとどうしても運動不足になります。築地本願寺におりました頃はスポーツ好きの仲間もたくさんおりましたし、休みも比較的自由にとれましたので野球(本願寺にチームがある)やゴルフ・スキーなどを楽しんでおりました。

 しかし、茅ヶ崎に一寺を構えて住職となってからは思うように時間がとれませんし、一緒に遊んでくれる仲間も減ってしまいました。

 決して贅沢をしているわけではないのですが、体重も十キロほど増えてしまい、四十を過ぎてそろそろ成人病にも気を付けなければと思う今日この頃です。

 そこで提案ですが、住職の健康とストレス発散につき合う仲間を募集いたします。お酒の飲み会もいいのですが、健康重視ですのでとりあえずスポーツということで、まずゴルフのコンペを開きたいと思います。

 詳しくは後日ご本人に直接ご連絡いたしますが、三・四組(十二名〜十六名ぐらい)で、近くのゴルフコースで行いたいと思います。日程は住職の都合で決めさせていただきますが、今のところ十一月か十二月の土曜日を予定しております。

 まずは何人ぐらいがゴルフをされるか知りたいと思いますので、当日の参加・不参加に関わらず今すぐお寺までお電話(〇四六七ー八七ー五五二七)かファックス(〇四六七ー八七ー七一九一)でお名前とご住所をお知らせ下さい。

 もちろん女性も初心者も大ベテランも今までお寺に来たことのない方も大歓迎です。

 コンペの後はお寺で表彰式を兼ねた宴会で大いに飲んで騒ぎたいと思います。

 本当はゴルフを言い訳にした飲み会だったりして…。


1998年10月号

ホームページ

 インターネットに来恩寺のホームページを開こうと考えております。以前にも少し試したのですが、今度は見るに耐える本格的ホームページを開こうと考えております。この前のは見るに耐えない代物でしたので…。

 インターネットで「浄土真宗」を検索しますと、結構多くの寺院がホームページを開いております。もちろん本山西本願寺のホームページ(http://www.hongwanji.or.jp/)もあります。

 本山のホームページはリアルタイムの画像が流れておりますので、現在厳修中の蓮如上人五百回忌法要も自宅に居ながらにして見ることができます。もちろんご講師の法話やご門主のご親教(ご法話)もご聴聞できます。

 その他、ハワイやアメリカ本土の本願寺派教団のページもありますが、一般寺院のホームページも面白い物が沢山あります。動画などの最新技術を使ったホームページなどは「すごい」と叫んでしまいそうになるくらいですが、掲載された法話も多種多様で良い勉強になります。

 どのホームページも一ヶ月ぐらいで法話などを書き換えているようですが、作業を行っているのはどうやら二十代・三十代の次期住職候補者(住職の息子)のようです。

 先日、面白いホームページを作っている兵庫の寺院の副住職に電子メール(インターネット上の手紙)を送りますと、すぐに返事が来てすっかり意気投合してしまいました。来年、来恩寺の法話会に出講して下さることになりましたので皆さんも楽しみにして下さい。きっと面白いお話が聞けることでしょう。

 そんなわけで、近々このライオン寺だよりも世界中に発信することになります。


1998年11月号

スイカ腹

 築地本願寺に勤めていたとき、毎夏一度、職員共済会によるバーベキュー・パーティーが家族同伴で催されていました。

 都心の東京都中央区でのバーベキューは我々だけだったかも知れませんが、ある年のことでした、輪番(築地本願寺のボス)が交代になり、パーティーの真っ最中にご着任となりました。

 お酒も入り、大いに盛り上がっていたときだけに、秘書と共に突然やってきた輪番にはびっくりしましたが、一同、自己紹介と家族紹介をすることになりました。

 ちょうど長男を妊娠して六ヶ月ぐらいになる妻と共に参加していた私は、新任の輪番を笑わせてあげようと、「こちらが私の妻です。妻はスイカが好きでして、昨晩スイカを丸飲みにしましたらこんなお腹になりました。」と紹介しました。職員は笑っておりましたが、輪番にはさっぱりウケませんでした。後で聞くとその輪番は冗談の嫌いな人物でした。三ヶ月後、輪番は本願寺派の総長として本山へ帰って行き、おかげさまで(?)長男もその後無事誕生いたしました。

 今、坊守はちょうどその時と同じ妊娠六ヶ月です。本当にスイカを丸飲みにしたようなお腹をしており、指で叩いて熟れぐあいを確かめたくなるような気がいたします。

 「僕のお腹にも赤ちゃんがいるの」と言っていた次男ですが、最近は母親のお腹の迫力に負けたのか赤ちゃんがいるとは言わなくなりました。

 何とか今のうちに教え込めば、「僕のお母さんお相撲さんになるの」と皆さんに報告するかも知れません。

 それにしても、大きなお腹を慈しむように大事にして、出産を心から楽しみにしている坊守には脱帽です。


1998年12月号

五大ニュース

 今年も余すところ一月となりました。そこでテレビ・新聞などでお馴染みの「今年の十大ニュース」の住職ご一家版、「今年の五大ニュース」を作ってみました。

 さっそく発表します。まず第五位は…♪ドロドロドロドロ(ドロドロは太鼓の音です。念のため。) 「長男順正くん、運動会のリレーの選手から外れる」です。毎年選ばれていたクラス代表のリレーの選手ですが、今年は外れてしまいました。でも徒競走は一位でしたので満足気でした。

 第四位は…♪ドロドロドロ「住職、花まつりボウリング大会で初優勝する」です。毎回惜しくも第二位に甘んじていた住職ですが、今年は念願の初優勝を飾りました。賞品はビデオデッキでした。

 第三位は…♪ドロドロドロ「次男顕正くん、初めて祖母(住職の母)と対面する」です。五月に住職の父の十七回忌があり、家族みんなでお参りしました。次男の顕正君はその時初めて住職の実家に行き、祖母から「もうこんなに大きくなったの」とビックリされました。

 第二位は…♪ドロドロドロ「蓮如上人五百回遠忌に家族みんなで参拝する」です。順正くんと顕正くんは稚児行列にも参加し、一生の思い出が出来ました。

 栄えある第一位は…♪ドロドロドロドロ…ジャーン!「坊守、第三子を懐妊する」です。今年の初夏中旬、坊守のご懐妊が発覚しました。住職の友人達の間では、男の子か女の子かで賭の対象となりつつある第三子ですが、来年の「五大ニュース」でも御生誕で第一位となりそうな気配を見せております。

 来年も賑やかな一年になりそうですがよろしくお願いいたします。



1999年

1999年2月号

風邪 2

 先月末に家族そろって風邪を引いてしまいました。

 住職はたいした風邪ではありませんでしたが、坊守と長男・次男は高熱と咳の同じような症状でダウンしてしまいました。

 小学校6年間の皆勤賞をねらっている長男は、それでもがんばって学校に通っておりましたが、かわいそうなのは次男でした。

 日頃は誰よりも元気でやんちゃな次男ですが、風邪の熱のせいで涙目になり熱冷ましシートを額に貼った姿は、お札を貼られた妖怪のようにおとなしく、見るも哀れな姿でした。

 「早く治りたい」と涙ながらに訴える声には、どの演技派俳優もまねの出来ない哀れさが漂っておりました。

 最後に風邪を引いた妊娠中の坊守も大変でした。

 妊娠中は薬を飲んではいけないというのが常識ですが、あまりの熱の高さに臨月のお腹を抱えて病院に駆け込みました。

 今はみんなほとんど治りましたが、風邪の高熱の中での出産という最悪の事態だけは何とか避けられ、ほっとしている次第です。

 皆さまもインフルエンザなどの風邪には十分注意をしていただければと思います。

 あとは三男か長女の誕生を待つだけとなりましたが、たぶん今月の法話会(二十日)には誕生のご報告とお披露目が出来そうです。

 住職といたしましては一人ぐらいは女の子が家庭にいても華やかでいいかなと思っておりますが、こればかりは授かりものですので勝手なことは言えません。

 インターネットのホームページでも赤ちゃんの写真と共にご報告をしようと考えておりますのでお楽しみに。


1999年3月号

長女誕生

 二月四日立春の午前四時三十八分、住職一家に長女が誕生いたしました。名前は映美(エミ)です。

 映美ちゃんをはじめ、長男・次男そして住職の写真はインターネット来恩寺のホームページに載せておりますのでぜひご覧下さい。坊守は写真の掲載を拒否しておりますので、見たい方は直接来恩寺へお越し下さい。

 さて映美ちゃんですが、親の口から言うのも何ですが、可愛い女の子です。

 可愛いという形容詞の上に「ものすごく」を付けてもオーバーでないくらいの可愛さです。

 これは私だけの意見でなく、三歳の次男顕正も「エミちゃんカワイイね」と言うくらいですから信用していただいて結構かと思います。

 住職と次男の連発する「映美ちゃん可愛いね」の声に、坊守だけはなぜか「ハイハイ」と返事するだけです。たぶんこれは女の嫉妬心というものではないかと住職はにらんでおります。

 長男は現実的で、映美ちゃんの誕生も「嬉しいことは嬉しいけど、もっと大きくならなければどんな女の子になるか分からないよ」と意外と冷静です。

 日頃から「学校の女の子たちは恐いよ」と言っている長男ですので、映美ちゃんと学校の女の子がだぶって見えてしまうのかも知れません。

 私も小学生の時は女の子が恐かったことを記憶しておりますし、未だにその思いはあります。

 でも映美ちゃんだけはそんな恐い女の子にならず、気立ての良い優しい女の子になりそうな気がいたします。「何を根拠に」と言われそうですが、根拠などありません。親の願いですから。


1999年4月号

住宅問題

 長女の映美が生まれて二ヶ月になろうとしております。来恩寺有縁の皆さま方には過分なるお祝いを頂戴いたしましてありがとうございました。

 映美ちゃんの近況をご報告いたしますと、その可愛らしさは日に日に増しており、体重も可愛らしさに比例して増えております。このまま増え続けますと一才の誕生日頃には千代大海に続けと九重部屋あたりからスカウトが訪ねてきそうです。

 子供が三人に増えて賑やかで楽しい毎日を過ごしておりますが、困ったことが一つあります。それは住職一家の住宅(庫裡)の部屋数が少ないと言うことです。

 五年前、本堂と庫裡を建設した時点では子供は四才半の長男一人でした。子供は一人だけかも知れないとあきらめておりましたので部屋数は二つと決定したのでした。そのかわりリビングを思いっきり広くとりました。

 しかし、完成から一年半後に次男が生まれ、この度の長女の誕生で突如として部屋不足という住宅問題が浮上してまいりました。

 子供たちが小さな頃はいいのですが、中学・高校ぐらいになりますと2LDKで一家五人はいくら何でも狭すぎて窒息死する者も出てくるのではないかと心配しております。

 隣接の土地が売りに出れば迷わず購入いたしますが、当分出そうにありません。

 近くの貸家も検討いたしましたが、やはり住職や坊守はお寺に居住するのが一番だと思いますのでこちらも断念いたしました。

 残る方法は住職だけがお寺に住み、坊守と家族は近くで暮らすという近距離単身赴任案ぐらいですが、子供達の顔を頻繁に見られないという欠点と、住職だけが家族から仲間外れにされ「お父さん元気で留守がいい」と思われても不愉快ですのでこの案も不採用です。

 さて、どうしましょう。


1999年5月号

今時の若者

 「今時の若い者は」という言葉があります。

 自分たちの若い頃に比べて今の若者は・・・だ。と言う風に使われますが、ほめ言葉としてでなく普通はけなす場合に使われてきたようです。

 その「今時の若い者」がやってくれました。二十歳以下のサッカーワールドカップ戦での準優勝です。

 十年ぐらい前までは予選通過さえ難しかったのですが、前回はベストエイトまで進出し、今回はついに決勝戦まで駒を進めたのです。

 「昔々の若者」は「今時の若い者」に敬意を払い、自分たちの生活にもカツを入れたいものです。

 ところでお決まりのようになりましたが、我が家の「今時の若い者」の近況をご報告いたします。

 まず長女の映美ですが、今月の四日に丸三ヶ月となります。ますます可愛さに拍車がかかってまいりましたが、最近では可愛いと表現するのは失礼ではないかと思うくらい可愛くなっております。(坊守の反応は別にして)

 次男の顕正(三才)はこの四月から幼稚園へ通うようになりました。年少さんです。

 入園式の時、最初はニコニコしていた顕正ですが、記念撮影の途中から泣き出してしまい、後で理由を尋ねると、「隣の男の子が泣いているから僕も悲しくなったの」ということでした。将来人づきあいのいい大人になることは間違いないでしょう。

 長男の順正(四年生)は野球に熱中しております。このところ練習日の日曜が雨続きでしたので退屈しておりましたが、家の中でシャドーピッチングなんかもしております。

 高校は私と同じ京都の平安高校へ進みたいと言っております。理由は甲子園で試合をしたいからということですが、それだけの理由で高校進学を決めていいものかどうか今から悩んでおります。

 まったく今時の若い者の考えていることはもう一つ分かりません。


1999年6月号

大谷本廟

 先月末、久しぶりに京都へ行って参りました。

 以前から頼まれていた方の分骨を大谷本廟に納骨することと、前門さまの米寿のお祝いの会があったからです。

 前門さまは足が少し弱くなっておられましたがとてもお元気で、ご挨拶もいつもの通り楽しいお話でした。

 大谷本廟への納骨の話ですが、浄土真宗のご門徒さんたちは伝統的に親鸞聖人の御遺骨を納めている大谷本廟に分骨を納骨いたします。

 「聖人のおそばに」という気持ちと、本廟に納骨いたしますと子供や孫、あるいはそのずっと後の代まで浄土真宗を引き継いでもらえるという願いからこの分骨の納骨が始まったものだと思います。

 久しぶりに本廟を訪れ、私も亡くなった父のことを色々思い出させていただきました。

 実家のお寺のご門徒さんたちは、本廟の職員よりやはり自分の寺の住職の方が親しみやすいらしく、お寺が兵庫で近いということもあり、父や母もよく分骨の納骨を頼まれてご門徒さんと一緒に本廟に参りました。

 私も小学校の休みの日なんかに一緒について行くのが楽しみでしたが、納骨には興味がなく、外で食事が出来るという理由からでした。

 高校に入学し、父と母と会うのもこの大谷本廟が多かったように思います。誰かの納骨で両親がついて来たときのことでしょう。

 久しぶりの本廟は雨模様でした。参拝の人影もまばらで、静かに新緑だけが雨露に光っておりました。

 帰り道、雨で滑りそうな石段を下りながら、「ここに傷痍軍人の方が立っていたな」とか、父が汗をかきながら石段を登っていた光景が瞼の裏に浮かび上がって参りました。

 本廟への納骨が関東のご門徒さんたちの間でも広まればいいと思います。少し遠いですが、家族みんなで大切な人の分骨を納めに行きましょう。

  きっとご縁がつながりますよ。


1999年7月号

リベンジ

 最近の流行り言葉に「リベンジ」なるものがあります。

 西武の松坂投手が使って有名になった英語ですが、日本語では報復とか復讐・仕返しと訳すそうです。

 日本語の報復や復讐より軽い意味の言葉のような気もするのですが、どちらにしても相手に対して恨みの気持ちが込められている言葉ではないでしょうか。

 松坂くんのリベンジより重い意味の英語の言葉に「リメンバー・パールハーバー」があります。太平洋戦争の引き金となった「ハワイの真珠湾奇襲攻撃(奇襲ではないという説もある)という卑怯な戦法を忘れるな」という意味の言葉ですが、こちらも恨みの心が満ちております。

 古いところでは「金色夜叉」の間寛一がお宮を足蹴にして放った「来年の今月今夜のこの月も、再来年の今月今夜のこの月も・・・」といった言葉も恨みのこもった言葉ですし、江戸城松の廊下での刃傷ざたで切腹になった浅野内匠頭の辞世の句「風さそう・・・・春の名残をいかにとやせん」も仇討ち軍団赤穂浪士結成の契機となった恨みの込められた言葉です。

 最近では「キレル」や「ムカツク」といった言葉も若者の間で頻繁に使われているようですが、なぜか芸術的センスが感じられません。彼らに金色夜叉の間寛一や松の廊下の浅野内匠頭のように直接的ではないが、心情のよく理解できる表現を期待するのは無理というものでしょうか。

 例えば敗戦投手となった松坂くんが、「来年の今月今夜の登板は、いや、再来年の今月今夜の登板でも、僕の剛球は彼らのバットとキスをする気はないでしょう。」などと言えばいっぺんにファンになってしまうでしょう。

 でも、どんなに言葉を換えても、恨みの心を正当化してはいけない。リベンジ(復讐)よりリトライ(再挑戦)の方がいいと思うのですが・・。



1999年8月号

門徒名簿

 先日、県庁の宗教法人を担当している私学宗教課にうかがい、門信徒名簿を作成するようにとの指導を受けました。

 来恩寺には過去帳と新聞発送名簿がありますが、ちゃんとした門信徒名簿がありませんでした。

 理由は「来恩寺の門信徒として登録してよろしいですか」と聞いてこなかったためです。

 それは、個々のお寺ではなく、みんな浄土真宗の門徒で良いでないかという住職の想いがあったからですが、私学宗教課の人はそれでは許してくれませんでした。

 そこで、ちゃんとした名簿を作成すべく、来恩寺の住職もしくは関係者が通夜葬儀や法事を行ったご家庭とお骨をお預かりしているご家庭(主に県内)、そして、来恩寺の法話会や勉強会・各種行事に何度もご参加下さった皆さんを、来恩寺の門信徒として登録させていただきます。

 登録と聞いて皆さんが一番心配されることは、寄付や会費を取られるのではないかというご心配だと思いますが、住職亡き後はいざ知らず、住職の目の黒いうちは会費も強制的な寄付も一切いただかないつもりです。(住職が突然白目をむいて歩いていたらご注意下さい。それから、自由意志でのご寄付は大歓迎ですので勘違いなさらないで下さい。)

 名簿は県庁に提出する以外は外部には出しませんのでご安心下さい。また、名簿には家族の代表者(葬儀などの場合は喪主、それ以外は新聞発送名簿のお方)のお名前を登録いたします。

 ですから、新聞発送者名の変更や間違いなどがございましたら来恩寺までお知らせ下さい。

 登録後は県庁の方から数人の方に確認のお電話が入るそうです。その時は大きな声で「ハイ、来恩寺の門徒です」とお応え下さい。ご家族の皆さんにもぜひお伝えおき下さいますようお願いいたします。


1999年9月号

お寺を救う

 今月号の「仏事の迷信Q&A」は布施について書きましたが、毎年行われている日本テレビの「24時間テレビ・愛は地球を救う」も立派な布施行だと思います。

 坊守と感動しながらテレビを見ていて、どれぐらいの寄付が集まるのかという話になり、数億円単位だろうということになりました。

 本堂建設の25年ローンがまだ残っている来恩寺住職夫婦は、来恩寺でもこのようなキャンペーンをしようという話で大いに盛り上がりましたが、誰が「にしきのあきら」さんのように24時間で110キロを完走するかでもめました。

 住職も坊守も「私はイヤだ」ということでこの案は数秒でボツとなりましたが、来恩寺では「25年間ローン・門徒の愛はお寺を救う」キャンペーンを継続中ですのでぜひご協力下さい。

 また、どこかで長男と次男と長女の三人が黙々とマラソンをしておりましたらどうぞ励ましの声をかけてあげて下さい。

 ところで、先月号の雑記でお知らせいたしました来恩寺の「門徒名簿」作成の件ですが、数人の方から「まだ田舎のお寺の門徒ですので今のところ載せないで下さい」という要望があり、お世話になったお寺とのご縁を大切にする気持ちが伝わってまいりました。

 この名簿は何の強制も拘束力もありませんので皆さまにはご安心下さい。

 ライオン寺だより発送名簿の中から、葬儀とご法事を来恩寺が行っているご家庭と、葬儀やご法事は行っていないが法話会や勉強会・団体参拝旅行・ボウリング大会などに数回参加されておられる方々を中心に作成させていただきました。

 来恩寺は気楽で楽しいお寺をめざしております。どうぞ今後とも来恩寺の諸活動にご協力下さいますようお願い申し上げます。


1999年10月号

七五三

 今月の四日で長女映美が八ヶ月になります。

 立春の日に生まれましたので茶摘み歌の八十八夜とか、台風で有名な二百十日、二百二十日はそのまま映美の誕生からの日数になります。

 順調に成長しておりますが、先日風邪を引いて鼻水を垂らしておりました。お医者さんに診てもらいましたがたいした風邪ではなくてホッといたしました。

 次男もよく風邪を引きます。特に幼稚園に行くようになってから色々な病気をもらってまいります。この前も「手足口病」という病気をもらって帰ってきました。

 夏風邪の一種でたいした病気ではないと言うことですので安心しましたが、体調がよくないと急に静かになる次男ですので、普段の元気さと比べてしまうと大病でも患ったかのような気になります。

 長男は元気です。もうすぐ十才ですが少々の風邪ぐらいでは決して学校を休みません。

 小学校の入学から現在まで一日も休まずに皆勤しておりますので、それがよけいに励みとなって元気に通学しているのだと思います。

 ところでもうすぐ七五三の季節ですが、女の子は三才、男の子は五才まで成長するとひと安心だと、先人達の長い子育ての経験の中で生まれたお祝い事だと理解しておりますが、その通りだと思います。

 古い過去帳などの書き換えを時々頼まれますが、医療の発達してなかった戦前は、三才までに亡くなる子供達がずいぶんいたことが分かります。

 そんな中での七五三の行事は、成長を喜ぶ両親や家族の感謝の心で営まれていたようです。

 来恩寺でも七五三のお参りを行っております。毎年数組のご家族がお見えになり、阿弥陀さまの前で感謝の参拝をしております。

 来恩寺にご縁のある方は神社でなく阿弥陀さまの前で初参りや七五三のお祝いをしていただければと思います。



1999年11月

奉仕団2

 総勢二十二名の第二回来恩寺念仏奉仕団は、十月二十九日〜三十一日の二泊三日でご本山での清掃奉仕と奈良県飛鳥地方の観光旅行に行ってまいりました。

 ご本山では他の十一団体、約三百名と一緒に清掃作業を行い、国宝「鴻の間」での抹茶接待や書院の拝観、そしてご門主との記念撮影・ご面接もありました。

 清掃は一日目が本山前堀川通り、二日目は大宮門付近でしたが、他の団体が白の割烹着姿で作業しているのに比べ、来恩寺の奉仕団は住職特製ロゴマーク入りのお洒落なエプロン姿で作業を行い、結構目立っておりました。

 ご門主との記念写真が十一月中旬には送られてくると思いますが、ぜひその勇姿をご覧になって下さい。来恩寺二階広間に感謝状と一緒に飾らせていただきます。

 奈良県の観光は蓮如上人開基の本善寺と、妙好人「大和の清九郎」さんゆかりの因光寺への団体参拝と、NHK朝の連続ドラマ「あすか」にも登場いたしました石舞台古墳や、高松塚古墳などの出土品を展示している「飛鳥資料館」などを観光いたしました。

 第一回目もそうでしたが、今回も感動いたしましたのは各奉仕団への感謝状贈呈と多数回参加者への表彰状贈呈式でした。

 三百余名中、表彰を受けられたのは十二名でしたが、十回参加者・十五回参加者の表彰の後、ただ一人、二十回参加の表彰を受けられた男性の参加回数が読み上げられたとき、場内はどよめきと拍手につつまれました。

 観光気分での参加ですと、二、三回も参加すれば飽きてしまいます。やはり十回・二十回と参加された方々は「奉仕」の名にふさわしい現代の妙好人だと思います。

 恐縮したお姿で表彰を受けておられましたが、見ていて胸が熱くなりました。

 来恩寺も住職特製ロゴ入りエプロンを無駄にしないようにしましょう。



1999年12月

お洒落

 昨年のライオン寺だより12月号の雑記は「住職一家今年の5大ニュース」でしたが、今年は長女誕生のニュースが大きすぎて他がかすんでしまいました。

 2月4日の立春の日に誕生した長女映美は順調に成長しており、9ヶ月を迎えた頃からつかまり立ちを始めましたが、当分は目を離せない状態が続きそうです。

 ところで、子育ては楽しいのですが、辛いのは幼稚園の運動会の保護者参加競技に出場することです。20代30代の保護者に混じっての競技はちょっとしんどい気がするこの頃ですが、見た目だけは負けないようにしっかりと若作りをしたいと思います。

 特に坊守は子育てを言い訳にしておりますが、最近の女性には珍しく、身だしなみやお洒落に興味のない人間です。坊守として、顔グロや全身シャネルのブランド物を着たシャネラー(以前北海道の千歳空港で服から靴・バッグなどの小物までピンクのシャネルブランドで揃えていた女性と遭遇しましたが、感動のあまり絶句してしまったことを覚えております)のような姿でご門徒の方々と接するのも困りものですが、もう少し何とかしてほしいと願う住職と子供達です。

 男の子に比べて女の子は早くからお洒落に興味を持つと聞きますが、映美が大きくなってお洒落に興味が出始めた頃、どんな物が流行っているかちょっと気になりますが、いつの時代も若者のファッションは大人には受け入れ難いものがあるようです。

 特に顔を真っ黒にしてクチビルを以前流行ったダッコちゃん人形のように真っ白に塗った「顔グロ」と呼ばれるファッションは今の私のお洒落感を超えております。

 もし映美が…、と長男の順正と話し合っておりますが、絶対にそれだけは阻止しようと意見がまとまりました。次男の顕正だけは映美を煽りそうな気がするのですが…。




2000年

2000年1月

初夢
 茶碗・鍋・フライパン・タオル・毛布など、今もまだゾクゾクと日用雑貨が集まってきている。そしてボランティアの人たちが忙しくその仕分け作業を行っている。

 そんな光景を眺めながら来恩寺住職は「まずは一安心といったところか。」とつぶやいていた。

 別に住職が雑貨店を営むつもりではない。来恩寺境内でフリーマーケットを開くつもりでもないし、悲しいかなそんな土地もない。ないないづくしである。

 ではなぜこんなにも日用雑貨が集まるかというと、将来に向けての備蓄であった。

 ご存じのように西暦2000年の1月1日、世界はパニックに陥った。世に言う「ミレニアム騒動」である。

 この騒動はまず電気の供給ストップから始まった。コンピューターの誤作動ということであったが、ひと月以上も電気が止まったのである。

 生活のほとんどを電化製品に頼っている日本は、他のどの国よりも被害が大きかった。

突然戦前の生活に逆戻りしてしまったのであった。

 まず炊事が大変である。ガスや水道もコンピューターで制御しているため、電気がこなければお手上げであった。

 みんな電気やガスの代わりに炭や薪を使っていたが、使い勝手が分からず、鍋に穴をあけたり、黒こげにしてしまったのである。

 洗濯も大変であった。全自動の電気洗濯機の生活に慣れていた者が、突然タライと洗濯板を使って洗濯を始めたのである。それも川の水を使って。この時はみんな水質汚染などの環境問題を切実に感じていた。そして洗濯板の力加減が分からず、衣類やタオルなどをボロボロにしてしまったのであった。

 当然食器を洗うのも川であった。茶碗を割ってしまう者やら、お椀を流してしまう者が続出し、その光景はさながら一寸法師が団体で京の都に向かっているようであった。

 夜は夜で、寒さを防ぐために家中の布団や毛布を重ねて寝ていた。そして寝具の取り合いが元で離婚にまで発展した夫婦もあったが、どの家の寝具も裂けたり破れたりしてしまったのである。

 これが世に名高い「ミレニアム騒動」である。

 来恩寺ではこの騒動を反省して、今後いつ起きるかも知れない震災や火災などの災害のために日用雑貨を備蓄することにしたのであった。

 近々、第2回目の募集を行う予定であるが、同時に独居者への電話相談や買い物手伝いなどのボランティア組織も編成する予定の住職であった。

2000年2月

次男は早起き

 10才の長男は体力がないのかよく寝る子です。朝も起こしてもらわないと起きません。

 4才の次男は体力がありあまるのか睡眠時間は短くて済むようです。朝も早く起きます。ときには4時ぐらいに目を覚まし、「もう起きる」と言い出します。

 ある日、「どうしてそんなに早起きなの?」と聞いてみますと、夢に出てくるお化けが「六時に起きなさいと言うから」と答えました。

 そばで聞いていた長男は大笑いをしておりましたが、そういえば、隣のベッドで寝ている私を起こして「もう六時になった?」とよく聞きます。

 またあるときは夢のお化けが恐いからと私のベッドにもぐり込んできます。

 長男と「どんなお化けか見てみたいね」と話しておりますが、ひょっとすると私のイビキにうなされているのかも知れません。

 坊守と今月4日で1才になる長女映美は隣の部屋で寝ておりますが、坊守が言うには隣の部屋までイビキがよく聞こえるとのことです。特にお酒をたくさん飲んだ日などはうるさいぐらいだそうです。

 本人は気にならないのですが、そばで寝ている次男にはお化けの声に聞こえるのかも知れません。

 長女はまだ夜中に一度か二度必ず起きます。長女が一晩中ぐっすり寝られるようになれば一緒に寝たいと思うのですが、「お父さんイビキがうるさいよ」と言われたらショックです。

 今のうちに私のイビキが子守歌に聞こえるように慣らせてしまえばいいのですが、まだまだ小さいので踏み殺してしまわないかと一緒に寝るのはためらいます。

 最近、小さな頃のことをすっかり忘れていることに気が付きました。

 お化けが恐くて夜一人でオシッコに行けなかったこと皆さんもありませんでした?。

 ご飯粒を残すとお百姓さんに申し訳ないと言われたことなかったですか…。
2000年4月

集中力
 先月号の「聖典に学ぶ会」の案内で、開始時間が五月一日午後一時三十分となっておりましたが、本当は午後三時です。謹んで訂正いたします。

 それから七月一日は組の仏教壮年会の研修会が午後二時より上正寺で開催されますので、「聖典に学ぶ会は」午前十時から、その後研修会に参加することといたします。詳しくは五月号の「ライオン寺だより」をご覧下さい。

 といったように間違いや予定の変更が時々ありますが、これは、「ライオン寺だより」を読む時は、一字一句を見落とさないように集中して読みなさい、という住職の、皆様方の集中力養成のための試練と受け止めていただければ幸甚に存じます。

 その集中力ですが、プロ野球セリーグの開幕戦に長男と観戦に行きました。

 これは、最近住職の集中力が落ちて、この「ライオン寺だより」の発行が遅れがちであることを反省し、集中力養成のため、一時「ライオン寺だより」の執筆を中断して観戦したものです。そのため、余計にライオン寺だよりの発行が遅れるという事態が発生しましたが、長い目で見ますと、このときの集中力養成が後々の編集に大きな成果を生むことは必然のことと思われます。皆さまには期待していただきたいと思います。

 などと書いてるうちに紙面も残り少なくなりましたが、長女の映美が歩き出しました。丁度、一才一ヶ月と二十三日目のことでした。(丁度じゃない)

 歩き出すと言っても二・三歩行ってはバッタリといった具合ですが、日に日に記録を更新しております。

 教えもしないのにミルクを飲んだり歩いたりする。遠い過去からの遺伝子がちゃんと行動を促しているんだと思うと、直立歩行を始めた遠い昔のご先祖の偉大さに頭が下がります。

 それと、最初にナマコを食べて安全だと確認した方にも敬意を表します。

2000年5月

宗教法人
 
 宗教法人の取得が間近に迫っております。たぶん六月か七月頃には県庁から認可が下りると思います。

 遂に築地本願寺の法人から独立し、一般寺院と同じように独自の法人格を持つ寺院となるのです。

 法人格を持つ利点は@固定資産税が免除される。A法人の所得税が免除される。B墓地の開発が出来る。といった点です。

 勘違いされて困りますのは、住職や法務員は給料制ですので、一般のサラリーマンと同じく所得税は源泉徴収されております。納税の義務は全国民の義務ですから。

 法人を取得してうれしいのは、墓地の開発が出来ることです。来恩寺では多くの方の御遺骨をお預かりしており、皆さんから「早く墓地を造れ」と矢のような催促を受けておりますので、取得後はまず墓地の開発に全力を注ぎたいと思います。

 すでに第一期の受付は終了しておりますが、申し込まれた皆様には墓地用地の取得や墓地開発の許可が取れ次第、それぞれの墓地の規模の希望を調査したいと思います。もうしばらくお待ち下さい。第二期分は改めて来恩寺有縁の皆様にご案内いたします。

 また、納骨堂の希望もたくさんございますので、住居にしております三階を寺務所と第二納骨堂にしようかとも考えております。2LDKで五人家族では誰かが窒息死してしまいそうですので近くに引っ越すことも考えております。

 それにしましても、オウム真理教や他の宗教法人の引き起こした霊感商法などの様々な事件以来、宗教法人の取得が極端に難しくなっております。そのような状況下での法人取得は来恩寺の活動が公に認められたことであり、来恩寺有縁の皆様方のご援助・ご協力のおかげと心より感謝申し上げます。

 来年五月頃に記念法要と記念講演・祝賀会を計画しております。お楽しみに。

2000年6月

神の国発言


 毎回この雑記はいろんな話題を取り上げておりますが、今回はやっぱり森首相の「神の国発言」を取り上げないと皆さんから文句を言われそうですので、私なりの感想を書きます。

 森首相はサービス精神の旺盛な方だと思います。一つひとつの事例はあげませんが、各種の集会や会合の席では、その主催者の喜びそうな言葉を使ったリップサービスに努めております。

 今回の「神の国」発言も、神道政治連盟議員懇談会の会合での挨拶で飛び出した発言です。仮に仏教政治連盟議員懇談会なるものがあるとすれば、「仏の国」と発言していたかも知れません。公明党の会合に出席したなら「日蓮大聖人、池田大作上人様」、キリスト教の会合では「イエス様は・・」などとリップサービスをしそうです。

 度重なる問題発言を聞いていて、森首相は憲法の精神や国民の心情を全く理解していない人物であると思えてなりません。

 今回の「日本は天皇を中心とした神の国」発言の問題点は主権在民と政教分離・信教の自由を理解していない発言であることです。戦前・戦中ですと何ら問題のない発言なのでしょうが、旧憲法の反省のもとに制定された現憲法の精神は、政治は日本国民の意志によって決定されるものであり、宗教を利用した政治があってはならないことを明示したものです。

 宗教を利用した政治があってはならない。これは大切です。公明党のように宗教団体である創価学会を利用した票集めは政教分離の精神に反します。また、世界各地の紛争を見ておりましても、宗教が紛争や戦争の火種になっている例は沢山あります。

 間もなく衆議院議員の総選挙です。皆さんがどの政治家どの政党に投票するかは一人ひとりの意志で決定しましょう。棄権だけは絶対に止めて欲しいと思います。


2000年7月

サザン
 サザンオールスターズのコンサートが八月十九日と二十日の両日、茅ヶ崎市営野球場で開催されます。

 茅ヶ崎市民には抽選で入場券が先行販売されるそうですので、住職一家も住職・坊守・長男の三名に応募の資格があるということで、往復ハガキで合計六名分のチケット購入の申し込みをしました。

 先日、当選の通知が届きましたが、当選したのは長男の名前で出したハガキだけで、二十日のコンサートチケット二枚分でした。

 サザンの桑田圭祐さんと私(住職)は同い年ですが、大学の頃、「勝手にシンドバッド」で突如メジャーデビューしたサザンは衝撃的でした。

 歌詞を大事にする当時の歌謡界の常識を打ち破った早口での歌い方と、曲のセンスの良さには脱帽しました。

 ところで、私も大学の頃バンドを組んで大きな学生ホールで歌った経験があります。

 そのバンドは学園祭のコンクールに出場するための即興バンド(友人はコミックバンドと呼んでいた)でしたが、屋外特設ステージでのコンクール入賞を目指して、軽音楽部などに負けてたまるかと日夜ビートルズナンバーを練習しておりました。

 コンクール当日、時間の関係で最終組の私たちの演奏がカットされ、頭にきたメンバーたちの交渉によって、後日学生ホールでの単独コンサートが決定しました。

 五百名ぐらい収容できる広いホールに、三十名ほどの友人たちが集まってくれましたが、その姿はまさしくコミックバンドでした。とにかくコンクール用に練習した三曲しか持ち歌のないバンドでしたので、曲の合間は客席とのトークに終始しておりました。

 今思えば、コンクールで演奏して入賞でもしていたら、色気が出てそのままバンド活動をしていたかも知れません。

 きっとドリフターズにも負けない立派なコミックバンドになっていたことでしょう。

2000年8月

5000ヒット
 インターネットの来恩寺ホームページを訪れる人が間もなく5000人を超えようとしております。

 もしかするとこのライオン寺だより98号が発行された頃には超えているかも知れません。

 開設から1年半で5000人ですから、1ヶ月約280人、1日約10人の方が来恩寺のホームページを見ていることになります。

 ホームページとして1年半で5000人というのは多いのか少ないのか判りませんが、法要や法事などでお寺に来る人以外で280人の方が毎月お寺に来ていることと同じだとすると、とにかくうれしいことです。

 インターネットをしない人のために少し説明いたしますと、まずこのページの上段にも書いてあるトップページの住所(ヤフーでライオン寺と検索しても出てまいります)を開いていただくと様々なメニューがあります。

 一例を挙げますと、来恩寺の写真や地図、「ライオン寺だより」に掲載した一味法話や仏事の迷信Q&A・雑記などのバックナンバー、そして住職の所属しているビハーラ(仏教ホスピス)の案内なども掲載しております。

 また、来恩寺と縁のある寺院や個人のホームページにつながるリンク集もあります。

 今後は来恩寺門信徒が経営、あるいは働いているお店や会社を紹介するページも掲載したいと思います。例えば、『新築・増・改築のご相談は○○建設の△△さんまで』といった内容です。

 この「ライオン寺だより」をご覧の皆さんの中で、来恩寺のホームページに会社の案内などの掲載を希望の方はぜひご連絡下さい。あるいはホームページを開設されている方がおられましたらぜひ来恩寺のホームページと相互リンクを張らせていただきたいと思います。門信徒の皆さんのお仕事を応援するのも来恩寺の仕事と考えております。

2000年9月

記念講演会
 サザンの茅ケ崎ライブ、素晴らしかったようです。

 長男の出したハガキでチケット2枚が当たった住職一家は、私(住職)と長男の2人で観に行くつもりでしたが、当日、組の壮年会の会議が入ってしまい、私は行けませんでした。

 息子に「行けないからチケットをインターネットオークションに出そう」と提案いたしましたが、自分の出したハガキでチケットを手に入れた長男は頑として受け付けませんでした。

 良い席でしたので2枚で15万円ぐらいになったのに…。そのお金で家族旅行に行こうと提案したのに…。チケット代は私が出したのに…。

 結局長男は石崎くんに連れて行ってもらいコンサートを観ました。

 帰ってきて興奮した面持ちで「すっごく良かった、感動した」と報告してくれましたが、小学5年生で初コンサートがサザンとはなんとも贅沢な体験です。

 私は高校2年の時(もう27年前になる)、ハードロックバンドであるディープパープルのコンサートを大阪厚生年金会館で観たのが初コンサートでした。もちろん「すっごく良かった、感動した」コンサートでした。

 サザンのコンサートには行けませんでしたが、録画してもらったWOWOWの映像を観て息子と感動を共有しております。

 さて、来年5月13日に予定しております、宗教法人取得記念講演とコンサートは、五木寛之さんと加藤登紀子さんを勝手に予定しております。

 たぶんお二人とも無理だと思いますが、一応、市民文化会館の大ホール(1400名収容)を押さえておきました。

 お二人が駄目な場合は、住職一家の豪華歌謡ショーか来恩寺大カラオケ大会でも開催したいと思います。

 なぜか7月号の雑記に書いた大学時代のコミックバンドを思い出している住職ですが、皆さんはどちらがいいですか。



2000年10月

オリンピック

 北海道への団体参拝旅行から無事帰ってまいりました。

 とても楽しい旅行でしたが、失敗が1つありました。それはオリンピック期間中の旅行であったことでした。

 スポーツをこよなく愛する住職といたしましては、女子マラソンとサッカー決勝トーナメントの日本対アメリカ戦などを生で観戦できなかったことが残念です。

 お彼岸の期間中に団体参拝旅行に行くお寺は、日本広しといえども来恩寺だけだと思いますが、それもこれもオリンピックは10月中の開催と勝手に勘違いしていたからでした。4年後はちゃんと調べてから行事を計画することにしましょう。

 ところでそのオリンピックですが、メダル獲得を無視しますと、40代半ばの私でも出場の可能性があるのはクレー射撃と近代五種だそうです。

 日本ではクレー射撃の競技人口が男子は3500人、女子はわずか100人だそうです。

 水泳・射撃・フェンシング・馬術・ランニングの五種目総合得点を競う近代五種というオリンピック種目は、日本全体の競技人口が100人に満たないそうで、最も出場の可能性が高い種目ですが練習費用も相当掛かるようです。

 近代五種はあきらめるとしても、クレー射撃はなんとかなるかも知れません。以前クレー射撃ゲームで高得点を出した私ですので。

 それよりも、読経・作法・御文章拝読・法話・文書伝道といった「現代真宗僧侶五種」という種目がオリンピックに追加されればいいところまで行くと思いますが、残念ながら21世紀はおろか地球最後の日が来たとしてもオリンピック種目にはならないでしょう。

 そんな非現実的なことをあれこれ考えるよりも、まずは来年5月の記念行事を考えたいと思います。感動の行事とするにはどうすればよいのか。
1400人収容の会場をどうやって満席にするか…。
うーん。

2000年11月

通夜布教

 築地本願寺の報恩講法要(11月11日〜16日)で、15日の通夜布教の講師に当たってしまいました。

 通夜布教とはその名の通り夜を徹して行う布教大会のことで、夜の8時半から次の日の朝5時半まで、数回の休憩をはさんで、9人の講師が布教を行うのです。

 早寝早起きをモットーとする住職は、最初の依頼があったとき、「誰か他の人に頼んで下さい」とお断りしたのですが、二度目の依頼で、「誰もいなかった場合は出させていただきます」と返事をしました。

 数日後、「講師と時間が決定いたしましたのでお知らせします」と手紙が届きました。

 私の名前がないことを願いながら確認すると、「橋本正信師、16日午前4時10分〜4時50分」と最後から2番目の布教順になっておりました。

 誰が決めたのか知りませんが、朝の4時10分からの法話とは…。「なんでやねん」と思わず関西弁で突っ込んでしまいました。

 みんなが一番眠い時間帯の法話です。いったいどんな話をすればいいのでしょうか。 誰も聞いてくれないに違いないと思った次の瞬間、ある考えが頭に浮かびました。

 そうです。寝かせてあげればいいのです。

 眠い時間帯に無理に起こすような法話をしないで、安らかな眠りを誘う法話に徹すればいいのです。

 例えば、「皆さん目を閉じて下さい、そして頭の中に思い浮かべて下さい、羊が1匹・羊が2匹・羊が…」。

 与えられた40分間、ずっと羊の数を数えるという法話(法話じゃない)が今までにあったでしょうか。

 きっと画期的で斬新な法話だと思うのですが、東京教区布教団を強制退団させられそうですので、まあやめておきましょう。

 でもいったいどんな話をすればいいの? 誰か教えて!

2000年12月

5大ニュース

 年末恒例となりました来恩寺今年の5大ニュースを発表いたします。

 第5位です。ドロドロドロドロ…(毎年申し上げますがドロドロドロは太鼓の音です、念のため)「今年の来恩寺団体参拝旅行は雨だった」です。いつもは好天に恵まれる団体参拝旅行ですが、今年は雨に見舞われました。残念。

 第4位です。ドロドロドロドロ…。「長男順正君、サザンオールスターズのライブに行く」です。あれ以来毎日サザンの曲を聴いております。CDレンタル会社ツタヤの会員にもなってしまいました。

 第3位です。ドロドロドロドロ…。「映美ちゃん、歩き出す」です。2月に1才になった映美ちゃんが歩き出しました。今では走ることやお話も出きるようになりました。

 第2位です。ドロドロドロドロ…。「二男顕正君、報恩講で七五三のお参りを行う」でした。今月30日で5才になる顕正君ですが、本堂の内陣でみんなと一緒にお参りをしました。ついでに1才9ヶ月の映美ちゃんもお参りをしました。二人ともじっとしておりませんでした。

 栄えある第1位です。ドロドロドロドロ…ジャーン(ジャーンはシンバルの音です。念のため)「来恩寺、神奈川県知事より宗教法人の認証をいただく」です。非常に難しい宗教法人の認証を皆様のおかげでいただきました。

 現在は墓地用地の取得を進めております。まだ少し時間が掛かるようですが、墓地取得希望者の皆様はもう少しお待ち下さい。決定となり次第発表いたします。

 以上のような結果となりました今年の来恩寺5大ニュースです。2位・3位・4位は個人的なことのようですが、21世紀の来恩寺を担っていただく若者たちですので、あえて取り上げました。

 いろいろあった1年でしたが、皆様にはお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。 南無阿弥陀仏





2001年


2001年1月

「ライオンジクラブ」

 寺報「ライオン寺だより」で募集しております「ライオンジクラブ」は、4月1日より活動を開始いたします。

 活動内容は来恩寺の所属しております鎌倉組(15ヵ寺)と東京教区(約4百ヵ寺)の活動と連係した内容となります。

 例を挙げますと、組の行事では年2回の「壮年の集い(1回は講演会、1回は懇親会)」に参加、年1度の「女性のための研修会」「夏休み一泊子供会」に参加、その他各種研修会や行事に参加いたします。

 教区の行事では、仏教壮年会や仏教婦人会・仏教青年会の大会等に参加、その他海外旅行(例えば専門家と一緒に行くインド仏跡探訪の旅)や国内旅行、報恩講をはじめとする各種法要にも積極的に参加する予定です。

 しかし、これらの活動は強制的なものではありません。 参加できる人に参加していただく自主的な活動ですので安心してご入会下さい。

 「ライオンジクラブ」の名前の由来ですが、既存の「ライオンズクラブ」を真似たものでは決してございませんということもございません。

 楽しいことが大好きな住職ですので、名前もついつい遊んでしまいました。そのうち「ライオンジマンション」も出来るかも知れません。

 入会金や会費も無いという姿勢は、お金を取ると誰もいなくなるという来恩寺門信徒の体質を鋭く見抜いた上での判断です。(失礼)

 この「ライオンジクラブ」を母体とした一般向けの講演会や楽しい企画が次々と誕生することを期待します。また、皆さんの意外な才能を発見する楽しみも住職は心待ちにしております。

 それから、インターネットアドレス(ドットコム)も新たに取得しました。メールアドレスは追加費用が一つにつき月三百円ですので必要な方はお申し出下さい。

 新世紀も「楽しくなければお寺じゃない」の来恩寺です。

2001年2月

「新年会」

 正月一日の元旦会法要には、大勢の皆様にお集まりいただきありがとうございました。

 午後の新年会も賑やかに開催することが出来ましたこと心より御礼申し上げます。

 その新年会ですが、今年は我が家の三兄妹が楽しい踊りや歌を披露してくれました。

 昨年の8月にサザンオールスターズのコンサートへ行った長男の順正君(11才)は、白のスカートを着けヘルメットを被り、昔懐かしい「OHモーレツ」のモーレツ娘の格好で「ホテルパシフィック」の曲にあわせて踊ってくれました。

 隣では二男の顕正君(5才)も見よう見まねで踊っておりましたが、何を思ったか、長女の映美ちゃん(今月4日で2才)が突然二人の間に割り込み、恥ずかしそうにうつむきながらじっと立っていたのには大笑いしました。

 お兄ちゃん二人が楽しそうに踊っているのを見て「私も橋本三兄妹の一人」という自覚が突然めばえたのでしょうか、踊れないながらも二人の間で「私もここにおります」といった風にじっと立って自己主張をしている姿には、集まった皆さんも手を叩いて大喜びしておりました。

 その他、顕正君の歌(サザンの「TSUNAMI」や、「六甲おろし」を歌いました。長男の影響をもろに受けております。)や、映美ちゃんの歌らしき物もありました。

 来年の新年会も今年以上に盛り上げようと今からネタを捜している橋本三兄妹ですが、皆様にはお見逃しの無いようにして下さい。

 住職も何か芸を披露したいと思いますが、住職のモーレツ娘姿を見たい人います?
橋本3兄妹
下を向いているのが長女の映美


2001年3月

「言葉づかい」

 先月の四日で満二才になった長女映美(エミ)ですが、最近はよく話すようになりました。

 発音はまだ確かではありませんが、いろんな言葉を覚えました。お父さんは「おとうすわん」お母さんは「おかあすわん」、長男の順正(じゅんしょう)は「おにいちゃん」、二男の顕正(けんしょう)は「けんしょう」、自分のことは「えぴちゃん」と呼んでおります。

 自分だけ呼び捨てにされている顕正くんは面白くないらしく、「けんちゃんと呼びなさい」と映美に言い聞かせておりますが、何度言っても映美は顕正くんだけには「けんしょう」と呼び捨てです。

 顕正くんの必死さと、それに絶対従わない映美とのやりとりを聞いているこちらは面白くてつい笑ってしまいます。

 泣きそうになりながら「お母さん何とか言って」と母親に助けを求める顕正くんですが、母親が「けんちゃんと呼びなさい」と言い聞かせても、やっぱり映美は「けんしょう」と呼び捨てです。

 多分、我が家で一番ワンパクな顕正くんですので、家族全員がいつも「けんしょう!」と叱っているのを聞いている映美ちゃんには、顕正くんは「けんちゃん」という存在でなく「けんしょう」なのでしょう。

 こんな出来事からも、人間の成長にとって環境がいかに大事であるかがよく分かります。
 我が家は「挨拶」と「優しい言葉づかい」を大切にしておりますが、それは荒い言葉を使っていると性格も荒くなってしまうと考えるからです。

 近年、社会全体の言葉の乱れが気になりますが、せめて家の中だけは優しい言葉であふれていたいものです。

 先日、長男の友達が遊びに来た時「順正は学校と全然言葉づかいが違うな」と言っておりましたがそれで良いのです。

 年長者・家族・友達などによって言葉を使い分けるのは普通のことです。使い分けが出来ない方が問題なのです。



2001年4月

「寺院機能」

 年度の変わり目ということもあり何かと多用な毎日を過ごしております。

 年度や恒例行事とは関係なく、記念行事や墓地開発関係の方も進めておりますので毎日がアッという間に過ぎていきます。

 皆様方にも来恩寺は何かと騒がしいお寺ですのでご迷惑をおかけいたしておりますが、その張本人は住職である私です。お許し下さい。

 小さい頃から騒ぐのが大好きな性分で、みんなから「いっちょかみやなあ」と言われておりました。

 「いっちょかみ」とは、何にでも顔を突っ込むことで、騒動があるといつも私の存在があると友達から言われました。

 私としては「いっちょかみ」でなく、ただの「世話好き」だと思うのですが、その世話好きがいつの間にか主人公になってしまうということもよくありましたので、友達の言うこともあながち間違いではないかも知れません。

 喧嘩の仲裁に入った者がいつの間にか喧嘩の中心人物になっているといった具合にです。

 それにしてもこの忙しさは来恩寺がゼロから出発した新しいお寺だからだと思います。

 歴史のある寺院は年月をかけて寺院としての機能を整備してきたのでしょうが、私の性格としましては、とにかく早く普通の寺院並の機能を持つお寺にしなければならないという気持ちがありますので忙しくなるのだと思います。

 墓地の開発整備がそうです。何とか今年中に墓地が開園できるようにと現在奮闘中です。 そして将来必ずホスピス病棟と独居者用の施設を建ててやるといった気持ちも忘れずに持ち続けたいと思います。

 これらも寺院機能の一つであると住職は考えているからです。

 来恩寺の門徒で良かった、浄土真宗で良かったと皆さんに慶んでいただくのが住職としての慶びです。


2001年5月

「自費出版」

 「ライオン寺だより」に好評連載中の『仏事の迷信Q&A』が本になりました。

 五月十三日の記念行事の記念品として皆さんにお配りする予定ですが、当日出席されない方は毎月の法話会でもお渡しいたしますので楽しみにして下さい。

 出版社の方から「一般にも販売したら?」と言われたのですが、浄土真宗以外の僧侶や神官・牧師から袋叩きに合いそうですのでやめました。

 例えば葬儀の際の「清め塩」の件です。

 清め塩は神道の教えから来ているものですので、仏教徒は使う必要がないのですが、葬儀社の人に聞きますと、「塩がない」といって怒り出す住職もいるそうです。

 ゆで卵に塩がなければ私も怒ってしまいますが、他宗教の教えを何の疑いもなく正しいと信じて怒る住職がいるとすれば、もはや仏教の僧侶ではありません。

 このように他宗派の悪口とも取れる内容(私としては決して悪口を書いているつもりはありません。事実を書いているつもりです。)が多い本ですので、世に出せばこの身が危ないと判断いたしました。

 皆さま方も本の内容を口にするときは、くれぐれも他宗派の人がいないことを確かめてからにして下さい。

 それから来恩寺の寺院墓地を希望のお方は同封いたしましたハガキでお申し込み下さい。年内にも開園の予定ですが、来恩寺門信徒の皆様には優先的にお分けいたします。

 現在、土地所有者と仮契約を結び、行政の指導を待っている段階です。

 以前にも書きましたが、寺院墓地の良いところは倒産の心配がないところでしょう。

 昨今の不況で財団法人の所有する墓地が経営難で倒産するという事態が起こっております。寺院墓地にはそのようなことがございませんので、安心してお求め下さい。
 


2001年6月

「記念法要」

 来恩寺設立十周年、宗教法人認証、寺報創刊百号の記念行事が無事終了いたしました。

 来恩寺有縁の皆さま方には、様々な形でご支援、ご協力を頂きましたこと、心より御礼申し上げます。

 第一部の記念法要には、長男と二男も僧衣を着けて参加いたしましたが、長男(十一才)は凛々しく、二男(五才)は可愛らしかったと皆さんからお褒めの言葉をいただいております。

 長女(二才)は、じっとしていないと思い、法要への参加は見合わせましたが、第三部の北條不可思さんへの花束贈呈でその勇姿を見せてくれました。

 じつは、第三部開演前から寝てしまいましたので、舞台に上がることは無理だと諦めておりましたが、花束贈呈の直前に目が覚め、私が強引に抱っこして舞台に上がりましたので、本人は何がなんだか判らず、不機嫌でした。

 長男は直前までドキドキしていたようですが、いざ本番では実力を発揮してくれるタイプです。二男はあっけらかんとした性格で、あまり物怖じいたしません。むしろ楽しんでいる様子でした。長女の性格はまだハッキリとは分かりませんが、頑固な性格だけは本物のようです。

 三人の子供を舞台に上げたのは理由があります。将来、このような大行事に僕も、私も、参加したんだという意識を持ってもらいたいからです。

 毎年、お寺の報恩講にも必ず参加させておりますが、それも同じ理由からです。つまり、浄土真宗の家(寺)に生まれたことを慶び、浄土真宗のみ教えを大きくなっても聞き続けて欲しいからです。

 私も物心がつく前から僧衣を着て法要に参加しておりましたが、その経験は量り知れないものがあると思っております。

 昨今、お寺も後継者不足と聞いておりますが、小さな頃の経験が大切な気がします。



2001年 7月

「民主主義」
 小泉首相がメールマガジン「らいおんはーと」を創刊しました。

 150万人を超える人が購読(無料です)しているそうですが、小泉人気は衰える気配がありません。

 歴代の総理にない小泉首相のキャラクターとパフォーマンスに人気があるようですが、国会中継も視聴率が大幅にアップしているようです。

 国民が政治に関心を寄せることは良いことですが、ちょっと心配なところもあります。

 それは、国会で小泉首相や田中外相を批判する質疑があると、批判者に抗議のメールや電話・FAXが殺到するということです。

 政治家は選挙で選出されますので、抗議が多ければ次回の選挙結果にも響いてくると思いますが、抗議が恐くて反対意見や批判意見が言えなくなれば民主国家でなくなり、独裁型の国家が出現いたします。

 民主国家とはそれぞれが自由に自分の意見を言える環境が整備され、少数意見も尊重される国だと思います。

 これは宗教にも通じます。
 教団の代表が神様のように崇められ、権限が集中し、回りの者が批判意見を言えなくなればその教団は健全な教団とは言えません。

 お寺も同じです。お寺の情報を住職や寺族だけで独占し、役員会・総代会も開かれない寺院は健全な寺院とは言えません。

 幸い来恩寺は役員会や総代会を年に数回開き、お寺の予・決算や年間の行事を協議し、毎月の法話会でも皆さんに発表し意見を集約するようにしております。

 今のところ住職への「抵抗勢力」はございませんが、門信徒の皆さんの中からどんどん素敵な企画や意見が出てくれば、来恩寺の活動ももっと活発になると思います。

 お寺も変革の時代です。門信徒の皆様は、積極的にお寺の活動へご参加ください。



2001年 8月

「念仏奉仕団」

 来恩寺では毎年「団体参拝旅行」を実施しておりますが、今年は来恩寺の所属する鎌倉組(十五ヵ寺)の「念仏奉仕団」に参加することといたしました。

 鎌倉組の「念仏奉仕団」は今回が初めてですので、「奉仕団」の先輩である来恩寺有縁の皆さま方には他寺院の後輩たちをよろしくご指導下さい。

 「奉仕団」未体験の方も大歓迎ですのでぜひこの機会にご参加下さい。

 浄土真宗では昔から「一日に一度は家の阿弥陀さまに、ひと月に一度はお寺の阿弥陀さまに、一年に一度はご本山の阿弥陀さまにお参りしましょう」と言われております。

 交通の未発達であった昔とは違い、今は、早く楽にお参りできる時代です。ぜひこの機会にご本山にお参りして下さい。

 お参りだけでなく、尊い清掃奉仕も出来るのですから、「踏んだり蹴ったり」じゃなく、「願ったりかなったり」の好企画だと思います。

 ご本山で思い出しましたが(ちょっと強引かな?)ご本山西本願寺の西隣りに平安高校があります。この度、夏の高校野球全国大会に出場することが決定しましたので皆様にお知らせいたします。

 「ライオン寺だよりに何で平安高校なの?」とお思いの方もおられることと思いますが、平安高校は住職の母校であり、住職の母校ということはライオン寺だより読者の皆様の心の故郷でもあるからです。(こっちのほうがもっと強引か)

 とにかく、ライオン寺だより読者の皆様は文句を言わずに平安高校応援をするようにしましょう。

 ちょうどお盆の最中の全国大会ですので、住職は甲子園へ行けないと思いますが、ひょっとしてテレビの画面に住職の顔が映り出されたとしても、「よく似た人が世の中には居るもんだ」と納得して下さい。隣りに長男を発見しても「よく似た親子が居るもんだ」とこちらも納得いたしましょう。



2001年 9月

「くじの日」
 毎月一日発行のライオン寺だよりの作成が遅れてしまいました。この雑記を書いている今日は9月3日です。

 昨日は9月2日で「くじの日」だそうですが、住職はサマージャンボ宝くじを連番とバラ十枚ずつ買って1万円と3千円が1枚ずつ、3百円が2枚当たりました。6千円の出費で1万3千6百円当たりましたので都合7千6百円の儲けでした。

 毎回サマーや年末のジャンボ宝くじだけは買うようにしておりますが、1万円が当たったのは初めてのことです。

 しかしこんなことで喜んではいけません。住職がジャンボ宝くじを買うのは来恩寺のためなのですから。

 1等と前後賞合わせて3億円あれば来恩寺の目標でもある介護施設やホスピス病棟の敷地代ぐらいにはなると思います。(市街化調整区域で)

 皆さんも住職に見習って宝くじが当たりましたら、その当選金の一部を来恩寺のためにご活用下さい。

 ところでお寺というところは一般的には余程お金のあるところと思われているようです。

 一日に数本、投資に関する勧誘の電話が掛かってまいりますが、ほとんどが会社名を名乗らず個人名で「住職さんをお願いします」と言って掛けてきます。

 ご門徒さんからかと思い電話に出ますと、長々と何々ファンドや投資がどうたらこうたらと話をしてくるのですが「お金がありません」と断っても「そんなことないでしょう」と言って電話を切ってくれません。

 最後は少々強引にこちらから電話を切るのですが、後味が悪く腹が立ってきます。「こっちへ来て預金通帳を見て見ろ」と言いたいのですが、こちらが悲しくなってしまいますのでやめております。

 皆様には、住職が毎日こんな電話の対応に追われてライオン寺だよりの作成が遅れていることをご理解下さい。



2001年10月

「寺院墓地」
 来恩寺では墓地の開発計画を進めておりますが、保健所と市・県の許可が、予定より少し遅れ年末に下りそうです。

 許可が下りてからの造成になりますので開園は来年早々か春頃になると思います。

 お申し込み済みの皆さまには、許可が下りた時点でお集まりいただき、場所を決めていただきますが、造成費などの関係で墓地の永代使用料は概算でお知らせいたしますが、「来恩寺門信徒価格」でご提供いたしますのでご安心下さい。

 開園後の申込者には申し訳ございませんが通常永代使用料になります。

 さて、以前にも書きましたが、寺院墓地の良いところは倒産の心配がないところでしょうか。

 寺院におりますといろんな宗教関係の情報が入ってまいりますが、最近は財団法人の経営する墓地の倒産をよく耳にします。

 墓地の運営は公益法人である宗教法人か財団法人、もしくは地方自治体と定められておりますが、やはり永続性を考えますと宗教法人の運営する墓地が安心ですし、僧侶の立場から申しますと、遠くの墓地でのお参りは、交通の時間を考えてスケジュールを調整(近くても往復一時間を考慮)しますので、お寺のすぐ近くの墓地は何かと便利でお参りしやすいものです。

 それから、故人の年回のお参りを墓前でと申し込まれる方がおられますが、年回のご法事は墓前で行うものではありません。

 やはり正式に阿弥陀如来の尊前で行うことが大事であり、そのことが故人を大切にすることにもなります。最近は何事も簡略にする傾向にありますが故人の死をご縁とした年回法要を、いくら季候が良くても墓前で済ますことは止めましょう。

 来恩寺にご縁のある皆さま方には、墓地をさらなるご縁として末永くおつき合い下さいますようお願いいたします。



2001年11月

「塾」

 鎌倉組の念仏奉仕団には坊守と次男(五才)・長女(二才半)も参加しました。二人とも往復のバスの車中でもグズることなくとてもお利口さんでした。

 長男は小学校六年間の皆勤賞を狙っておりますので誘っても「行かない」と断りました。

 また、塾へも行くと言い出し、近くの塾に通い出しましたが、塾へ行く本当の理由は携帯電話を持ちたいからのようです。

 塾に行きますと最近は帰りが真っ暗になりますので携帯電話をどの家庭でも子供に持たせているようです。

 携帯電話を欲しがっていた長男は、そんな情報を仕入れて、塾へ行くと携帯電話を買ってもらえるかも知れないと考えたのだと思います。

 その作戦にまんまと引っかかってしまった私ですが、入塾試験がなかなか優秀とのことで、いきなり私立中学受験用の勉強を始めたようです。

 塾から帰ってきて塾の宿題をしておりますが、難問がたくさんあり唸っております。

 住職としては、将来跡を継ぐであろう長男には、地域に密着した寺院活動をして欲しいので、私立中学に入れるつもりもそんなお金もありませんので残念ながら受験はないと思います。

 ところで住職は塾の経験がありません。でも中学の時は中一の二学期から現役大学生の家庭教師に週四日ほど習っておりました。

 この家庭教師は私の従兄弟で近くに住んでおり、とても安い報酬で勉強をみてくれましたが、週に四日の家庭教師ですので、当然クラブ活動も出来ませんでした。そのかわり、親元を離れた高校・大学生時代は思いっきり羽を伸ばさせてもらいました。

 当時は携帯電話のなかった時代ですので親の干渉がありませんでした。現代は携帯電話でどこにいてもすぐに子供に連絡をとることが出来ます。

 長男はそのことにまだ気が付いていないのです。フフフ…。



2001年12月

価値観


 先日、坊守と二才十ヶ月になる長女と一緒に車に乗っておりましたら、突然長女が坊守に向かって「お母さんカワイイ」と訳の分からないことを言い出しました。

 坊守は「ありがとう、そんなこと言ってくれるのはエミちゃんだけよ」と喜んでいました。

 しばらくして居酒屋さんの前の大きな信楽焼きのタヌキの置物を長女が発見して「おかあさんあれ」と指さしました。

 坊守が「あれはタヌキさんよ」と教えますと、長女は「タヌキさんカワイイ」と言いました。

 このことを三段論法で理解しますと、「お母さんはカワイイ」「信楽焼きのタヌキの置物もカワイイ」「ゆえにお母さんとタヌキの置物は同じである」という結論が導き出されました。

 坊守は「あら失礼ねえ」と少々ご機嫌ななめでしたが、長女の価値観を尊重する私は長女の発言を否定することは決してありませんでした。

 子供には子供の価値観がありますが、もうすぐ六才の次男はオヤツやお金よりウルトラマンや仮面ライダーのテレビの方が価値があるようです。

 テレビ好きの次男には一日に番組は三つだけと決めておりますが、午前中に三つ見てしまうこともよくあり「エミちゃん、『忍玉乱太郎』見たい?」と妹をだしにしてテレビを見ようとします。

 私が「今日二つだけしか見なかったら明日は四つ見れるんだよ」と新しいルールを提案しますと「じゃあ今日四つ見て明日二つにしてもいい?」と逆提案する始末です。

 とにかく次男は「今」しか生きておりません。今楽しければそれでいいのです。

 「今」を大事にすることは浄土真宗的ではあるのですが、次男はただ明日のことは考えられないだけなのでしょう。

 長男は「サザン」一色の毎日です。

2002年


2002年1月

「2002年」

サッカー・ワールドカップの年、2002年が始まりました。

 きっと今年の六月頃は日本中が大騒ぎをしていることと思います。ひょっとして日本が決勝トーナメントに出場して決勝戦まで駒を進める、そんなことはまさか無いと思いますが、開催国の強みはデーターでも明らかですので心のどこかで期待してしまいます。

 サッカーだけでなく住職一家にとってもこの2002年は大変な年になります。

 春には長男が中学に入学し、次男は小学校に入学、長女は幼稚園(三年保育)に入園となるのです。今はただ三人の入学・入園式の日時が重ならないことを願うばかりです。

 ところで私(住職)は小学校入学当初、オレンジ色のランドセルを背負って通っておりました。

 近所の女の子が入学のお祝いにもらったランドセルが一つ余ったとかで、父親が貰ってきて私に与えたものでした。

 二、三日そのランドセルで学校に通っておりましたが、あまりにも恥ずかしくて父親に叱られるのを覚悟に川に捨ててきました。父からこっぴどく叱られたのは言うまでもありません。

 最近、長男を見ていて思うことですが、子供とは、小さな頃はみんなと同じでないと何か恥ずかしさ・劣等感を感じるものです。

 少し大きくなると(小学校四年生位?)みんなと同じだと我慢できなくなるようです。

 長男は今、自分の個性をいかに表現しようかと頑張っております。楽器の演奏会でもリコーダーやメロディオンでなく、学年で二名しか選ばれない小太鼓を希望し、数名でのオーディションに合格するように一生懸命小太鼓の楽譜とにらめっこしておりました。

 見事合格しましたが、目立ちすぎるのもイジメの対象になるような気がして心配です。それでなくてもお寺の子というだけでいじめられるのですから…。私?。私をいじめる勇気ある者はいませんでした。


2002年2月

「お寺の休日」

 4月に長男は中学校入学、次男は小学校入学、長女は幼稚園入園と先月号の雑記で書きましたが、中学校と小学校の入学式の日時が重なってしまいました。

 市の教育委員会は何を考えているのだと文句を言いたい気分ですが、少子化の昨今、まさか兄弟姉妹で6才も9才も離れている家庭はないだろうと判断したのだと思いますが、1日ぐらいずらす配慮があっても良かったのではと思ってしまいます。

 そういうことで長男の入学式は父親が出席し、次男の入学式には母親と賑やかしに長女も出席する予定です。

 しかしビデオカメラは一台しかなく、しかもカメラの操作は私と長男しか出来ませんので、誰かにカメラを借りる相談と器械音痴の坊守にカメラの操作方法を教えなくてはなりません。

 長女は今月の4日に満3才の誕生日を迎えますが、まだオムツが外れておりません。何とか入園までに外れれば良いのですが、本人は「赤ちゃんもオムツしているよ」とまったく気にしてない様子です。

 とにかく子供たちのことで多用な住職一家ですが、子供たちと過ごす時間を少しでも多く設けたいと思います。

 特に子供たちのお休みである土曜・日曜にご法事が集中しますのでなかなかみんなで出掛けたりということができません。また、平日でも何があるか分かりませんのでお寺を空けることは容易ではありません。

 そこで今年からは第5の土曜・日曜(今年は3・6・9・12月)はお寺の休日として葬儀以外の法事や行事を入れないようにしようかと思っております。

 皆様方にはご理解を願いたいと思いますが家族で遊びに行くよりも、月末ということで「ライオン寺だより」の執筆と印刷・発送作業に追われそうな気がいたします。


2002年3月

「法話会参加者優先」

 毎月の法話会では「ライオン寺だより」に掲載していない情報もいろいろお知らせしております。

 たとえば「組の壮年の集い・寺院対抗ボウリング大会と新年会」などもそうでした。  参加人数に制限(100名ぐらい)のある集まりでしたので「ライオン寺だより」で公募しますと来恩寺からの参加者が多すぎてしまい、他の14カ寺との釣り合いが取れませんので掲載しませんでした。

 法話会に参加の皆さんだけに口頭でご案内いたしましたが、それでも他の寺院より圧倒的に参加者が多く、うれしい悲鳴を上げております。

 2年間で12回の研修をする組の「門徒推進員養成連続研修会」も法話会参加者の皆さんに口頭でご案内いたしました。こちらも組内のどの寺院よりも来恩寺からの参加者が多く、全受講者の約三分の一が来恩寺の皆さんでした。

 このように毎月の法話会では「ライオン寺だより」に掲載できない情報を皆さんにお知らせしておりますので、情報を知りたい方がおられましたら、ぜひ毎月の法話会にご参加ください。

 来年度も組や教区の行事で、会場などの関係で人数制限のある行事がたくさんありますが、他寺院との関係で「ライオン寺だより」に掲載できないことをご了承ください。

 来恩寺独自の行事は「ライオン寺だより」にどんどん掲載いたしますのでぜひご参加ください。

 来恩寺は強制のない自由参加型寺院ですが、さまざまな情報は法話会参加者に優先的にお知らせします。

 それから住職にも情があることをご理解ください。いつも法話会に参加している方が突然参加されなくなったり、遠くへ引っ越しされますとお元気かどうか気になります。法話会参加者の皆さんは家族のように考えております。

 他の方々は親戚ということで…。

2002年4月

「新聞記事」

 既に気が付かれた方も大勢おられますが、住職の記事が三月十五日付読売新聞の朝刊に掲載されました。

 住職が詐欺とか婦女暴行をしでかしたとかの事件記事でなく(その可能性は否定できないが…)、昨年出版した「仏事の迷信Q&A」と仏事にまつわる「しきたり」についての写真入りの記事でした。

 「葬送のデザイン」というシリーズ物で、全国版として掲載されましたので、その反響はものすごいものがありました。

 来恩寺にご縁のある方の息子さんが香港に住んでおりますが、香港でも記事を見たといって連絡してきたそうです。

 皆さんのお寺来恩寺が湘南だけでなく全世界的に有名になってしまったようです。

 ちょうどお彼岸に突入しようとする時期での掲載でしたので、お彼岸の忙しい中、電話やファックスでの問い合わせに汗だくになりながら対応しました。

 現在もまだ一日に数件問い合わせの電話が掛かりますが、全国紙の影響とはすごいものだと感心しております。

 話は変わりますが、ご家族の中でパソコンや携帯電話でメールの送受信を行っている方がおられましたら住職までメールでお知らせください。

 人数に制限があり「ライオン寺だより」に掲載できないため、法話会に参加している人にだけお知らせしている宗派や教区・組の情報をメールでお知らせいたします。

 住職が多用なため来恩寺からの一方的な情報の提供となると思いますが、住所とお名前、それから生年月日をご記入いただき住職のメールアドレスまでご送信ください。

 生年月日は年代に応じた情報を提供するために必要です。

 よろしくお願いいたします。


2002年5月

「寄付」

 永代経法要が終わりました。

 永代にみ教えが伝わりますようにと大勢の皆さんがご懇志をあげてくださいました。心より御礼申し上げます。

 先月の「仏事の迷信Q&A」で永代経の意味を書き、来恩寺も両脇壇に菊灯が欲しいとお書きしましたら、さっそく数名の方から寄付のお申し出がありました。

 「何でも書いてみるもんだ」と皆さんの反応の速さに驚いておりますが、先着の2名である茅ヶ崎市の山田英子さんと平塚市の平澤一彦さんに決定いたしました。ありがとうございました。今月の法話会には金色に輝く立派な菊灯が両脇壇に飾られていることでしょう。(楽しみです)

 今回惜しくも寄付の機会を逃してしまった心優しい皆さんは、またの機会にぜひお申し出下さい。

 その心優しい皆さんに忠告しておきますが、住職が調子にのって「新車が欲しい」とか「インドへ研修旅行に行きたい」と言っても決して寄付をしないで下さい。お寺で本当に必要なものだけをご寄付下さいますようお願いいたします。

 寄付の件ですが、住職が以前から考えていることを少し発表させていただきますと、近々、「来恩寺奨学金制度」を発足しようかと思います。

 来恩寺にご縁のある方はほとんど葬儀でのご縁ですが、母親や父親を亡くし、葬儀の際に悲しみにくれている子どもたちをたくさん住職は知っております。出棺の時などに涙を抑えることが出来ない場面もよくあります。

 その子どもたちが高校や大学に入学したとき、入学補助金として「来恩寺奨学金(5万円から10万円)」をあげるのです。

 奨学金をもらった子どもたちには「夏休み一泊子ども会」のお手伝いをしてもらいます。

 心優しい皆さんに年間1万円ぐらいの自由意志での寄付を募集するかもしれませんが、そのときはよろしくお願いいたします。もちろん住職も出します。

2002年6月

「不登校?」

 毎朝、長女の映美が「幼稚園行かない」と泣いております。

 今年から年少組に入園した映美ですが、お迎えバスの中でも大声で泣いております。

 末っ子で甘えん坊の映美ですので、大勢の園児たちと一緒では家にいる時のようなワガママが通らないので嫌なのでしょう。

 幼稚園でも泣いているのだろうと思っていましたが、担任の先生から「みんなと楽しく過ごしてますよ」と意外な報告がありました。

 じゃあ毎朝のあの騒動はなんなんだと思ってしまいます。

 いつの間にか泣くことが儀式となってしまったようです。

 それとも「一応、離れたくないと泣いておかないとお母さんが悲しむだろう」と母親を気遣っているのでしょうか。

 先日、幼稚園でイチゴ狩りがあり映美も参加しましたが、当日の朝、映美が「幼稚園行かない」といつものごとく泣いておりましたので「今日はイチゴ狩りだよ」と教えてあげると「さ、幼稚園行くか」と元気に出て行きました。

 やっぱり儀式のようです。

 長男も次男も最初のうちは行くのを嫌がりましたが、すぐに慣れて楽しそうに通っておりました。

 幼稚園での生活は初めての社会生活といっても良いと思います。

 みんな家ではワガママ放題だったのが、先生に注意されたり、友だちとの関係で我慢を覚えたりする、社会生活の基本を学ぶ場が幼稚園でしょう。

 そう考えると人間性や基本的な性格が形成されるのもこの時期であり、幼稚園かも知れません。

 幼稚園の先生方にはワガママいっぱいの映美のような園児の指導は大変だと思いますが、園児の人格形成のためにストレスを溜めない程度に頑張っていただければと思います。

ほんと、ストレス溜まると思いますよ。

2002年7月

「孝行」
 先日、全国布教使大会に出席するため京都に参りました。

 全国各地から650名ほどの布教使が集まっておりましたが、その中にハワイでお世話になった元開教使の先生がおられました。

 懐かしくお話をさせていただきましたが、ハワイで37年間も開教使を勤め、日本に帰ってきたらすっかり浦島太郎のような心境ですと話しておられました。

 終戦後しばらくしてハワイに渡ったそうですが、当時の日本人の心と現代日本人の心は大きく様変わりしているということでした。

 ずっと日本にいる私たちには気づかない変化だと思いますが、久しぶりに日本に帰ってきた者にはその変化は驚きとして、あるいは悲しみとして捉えられているようです。

 その一つとして「孝行」という言葉は日本ではもう使わないのですかと質問されました。

 確かに最近「孝行」という言葉をほとんど聞かなくなりました。「親孝行」などは死語になりつつある言葉のようです。

 しかし「親孝行」が親の為に何かする行為であるならば、「親孝行」は死語かもしれませんが、本当の親孝行はその存在だけで十分ではないでしょうか、あるいは行為や存在を超えて、子であるがゆえのハタラキが最も尊い「親孝行」のような気がしてなりません。

 我が家の孝行息子・娘たち、特に次男と長女は毎日元気に親の言うことも聞かずに暴れまわっております。

 親として時には心配したり叱ったりしておりますが、私を親として成り立たせているハタラキをこの子たちはしてくれていると思うことです。

「死してなお親は子を育て、親なればこそ亡き子に育てられる」

 姿は見えなくなってもお互いに育て育てられている関係が本当の親子なのでしょう。


2002年8月

「英語」

長男が中学に入学して英語の勉強を始めました。

 今年度から小学校でも英語に親しむため英会話を中心にした勉強が取り入れられているようです。

 小学校一年生の次男に聞きますと一学期中に一回だけ背の高い外国人が来て外国の食べ物の説明をして帰って行ったそうです。

 次男の数少ないボキャブラリーでの説明ですので何のことかさっぱり分かりませんがとりあえず一度は外国人と触れ合ったようです。

 次男は「たぶんあれはフランス人だよ」と訳の分からないことを言っております。英語を話すフランス人がいてもおかしくないと思いますが、おそらくは米国人か英国人でしょう。

 私は小学生の頃『レッツゴーモンキーズ』というテレビ番組の主題歌と『デイドリームビリーバー』という挿入歌を覚えたのが英語に触れた最初でした。

 その後もビートルズやサイモンとガーファンクルの歌詞で英語をよく覚えたものです。 たとえば『ヘルプ』の「ウエン・アイ・ワズ・ヤング・ソーマッチ・ヤンガー・ザン・トゥデー」という歌詞で英語の比較級を覚えました。

 本格的に生きた英会話を勉強したのは、やはりハワイに本願寺派の開教使として赴任した三年間でした。

 人間は必要に迫られると何事にも対応できるものです。耳が慣れるというか、最初は何を言っているのか全然解らなかった本場の英会話(ハワイの英語は方言ですが…)も次第に理解できるようになり、英会話は恥を恐れぬ勇気であるということを学びました。

 ところで来年九月から本願寺のホノルル別院に小学校・中学校につづいて高校が開校するそうです。

 長男に家族みんなが「高校はハワイへ行ったら」と勧めておりますが、自分たちがハワイへ遊びに行く口実としたいだけです。

2002年9月

「フルカラー」
 「湘南ライオン寺墓園」が開園して4ヶ月が経ちます。

 今のところ10本のヤシの木は健在ですが、ここのところの暑さが気になります。

 毎夕、墓園の植木や芝に水をあげていますがヤシの木には特に念入りに水をあげております。

 私(住職)の顔を見たことがある方はご存知でしょうが、私は生まれつき色黒です。

 日に焼けても赤くならずにすぐ黒くなり、小学校や中学校の夏の日焼けコンテストではいつも優勝しておりました。

 毎夕の水撒きでその色黒にますます磨きがかかり、今では服から露出した部分は相当黒くなりました(ゴルフ焼けではないことを申し添えます)。

 そんな私の夢は「人生一度でいいから色白になりたい」と言うはかない夢ですが、一生叶わぬ夢で終わりそうです。

 ところで今月号の「ライオン寺だより」の一面と四面がカラーになったのに気づいたでしょうか。本当はフルカラーで印刷できるのですが、ランニングコストが高すぎるので二色刷りにいたしました。

 住職の色黒は変わりそうにありませんので、せめて「ライオン寺だより」だけでも色を変えてやろうという訳です(そんなことはない)。

 カラーになってますます読み易くなる「ライオン寺だより」ですが、住職は無理をしてカラープリンターなどの設備投資をしているわけでなく、法話会に参加された皆さまの御懇志で発行している「ライオン寺だより」ですので、毎月多くの皆さまが法話会に参加してくださり、御懇志を住職手作りの賽銭箱に入れてくださいました結果が「ライオン寺だより」のカラー化となった次第です。もちろん御懇志は強制ではありません。

 フルカラーの素晴らしい「ライオン寺だより」になるのはいつのことか分かりません。それは皆さんの法話会出席にかかっているのです。

 でも、法話会は「ライオン寺だより」をフルカラーにするための法話会ではありません。ここらあたりは誤解のないようご理解ください。

 「それにしても早くフルカラーにしたいな…」(住職の独り言)
2002年10月

「お念仏」
 お彼岸の後半、三泊四日で北海道の寺院へ彼岸会の講師として出講してきました。

 最近よく各地のお寺から法話会への出講を頼まれるのですが、お寺が忙しすぎてとても出られません。北海道はゴルフを条件に引き受けた次第です。(不真面目ですみません。)

 ゴルフのスコアーはともかく、久しぶりにお念仏の声が大きく聞こえるお寺で法話をさせていただきました。

 北海道はお念仏の声がよく聞こえる土地柄です。ご先祖にお念仏の盛んな北陸出身の方々が多いせいでしょうか、法話の最中あちこちで「ナンマンダフ・ナンマンダフ」と言う声が聞こえておりました。

 昔から「聞き上手なお同行」という言葉があります。ご講師の話の盛り上がったところでお念仏を称えるのです。ご講師はますます調子に乗ってしまい身振り手振りを交えて大熱演の法話となるのです。

 「聞き上手なお同行」は講師の話をわざと盛り上げるためにお念仏を称えているのではないのでしょうが、お念仏を称えていただきたいために法話をしているご講師には、お念仏の声が聞こえるたびに嬉しくなっての大熱演となってしまうのです。

 ところで、来恩寺に来てくださるご講師はどなたも口をそろえて「話しやすい雰囲気ですね」と言ってくださいます。

 住職もそう思います。自分のお寺ですので話しやすいのは当然です。話しづらい雰囲気の来恩寺ですととっくの昔に法話会は止めていたことでしょう。

 話しづらい雰囲気とは反応のない状態です。講師の話にうなづきもしなければ講師の顔を見ようともしない人たちの前で話をするときは嫌なものです。

 時々ご法事でそんなご家族に遭遇いたします。人が話をしているときはせめて顔だけでも見たらと言いたくなってしまいます。世間体があるので仕方なく法事を勤めているという家庭は法事をやめたほうが良いと思います。時間もお金も無駄です。

 私たちはもっと真剣に宗教を考えてもいいのではないでしょうか。そんなことを北海道の講師部屋で考えておりました。
2002年11月

「お寺の奨学金制度」
 毎月発行しているこの「ライオン寺だより」も発行部数が1200部を超えました。

 最近来恩寺にご縁を持たれた皆さまはご存じないと思いますが、来恩寺は法話会や勉強会、そしてボウリング大会やゴルフコンペ、また団体参拝旅行や各種研修懇親会等の諸行事を中心にした参加型寺院です。

 従来の寺院のように法事や葬儀のためだけにある寺院ではありませんし、強制的な寄付や入壇料・護持会費等もいただいておりません。もちろんお布施の額も一切決めておりません。

 将来的には高齢者への各種サービスやホスピスなどの福祉・ターミナルケアーの分野にも力を入れたお寺にする予定ですが、最近ちょっと気になるのが深刻な不況問題です。

 特に母子・父子家庭のお子さんの進学が親のリストラなどの影響を受けていることが住職として気になっております。

 不況による子どもの進学問題は母子・父子家庭の子どもだけではないのでしょうが、住職としてお寺におりますと親と死別して残された子どもたちのことが気になって仕方ありません。

 なんとか明るく元気に育っていただきたいと願っておりますが、お寺でも出来ることがないかと考えております。

 ハワイのようにお寺の奨学金制度(無税)などが出来れば良いのですが日本での奨学金に関する税務関係がさっぱり分かりません。

 せめて高校や大学の入学の際に五万円か十万円ぐらいの一時金が出せればと思いますが、来恩寺はそんなに裕福なお寺ではありませんので、皆さんに一口一万円ぐらいの寄付をお願いする時があるかもしれません。(強制ではありません)

 そしてその子たちが来恩寺の子ども会のリーダーとなってくれたり、各種行事にも参加してくれれば来恩寺も若い人たちの熱気でもっと活気のあるお寺となることでしょう。

 とにかく来恩寺の総代さんや法話会に集まった人たちに相談してみようと思います。

 来年から「ゆりカゴから浄土まで」を来恩寺の新しい活動コンセプトとしたいと思います。

2002年12月

「団参のご報告」

 越後の親鸞聖人・恵信尼さま・良寛禅師のご旧跡参拝にみんなで行ってまいりました。

 ご旧跡めぐりも思い出に残りましたが、二日目の旅館が後々まで忘れられない思い出となりそうですのでご報告いたします。

 二泊三日の今回の参拝旅行は、初日が弥彦温泉の有名ホテルで宿泊し、二日目も温泉旅館での宿泊予定でしたが、出発の三日ほど前に旅行社から「こちらの手違いで二日目の旅館が変更になりました」と連絡が入りました。「あっそう」と気楽に応えましたが、その旅館は現代では非常に珍しい旅館でありました。

 二日目のご旧跡めぐりを終えた我々は、早く温泉にでも浸かってゆっくりしたいものだと考えておりましたが、バスが迷いながら到着した旅館の姿に一同言葉が出ませんでした。

 そこはごく普通の民家のような佇まいだったのです。イヤ、ごく普通でなくちょっと古びたでもない、ずっと古びた民家の佇まいだったのです。

 バスガイドさんも恐る恐るその家の人にここが目指す旅館であることを訊ねておりましたが、そこは裏口で玄関は逆方向であることを知らされ胸をなで下ろしましたが、逆方向の玄関も裏口とさほど変わりはありませんでした。

 その旅館は温泉旅館でなくただの民宿でした。しかも相当古い民宿です。部屋にトイレやバスはなく、廊下の奥に和式の便所と風呂がありました。私の部屋の暖房も小さなガスストーブがポツンと一つあるだけで、テレビも今時では珍しい百円硬貨を入れて見る装置が付いておりました。廊下も走ると抜けそうな気がしますし、壁も一部ハゲ落ちているのか開催期間の終わったイベントのポスターが貼ってありました。

 温泉もないのでみんな時間を過ごす術もなく、一つの部屋に集まってすごい旅館だと感想を述べ合っておりました。

 しかし、夕食の料理はとても美味しく、温かいものを温かくいただくことが出来ました。

 次の日は予定を変更して早めに出発したのは言うまでもありません。

 でもなぜか楽しかったです。

2003年

2003年1月

「ユリカゴから浄土まで

 ご挨拶が遅くなってしまいましたが「新年明けましておめでとうございます」。

 毎年言っているような気がいたしますが、住職は阿弥陀さまのおかげで一年中おめでたい男ですので、正月だからといって特別な感慨はあまりありません。

 特にお年玉を貰えなくなってからはめでたくも何ともないような気がいたしますが、一応新年の慣習ということでご挨拶申し上げます。

 ところで表紙に掲載の通り、今年も来恩寺ではさまざまな行事を予定しております。

 今まで来恩寺の法座や行事に参加したことのない方は、ぜひ一度、今年こそは何かの行事にご参加ください。

 特に来恩寺は阿弥陀さまの救い(真の安心)を伝えるための寺院として設立いたしました。

 葬儀や法事でお経を読んでもらうためのお寺と考えておられるお方はそのお考えを改めていただきたいと思います。

 また、来恩寺では皆さんが各種行事に参加しやすいように茅ヶ崎駅まで無料送迎車を出しております。ぜひ送迎車をご利用いただきご参加いただければと思います。

 それから、来恩寺のモットーの「楽しくなければお寺じゃない」に今年から「ユリカゴからお浄土まで」が新たに加わりました。

 「楽しくなければお寺じゃない」は、お寺は本来楽しいところであることを皆さんに再認識していただくために設けたモットーです。

 「ユリカゴからお浄土まで」は、「ユリカゴから墓場まで」という社会福祉先進国の上を行く発想です。

 来恩寺は生まれた時から亡くなった後の葬儀や墓参りだけでなく、その先のお浄土までずっとみんな一緒ですという意味です。「みんな」の中心はもちろん阿弥陀さまです。

 来恩寺は開かれたお寺として、ご縁のある方に安心して生活し、安心して老後を過ごし、安心して人生を終えるお手伝いをしたいと考えております。

 そのためには皆さんにご縁を結んでいただく必要があります。

 各種行事にぜひご参加を!。
2003年2月

「寺院対抗ボウリング大会」
 来恩寺の所属しております鎌倉組「壮年の集い」第三回寺院対抗ボウリング大会(120名)と新年会(150名)が終了いたしました。

 結果は来恩寺が2位で1位は金剛寺さんでした。

 このボウリング大会は2ゲーム制で各寺院上位三名の合計成績で争われ、その三名には男女両性が必ず入っていることが条件となります。つまりボウリング版「男女共同参画」です。

 来恩寺からは23名がボウリングと新年会に参加し、10名が応援と新年会に参加いたしました。中学生以下の子どもたちは無料で参加でき、来恩寺からは6名の子どもが参加してくれました。

 子どもの部の優勝は昨年に続き住職の長男順正君(中一)でした。1ゲーム目が153点、2ゲーム目は120点と自己ベストの成績で優勝し、賞品のテレビゲームをゲットしました。

 二男の顕正君(小一)は4位で惜しくも賞品のベイブレード(コマのようなもの)を逃しました。新年会の席でベイブレードをゲットした違うお寺の上級生の男の子に自分の賞品と交換してくれるよう必死に交渉しておりましたが、見事交渉を成立させベイブレードを手に入れました。将来立派な商人になることでしょう。

 長女の映美ちゃん(三才)は2ゲームもできる集中力がありませんので今回はボウリングに参加しませんでした。

 寺院対抗のボウリング大会は和気アイアイとした雰囲気の中で大人も子どもも一緒に楽しめる集まりです。また表彰式での盛り上がりも素晴らしく今のところ住職の一番好きな集まりとなっております。

 このような集まりの良いところは寺の垣根を越えて門信徒同士横のつながりができることでしょう。未参加の方は次回ぜひご参加ください。

2003年3月

「映美の性格」
 今月の「今を考える」と「仏事の迷信」は差別について書きました。皆さんもご家庭で身近な差別について話し合っていただければと思います。もちろん住職一家も話し合います。

 さて、早いものでもう三月です。ついこのあいだ正月を迎えたばかりという気がいたしますが、あっという間に二ヶ月が過ぎ去りました。

 そういえばついこのあいだ生まれたと思っていた長女の映美も先月の四日で満四才になりました。この四月に幼稚園の年中さんとなりますが、ますます可愛らしい女の子へと成長しつつあります。性格は別にして…。

 末っ子で娘一人でカワイイということもありますので家族(特に住職)が甘やかせて育てたものですから、人一倍の甘えん坊で気分屋さんです。

 機嫌が悪いときは誰がなんと言おうとまったく受け付けません。逆に機嫌がいいときは目の中に入れても痛くないほどかわいい子です。

 そんな長女に家族みんなが手を焼いていますが、幼稚園では少し様子が違うようです。

 先日、幼稚園の配布物で「二月生まれのお友だち」というプリントをもらいました。

 クラスで三人が二月生まれで、それぞれの紹介が書いてありました。映美の紹介文に「お友だちの気持ちを考え、優しく接することのできる映美ちゃん。笑顔がかわいい女の子です。」とありました。

 「お友だちの気持ちを考え、優しく接することのできる」とは誰のことを言っているのでしょうか。映美のこととはとても信じられません。

 紹介文が隣の子の文と入れ替わったとしか考えられませんが、もし紹介文が本当ならどちらが映美の本当の性格なのでしょうか。親としては幼稚園での性格であることを望みますが訳が分かりません。

 それから映美の担任の先生にひとこと言っておきますが、映美は笑顔がかわいいだけでなく、怒った顔も泣いた顔も全部かわいい女の子なのです。
2003年4月

「ライオン寺墓園」
 来恩寺の寺院墓地「湘南ライオン寺墓園」の開園から1年が経とうとしております。

 シンボルのヤシの木も鹿児島から専門家が来てくださり、「夏場の水やりがしっかりしていたので大丈夫」とのお墨付きをいただきました。顔や手足が真っ黒になりながらも水をあげた甲斐がありました。(ゴルフ焼けではないことを再度申し上げます)

 これから5月にかけてヒノデツツジや芝桜が咲き出します。去年は開花時期を過ぎての植樹でしたので実際に咲いているところを私は見ておりません。

 植木屋さんに言わせると「見ものですよ」ということですので開花が待ち遠しいです。花が咲きましたら墓園の写真をこのライオン寺だよりにも掲載したいと思います。

 ところで墓地は大小8種類の区画に分けて提供しておりますが、まだまだ空きがあります。

 過去の宗派を問わず、今後浄土真宗で来恩寺の門徒となる方はどなたでも使用できますので、ご友人やご親戚に墓地の必要な方がおられましたらぜひご紹介下さい。近隣の寺院墓地より格段に安い永代使用料(冥加金)です。

 また、他宗派の寺院墓地に墓地をお持ちの方もご相談下さい。将来、皆さんの子孫の方が浄土真宗から離れることのないよう、しっかりとした将来の展望を持つことも墓地取得者(子孫から見ればご先祖)の責任であると思います。

 それから墓園の近くに2百坪の土地を取得し、約40台の駐車場も完成いたしましたので墓参だけでなく来恩寺での法事の際にもご利用下さい。

 寺院施設が着々と整備されつつある来恩寺ですが「ユリカゴからお浄土まで」を合い言葉に、これからも老人介護施設やホスピス病棟の建設・運営など、さまざまな事業を展開したいと思います。

 皆さんに「ご縁があって良かった」と思われる寺院が来恩寺のめざす寺院です。
2003年5月

「新しい企画」

 ライオン寺墓園の案内チラシが5月8日付の朝日と読売新聞に折り込まれます。

 折り込まれた後は申込みが殺到すると思いますので(住職の勝手な予想)、来恩寺にご縁のある方で墓地のない人はお早めに墓地の場所をお決めください。墓地の必要なご親類にもお知らせください。

 ところで長年掲載しておりました「仏事の迷信Q&A」を今月号から休載し、来月号より新たな企画を立ち上げることにいたしました。

 仏事に関する迷信や疑問点を洗い出して、なぜそのように言われるのか、なぜそうするのか、そしてそれらに対する浄土真宗の考え方を書いてまいりましたが、おおかた出尽くした感がありますので、ここらあたりでお休みとさせていただきます。

 「仏事の迷信Q&A」は本にまとめましたので、疑問がある場合はそちらをお読みいただくか(もう在庫はありません)、インターネットのホームページをご覧ください。

 新しい企画ですが、住職の性格のように、まじめで几帳面な論文のようなものにしようかと思いましたが、それでは来恩寺門信徒がついてこれないと思い、この雑記のような気楽な読み物にしようと考えております。

 住職の門信徒を想う優しい心遣いにぜひ皆さんは感謝いたしましょう。決して「住職はまじめな文章が書けないのだ」と考えるのだけはお止めください。そこらあたりは誤解のないように。

 住職の希望としては旅行記のような物を書いてみたいのですが「取材にお金が掛かる」と坊守の許可が下りそうになく、また住職にそんな暇もありませんのでこちらは没です。

 でも学生時代に住んでいた京都や、本願寺から派遣されたハワイ・函館・築地、そして故郷兵庫のことはぜひ一度書きたいと思いますので皆さまにはご期待ください。
2003年6月

「テレビ出演」

 先日、テレビの撮影がありました。

 BSハイビジョンの視聴者参加同時双方向(こんな表現で分かるかなぁ)のクイズ番組です。

 詳しく説明しますと、クイズの出題は四つぐらいのコーナーに分かれており、視聴者がそれぞれのコーナーの正解を画面の中からリモコンを使って選び、同時に送信して正解率の高い人が優勝するといった内容の番組です。

 双方向の通信が可能なハイビジョンテレビならではの番組です。

 私の出演は出題者としてボウリングをすることでした。

 どんなクイズのコーナーかと申しますと、六人がボウリングをして、視聴者は三人を選び、その三人の一投の合計が21になれば正解。オーバーは失格。21の人がいなければ21以内で21に近い人が正解といういわゆるトランプのブラックジャックのボウリング版です。

 突然番組制作スタッフからメールが入り出演の要請があったのですが、要請の内容は僧侶六人でボウリングをしてほしい、それも僧侶の服装でしてほしい、といった勝手なものでした。

 毎回同じ職種の人六人でその制服を着てボウリングをするそうです。たとえば看護士さんとか大学の応援団やレースクィーンとか。

 お坊さんがお坊さんの格好でボウリングをする絵を欲しがっていたようですが、それはお断りをして結局作務衣でボウリングをしました。

 来恩寺からは私と石崎君も出演しましたのでぜひご覧ください。番組名はBS日テレの「ブレインマックス」毎週土曜午後8時〜(ゴールデンだ)です。

 住職としてはバラエティーより政治や教育番組に出たいのですが今のところお呼びがありません。トホホ…。
2003年7月

「お台場見学」

 来恩寺の所属する鎌倉組「壮年の集い」講演会と懇親会に行って参りました。

 総勢約二百名の出席で、来恩寺からは三十九名が参加し、築地本願寺輪番中西智海師の「他力本願といのり」と題した大迫力で情熱的な講演を堪能いたしました。

 引き続き行われた懇親会も相変わらずの盛況で、楽しいひとときを過ごしました。

 築地本願寺へはバスで往復いたしましたが、途中お台場周辺を散策し、昼食も料理の鉄人のお店(有明ワシントンホテルの隣のビル内)などでいただきました。

 まだ幼い二男と長女を連れた住職たちは料理の鉄人のお店へは行かず(もったいないから)フジテレビ周辺で食事をし、フジテレビやジョイポリス内の昭和三十年代の商店街を再現した所へ参りましたが、懐かしい品々にすっかりはまってしまいました。

 昭和三十年代といえば住職の0才から九才までの年にあたります。「こんなので遊んでいたな」というオモチャもたくさんあり、当時人気のあったプロ野球選手の名前を刻んだベーゴマを思わず買ってしまいました。

 製造中止になった車の「ミゼット」やスクーターの「ラビット」もさりげなく置いてあり、七才の二男がまたがっておりましたが、ラビットは私の父が月参りなどで乗り回していたバイクです。

 ちょうど二男の年令の頃、父のバイクの後席に乗せられて大きな背中にしがみついていたことを思い出し、少し胸が熱くなりました。

 昭和三十年代といえば今から三十九年から四十八年前です。皆さんも四十五年ほど前の自分に会いにお台場に行ってみてはいかがでしょうか。

 「汚れを知らない」かどうかは知りませんが、少年少女や青年の頃の自分を捜してみるのも面白いと思います。

 住職は皆さんの四十五年前の姿を想像するのはご遠慮申し上げます。

2003年8月

「盆参り」

 七月の後半は超多忙でした。お寺の盆法要につづいて一泊子ども会があったからですが、子ども会の最中に名古屋のお寺の婦人会の方々がお寺を訪ねてきたり、子ども会の直前に税務署の調査も二日間びっしり受けましたし、通夜・葬儀も重なり、このライオン寺だよりの原稿の執筆と、もう一つ至急の原稿も頼まれてしまったからです。

 住職は断るということが苦手で、どんなに忙しくても人が困っていたら何か役に立ちたいと思ってしまいます。

 結局、そのお人好しが災いして超多忙な生活を送っているのでした。

 「忙という字はリッシンベンに亡くすと書いて、つまり心を亡くすことだ」と教わったことがあります。どんなに多用でも心だけは亡くさないように気をつけたいものです。

 ところで住職の母校平安高校がこの夏も全国高校野球大会に出場することになりました。ちょうど盆参りの最中の大会ですのでまたまた忙しくなりそうです。

 盆参りでお経を読んでお話をして、車に戻って平安高校の試合の中継を聞いて、またお参りをしてお話をしてといった、童謡の「むすんでひらいて」の住職バージョンをすることになりそうです。

 盆参りに伺うお家の皆さまには平安高校の試合の最中に住職がお参りにやってきたら、テレビの画面はそのままにして音声だけを小さくしてお参りが終わったら住職がすぐテレビを見られるように心掛けましょう。

 平安高校以外の試合のときはテレビは消してください。お参りに集中できませんので…。(勝手なもんだ)

 それから平安高校の試合のある日に住職もしくは石崎法務員以外の僧侶がお参りに来ても親愛なるご門徒の皆さんは「住職が盆参りをほったらかして野球を見に行った」とは考えないで葬儀が入ったと考えるようにしましょう。

 平安高校が決勝戦まで進んだ場合はその限りではありません。

2003年9月

「緊張とゆとり」

 長〜い夏休みが終わりました。

 中学二年の長男はほとんど毎日野球部の練習、あるいは練習試合で昼間は家におりませんでしたが、小学二年の二男と幼稚園年中さんの長女はこれといってすることもないので家で二人で遊んでいるか兄妹喧嘩をしておりました。二人は仲が良いのか悪いのかさっぱり分かりません。

 この夏、長男の所属する萩園中学校野球部は、茅ヶ崎市大会準優勝、湘南大会では優勝し、神奈川県大会でも第三位となるなど結構強いチームでした。

 これらの成績は現三年生の成績で、長男たちの新チームは秋から始まる新人戦が最初の戦いとなります。

 監督さんの方針だと思いますが、萩園中学校野球部はとにかく練習試合の多い野球部です。夏休み中、新チームとなったお盆過ぎからでも七、八チームと一日二戦の練習試合が組まれておりました。

 実戦に勝る練習はないという考えだと思いますが、中一の時、長男が初めて練習試合に出場して「むちゃくちゃ緊張した」と言っておりました。実戦を重ねることによって、その緊張がやがて自信につながっていくのだと思います。

 僧侶もまったく同じです。 僧籍を取って初めて一人で執り行う通夜や葬儀、そしてご法話などは非常に緊張するものです。

 私の知り合いは初めての通夜の席、あまりの緊張で手が震え、喪主に手渡すはずだった回し焼香をひっくり返し、危うく通夜の会場を火葬場にしてしまうところだったと話してくれました。その時のご法話も何を話したか全然覚えていないということです。

 経験を積み重ねますと、少々の突発的出来事ぐらいでは動じることはなくなりますが、今度は慣れから来る気のゆるみが心配です。

 何事も適度の緊張と適度のゆとりが大切だと思いますが、一番大切なのはやはり真剣さであると思います。

住職自戒。


2003年10月

「お寺をおもしろくする試み?」
 東海教区(愛知・三重県)の僧侶・寺族研修会の講師として名古屋別院へ行ってまいりました。

 講題は「お寺をおもしろくする試み」で、約九十分間の講演でした。

 講演や布教には何度も行っておりますが「お寺をおもしろくする試み」という講題での講演は初めてでした。

 主催者の人から「こんな大勢、しかも若い僧侶の皆さんがこの研修会に集まったのは初めてです」と説明を受けました。

 「何で私がこのような講題の講演会に呼ばれたの?」と疑問に思いましたが、来恩寺のホームページがご縁となっての講演会だったみたいです。

 参加者の皆さんも来恩寺のホームページは知っているらしく、若い僧侶の方々が講師部屋を訪ねて来られました。

 ゼロから出発した都市開教寺院のさまざまな活動に興味があるらしく、講演後の質疑応答でも「来恩寺のネーミングの由来は?」とか「たくさんの行事で法事などの法務はどうしてるの?」といった質問を受けました。

 全体を通して、参加者の皆さんが現状の寺院のあり方に疑問を持っていることが伝わってまいりました。それは「お寺を変えたい」という意識があるということです。

 苦労や失敗談も聞かれたのですが「忘れました」と答えておきました。

 実際、苦労や失敗の記憶がさっぱりありません。行事を行うことが苦労や苦痛と感じれば止めてしまえば良いことで、続いているということは住職が楽しんでいるからです。

 むしろ住職の楽しみのために皆さんにご協力をいただいているといったところが本当のような気がいたします。

 参加者の皆さんにこれからのお寺の使命として「寺院情報の公開」を訴えておきました。来恩寺は会計決算書などを総代さんに公開しておりますが、他の寺院は少ないようです。

 寺報の発行も寺院情報公開の手段として大切です。



2003年11月

「住職の賞品選び」
 先月行われた報恩講記念来恩寺ゴルフ大会は、参加者がいつもより少な目でした。

 5組予約していたのですが、4組でのコンペとなりました。

 ベスグロ(ハンデ抜きの成績)で優勝を確信していた住職ですが、ダブルペリア(ハンデキャップの設定法)の集計で、4位となってしまいました。

 優勝賞品のDVDプレーヤは平塚の中村さんが持っていきましたが、住職はゴルフバッグをいただきました。

 年2回のゴルフ大会と春の花まつりボウリング大会、そして報恩講でのビンゴゲームでは豪華賞品を用意しておりますので、ぜひ未参加の皆さんもドシドシご応募ください。

 賞品は住職一家の必需品をまず考えて決定しておりますが、今後は皆さんの希望も聞きながら決めたいと思いますので、何かありましたらぜひお申し出ください。

 ちなみに春のボウリング大会は折りたたみ自転車が優勝賞品でした。住職の自転車が壊れたため決定したのですが、萩園の吉原さんにさらわれてしまいました。

 欲を出しても結果に表れないということを痛感しましたので、今後は無欲で賞品を決定したいと思います。

 あるいは、子どもたちに希望を聞いて賞品を決めてもよいのですが、ウルトラマンの玩具やキティーちゃん人形が優勝賞品では参加者の皆さんから嵐のようなブーイングを受けそうです。

 賞品の代わりに現金を渡すということも考えられますが、参加者の皆さんの性格が一変するような気がしますし、お寺の行事がヤクザの催し物のようになる可能性もありますのでこちらもやめた方が無難です。

 皆さんに喜んでいただく賞品を選ぶのは結構時間が掛かります。住職がそんな苦労をして賞品を考えていることだけはご承知おきください。

 ひょっとして賞品が住職一家の必需品になっても文句は言わないようにしましょう。



2003年12月

「熟年暴走族?」

 九州への団体参拝旅行から戻ってまいりました。

 三日間とも非常に良いお天気で関東が大雨の時も九州は快晴でした。

 私が印象に残っているものは大分県臼杵の石仏群と海門寺の皆さんの手作りの昼食、そして普段は非公開の大谷光瑞記念館でした。

 石仏群はバーミヤンの石仏をずっと小さくした規模ですが、案内をしてくれたボランティアの方の説明が、まさに浄土真宗といった感じでとてもうれしく思いました。

 海門寺での昼食は数日前から門信徒の方々によって準備され、手打ちの美味しい蕎麦をはじめすべて手作りの昼食に感動しました。海門寺の皆さんありがとうございました。

 大谷光瑞記念館では私の友人である覚正寺掬月住職の丁寧な説明で、光瑞さんの人柄や偉業を教えていただき、あらためてその偉大さに感銘を受けました。

 もう一つ印象に残っていることは吉野ヶ里遺跡です。

 遺跡に感動したといったことではなく、遺跡でのあるお二人の笑顔です。

 初日最後の訪問地ということもあり吉野ヶ里ではみんな疲れておりましたが、特に八十才前後のお二人の女性は広い遺跡群を歩いて見学することは無理と判断し、入り口のところで待っていると宣言されました。

 くるまイス無料貸し出しの看板を目にした私は、お二人のために電動くるまイスを借り、半ば無理矢理乗っていただきました。

 最初は操作やスピードに戸惑っていたお二人ですが、徐々に運転にも慣れ、軽やかに進む電動くるまイスにニコニコしながら乗っておりました。

 最後の方には「先生、もっとスピード出ないですかね」と聞いてくるほど楽しんでおりました。

 人垣をスイスイと縫って走るお二人の姿は、さながら熟年暴走族といった風体です。

 とても印象深い光景でした。


2004年


2004年1月

「門徒のリストラ?」

 来恩寺門信徒の数が口コミなどで日々増えております。

 一般的にはこの不況下で羨ましいと思われるかも知れませんが、増えたら増えたで困ったことも出てまいります。

 その一つが土日の法事の時間が皆さんの希望にそえないということです。

 来恩寺にご縁のある家庭は、ほとんどがサラリーマン世帯ですので法事が土日に集中いたします。

 来恩寺にご縁のある家庭では、家族の13回忌を迎える家庭が一番長いつき合いですが、あと10年もすれば17回忌・23回忌を迎える家庭も出てきますし、1周忌や3回忌を迎える新しい門信徒も増え続けることと思います。

 築地本願寺のように職員の数が多く礼拝の施設もたくさんあれば問題がないと思いますが、住職には僧侶の数をこれ以上増やす気がありませんので、あとは平日に法事を行っていただくか、門信徒のリストラが考えられます。

 昨今は門信徒がお寺や僧侶を選ぶ時代になったようですが、来恩寺に門信徒を選ぶ時代が来るのでしょうか。

 もしそうなった場合、お布施や寄付(強制的な寄付や会費はありません)の額で門信徒を選ぶ気持ちは毛頭ございませんので皆さまにはご安心ください。

 また、顔や性格で判断することもございませんので、それらに自信のない方もご安心ください。

 判断する基準はお寺の行事に参加しているかしていないかのただ一点だと思います。

 将来建設予定の老人介護施設やホスピス病棟の入居者も同じです。お寺の行事に参加していた人を優先したいと思います。

 そういう訳ですので、今年の「行事予定」の中から参加できる行事を抜き出して予定表に書き込んでおきましょう。

 何らかの理由で行事に参加できない人もいると思いますが、参加できる人はぜひ参加してくださいね。(住職哀願)



2004年2月

「アメリカでゴルフ」

 先日、アメリカ軍の座間キャンプ内にあるゴルフ場でプレーする機会がありました。面白かったのでご報告いたします。

 まずキャンプの第7ゲートを入ると自動小銃を持った監視兵(日系人?)が「ゴルフですか」と流暢な日本語で尋ねてきます。

 「ハイ」と応えると「身分証明書を見せてください」と言われますので私たちは免許証を提示しました。

 監視兵は免許証の名前とゴルフの申込者名を確認すると英語と日本語で書かれた通行証をくれました。以外と簡単に入れます。

 クラブハウスは日本ほど立派ではありませんが(日本が立派すぎる)メニューを見ると飲み物や食べ物の料金は無茶苦茶安かったです(コーヒーはお代わり自由)。

 コースは本格的でキャンプ内だからといってこぢんまりしたものではありません。私たちは5人一組で回りましたが、6人でも回れるそうです。

 アメリカやハワイと同じくキャディーさんが付かない(いない)2人乗りカートで回りましたが、ものすごくスピードの出るカートでした(日本のカートは遅すぎてイライラします。しかもキャディーさんと一緒の五人乗りで狭すぎますし)。

 プレーは18ホールをスルー(食事休憩なし、途中売店あり)で回りますのでとても早く終わりました。

 プレー後に食事をしましたがアメリカンフードばかりのメニューで、どれも量が多すぎ、クラブハウスサンドイッチなどは食べ切れません。

 今度行く時は二人で一人前を注文した方が良さそうです。

 プレーの途中、一緒に回った関西から出張で来ていた建設会社の人に電話が入りました。

 その人は「いま?。いまアメリカにおんねん」と応えていましたが、確かにそこは金網に囲まれたアメリカでした。

 ということで来恩寺春のゴルフコンペは座間キャンプに決定しました。

 若泉さんよろしく。



2004年3月

「引っ越しシーズン?」


 先月号で来恩寺のホームページへの訪問者が四万人を突破とお知らせいたしましたが、そのすぐ後にホームページの運営会社から「ホームページの運営は今年の8月31日をもって終了します。引き続き当社での利用を希望の方は○○(新しいサーバー)への移行手続きを行ってください。」というメールが入りました。

 突然のことで驚きましたが来恩寺のホームページを楽しみにされている皆さまは3月中(引っ越しシーズン?)にホームページを引っ越しますので「お気に入り」や「ブックマーク」への登録の変更をお願いいたします。

 引っ越しして一番の問題はヤフーやその他の検索エンジン、友人のホームページなどでリンクしてくれているアドレスを変更してもらうことです。

 インターネットをしない人には何のことかさっぱり分からないと思いますが、ホームページの引っ越しはタンスの洋服や台所の食器類などを段ボールに詰め、トラックで運ぶ引っ越しではありません。

 新しい運営会社と契約し、コンピューター上の設定をほんの少し変更するだけで引っ越しは完了するのですが、やはり一番の問題はリンクを張っていただいているホームページの管理者へのアドレス変更通知と、お気に入りに登録してくれている皆さんへの連絡だと思います。

 新しいアドレスはhttp://www.lionji.join-us.jp/となりますが、インターネットをされる皆さんは来恩寺のホームページのアドレスが古いままのリンクを発見されましたら、管理者の方にメールでお知らせくださいますようお願いいたします。

 また、この機会に来恩寺門信徒の皆さまの会社や個人のホームページも来恩寺ホームページのリンクページに掲載したいと思います。


2004年4月

「意外な人気」


 高知競馬の「ハルウララ」が話題となっております。天才ジョッキーの武豊さんが騎乗しても勝てませんでした。106連敗中とのことです。

 しかし、もの凄い人気で競馬場の入場制限や記録的な売り上げがあったそうです。ハズレ馬券も「当たらない」ということで交通安全などのお守りになっているそうです。

 もう終了しましたがフジテレビの昼ドラ「牡丹と薔薇」も話題となっておりました。赤ちゃんの頃生き別れ、大きくなってから再会した姉妹の話でした。

 時々観ておりましたが「なんでやねん」と関西弁で何度ツッコミを入れたか分かりません。

 「ハルウララ」と「牡丹と薔薇」。なぜ話題になるのだろうかと不思議に思います。

 「白い巨塔」や「プライド」そして「ぼくと彼女と彼女の生きる道(タイトルが長い)」も高視聴率をマークしたそうです。この三つはほとんど観ておりませんでしたので詳しい内容は分かりませんが、人気が出るのは何となく想像できました。

 「牡丹と薔薇」はストーリーが次々と急展開し、お弁当に例えるならスペシャル幕の内弁当のように「何でも有り」のドラマでした。視聴者はストーリーの意外性と非現実性に戸惑いながらも引き込まれていったようです。

 長女の映美(5才)の話してくれる「創作物語」もストーリー展開に意外性があり、ドキドキしながら聞き入っております。

 ある日のお話は「昔々あるところに」で始まり、「お父さんがいました。お母さんもいました。お兄ちゃんもいました。」と自分の知っている人物の名をすべて挙げただけで「おしまい」となってしまいました。

 何とも斬新な物語ですが、映美にとっては「みんながいる」ということだけで満足なのかも知れません。

 みなさんも映美の物語の登場人物になれるようお寺の各種行事にご参加ください。



2004年5月

「送別会が発表会」



 先日、長男の中学1・2年の担任であった女性の先生が家庭の事情で退職するということで送別会が来恩寺の二階広間で行われました。結構クラスのみんなから慕われていた先生らしく、泣き出す女の子たちもいたりして私ももらい泣きをしてしまいました。

 長男は「先生、3年も担任になってよ」と3学期に入ってから言っていたらしいのですが、先生は「3年間も同じ生徒を受け持つことはないのよ」と笑ってはぐらかしていたそうです。実際は去年の秋ぐらいに退職の意思は固まっていたとのことです。

 長男の中学は公立の学校ですので、髪の毛を染めている子や授業に出ない子などいろんな生徒がおり、長男と同じ学年のあるクラスは授業にならないほど荒れているので、学校側の要請で親が毎日授業参観に出かけていたそうです。

 3年になって全クラスで授業参観と全体での進学についての説明会がありましたが、長男もいよいよ受験生かという思いがいたしました。

 長男は野球部に入っておりますが、朝練で毎朝6時ごろ家を出て行き、放課後の練習を終え帰宅するのは夜の7時ごろになります。塾のない日は帰ってくるとすぐギターやウクレレを弾いてサザンの歌などを歌っております。

 夏の大会終了までこのような日々が続き、受験生が勉強もしないで部活や趣味に熱中していていいのだろうかと少し不安になりますが、だらだらと勉強するより部活が終わった夏ごろから集中して勉強するほうが良いような気もいたします。部活によって体力もついたことですし。

 先生の送別会は長男の仕切りによって和気アイアイとした雰囲気で進行しましたが、最後は長男がギターで伴奏し「贈る言葉」や「なごり雪」をみんなで歌って終了となりました。

 そばで見ていた感想ですが、先生の送別会というより長男のギター発表会になっておりました。まったく…。



2004年6月

「修学旅行」


 先日、長男が中学の修学旅行で奈良と京都に行きました。

 最近の中学や高校の修学旅行は班別行動が中心だそうですが、長男たちも二泊三日の二日目は京都で班別行動だったようです。

 ずいぶん前から班メンバー五人でどこへ行くか悩んでおりましたが、結局は長男提案の「京都三名閣めぐり」に決定しました。

 三名閣とは、金閣・銀閣・飛雲閣のことで、飛雲閣は西本願寺の中にあり、息子の提案に「さすが来恩寺の長男」と嬉しく思いました。

 住職の中学修学旅行の行き先は長男たちとは逆で、東京と伊豆箱根方面でした。

 旅行の記憶はまったくと言ってよいほどありませんが、一つだけ記憶があるのは箱根小涌園での朝食です。

 焼き魚とおみそ汁、それに味付け海苔と納豆が付いた朝食でしたが、当時の関西人は納豆を食べる習慣がほとんどありませんでしたので、朝食会場は大パニックに陥りました。

 「ギャー臭い」「なんやこれ」といった声が飛び交い、先生たちも生徒を静めるのに苦労しておりました。

 今は関西の家庭でも納豆を食べる家がずいぶん増えたそうですが、当時は私も含めて初めて納豆を見た者がほとんどでした。

 長男の修学旅行の食事風景の写真を見ましたが、シャブシャブやすき焼きなどを自分たちの部屋で食べており、私たちとは違った食事の豪勢さと待遇の差に驚きましたし、交通手段も私たちは修学旅行専用列車でしたが長男たちは新幹線を利用しておりました。

 時代とともに修学旅行も様変わりしております。私立の中学なんかは海外へ行くところもあるようです。

 若い頃からいろんな経験をしておくことは良いことだと思います。特に海外で生活習慣や考え方の違いを体験することは良い勉強になると思います。

 私のように記憶を失うのは困りものですが…。



2004年7月

「行事の多いお寺」

 6月27日に行われた鎌倉組壮年の集い「落語会と懇親会」(総勢130名)に来恩寺からは28名の皆さんが参加してくれました。

 笑福亭仁智師匠の落語に皆さんお腹を抱えて笑っておりましたが、懇親会でも楽しいひとときを過ごしました。

 壮年の集いの次回行事は「寺院対抗ボウリング大会と新年会」が会場は未定ですが来年1月23日(日)に行われますのでぜひ多くの方の参加をお待ちしております。

 また壮年の集い以外にも鎌倉組15ヵ寺のチャリティーゴルフコンペが10月12日(火)に予定しております。会場は名門の磯子カントリーで、120名ほどの参加を見込んでおります。

 そういうことで来恩寺主催の秋のゴルフコンペは磯子カントリーのコンペとさせていただきますので予定表にご記入ください。

 また、来恩寺の単独行事としては秋の団体参拝旅行と12月19・20日の両日、毎年テレビでも報道される西本願寺の「スス払い(年末大掃除)」へ参ります。

 畳を竹の棒でたたき、背後から大きなウチワでススを追い出す光景を皆さんもテレビでご覧になったことがあると思いますが、その行事に参加いたします。西本願寺の普段入れなかったりする所も入れるかも知れませんので興味のある方はぜひご参加ください。

 それにしても来恩寺は何かと行事の多いお寺だと思います。住職がそのように感じておりますので皆さんは私以上に行事の多いお寺と思っておられることでしょう。

 全部の行事に参加すると家計が破産する可能性がありますのでほどほどにしておいた方が賢明かと住職は思います。

 でも「楽しくて仕方ない」と感じている人が大勢おられるのも事実です。来恩寺にご縁のある方は、ぜひ年に一度ぐらいは何かの行事に参加して「私は来恩寺の門徒」という意識を持ってください。



2004年8月

「メッセージ」


 住職がしばらく温めていた企画を発表いたします。どれくらい温めていたかというと二週間ぐらい前からです。(ひょっとして思い付き?)

 それは赤ちゃんが誕生し、お寺で初参式を行ったご家族の祖父母の皆さんに「二十歳の○○ちゃんへ」という題でその赤ちゃんが成人式を迎える日を想像してメッセージを書いてもらうのです。

 そのメッセージをお寺が大切に保管し、赤ちゃんが成人式を迎える前日あたりに「このメッセージは亡くなったあなたのお祖父ちゃんお祖母ちゃんが二十年前に書いたあなたへのメッセージですよ」と言って手渡すのです。

 お祖父ちゃんお祖母ちゃんには孫が成人式を迎える前に亡くならなければならないという義務が生じますが、そのメッセージを受け取った孫は感激とともに号泣することでしょう。

 メッセージに「明るく元気で立派な成人になっていることを期待します」などと書いてありましたら、メッセージと正反対の生活を送っている孫でしたら「俺もそろそろこんなヤクザな生活とおさらばしてまじめに生きよう」と昔の日活映画の主人公のように猛反省してくれるかも知れません。

 問題があるとすればメッセージを預かった住職が亡くなっていたり、老人性痴呆症とかでその存在をすっかり忘れている場合があることと、火事や地震・水害にも耐えうる保管場所があるかどうかということです。

 強固で防水・耐火性の優れた金庫や保管庫を購入する必要がありますが、何とか実現させたい企画です。

 このように住職はいろんな企画を持っておりますが、もし皆さんにも素晴らしいアイデアがございましたら住職にお知らせください。来恩寺を楽しいお寺にしましょう。

 「孫が生まれたらお寺で初参式」は昔からある浄土真宗の素晴らしい企画・伝統です。



2004年9月

「台風の目」


 集中豪雨に超大型台風やハリケーン。世界的に気象異常が発生しているようです。

 八月末に日本をほぼ縦断した台風十六号には驚きました。発生直後の気圧が910Hpaと聞いて仰天しましたが、九州南部に上陸した時も930Hpaと依然強い勢力を保ったままでした。

 暴風域も広く、しかも当初は時速十`前後といったノロノロ台風でしたので被害も拡大したようです。洪水や台風の被害に遭われた方々には衷心よりお見舞い申し上げます。

 ところで台風は大型になるほど目がはっきりと確認できるそうです。今回も気象衛星でぽっかりと開いた大きな台風の目を確認することが出来ました。

 台風の目で思い出しましたが、幼稚園か小学校の低学年の頃、大人たちが台風の目の話をしているのを聞いて、台風とは巨大生物で、もの凄く大きな目を持つ妖怪のようなものであると想像して一人で恐がっておりました。

 ウオノ目も同じで、大人たちが「足の裏にウオノ目ができた」と話しているのを聞いて「足の裏に魚の目?キモチワルー」と想像しただけで鳥肌が立ったものでした。

 台風の目もウオノ目も本物の目でないことは後日理解しましたが「○○の目」という表現は結構あるようです。

 仏教にも字は違いますが眼を使った表現があります。五眼といってものの見方・考え方を五通りに表現したものです。

 肉眼・天眼・法眼・慧眼・仏眼の五つですが、肉眼とはものの表面しか見ることのできない眼です。天眼とは先を見ることのできる眼、法眼とはものの道理が見える眼、慧眼とは真実を見ることのできる眼、仏眼とは前の四眼と内と外を見ることのできる眼のことです。慈眼とも表現されますが、じっとしてはいられない行動を伴った眼のことです。

 今度の豪雨などの災害でも慈眼の心を持った人が大勢おりました。

 し、しまった。
 面白さを売りにしている「雑記」の最後が法話のようになってしまった。反省



2004年10月

「たすけてー」


 先日夜の7時半頃、長男が「お父さん外で誰か助けを求めてるよ」と私に言いました。

 すぐにベランダに出て声を確認しますと確かに「助けて」(女性の声。長男は子どもの声だったと言っている)の声がお寺の前の小出川の土手付近から数回聞こえてきました。

 私は「どうしたー」「大丈夫かー」と聞きましたが返事はなく、ただ「助けてー」という声がするばかりでした。

 これはただ事ではないと判断した私は長男に警察に連絡するよう指示をして「今から行くからなー」と大声で叫んで懐中電灯を持って飛び出し、土手の辺りや川面を必死に電灯で照らしてその声の主を探しました。

 しかし、私が外に飛び出した瞬間から「助けて」の声がまったく聞こえなくなりましたので一瞬〈遅かったか〉と思い、次男が毎日素振りしている金属バットを持ってくればよかったと、ちょっと後悔しました。

 そうこうしている間にパトカーと消防車数台、そして救急車一台がサイレンとともに到着し、橋(レインボーブリッジではない)を封鎖して捜索が始まりました。

 橋の川上と川下を消防車が投光器で照らし、約一時間、大勢の野次馬が見守る中、数十人もの消防隊員と警察官が必死で捜索しておりましたが結局何も見つかりませんでした。

 警察官は「たぶんイタズラでしょう」と言うのですが、「助けてー」という声を実際に聞いていた私は「イタズラだと良いのですが」と応えるしかありませんでした。

 翌日の午後、防災スピーカーで近所の人が行方不明になっているという放送が流れた時はビックリしましたが、別人のようでした。

 イタズラにしても人騒がせなイタズラだと思いますし、今度またそのような声がして私が警察に通報し、また何事もなかったら私は「狼が出たぞー」のオオカミ少年となってしまうでしょう。

 まったく…。


2004年11月

「娘のために」


 秋は各種行事が目白押しです。

 来恩寺の大きな行事としては山口方面への団体参拝旅行(十一月二十八日〜三十日)と念仏奉仕団(十二月十九・二十日)が残っております。

 教区や組でも多くの行事を予定しておりますが、子ども達が通う学校や幼稚園でもさまざまな行事がありました。

 長男の中学校や次男の小学校はそれほどでもないのですが、長女の通う幼稚園では保護者同伴の行事が結構あり、予定を調整するのが大変でした。

 もっと大変だったのは幼稚園の運動会でした。幼稚園の運動会は必ず保護者も出場する競技があり、二十代・三十代の保護者と一緒に四十代後半の私が参加するのは辛いものがあります。

 運動神経や能力には今も自信がありますが、自信がなくなってきたのは体力です。

 例年は保護者競技として障害物競走などがありましたが、あまりに多くの保護者が転んで怪我をするので、今年は幼稚園側も考えてあまり過激な(中年にとってはです)競技はありませんでした。

 年長の保護者は子どもをおんぶしての帽子取り競技でしたが、これなら体力的に無理もなく、楽しんで参加しました。

 ところで、五才の長女は私が四十を過ぎて生まれましたので、早く結婚した人なら孫でも不思議でない年齢です。

 長女が小学校の高学年ぐらいになれば親の容姿や年齢を気にする年頃だと思いますので、私は今から若作りに専念しようと思います。

 あるいは私の影武者として現在中学三年の長男に参観日などの学校の行事に行ってもらおうかとも思います。

 とにかく、来恩寺有縁の皆さまには住職がある日突然茶髪になっていたり、ジーンズをお尻が見えるぐらい下げて歩いていたら「住職さんがんばって!」と声援を贈ってください。すべては娘に嫌われないためなのです。トホホ…。


2004年12月

「住職の願い」

 先般ご報告しました寺務所の建設が始まりました。完成すれば本堂裏のスペースに十四畳ほどの寺務所が誕生します。

 印刷機・パソコンなどの事務機器や応接セット・住職の本棚などを移動しようと思っておりますが、三階の庫裡である2LDKが広く使えると思うと嬉しくなります。

 ずっと前にも書きましたが、2LDKで五人+二人で寺務所も兼ねておれば酸素の供給量があまりにも少なすぎます。(LDKは三十畳ぐらいあるのですが…)

 近くに大きな貸家があれば引っ越して三階を納骨堂にしようかとも考えております。そしてその収益で幼児や老人を預かるデイケアーの施設を備えた会館のような庫裡を建設しようと思います。

 あるいはグループホーム(数人が寝室は別にして一緒に住む)のような施設も良いかも知れません。

 幼児と老人のデイケアー施設は、不況下で共稼ぎのご家族を支援するものです。

 幼児と老人を一緒に預かればものすごい相乗効果があるようです。幼児は老人の姿を見て育ちますし、老人は幼児の愛らしい姿に笑顔が絶えないそうです。

 グループホームはおもに一人暮らしの老人や障害者の支援をするものです。

 最近一人暮らしの人が多いようですので、それならば寝室だけを別にしてリビングや食堂を共有した施設にすれば、楽しくて安心した生活が出来るのではないかと思うからです。酒癖の悪い人や協調性のない人はすぐ退居してもらいますが…。(住職が真っ先に追い出されるかも)

 一番良いのはビハーラとデイケアーとグループホームと庫裡の施設を備えた建物を建築することだと思います。

 現在の庫裡である三階に納骨堂を作り、墓地(残り280区画)と納骨堂(300区画?)が完売すればすぐに実現しそうですが、問題は完売がいつか分からないことです。

2005年


2005年1月

「高校受験」

 神奈川県では今年度の高校入試から学区を全廃し、神奈川県立であればどこの高校でも行けるようになるそうです。

 中三の長男の入試からの適用で、中学校の進路指導の先生や親・受験生は、どこの高校に人気が集中するのか手探りの状態です。

 神奈川県の入試は前期選抜と後期選抜に分かれており、前期は入試がなく、中学校の成績と部活やボランティアなどの活動実績、それと英検や漢検・数検の成績、最後は面接で決定するそうです。

 後期は普通の入試で決定するのですが、有名私立校への進学を希望する生徒は別にして、もし前期後期とも失敗すれば滑り止めの私学に進むことが普通のようです。

 長男は県立校への進学が希望ですが、滑り止めの私学にはまったく興味がなく、進路指導の先生に説得されて渋々私学一校を選択しました。

 県立校の合格には絶対の自信がある、というより滑り止めの私学を受験することは彼のプライドが許さないようです。親としてはもし県立校の受験に失敗すればどうするのかと心配しておりましたが、先生の説得で私学の受験を承諾しました。

 少子化の影響か、神奈川県は県と私学の協定みたいなものがあるらしく、事前に私学に相談に行くと「専願なら来ても良い」「県立との併願なら難しい」「併願でもあなたの成績なら受け入れましょう」といった段階があるようです。

 親としては中学浪人という最悪の事態が避けられますので安心ですし、少子化で高校や大学の門戸が少し広がったのは嬉しいことです。

 将来来恩寺を継承する予定の長男ですが僧侶になる道はいろいろありますので以前から「高校や大学は自分の意思で自分が行きたいところへ行きなさい」と言っております。

 それは私自身が僧侶くさい僧侶が大嫌いだからです。よく「他人の飯を食う」と言いますが大事なことだと思います。


2005年2月

「寺院対抗ボウリング大会報告」

 鎌倉組寺院対抗ボウリング大会と新年会に行ってきました。来恩寺からは総勢25名がマイクロバスをチャーターして参加いたしました。

 ボウリングの結果は寺院対抗戦(9ヵ寺参加)が第三位、男女別では松井さんが女子の部で三位となりました。

 優勝は例年最下位争いをしていた光明寺さんがさらっていきましたが、光明寺さんは今回、会場の新杉田ボウル会員のご門徒数名を誘い、一人の人は二ゲームとも200点以上のスコアーを出すなどダントツの優勝でした。

 マイボール(二回目の使用)で大会に臨んだ住職でしたが、結果は140点台と160点台でマイボールを使わなくても普通に出せる成績でした。

 通常は13ポンドのボールを使っている住職ですが、マイボールを作るとき店員から「指がピッタリ合えば15ポンドぐらいでも重く感じませんよ」と言われ、勧められるままに15ポンドのボールにしましたが大会の翌日は筋肉痛でした。

 15ポンドを勧めた店員に「15ポンドはやっぱり15ポンドなんじゃ」と文句を言いたくなりましたが、それにしてもたった二ゲーム投げただけで筋肉痛になるとはなんとも情けない次第です。

 ボウリング後の表彰を兼ねた新年会は相変わらずの盛況で料理も美味しく、マイクロバスで参加しましたので帰りの車を心配することなくお酒も沢山いただきました。

 ところで、組や教区の行事の楽しみの一つに「所属寺の違う仲間に会える」ということがあります。来恩寺の皆さんが各種行事に毎回大勢参加してくださるのもそんなことが理由の一つかもしれません。

 3月の5日・6日に年一回の教区仏教壮年研修会がありますが、何年か続けて参加しておりますとどんどん仲間が増え年一回の再会が楽しみになります。お寺の法話会なども同じで、続けて参加しておりますときっと無二の親友・法友ができることでしょう。


2005年3月

「寺院対抗ボウリング大会報告」

 つい先日お正月を迎えたかと思えばもう3月です。

 4月から長男は高校(一応前期選抜で志望校に合格しました。今は自分の趣味に没頭しております。)へ、長女は小学校へ進学いたします。

 ビハーラ(仏教ホスピス)を共同開催している戸塚の善了寺さんでは、4月からお寺でデイケアーを始めるそうです。

 介護保険を使える施設にするため、色々と手続きが大変だったそうですが、宗教法人としてのお寺でのデイケアーは非常に少ないようですので、善了寺さんの活動を来恩寺としても全面的に応援したいと思いますし、将来は来恩寺でも始めようと考えております。

 富山型と呼ぶようですが、善了寺さんは、老人や子供そして障害を持つ人たちを同じ場所でケアーしていける施設を目指しておられます。

 頭の固い役所は老人と子供・障害者を同じ場所で預かることは前例がないのでダメという方針だそうですが、実際にそのような活動をしている富山の「この指とーまれ」という施設の主宰者は、「こっちの方が自然ですし、ものすごい効果があります。」と語っておられました。

 その通りだと思います。施設のビデオを見せていただきましたが、小さな子どもたちを見つめる老人の瞳はみんな輝いておりますし、子どもたちも何の違和感もなくお年寄りや障害者になついており、家族という表現が一番ピッタリするような施設でした。

 核家族化した現在の家族形態の中で、大家族的な雰囲気を学ぶことも子どもたちには大切なことだと思います。

 「この指…」では死を看取ることもあります。病院のベッドでなく、施設の畳の上で亡くなりたいと希望する老人には、お医者さんと提携して施設で最期を看取ることもあるとのことです。

 お寺の仕事を「この指…」がしてくれている気がいたします。

 善了寺さんはそんな施設を目指しておられます。


2005年4月

「娘の登下校」


 長女映美(エミ)の小学校入学式が五日に、長男の高校入学式が六日にあります。三年前は長男の中学入学と次男の小学校入学、そして長女の幼稚園入園が重なり大変でした。

 長女は小学校の入学を大変楽しみにしておりますが、奈良の事件もありましたので親としましては入学後の登校と下校が心配です。

 登校の方は四年生の次男も一緒ですし、最初の一カ月ぐらいは近所の小学生たちとの集団登校・集団下校ですので安心ですが、五月以降は次男とは時間割が違いますので長女一人での下校となります。

 茅ヶ崎市は小学生に防犯ブザーを無料貸与しておりますが、親としましてはそれぐらいでは安心できませんので車での送迎も考えておりますが、学校は車での送迎を禁止しているようです。

 以前住んでいたハワイでは親が子どもを小中学校に送迎するのは常識です。むしろスクールバスがなければ子ども一人で徒歩やバスなどで通学させることは犯罪となります。

 日本も、親の車での登下校が無理ならばスクールバスでの通学もそろそろ考える必要がありそうです。

 それにしても物騒な世の中になったものだと思います。子どもたちには「知らない人について行ってはならない」「知らない大人は信用するな」と言い聞かせねばならない昨今です。

 私たちの小学生の頃は下校時、家まで距離がありましたのでヒッチハイクをして知らないおじさんに家の近所まで送ってもらったこともありました。今では考えられないことです。

 車がダメなら歩いてでも迎えに行ってあげようかと考えておりますが、今はカワイイ娘でも小学校の高学年ぐらいになると父親を嫌うようになるそうですので「迎えはいらない」と断られたらショックです。そんな日が来るのでしょうか。

 全国のお父さん、嫌われてもがんばろうね。グスン。


2005年5月

「やさしいおじいちゃん」


 先日、小学一年生になったばかりの長女映美(エミ)と私(住職)のあいだでこんな会話がありました。

エミ「お父さん、エミに赤ちゃんが生まれたら、お母さんはおばあちゃんになるの?」

私「そうだよ」

エミ「お父さんはおじいちゃんになるの?」

私「そうだよ」

エミ「ふうーん…、やさしいおじいちゃんになってね」

 ということで住職は現在やさしいおじいちゃんになる努力をしておりますが、孫がおりませんのでどうしたらいいのかさっぱり分かりません。

 エミの真剣な顔での「やさしいおじいちゃんになってね」には笑ってしまいましたが、長男や次男の口から赤ちゃんの話など聞いたことがありませんので、男の子と女の子の感受性や考え方の違いには驚かされます。

 勉強机の上も男の子と女の子ではまったく違います。

 長男や次男の机は乱雑で勉強するスペースがありませんが、エミの机の上はけっこう整理されており、オモチャの化粧道具やネックレス・指輪・ブレスレットなどが、これまたオモチャの宝石箱などに大切に保管されております。

 一番驚いたのは、誰が買ってあげたのか知りませんが、小さな三面鏡が机の正面奥に置いてあり、自分の顔を時折覗きながら勉強していることです。

 将来どんな女性になるのか今からとても心配になるのですが、女の子はみんなこんなものなのでしょうか。

 エミが高校生ぐらいになって、突然「お父さん、赤ちゃんができたので約束どおりやさしいおじいちゃんになってね」と言われようものならきっと私は気絶して倒れるか、そのまま絶命してしまいそうです。

 女の子はカワイイのですが、そのぶん心配もたくさんあります。坊守の両親も私との結婚をよく許したものだと最近は感心しております。


2005年6月

「芝桜とお墓」

 来恩寺のご近所の方はご存じですが、三月の下旬から五月の連休頃まで、ライオン寺墓園の土手に咲く芝桜が見事でした。

 二年前に北海道から三千株を送ってもらい、来恩寺の門信徒数人でせっせと植えたものですが、今年は近所でも有名になるぐらい見事に咲きました。

 柳の木の下の芝桜は日陰になるせいか育ちが遅いですが、日が良く当たる場所の芝桜は成長が早くどんどん大きくなります。

 芝桜が大きく生長するのは嬉しいのですが、成長するのは芝桜だけでなく茅やスギナなどの雑草も負けないくらい成長します。

 総代の宮村さんが連日せっせと雑草を取ってくれておりますが、全部取り終わったと思ったらまた最初に取ったあたりに雑草が出てまいります。

 それならばと人海戦術で先日雑草取りを行いましたが、二時間ほどの作業できれいに雑草が退治されました。お手伝いいただいた皆さまにはお礼を申したいと思います。

 秋には大きく成長した芝桜を株分けして、成長の遅い場所に植え替えたいと思いますのでぜひまたご協力ください。

 ところでライオン寺墓園は何宗でも良いといった販売をしておりませんので売れ行きは牛歩のように遅いのですが、芝桜の見事な時期にはお墓がよく売れました。

 墓園の収益でビハーラ病棟もしくはデイケアー施設の建設など次の夢を住職は考えておりますので、墓園の売れ行きが早いと夢の実現も早くなります。

 ところが芝桜が散るとガタッと墓地の売れ行きが落ちます。どうしたものかと考えておりますが、来恩寺有縁の皆さまのお知り合いで墓地をお持ちでない方がおられましたらぜひご紹介ください。もちろん来恩寺の門徒となっていただく方です。

 もしくは、一年中芝桜を咲かせる秘訣を知っておられる方は住職に教えてください。


2005年7月

「児童念仏奉仕団」

 来年(2006年)の「夏休み一泊子ども会」は京都西本願寺への「児童念仏奉仕団(略して『児念』)」を予定しております。

 実は東京教区の南ブロック(神奈川・山梨・静岡県内の八組)の門徒子弟研修会が、来年は来恩寺の所属する鎌倉組の担当で開催されることになっており、鎌倉組の案として初めて「児童念仏奉仕団」を立案いたしました。

 通常の大人を対象とした奉仕団も大した奉仕をするわけではありませんが、児童念仏奉仕団はハッキリ言って、西本願寺を使った大規模な遊びです。

 西本願寺では門徒の子どもたちにも本山に親しんでもらおうと、飛雲閣・能舞台・書院などの国宝級建物の見学や、ウォークラリーやゲームをふんだんに盛り込んだ楽しい企画を毎年考え、夏休み中に三回ぐらい児童念仏奉仕団を結成しております。

 南ブロックや鎌倉組では初めての試みとなりますが、一泊二日の奉仕団に滋賀県立「びわ湖こどもの国」での遊びやキャンプファイヤーなどのもう一泊を加えた二泊三日となります。

 通常ですと、子ども約80名、スタッフ約40名くらいの規模で南ブロック門徒子弟研修会を開催しておりますが、念仏奉仕団となると何名ぐらいが参加してくれるか見当が付きません。

 費用は往復のバス代を含み子ども1名1万2千円ぐらいを予定しておりますが、各自が行き帰りだけ新幹線を利用していただいても結構です。(その場合はもちろん自費です)

 鎌倉組のスタッフたちは「子どもたちをご本山に連れて行ってあげたい」「子どもたちにもご本山を知ってもらいたい」といった願いがあります。子どもたちが大きな西本願寺を知り「西本願寺は私たちのご本山」といった意識を持っていただければこの上ない喜びです。

 二度とない企画かも知れません。ぜひ親子でご予定を。


2005年8月

「満堂」

 先月の盆法要は満堂どころか二階の広間も一杯になるくらいの参拝がありました。ありがたいことです。

 一階にビデオカメラを設置し、長いケーブルを引っ張って二階にあるテレビで広間の皆さんにはご参拝いただきました。

 最近、特に恒例の法要には沢山の方がお越しくださり、通路にパイプイスを並べても立ち見(立ち参拝かな?)の人が出る盛況ぶりです。

 来恩寺も築地本願寺「湘南布教所」時代から十四年が経ち、毎月の新聞発送部数が千四百部を超えましたので無理もないことかと思います。

 近々、ビハーラやデイケアー施設を備えた新本堂を建設しようかと真剣に考えておりますが、皆さまには「来恩寺は現住職の目の色が黒いあいだは、強制的な寄付は一切ありません」と言い続けており、約束は守りますのでご安心ください。

 寄付をいただく裏技は住職がカラーコンタクトを着用するか、住職の代替わりをするぐらいですが当分その予定はありません。

 それよりもライオン寺墓園の墓地が完売すれば寄付や借財をしなくても大きな新本堂が完成する予定です。

 墓地の売れ行きは墓地だけにボチボチの状況ですので(しまった、おやじギャグだ)、このままでは十年後ぐらいの完成になりそうです。

 今度、総代や世話人さんと協議する予定ですが、皆さまも何か良いお知恵がありましたら住職までご連絡ください。

 それと、マンションや会館などの大きな建物を施工したことのある建設会社を経営されている方や、そんな建設会社に勤務の方がおられましたら来恩寺までご連絡ください。

 今の本堂は来恩寺の門信徒が建てたのではありませんので、今度の新本堂の工事は来恩寺の門信徒にお願いしたいと思っております。

 住職がサマージャンボ一等に当選すれば話は早いです。


2005年9月


「研修会」

 九月に入ると会議や研修会が目白押しです。京都や大阪での研修会もあり旅費や宿泊費など出費も増えそうです。

 ハワイのカウアイ島コロア本願寺の住職をしていたとき、ホノルルでの会議や研修会は大きな楽しみでした。

 カウアイ島はガーデン・アイランドと呼ばれるくらい自然が豊かで綺麗な島でしたが、日本の都会から一人で移り住んだ者には寂しい島でした。

 ですからハワイの大都会であるホノルルでの研修会は、小さな頃よく歌った「お正月」の歌詞のごとく「♪もーいーくつ寝るとー研修会♪」といった心境で楽しみにしておりました。

 会議や研修会も一年に数回程度でしたら楽しいのでしょうが、日本へ帰ってきてから、特に最近はいろんな役を持ってしまいましたので忙しくてたまりません。

 九月中旬の大阪での研修会は「在日コリアンの歴史と現在、東アジアの未来」というタイトルでの研修会です。この研修会は学びの多そうな内容ですし、コリアNGOセンター職員の皆さんとの懇親会もありますので楽しみにしております。

 十月に都内で開かれる研修会の講師として「差別問題」についての話をしますので、在日韓国・朝鮮の方々の歴史や苦労、被差別の現実を学ぶことは意義のあることと思い、都内の研修会に反映したいと思います。

 以前にも部落差別に苦しむ被差別部落出身の方の講演を聴きましたが、宗教者による差別事例(差別戒名・差別墓石など)には怒りをおぼえました。

 講師の戒名の最後に付く位号(居士や信士、大姉や信女)の説明の中で「位号は明らかな差別です。私たちは位号をお寺に返しました。」との言葉には大きく頷きました。

 このような研修会に住職は時間をあけて積極的に参加するようにしております。ほんの少しですが、本当の人間になれる気がしますので…。


2005年10月


「来恩寺門徒はよい門徒」


 今月の「ライオン寺だより」の発行が大幅に遅れてしまいました。先月末と今月初めに色々な行事や会議、そして葬儀などが重なったためです。

 住職の場合、原稿を書くのは相当の集中力を必要とします。仕事の合間に書くということが出来ませんので、どうしても丸一日か半日ぐらいの時間を必要とします。

 多くの皆さんから「まだ届いてないのですが…」とか、「うちへの発送を忘れているようですが」「郵便受けをイタズラされたらしいのです」といったご報告がありましたがご安心ください。住職が記事を書いてないだけのことなのです。

 このような反応をいただきますと、「楽しみにしてくださっている人がいるんだ」と嬉しくなってしまいます。

 ところで、このライオン寺だよりは毎月約1400部を発行・発送しておりますが、来恩寺の門徒が1400家族あるわけではありません。住職の友人や知人を含めて1400部を発行しており、実際に来恩寺がお参りをしたご縁のある家族は1300ぐらいだと思います。

 住職が心配なのは、その内、何家族ぐらいが「我が家は来恩寺の門徒」といった意識を持っていただいているかということです。

 普通の寺院では毎年、護持会費などを徴収しておりますので門徒数が把握できますが、来恩寺は寄付も会費も取らない寺院として全国で有名ですので本当の門徒数がさっぱり分かりません。

 時々「発送費も払ってないのに申し訳ございません」とお礼を言われますが、発送費は毎月の法話会で皆さまがお賽銭箱に入れてくださる御懇志で十分足りておりますのでご安心ください。お礼を言うとすれば、毎月法話会に来てくださる皆さんに言っていただいた方が正解です。

 それにしても来恩寺は良いご門徒に恵まれていると思う住職でした。


2005年11月


「ホールインワン」


 先日、鎌倉組社会福祉推進協議会主催の「チャリティーゴルフコンペ(四十名参加)」があり、来恩寺からは住職を含む八名が参加いたしました。

 その八名中、茅ヶ崎市浜須賀に在住で、来恩寺ゴルフコンペの世話人でもある木村雄三さんが4番ショートホールでホールインワンを達成いたしました。

 谷越えの短いコースでしたが、木村さんや同伴者の皆さんにはホールインの瞬間がブッシュに隠れて見えなかったそうです。(住職はそのホールで谷底へOBを叩きましたが、こちらもその瞬間は見えませんでした。)

 前の組がホールインワンを目撃して大騒ぎをしている様子から、木村さん達はホールインワンと分かったそうですが、本人は狐につままれたような気分だったそうです。

 パーティーの場で目撃者が詳しくその時の状況を解説してくれましたが、一同が気になったのは木村さんがゴルフ保険に入っているか否かでした。

 知らない人のために言っておきますと、コンペなどでホールインワンを達成しますと、達成した本人は、後日、参加者全員に記念品を配ったり、パーティーの費用を肩代わりしなければならないといった暗黙の了解が日本にはあるのです。

 ですから、木村さんがゴルフ保険に入っていなければ、全額を個人のポケットマネーで支払わなくてはならないのです。四十人分の記念品とパーティー費用は相当なものですのでみんな心配したのでした。

 木村さんはゴルフ保険に入っておりました。しかも多額の保証の…。(ニッコリ)

 翌日お寺に来られた木村さんは「チャリティーコンペでしたのでチャリティーにも協力したい」と申し出てくださいました。組の担当者にその旨を報告しますと大喜びでしたが、もし木村さんが保険に入っていなかったら…と考えるとゾッとします。

私も入ろ。


2005年12月


「GPS機能付き携帯」


 登下校中の子どもたちが殺傷事件などの犯罪に遭遇しております。小さな子どもを持つ親としては心配でなりません。

 学校では不審人物の情報を「お知らせ」に書いて親に知らせてくれますが、合計すると結構な数の情報があります。

 先日は次男(小4)が学校帰りに見知らぬ男性から「お菓子をあげるから一緒に遊ぼう」と声を掛けられました。

 次男は走ってその場を離れたそうですが、万が一のことを考えて次男と長女(小1)にGPS機能付きの携帯電話を持たせることにしました。

 GPS機能とはカーナビのように衛星と通信することにより自分の現在地を携帯の地図上で知ることが出来るものです。この機能は同じ会社のGPS機能を持つ携帯電話同士や自宅のパソコンでも出来ますので、私は自宅のパソコンで次男や長女の現在地を検索しております。

 携帯を持たせた当日のことです。学校に行っている長女の携帯GPSがちゃんと機能しているかを調べたところ、教室のカバンの中にあるべき携帯が、学校のプールの更衣室にあるとGPSが知らせました。「なんで?」と思い、急いで更衣室に行きましたが、さすがにこの時期はプールも閉鎖されており、更衣室もしっかり鍵が掛かっておりました。

 学校から帰ってきた長女に更衣室の件を聞きましたところ、「そんなところに行っていない、ずっと学校にいた」ということでした。たぶん長女の教室は更衣室から道を一本隔てた校舎にありますので、GPSの誤差の範囲での出来事であったようです。

 うっかり者の次男は休日に学校の校庭で遊んでいて携帯を置き忘れ、少年サッカーの保護者から「携帯を拾ったのですが…」と連絡をいただく始末です。まったく何のための携帯か分かりませんので、これからはカバンや服にしっかり縫い付けておこうと思います。

 それにしても物騒な世の中になったものです。

2006年


2006年1月


「大型免許」

 住職が昨年七月に大型免許を取ったことをこのライオン寺だよりにも書きましたが、取得後、未だ一度も大型車を運転しておりません。

 大型免許取得の目的は、来恩寺のご門徒と関東にある親鸞聖人のご旧跡巡りなどを、レンタカーのマイクロバスを借りて格安で行いたいと思ったからです。

 大型免許は近所の教習所に通って取得しましたが、教習所の中での運転は緊張の連続でした。それは、教習所の中は普通免許を取るために通っている学生さんや主婦の方など、いわゆる運転「ど素人さん」ばかりだからです。

 少し運転に慣れた方は路上教習で外に出ておりますので、教習所の中で運転している人たちは本当の初心者ばかりなのです。

 大型車を運転しながら見ておりますと、脱輪やポールなどへの接触は「普通」ですし、一時停止を無視して飛び出してくる素人さんやエンストしてパニックになっている人も大勢おりました。

 ですから、そんな人たちがゴロゴロ存在している教習所の中での運転は緊張の連続で、路上教習で街路に出たときはホッとしました。

 大型免許取得から半年が経とうとしております。そろそろ運転しておかないと勘が鈍るのではないかと心配しておりますが、二月に教区の仏教壮年一泊研修会が伊豆でありますので、その時に免許取得後の初運転をしたいと思っております。

 大型車の運転はサイドミラーでの確実なタイヤ位置の確認が命です。サイドミラーに自分の運転する車の前輪が映っている感覚(運転席が前輪より前だから)はちょっと想像できないと思いますが、スピードを出さずに確実に運転すれば怖い乗り物ではありません。

 ということで住職と一緒に各種研修会やいろんな所に行きませんか?。住職はワクワクですが皆さんはドキドキでしょうねきっと。


2006年2月


「永代共同墓地」

 ついに永代廟(共同墓地)「永遠の絆」が完成いたしました。

 先日、身の丈約140センチの阿弥陀如来さまのお像が墓園全体を見渡す高所の台座に安置されましたが、その設置工事の過程でクレーンに吊り下げられた阿弥陀さまのお姿を見て「おお、これぞ仏説観無量寿経(観経)に説かれた『空中住立尊』」と驚くことは・・・ありませんでした。(観経には「…この語を説きたまふとき、無量寿仏、空中に住立したまふ」とある)

 私の目には、阿弥陀さまがスカイダイビングを楽しみ、最後にパラシュートで地上に降りてくるような姿に見えました。(バチ当たりである)

 この設置作業が意外と大変でした。阿弥陀さまの足元と台座に穴が開いており、ステンレスの棒のようなもので繋ぎ留める作業でしたが、台座の型にすっぽり入るはずの足元の形が微妙に違っており、グラインダーで台座を削り広げたりして、ようやく安置されました。

 朝夕、入り口の開閉で墓園に参りますが、入り口近くから見る阿弥陀さまは富士山を背景に威風堂々としたお姿でお立ちでございます。ぜひ皆さまも機会がございましたらご覧ください。

 あとは金色にまばゆく輝く後光の設置だけですが、春のお彼岸までには設置できるということですので、ぜひ3月18日の落成慶讃法要にご出席いただき、この慶事をお祝いください。

 また、当日は住職の生誕50年というめでたい日でもあります。モーツァルトは今年で生誕250年になるそうですが、200年後に住職の生誕を祝ってくださる人は皆無だと思いますので、ぜひこの機会に合わせてお祝いください。

 また、当日午後には春季彼岸会法要も厳修されますが、ご講師に横浜市栄区長生寺の前住職、六浦文英師が決定しました。賑やかで楽しいご法話をご堪能ください。


2006年3月

「オーラ」

 トリノオリンピック・女子フィギュアで荒川静香さんが金メダルを獲りました。

 前夜早く寝て(というかオリンピックで完全に早寝早起きになった)、日本時間の午前三時から、すべての選手の演技を見ましたが、長身の荒川選手は、演技が始まる前から全身オーラを発しておりました。

 ゆったりと、しかも確実な演技からは「女王」のような貫禄が漂い、他の選手の演技とは、明らかに空間・空気が違っておりました。

 表彰後のインタビューで勝利の秘訣を聞かれて「無欲」「楽しむ」ということを挙げておりましたが、他の競技の日本人選手と違ってメダルを意識しなかったことが良い結果に繋がったようです。

 永年の選手経験で「平常心」の大切さを学んだからだと思いますが、他の日本人選手も、期待の大きさに潰されず「自分らしさ」を見失わずに今後も競技を続けていただければと思います。

 オーラで思い出しましたが、会議などで築地本願寺へ行きますと、第一伝道会館(正面右側の建物)にある振風道場に、お芝居の稽古に来ている芸能人らしき人から「おはようございます」とよく声を掛けられます。

 どうやら私は芸能人オーラを発しているらしく、見知らぬ芸能人らしき人からいつも声を掛けられるのです。

 有名な芸能人は私の顔をしばし眺めるだけで声を掛けては来ません。彼らは声を掛けられることはあっても、自ら声を掛けるのは確実に顔見知りの芸能人だけのようです。

 ということは私に声を掛けてくる人たちは、芸能人に成り立ての人か、スタッフに成り立ての人のようです。

 声を掛けられた私は「私は違います」などと言い訳をせずに、明るく元気に「おはようございます」と返事をして、一瞬ですが「芸能人」を楽しんでおります。勘違いであっても声を掛け、挨拶を交わすことは気持ちの良いことです。


2006年4月

「子どもの環境」

 高校二年になる長男の要望で三月末に家族で二泊三日のスキー旅行に行ってきました。

 長男は高校の友だちとたまに深夜バスで格安のスキーツアーに行っておりますので滑るのは慣れたものですが、小学校五年の二男と二年になる長女はスキーが初めてでした。

 当初の予定では私と長男はスキーで、坊守と二男・長女はソリ遊びの予定でしたが、一日目を終えた時点で二男と長女が「私たちもスキーを滑りたい」と言い出しました。

 それならばと二人をスキースクール(生徒は三人だけでした)に入れて離れた場所で様子を見ておりましたが、午前中二時間の授業だけでボーゲンで滑ったり曲がったりすることが出来るようになりました。

 先生が「午後はリフトに乗って上から滑りましょう」と言い出しましたので、初級者コースを私も一緒に滑り降りました。

 最初のうち、長女は私がそばにいたので「一緒にリフトに乗って」とか「恐い」などと甘えておりましたが、一度も転ぶことなく降りてまいりました。

 二男は最初から一人でリフトに乗り、リフトから降りるときは転んでおりましたが、二回三回と滑り降りるうちにリフトも転ぶことなく降りられるようになり、スキーもスピードを出して滑れるようになりました。

 そんな子ども達の上達ぶりに感心してしまいましたが、子ども達には計り知れない可能性がどの子にも潜んでいるのではないかと思います。

 オリンピックに出場してメダルを獲得する選手達も、本人の努力はもちろんありますが、小さな頃から競技に打ち込める環境に恵まれていたためだと思います。

 すべての子ども達はスポーツ以外でも物事を成し遂げる環境と、努力する環境が整えば誰でも一流になれる可能性があるのだと思います。

 そんな環境を作り出してあげるのが大人の責務なのです。


2006年5月

「土地だけでも」

 ライオン寺墓園の北側約三千坪の市街化調整区域のうち、真ん中あたりの六百坪の土地(第二駐車場から水路をはさんだ反対側)の持ち主が「来恩寺さんに売ってもいいですよ」と言ってくれております。

 しかし四年前の四百五十坪の墓園の開発や二百坪の第二駐車場の整備、そして寺務所の建設とこのたびの永代共同墓地の建設などで来恩寺には六百坪の土地代約八千万円を即金で支払う余裕はありません。

 毎月の法話会、特に彼岸やお盆・報恩講などで本堂に人が入りきらない現状を考えますと、四百区画の墓地販売収益ですぐにでも老人介護施設を併設した新本堂(約三百人収容予定)の建設をと考えてはおりましたが、墓地はまだ三分の一ぐらいしか売れておりません。

 石屋さんに聞きますと、それでもライオン寺墓園の売れ行きは素晴らしいと言うことですが、残り三分の二が完売すれば新本堂をすぐにでも建設できる収益があるのですが、不況のさなかということもあり、皆さん墓地までは手が回らないようです。

 来恩寺が何かとお世話になっている不動産屋さんが六百坪の土地の持ち主と交渉した結果、半年間、他に売ることを待ってくれるそうですが、強制的な寄付のない来恩寺が半年間で数千万円を作り出すには住職が銀行強盗をするしかなさそうです。(ジャンボ宝くじは毎回買っております。)

 そのことを勉強会や法話会に集まられた皆さんに相談したところ、寄付金ではなくて預かり金としてお金を集め、墓地が売れたりして来恩寺にお金が貯まれば返す、という案が浮上しました。

 総代や世話人さん達ともう少し案をまとめてから、後日、皆さまにご協力を仰ぐことになりそうですので、その節はよろしくお願いいたします。

 新本堂は一階が広間と介護施設、二階が本堂となる予定です。介護施設は広い食堂も作る予定ですが、来恩寺門信徒の皆さんと一緒に昼食を食べたり、一人暮らしの皆さんへお弁当の配達もできたらと考えております。


2006年6月

「お寺のコンサート」

 先月末、都内の某寺院へ親鸞聖人降誕会法要の講演会(午前中)の講師として出講しました。

 その寺院では毎年、降誕会に合わせて門信徒の特技の発表会を行っているそうで、講演会の講師が審査員を務めるのが習わしのようでしたが、私は午後から予定が入っておりましたので審査員を辞退しそのまま帰ってしまいました。

 発表会プログラムを見ると、、演目はまず住職のエレクトーン(六十才を過ぎてから習いだしたとのこと)「鳥刺しの歌(凄い曲名です)」に始まり、新舞踊や大正琴、仏教讃歌のコーラスから民謡に小唄、ジャズの即興演奏に盆踊り、飛び入り大歓迎のカラオケ大会など、多種多様な出し物が並んでおりました。

 発表会は「ふれあいコンサート」と名づけられておりましたが「ふれあい」ではなく「ひしめきあい」のような演目でした。審査員を辞退して良かったと思うぐらいです。

 北海道教区の年に一度の仏教婦人会研修会も研修会とは名ばかりで、素人の演芸発表会だと友人が言っておりましたが、見たことがありませんので何とも表現できません。

 五年ほど前、来恩寺の記念行事を茅ヶ崎市民文化会館大ホールで行いましたが、講師の五木寛之さんが決定していなければ、もう少しで来恩寺門信徒「隠し芸大会」になるところでした。

 来恩寺の門信徒もいろんな方がおられることと思います。住職がビックリするような特技や趣味をお持ちの方もおられることと思いますので、今度そんな発表会を開催するのも楽しいことと思います。

 でも、やっぱり著名人を招いての講演会が無難なような気がいたします。今年は十一月十二日(日)に元フジテレビアナウンサーの松倉悦郎さん(今は入寺して結城思聞さんと改名)が来恩寺にお越し下さり講演を行ってくださいます。

 今後しばらくは、来恩寺関係者だけでなく一般にも開放した講演会などを年に一度は開催したいと思います。著名人をご存じの方はぜひ住職にお知らせ下さい。


2006年7月

「PTAと生徒会」

 先日チラッとライオン寺だよりに書きましたが、住職は長男の通う県立高校のPTA会長になってしまいました。

 先般、PTA役員の食事会があるということで、校長先生や教頭先生、PTAの前会長や前副会長と食事をいたしましたが、なんのことはない、私を口説き落とす食事会でありました。会長職は固辞していたのですが、そんな食事会までして口説かれましたので、二年生の保護者ですが引き受けることにいたしました。

 長男の通う高校PTAでは、昨年度から「PTAは生徒の応援団」ということで、生徒会の役員との話し合いを持つようになりました。生徒の要望を聞き、学校側との橋渡しの役ができればという思いからです。

 ところが先月、生徒会の選挙が行われ長男が生徒会長になってしまいました。PTA会長と生徒会長が来恩寺から選出されてしまったのです。あとは校長先生を来恩寺門信徒の中から送り込めば、その県立高校は来恩寺の思うがままになります。(なりません)

 冗談はさておき、今後はPTAと生徒会との話し合いが来恩寺庫裡のリビングで頻繁に行われることは確実のようです。

 ところで毎度のことですが長男の行動力には驚かされます。中学の時は野球部のキャプテンを務め、校内弁論大会では優勝して茅ヶ崎大会まで進みました。高校では入学してすぐ「軽音楽同好会」を立ち上げ一年生部長となり、今回生徒会長に立候補して見事当選してしまうのですから。

 親バカかも知れませんが、長男が将来住職になれば行動派の住職になることでしょう。人前で話すことも好きなようですので、法話も苦にならないと思います。

 門信徒の皆さまには来恩寺の将来を安心していただいても良いかと思います。ただ一つ心配なのは長男は自分の好きなことには一生懸命ですが、興味のないことにはまったくの無関心ということです。

 二男は何にでも興味がありすぎでうるさいぐらいです。どっちがいいんでしょうか…。


2006年9月

「あー夏休み」

 「お寺は土日や祝日が忙しくて、平日は割と暇だ」と思っておられる皆さん(思ってない人が多い?)に一言申しておきますが、お寺におりますと平日でも人が尋ねてきたり、朝から晩までいろんな相談の電話を受けます(もちろん法事の予約の電話が一番多いです)。

 ですから、なるべく誰かがお寺にいるようにしておりますが、どうしてもお寺を留守にする時(夜、家族で外食など)は、お寺への電話を携帯に転送するようにセットして出かけております。

 普通の会社員や公務員ですと、職場を離れると職責から解放され、休日も自由に行動できるのですが、お寺は緊急の法事や相談も多々ありますので、留守番電話で「本日の来恩寺の営業は終了しました。明日は午前九時に開店しますので、明日またお電話をください。バイバーイ。」などとアナウンスを流すわけにも行かず、一日中神経を使っているのが実情です。

 でも、お寺よりもっと大変なのは葬儀社だと思います。

 お寺はどなたかが亡くなっても病院や自宅へすぐに駆けつけるということはまずありませんが、葬儀社の人たちは、真夜中でも遺体搬送の依頼などがあれば飛んで行き、通夜や葬儀の打ち合わせで徹夜など当たり前のことです。

 大きな葬儀社は従業員数人が交代で宿直などをしているようですが、個人が経営する葬儀社のご家族は、予定の立たない仕事ですので本当に大変なことだと思います。

 ところで住職がなぜこんなことを雑記に書いているかというと、今年は住職に夏休みがなかったからです。例年ですと二泊三日ぐらいで友人の多い函館に避暑を兼ねてゴルフに行っているのですが、今年は何かと多用でゆっくり休みが取れませんでした。

 夏休みが取れなかったことと直接の関係はないのですが、税金を自分たちのために不正にプールしていた公務員のことなどが報道されますと、ついつい腹を立ててしまいます。

 「夏休みなしで働いている労働者(特に住職)のことを考えろよ」と言いたいです。


2006年10月

「体育祭」

 九月上旬に長男の高校の体育祭に行きました。

 開会式の生徒会長挨拶で長男は相変わらずハンカチ王子のマネなどをして笑いを取っておりましたが、長男の高校の体育祭は一年生から三年生までを三色に色分けし、三色のチームがそれぞれテーマを設け、体育祭と文化祭が合体したような形で競技や演技・コンクールが行われました。

 まず最初にタタミ十五畳分ぐらいありそうなテーマパネルの絵画コンクールがあり、次に男子生徒によるダンス合戦(ウォーターボーイズの地上版を想像してください)、また、テーマを演技で表現する仮装大会(長男のチームはベルサイユの薔薇でした)、圧巻は女子のチアリーディング合戦です。

 一チーム七十名ぐらいの女子がカラフルな手作りコスチュームに身を包み、一糸乱れぬダンスは夏休みを返上しての練習の成果です。去年初めて見た私は感動してしまいましたが、今年もやっぱり感動しました。(ビデオ見たい?)

 競技は、男子は三色対抗の棒倒しと騎馬戦、女子は棒取り合戦と騎馬戦などで、男子棒倒しは前日の予行演習で救急車が二度ほど呼ばれたそうです。先生たちはハラハラしながら競技を見ておりました。

 騎馬戦も大将馬が倒されると負けとなりますので、チーム内で攻撃馬と守備馬がきっちりと分かれており、計算された攻防が続いておりました。

 最後の成績発表では、パネルと男子ダンス、仮装大会、女子チアーなどの優勝カラーが発表され、負けたチームの三年生リーダーは涙を流して悔しがっておりました。夏休み前からテーマやダンスの選曲・振り付け、演技の台本などを考え、練習してきたのですから無理もないことです。

 体育祭の後は後夜祭があり、「未成年の主張」では生徒の告白などで「青春している」生徒たちが輝いておりました。後夜祭の締めくくりは名物となっている本格的な花火大会で、女子生徒たちの大歓声で体育祭は終了となりました。

 「なんで私は男子校なんぞに行ったんだろう」と後悔している住職でした。

2006年11月

「計画」

 ライオン寺墓園北側約六百坪の土地取得の目途がつきホッとしております。次は新本堂とデイサービス施設の建設が大きな目標となりますが、こちらは五年から十年の長期計画となります。もちろん預り金の返済が終わってからです。

 その後の予定(今からでも良いが)をざっとご紹介しますと、
@ジャンボ宝くじの購入(ロトシックスも可)。
A建設委員会の発足。
B建物の規模と内部構造・外観イメージ等の検討。
C建築費と仏具・家具等の予算計画。
D設計依頼内容を提示して設計者の検討。
E概略工程・計画図・完成予想図の作成と資金計画の準備。
F施工業者の能力検討と見積依頼。
G施工業者の決定。
H施工。
I竣工。
となります。

 @のジャンボ宝くじの購入は随時行います。もちろん住職のポケットマネーからです。この宝くじの購入が一番目に来るところが来恩寺の素晴らしいところでもあり特色でもあります。他の寺院ではマネができないことです。

 住職としては、仏具だけは皆さんに強制でないご寄付のお願いをしようと考えております。何もかもをお寺でやってしまうと皆さまの楽しみを奪ってしまうと考えるからです(皆さまも宝くじの購入をご検討ください)。

 ジャンボ宝くじに当たるかライオン寺墓園の販売が順調ですと、この計画は早まることになります。

 住職がこのライオン寺だよりで「新本堂の建設が決定しました」とある日突然発表したら、ジャンボ宝くじに当たったと思っていただいて結構です。

 五年後ぐらいに発表がありましたらお墓の販売が順調なんだと思ってください。

 十年後ですと「なにその計画?」と思われる方もいることでしょう。あるいは住職が六百坪の土地で農作業に夢中になってそんな計画のことなどすっかり忘れている可能性がありますので、「住職、あの計画どうなりました?」と声を掛けてください。

 とにかく夢があることは良いことです。皆さんも住職と一緒に夢を共有しましょう。

2006年12月

「来年はお餅つき」

 早いものでもう師走(十二月)です。住職はすでに何件かの忘年会の予定が入っておりますが皆さんはいかがでしょうか。飲み過ぎや食べ過ぎ、寝不足は健康や美容に悪いので気を付けたいものですが、住職の場合、気の合った仲間と飲み始めると健康や美容の心配は何処へやらで、たわいのない話やご法義話で盛り上がってしまい、翌日はベッドの上で一人反省会を開いております。

 ところで、気の早い話ですが来恩寺では来年の年末、「餅つき大会と忘年会」を行う予定です。最近は年末に餅つきをする家庭がほとんどありませんので、来恩寺が音頭をとって盛大な餅つき大会と、引き続いての忘年会を行いたいと思います。

 餅つきは各家庭から必要な量の餅米(前夜、水に浸けておく)を持ち寄っていただき、来恩寺で蒸かしてから家族みんなでついていただくものです。一人住まいの皆さまにはみんなで協力して餅をつきます。子ども用の杵も用意する予定です。

 その後の忘年会ではお酒を飲みながら来恩寺の今後の行事予定や将来像を語り合いたいと思います。住職の経験では、お酒が入ると素晴らしいアイデアが次々と生まれるものです。お酒によって頭の中の思考回路が開放され、普段考えもしなかったアイデアが浮かんでくるのです。夕張の再建案もお酒を飲みながらみんなで話し合えば良い案が浮かんでくることと思います。

 夕張はともかく、来恩寺はみんなのお寺です。みんなでワイワイガヤガヤと話し合いながら今後の方針を決めていきましょう。てな事を書いておりますが、住職がお酒を飲みたいだけだったりして…。

2007年


2007年1月

「各種行事にご参加を」
 日曜日午前七時の「日曜礼拝」で、正信偈和讃六首繰り読み・御文章の後、歎異抄の繰り読みを行いたいと思います。

 歎異抄は親鸞聖人の弟子唯円坊が、聖人往生の後、各地で聖人の教えを間違って解釈していたり、曲解して人々に伝えている現状を歎き、自分が聖人から直接聞き、耳に残っている言葉を集めたものです。

 四月から上記「聖典に学ぶ会」でご講師をお招きして歎異抄を学びますので、ちょうど良い機会だと思います。数年後にはすっかり暗記していることでしょう。

 ところで、今年も来恩寺ではさまざまな行事を予定しておりますが、ライオン寺有縁の皆さま方には、都合のつく限りぜひご参加をお願いいたします。

 特に寺院対抗ボウリング大会や花まつりボウリング大会、夏休み子ども会・年末の餅つき大会と忘年会などには家族全員でのご参加を心待ちにしております。

 娯楽や塾などが少なかった昔は、お寺に日曜学校や青年会などがあり、多くの若い男女が参加していたと聞きます。そしてその仲間たちの間で結婚した者もいたそうですが、晩婚少子化の昨今、来恩寺がご縁となってそんなカップルが数多く誕生すれば、少しは社会にも貢献できると思いますし、縁結びのお寺として有名にでもなればお札やお守りが飛ぶように売れるかも知れません。(売るな)

 冗談はさておき、今年も来恩寺の合い言葉は「楽しくなければお寺じゃない!」です。

 厳粛な法要と、分かりやすくて面白くてしかも感動できるお話、そして楽しい仲間が大勢集う、そんなお寺を目指しております。

 来恩寺の各種行事には他宗派の方のご参加も大歓迎です。住職の目の色が黒いうちは、強制的な寄付や年会費などもありません。一人でも多くの方に阿弥陀さまの救いを知っていただきたいと思うから。


2007年2月

「役員・委員の改選」

 1、2、3月は年度末でもあり、各種研修会や会議が目白押しに詰まっております。

 住職は現在、宗派内では宗派都市開教対策本部本部員、教区基幹運動推進委員会委員、教区布教団役員、鎌倉組相談員、宗派外では県立高校PTA会長などの役職を勤めておりますが、特に多用なのは組の相談員としての仕事です。

 鎌倉組には仏教壮年会や仏教婦人会、連研、門徒推進員連絡協議会、総代世話人会、その他、組の諸々の行事があり、それら全部の会議・研修会に相談員として顔を出さねばならず、また、ラジオ放送の原稿依頼やいろんな出版社からの原稿依頼(主に共著)、全国寺院の法話会や組・教区への出講依頼もあります。

 このライオン寺だよりも毎月発行しておりますので、非常に多用で多忙な日々を送っておりますことを来恩寺有縁の皆さんはご理解ください。

 つまり今日、このライオン寺だよりを書き出した本日は一月三十一日で、ライオン寺だよりの二月号は一日にお届けする事が出来なくなりました。(結局、住職が忙しいという内容を並べたのはライオン寺だよりの到着が遅れる理由を書いたのでした。)

 ところで、この四月は宗派、教区、組の役員・委員の改選(主に四年に一度)の年となります。PTA会長だけはもう一年と頼まれましたので続けるつもりですが、宗派の役職は後輩の僧侶にお任せしようと思っております。多忙すぎるという事もありますが、あんまり長く同じ役職に留まりますと、マンネリ化と馴れ合いが生じると思うからです。

 住職の職も長男が一人前になるとすぐに譲って法話会への出講や原稿書き、そして趣味に没頭する極楽トンボ生活を送りたいと考えております。住職引退まであと十年ぐらいでしょうか。その前に新境内地での「畑仕事」ではなくて新本堂建設が待っております。

 やはり役職は辞退しなければ…と思う今日この頃です。


2007年3月

「なぜ決めつけるの?」

 今月のライオン寺だより三面の「住職の一言法話」はラジオ放送の原稿です。

 仏教はユダヤ教やキリスト教・イスラム教と違って、神が選んだ者に啓示(人の口を通して神が何かを語ること。ユダヤ教だとモーゼに、キリスト教だとイエスに、イスラム教だとモハメットに、など)するといった宗教ではありません。

 お釈迦様自身が「私がこの真理を悟ろうが悟るまいが、真理は遙か昔から厳然としてあったのだ」と言われた通り、お釈迦さまは真理を悟っただけであり、選ばれた者といった自覚はありませんでした。

 ここのところは仏教学者の中村元氏が「ゴータマ・ブッダは、自分が教団の指導者であるということをみずから否定している。たよるべきものは、めいめいの自己であり、それはまた普遍的な法に合致すべきものである。『親鸞は弟子一人ももたず』という告白が、歴史的人物としてのゴータマ・ブッダの教えと何ら直接の連絡はないにもかかわらず、論理的には何かしらつながるものがある」と言っている通りです。

 私が何を言いたいかと言えば「あの人は霊験があらたかだ」とか「私は霊感が強い」と言う人のように、人や自分を特別視しないのが仏教の特色だという事です。

 たまに「私は霊感が強いんです」と言う人に会いますが、ほとんどは自意識が過剰な人か、精神的に不安定な人に多いようです。

 また「あの人はこんな人」とか「私はこういう人間」というように人や自分を決めつけるのも良くないと思います。

 特に血液型や生まれ年・星座などで人の性格を決めつける人にはウンザリします。

 決めつけるという事は思考や行動を停止させる事です。決めつける事で安心するのでしょうか…。私は子どもたちに「なんで決めつけるの?」と時々注意します。

 もっと自由に発想しましょうよ。


2007年4月

「分かっちゃいるけど…」

 植木等さんが亡くなりました。

 詳しい活動経歴は皆さんもよくご存じだと思いますが、私は15年ほど前に日比谷公会堂で行われた宗派の行事での植木さんの講演が忘れられません。

 有名なスーダラ節にまつわる父親の徹誠師(三重県の浄土真宗寺院住職)とのエピソード(父にスーダラ節を歌うかどうか悩んで相談した時、父から「『分かっちゃいるけどやめられない』か…。ひとし、それが浄土真宗なんだ」と言われたこと)をおもしろおかしく話してくれました。テレビでも連日、植木さんと父親とのこのスーダラ節にまつわる話が取り上げられておりますが、誤解のないよう植木さんの父親の言葉を補足します。

 「分かっちゃいるけどやめられない」は確かに、人間のどうしようもない本質・業をうまく表現しておりますが、「やめられないのが人間なんだ」と自己を肯定し開き直るのは浄土真宗ではありません。

 「どうしてやめられないのか」「やめられない自己とはなんぞや」等と、自己の本質・業を深く見つめ、そのような自己の悪性を否定していく方向に阿弥陀仏の救いを見出してゆく、あるいは逆に阿弥陀仏の救いを深く聞くところに自己の本質が明らかになってくるのが浄土真宗なのです。

 スーダラ節では「分かっちゃいるけどやめられない」だから「しょうがないんだ」といったところにみんなが落ち着いてしまっている、そんな気がしてなりません。

 そしてそのような自分を「しょうがないんだ」と肯定的に受け止めるのが浄土真宗なのだといった誤解が世間一般にあるようです。

 浄土真宗はそんな簡単な自己肯定の宗教ではありません。また、許されざる自己の本質を許してくださるのが阿弥陀如来でもありません。「許しはしないが捨てはしない」といった大悲心(大きな悲しみの心)を持つのが阿弥陀如来なのです。


2007年5月

「ウルトラマンがセブンに」

 先日、介護用のスーツが開発され、それを着用すると重いものが楽々と持てたり移動させることができるとテレビで報道されておりました。非常に大掛かりなスーツで値段も高そうでした。

 その報道を見ていて、「介護者がそんな大掛かりで高価そうなスーツを着用するより介護される人の体重を軽くしたほうが楽ではないの?」といった疑問が生じました。

 たとえば縁日で売られている風船のように、ヘリウムガス(他に浮力の強いガスがあればそれを使用)を注入したジャンパーなどを被介護者が着用し、体重を二、三キロに調節できれば介護するほうも楽ですし、着用した人も体重が軽くなるので歩いたり走ったりが可能になるかもしれません。また上半身に着用するので「転ぶ」ということもなくなると思います。

 問題はジャンパーに注入するガスの浮力と体積の関係です。ヘリウムガスですと、風船100個分ぐらいの体積が必要だと思いますので、ジャンパーもジャンボマックス(分ります?)が着るくらいのものすごく大きなものになりそうです。来恩寺関係者でその辺りに詳しい方はぜひ開発してください。

 ところで4月の法話会のおりに「5月12日は住職の父の命日で、父は51才で往生し、住職も今年、父と同じ51になり、父の誕生日は3月20日、住職は父より2日早い18日ですので、住職が父と同じ年月で往生するとしたら5月10日が命日となります。」とお話ししました。

 まもなくその予定日がやってまいります。今のところそのような兆候は一切ありませんが、諸行は無常ですので突然何が起こるか分りません。

 そんなことで皆さまには長い間お世話になりました。お礼を申しておきます。もし生き長らえれば5月11日以降の住職は新生住職として復活いたします。

 「ウルトラマン」で言えば「ウルトラセブン」となるのでした。(なんで?)


2007年6月

「予定の変更の理由」

 5月11日以降も元気な「ウルトラセブン」こと、来恩寺住職です。(何のこと?。と思われる方は先月号の雑記を見てね)

 この来恩寺だより表紙でお知らせの通り、法話会や勉強会の日時や会場が変更となりました。皆さまにはお間違えのないようにお願いします。

 このたびの日時等の変更は、最近たるんできた来恩寺有縁の皆さまの生活態度を考え「来恩寺だよりをボーと読んでいてはいけない、隅々までしっかり読むように」といった住職の、皆さまのだらけた生活に喝を入れる親心とお考えください。つまり「巨人の星」の父、星一徹のような心情です。

 「なんかこの言い訳、以前にも聞いたことがある」と気づいた諸氏は、過去をいつまでも引きずることは止めて、前向きに生きてください。

 本当のことを言うと、住職がまた高校PTAの会長となってしまったため、学校行事の都合で変更するものです。皆さまにはよろしくお付き合いください。

 さて、その高校生である長男は3年生となり、いよいよ大学受験に向けて臨戦態勢に入ったはずなのですが、相変わらず「能天気グループのリーダー(担任の先生の評)」としてクラスや学校を騒がせているそうです。

 PTA委員で、長男と同じクラスの子供を持つ保護者の皆さんからいつも「楽しいクラスにしていただいているそうで、ありがとうございます」とお礼を言われるぐらいですので、クラスメイトからは頼りにしてもらっているようです。(勉強じゃないのが残念)

 来恩寺合い言葉の「楽しくなければお寺じゃない」を学校版に応用して実践しているようで、将来、来恩寺の住職になってもやってくれることと思いますので、皆さま方にはご安心ください。

 現在、6月の文化祭と9月の体育祭で頭が一杯のようですが、受験のことも忘れないようにと願う住職でした。


2007年7月

「750回大遠忌」

 4年後の、2011年(平成23年)4月から、2012年(平成24年)1月まで、親鸞聖人の750回大遠忌法要が、京都西本願寺で厳修されます。

 来恩寺の所属する鎌倉組では、団体参拝として西本願寺でのこの法要に参拝し、鎌倉組が主催する独自の法要も予定しておりますが、来恩寺でも盛大に親鸞聖人の御遠忌法要・イベントを開催したいと考えております。

 何といっても50年に一度の大法要ですので、このご勝縁を機に浄土真宗が、鎌倉組が、そして来恩寺が大きく羽ばたき、聖人のみ教えが皆さまの家庭にしっかりと根付くような御縁としたいものです。

 そこで住職の私案を勝手に発表いたします。

 私案@「京都での法要には、来恩寺から出来る限り多くの皆さまに参加していただくために、門信徒の皆さまには今から積立金を始めていただく」

 私案A「鎌倉組の企画する法要には、家族の誰かが必ず参加するようにしていただく」

 私案B「来恩寺が企画する法要・イベントには、家族全員に参加していただく」

 私案C「住職の私案を実現するために、来恩寺有志の皆さまには企画の段階からご参加いただく」

 私案D「企画や積立をしても参加できなければ意味がないので、皆さまには大遠忌法要までは死なないようにしていただく」

 現在のところは以上です。
 何か思い付いたらまた発表します。(思い付きかよ)

 ところで2001年には、来恩寺の設立10周年・来恩寺だより発行100号・宗教法人認可の記念法要と記念行事を、作家の五木寛之さんを招いて市民文化会館大ホールで開催いたしましたが、今回は設立20周年と発行200号の記念、そして宝くじが当たれば新本堂落成・デイサービス・グループホーム開所とも重なりますので大変です。

 宝くじが当たればの話ですが…。

 宝くじって…。トホホ…。


2007年8月

「防災意識」

 「のど元過ぎれば」で、すぐに忘れてしまうのが震災などの災害に対する防災意識です。

 今回の中越沖地震もそうですが、「明日は我が身」の思いで防災意識を高めていきたいと思います。

 住職としては、湘南地方が災害で被害にあった時、来恩寺を拠点として来恩寺門信徒の皆さんや近隣の皆さんのために様々な活動を行いたいと思っております。

 まず、二・三日分の食料と飲料水の確保ですが、緊急に必要な量として、50名分ぐらいは適当な場所に保管しておきたいと考えております。

 次に電気・水道・ガスなどのライフラインですが、照明用の電気はローソクが腐るほどありますので大丈夫ですが、調理用のガスと、トイレや風呂用の水の確保は大切です。

 ガスに関しては、来恩寺はプロパンガスですので何とかなりそうです。トイレなどの水に関しては、さいわい来恩寺の墓地には井戸水を利用したトイレがありますし、お風呂はその井戸水をプロパンガスで沸かして入れそうです。

 問題は井戸水を汲みあげるモーターを動かす電気ですが、早々にエンジン式の発電機を買ってこようと思います。

 来恩寺有縁の皆さんは、震災などの緊急時は来恩寺か来恩寺の墓地にお集まりください。しばらくは何とかなりそうです。住職の友だちも大勢支援してくれると思います。

 住職はざっとこのように考えておりますが、はたしてこの意気込みがいつまで続くのか。自分の性格を考えると少々心もとない気がいたします。

 阪神淡路大震災の後も、しばらくは飲料水や保存食を用意しておりましたが、賞味期限ギリギリで食べたり飲んでしまって補充するのをすっかり忘れております。

 来恩寺に関して言えば、防災意識は住職よりも坊守を当てにしたほうがいいみたいです。「のど元過ぎれば」は、私のためにできた言葉だと思います。
私って…。トホホ…。


2007年9月

「最後の高校生活」

 佐賀県立佐賀北高校がやってくれました。夏の甲子園、全国高校野球大会で、県立高校として久しぶりに優勝しました。

 私学の特待生制度などの問題が話題となっていた中で、特待生のいない、みんな地元の子ばかりの公立高校が優勝したのですから、さわやかで、高校野球の原点を思い起こさせてくれるような快挙でした。佐賀のガバイばあちゃんやじいちゃんも大喜びしたことでしょう。

 子どもが公立高校に通っている親としては、このような学校が大活躍してくれたことをとても嬉しく思いますが、PTAの会長をしている私としては、選手の遠征費や宿泊費、応援団の交通費などをどう工面したのかが気になります。

 ところで夏休みも終わりましたが、長男の高校はすぐに体育祭があります。長男は夏休み返上で、連日体育祭の練習で学校に通っておりました。

 昨年もこの雑記で書きましたが、その高校は全校生徒を学年に関係なく三色か四色に色分けして、各色の対抗戦のような体育祭を毎年行っております。今年三年生になった長男はミドリ組の責任者に就任したそうで、出し物(体育祭なのに競技が少ない)の台本や音響・振り付けなどの準備で、家に帰ってきてからも友人たち数人とドタドタやっておりました。

 長男の高校は体育祭の後に後夜祭があり、未成年の主張(同級生への告白とかもありこれがけっこう楽しい)や、ラストには打ち上げ花火もあります。興味のある人はぜひ体育祭を見に行ってください。はじけている長男の姿を見ることができるでしょう。期日は九月九日(日)、神奈川県立大船高校です。

 体育祭が終わると本格的に受験体制に入ると思うのですが、まあ、その時代でしか体験できないことや、楽しめないこともありますので、一生懸命最後の高校生活を送ってほしいと思います。


2007年10月

「家族そろって餅つき大会」

 年末に「家族そろって餅つき大会」を企画いたしました。

 特に餅つきの経験のない子どもたちに、餅つきの楽しさ面白さを経験してもらおうと企画したものですので、お子さん・お孫さんをお持ちのご家族はぜひみんなでご参加ください。

 朝8時ごろ(7時からの日曜礼拝後)にカマド(ガスコンロ)に火を入れて湯を沸かし、モチ米が蒸れたら10時ごろからお餅をつき始めて、お昼ごはん(昼酒)も皆さんと一緒に食べたい(飲みたい)と思いますが、プラッと立ち寄って、少しだけお餅をついて、つきたてのお餅(お酒)を食べて(飲んで)から帰るご家族も大歓迎です。味見用お餅(お酒)・あんこ・きな粉・大根おろしなどはお寺で用意いたします。(それにしても( )の多い文章だな…)

 来恩寺としては初めての試みですが、皆さま方にはこの試みを一回だけに終わらせないよう、大勢のご参加をお願いいたします。

 それから携帯電話やパソコンでメールの送受信を行っている方は、メールアドレスを教えてください。

 大地震などの緊急時の安否確認や来恩寺からの情報、緊急時でなくても来恩寺のちょっとした案内や情報を皆さんに送りたいと思います。

 来恩寺では主にご葬儀時での情報を「来恩寺有縁住所録」として残しております。このライオン寺だよりもそのような情報をもとに発信しておりますが、もう少し詳しい家族構成なども把握して、タイムリーな情報(お子さん・お孫さんなどへの誕生祝いなど)をお届けしたいと思います。

 来恩寺のメールアドレスはlionji@lionji.join-us.jpです。来恩寺のホームページにも住職へのメールとして同じメールアドレスを公開しておりますので、ぜひ一度メールをご送信ください。

 できましたらご家族の氏名・性別・生年月日もご記入してご送信ください。

 皆様の個人情報は厳重に管理いたします。


2007年12月

「ボウズ・コレクション」

 十二月の「如是我聞の会」と「ほのぼの法話会」が中止となりました。

 二面に掲載の通り、築地本願寺で初めて開催される一大イベントに参加するためです。このイベントは各種メディアでもたくさん取り上げられておりますが、伝統的な仏教各派が協力して開催するもので、今までにない画期的な企画です。

 二面で書ききれなかった企画として「世界にお布施!フェアトレードグッズ販売と国際協力バザー」(境内)があります。これは様々なNGO団体が海外の人々の自立支援の一環として、地域の伝統を活かし環境に配慮しながら生産し販売しているフェアトレード商品。その他、お寺に埋まっている「お宝」(といっても日用品)も販売。売上は、関係NGOを通して世界各地で必要としている人々のために活かされます。

 また、「プチ修行と佛教相談」(聞法ホール)などもあり、これは「あなたの人生を修正する行いを『修行』といいます。今年一年の生き方を反省しつつ、新しい年をスッキリと迎えるためにも、是非プチ修行で修正しましょう。坐禅・写経・写仏と興味のある修行を体験してみませんか。あなたの心の曇りが晴れることでしょう。」と、浄土真宗の企画では考えられないイベントもあります。

 また、「ソトコト・ロハス・マーケット」(境内)では、「ロハスピープルのための快適生活マガジン・月刊『ソトコト』編集部によるマーケット。編集部秘蔵の書籍やグッズを大放出します。」とあります。

 築地本願寺のほとんどの施設を利用して、一日限りの大イベントです。こんな企画を住職をはじめ来恩寺総代・世話人が見逃すはずがありません。ということで十二月十五日の法話会等は中止です。あしからず。

2008年


2008年1月

「来恩寺2008」

 来恩寺初めての試みとして、年末に「餅つき大会と忘年会」を開催しました。

 前日からの雨で、どうなる事かと心配しましたが、本堂の長イスを片づけて室内で餅をつきましたが、初めての方を含めて延べ50名ぐらいの方が参加してくださり、子どもたちも大喜びでした。

 餅つきの最後に、張り切りすぎたSさんが倒れて救急車で病院に運ばれましたが、夕方には元気なお姿で「お騒がせしました」とお寺に立ち寄られ、ホッと安心しました。皆さんも張り切りすぎには注意しましょう。

 表紙に掲載しましたように、来恩寺では今年も様々な行事を計画いたしました。合言葉はもちろん「楽しくなければお寺じゃない!」です。お寺や組の行事に常連の皆さんはすでにご存じのように、どの行事も楽しく有意義なものばかりです。なぜなら、住職は自分が楽しめない行事を人に勧めるはずがないからです。

 教区や組の行事の多くも、企画の段階から住職が絡んでおりますので、住職が勧める行事には積極的にご参加ください。楽しくない行事はお勧めいたしません。(キッパリ)

 5月の連休明けを予定している「団体参拝旅行」は、東北の桜の花見を中心に計画いたしました。住職は東北地方にはあまり縁がありませんので今から楽しみです。

 4月になりますと、教区や組の行事もどんどん発表されますので、お寺の行事日程を変更する場合があります。皆さまには毎月のライオン寺だよりを隅々までご精読くださいますようお願いいたします。

 恒例法要のご講師としましては、4月の永代経法要には元ハワイ別院輪番の川路先生、7月の新盆・盂蘭盆法要は滋賀県の瑕丘先生を予定しております。

 また、50年に一度の親鸞聖人750回大遠忌法要も3年後(2011年)に迫り、宗派や教区・組の記念行事の計画も進んでおります。ですから少なくともあと四年は皆さんに長生きしてもらいます。あまり張り切りすぎないようにしてください。ヨロシク。

2008年2月

「ナマハゲとバレンタイン」

 生まれも育ちも関西の住職は東北方面に縁がなく、東北各県の形もさっぱり分かりません。

 当然「今を考える」で書いたナマハゲのこともよく知りませんでしたが、小学・中学時代は髪の毛がすっかり無くなった人のことを「生ハゲ」と呼んでいた記憶があります。(当時は人権意識など全くなく、面白ければ何でもOKでした。申し訳ありません。)

 今回のナマハゲ騒動でナマハゲを少し勉強して感じたことは、「ナマハゲに大量の酒を飲ますなよ」ということです。

 人間、酒で気が大きくなるととんでもないことをしでかしてしまう可能性があるということだけでなく、視野の狭いお面を着けた人間に、大量のお酒を飲ませて、長時間雪道の中を町内の家々を回らせるなど、なぜか時津風部屋の「可愛がりリンチ事件」を連想してしまいました。

 正統ナマハゲは、未婚の男子が扮装するそうですが、今回の不良ナマハゲも20才の青年でした。昨今の若者は、昔と違ってお酒の飲み方もほとんど勉強していないそうですので、そんな者に大量のお酒を飲ませるなど、事件や事故を起こしなさいと言っているようなものです。

 ナマハゲの故郷、秋田県男鹿市出身の有名人は、プロ野球中日ドラゴンズの落合博満監督です。落合監督も未婚の青年時代にナマハゲ役をやったかどうかは不明ですが、そう言えば奥さんが…(やめとこ)

 今月の雑記が暴走しそうですので話題を変えます。

 我が家の長女、映美が今月4日で満9才となります。2月3日は節分、旧暦の大みそかに当たりますので、4日生まれの映美は旧暦では元旦(立春)生まれとなります。

 先日その映美が「14日のバレンタインに友だちにチョコレートをあげるんだ」と言い出しましたので「男の子に?」と聞きますと、「ウン、男の子もいるよ」ということでしたが、もうそんな年になったのかと、ちょっとショックを受けております。

 男鹿市のナマハゲに大量の酒を飲ませて「その男の子を思いっきり驚かせて来い」と命令したくなりました。トホホ…。


2008年3月

「PTAの醍醐味」


 1月の下旬のことです。長男の通う県立高校の演劇部が、静岡で開催された関東大会を優秀な成績で通過して、全国大会に出場することが決定しました。

 年末、関東大会出場を決めた時点で、PTAとしては最寄り駅に祝福の横断幕を掲げましたが、一月の関東大会の翌日早朝、学校から全国大会出場が決定したとの電話を受けて、横断幕の「祝・関東大会出場」の文字を「全国大会」に改めるかどうか相談しに高校へまいりました。

 校門をくぐり、目に飛び込んできた校舎に下がった垂れ幕の「祝・関東大会出場」の文字を眺めながら、〈これも変更か〉と思いながら校舎に入ると、校長先生が慌ただしくしていたので「どうしたのですか」と尋ねると、「もうすぐ演劇部のみんなが静岡から帰ってくるのですが、学校に到着する前に垂れ幕の『関東』の文字を『全国』に変えてあげたいのです。」とのこと。

 〈同じことを考えている〉と思いながら「手伝いましょう」と校長先生と二人で大きな垂れ幕を三階の窓から廊下に引っ張り込み、『関東』の文字の上に模造紙に書いた『全国』の文字を張り付けていると、演劇部らしき子どもたちが校門をくぐって帰ってきた姿が目に入りました。

 校長先生に「校長先生あれ」と指さして教えますと、校長先生が窓から顔を出して「みんな待てー、待ってろー」と大声で叫びました。しばらくして、どうにか『全国』の紙を張り終えた垂れ幕を窓から垂らしますと、生徒たちの「キャー」という大歓声が聞こえました。校長先生に促されて私も窓から手を振りますと、大きな声で「ありがとうございまーす」と生徒たちからお礼の言葉を頂戴しました。

 一階に降りて全国大会の様子などを聞きましたが、3年生の女生徒たちは「卒業したくなーい、留年したーい」と半ば本気で叫んでおりました。全国大会は今年の夏、群馬で開催されますが、3年生は卒業後で出場できませんので、彼女たちの気持ちはよく理解できました。

 演劇部の子どもたちに、PTAの醍醐味を教えてもらった、そんな冬の一日でした。


2008年4月

「喫煙の中断」

 3月8日の朝、ノドの調子が悪かったのでタバコを止めてみました。次の日、もう少し止めてみようと思い吸わずにおくと、とうとう3月は8日以降たばこを吸っておりません。

 タバコを中断(止めたわけではない)してから感じていることですが、毎日がものすごく眠いということです。タバコには覚せいを促すカフェインのようなものが含まれているのでしょうか、眠い日が続いております。

 タバコを止めると舌が正常になり、食べ物が美味しくなると聞いたことがありますが、今のところ食べ物の味が変わったという実感はありません。

 また、タバコを吸いたいという強烈な欲求も、何かを口に入れておきたいという欲求もありませんので、禁煙パイポもニコレットも使用しておりませんが、とにかく手持ち無沙汰です。

 今まで1日に数十回・数百回とタバコを口元に手で運んでいたのですから、タバコを中断するとその手をどこに置けばよいのか悩んでしまいます。

 ま、何事も習慣のようになっていたものを中断や中止をして戸惑うことは仕方ないことと思います。そのうち慣れることでしょう。

 タバコを中断(何回も言いますが止めたわけではない)する前は、飛行機などの全席禁煙の乗り物は、最長でも10時間ぐらいが我慢の限界だと思っておりましたので、ヨーロッパやアメリカ・アフリカなどへの旅行や出張は諦めておりましたが、こんなに簡単に中断できるのであればどこへでも行けるということが明らかになり、なんか得した気分を味わっております。

 去年、ハワイへ会議で出張した時は喫煙場所を探したりするのにひと苦労しましたが、こんなに簡単に中断できるとなれば、タバコは吸える場所で吸い、吸えない場所では吸わない、という至って簡単な道理を実践できる気がいたします。

 タバコを中断して一つ気になることがあります。それは買い置きしているタバコの賞味期限です。封を切っていないのがあと十箱ぐらい残っております。こういう場合「もったいない精神」は中断の邪魔になります。


2008年5月

「記念行事」

 いよいよ50年に一度のご勝縁、親鸞聖人750回大遠忌法要が3年後に始まります。

 来恩寺や来恩寺の所属する鎌倉組では、団体参拝を予定しておりますが、そろそろ旅行費用の積み立てを来恩寺独自で始めようかと思います。

 団体参拝の日程や行程はまだ決定しておりませんが、蓮如上人の500回大遠忌のような団体参拝ですと、二泊三日の日程となりますので、約9万円程度の旅行費用になることでしょう。

 仮に9万円としますと、残り3年ですので年間3万円、ひと月2500円を積み立てて参りますと大丈夫です。

 そういうことで、今月の法話会から来恩寺で徴収・管理しますので、毎月お忘れのないようご持参下さい。

 ところで、鎌倉組の団体参拝ですが、住職と住職の親しい仲間たちの間では500人規模の団参を計画しております。500人は多いと思われる方もおられることと思いますが、鎌倉組16ヵ寺で割りますと、1ヵ寺30名そこそこの人数でしかありません。

 しかし、500人が一度に宿泊できる施設には限りがありますので、そろそろ計画を現実的に考えておかないと手遅れになりそうです。

 また、来恩寺での750回大遠忌法要も実施する予定ですが、同時に3年後には来恩寺設立20周年と、2年後には来恩寺宗教法人認証10周年、そして来年はこのライオン寺だよりが創刊200号となります。

 2年後ぐらいにすべてを併せた記念法要・記念行事を行いたいと思いますので、来恩寺有縁の皆さまにはぜひご協力をお願いいたします。

 最近来恩寺とご縁を結ばれた皆さんはご存じないと思いますが、7年前の来恩寺設立10周年と宗教法人認証、そしてライオン寺だより創刊100号の記念行事は、茅ヶ崎市市民文化会館大ホールで、作家の五木寛之氏と僧侶シンガーの北条不可思師をお招きして開催いたしました。当日は大盛況のうちに終了しましたが、2年後も前回と同じぐらいの規模を考えております。ぜひ企画からご参加ください。

2008年6月

「野球部」

 この春から長男は大学生に、次男は中学生になりました。ともに今までとは違った学校生活を送っておりますが、次男は長男の中学時代と同じように部活は野球部を選択しました。

 中学の野球部で長男の時と違うのは顧問の先生が変わったことぐらいですが、顧問の先生が変わると、部活動の内容もこれだけ変わるのかと驚いております。

 長男の時の顧問の先生は大変厳しい方で、練習を無断で休んだり遅刻する生徒は、どんなに野球がうまくても試合には出しませんでした。練習も月曜日と試験前一週間以外は毎日朝練と放課後の帰宅時間ギリギリまで行っておりました。

 また、中学野球界では有名な先生でしたので、他校からの試合の申し込みも多く、土日は毎週練習試合が組まれておりましたが、グランドが狭いので試合はいつも他校のグランドでした。

 土日が休みの保護者は当然のように車を出し、子どもたちや用具を他校のグランドまで運んでおりました。私も法事などが入っていない時はワゴン車を出して野球部のお手伝いをしておりましたが、おかげで親同士がとても仲良くなりました。

 ところが現在の野球部は練習試合がほとんどありません。先生も土日は休みたいらしく、試合どころか練習も行っておりません。

 先日、次男が坊守に「スライディングパンツどこ?」と聞きますと、坊守が「○○くんのお母さんが『スライディングの練習をしないからパンツを買う必要がない』って言っていたから買ってないわよ」と応えておりましが、スライディングの練習をしない野球部っていったい…。

 少子化で生徒数の減少に伴ない先生の数や部活の数も減っておりますが、もうそろそろ先生に負担をかけなくてもまともな活動ができる部活動のあり方を考える時期が来ているように思います。

 中学の先生方、一緒に考えませんか。

2008年7月

「散歩」

 ひと月ほど前から、3日に1回ぐらいでしょうか、夕方になると長女の映美(エミ)と二人で散歩に出かけます。

 「今日は○○方面へ行こう」と、ちょっとした探検気分で近所を歩いておりますが、毎回「新発見」があり、たっぷり1時間ぐらいは散歩を楽しんでおります。

 なぜ二人で散歩をするかというと、住職が一人で探検気分であちこちをキョロキョロ眺めながら歩いていたり、また、路地を外れて人さまの庭先などに出てきてしまった場合、不審者に間違われるのではないかと危惧するからです。

 それだけでなく、娘と冗談を言いながら、また、クイズを出し合ったりしながら歩くということが、とても貴重な時間だと思えるからです。

  近所を歩いていて思い出すのですが、私が小さな頃は町内や学区にある「道」に関する情報はほとんど掌握していたように思います。「あそこの家の庭を突き抜けると近道になる」とか、「あの家の犬は凶暴だ」とかです。

 大人は進入できないような家と家の隙間も、子ども時代の私たちにとっては、鬼ごっこの通り道であり、かくれんぼの隠れ場所でした。

 しかし、住職を含めて来恩寺にご縁のある方はほとんどそうなのですが、茅ヶ崎で生まれ育った方は、お子さんやお孫さん以外おりません。

 ですから、子ども時代を過ごした故郷のように、近所の路地や抜け道に精通している人はほとんどいないのではないかと思いますし、私のように近所に住んでいる人たちの情報もほとんど知らないのではないかと思います。

 娘と二人での散歩は、路地の情報をはじめ、娘の交友関係(「この家は○○ちゃんの家」程度のことですが…)など、いろんな情報を手に入れる手段でもあります。

 今ふと気がついたのですが、犬を連れて散歩をしている人たちを朝夕大勢見かけますが、あの人たちも住職が娘と散歩しているように、不審者と間違われないために犬を連れているのでしょうか。

 そんなことないか…。

2008年8月

「お寺の臨海学校」

 先月の「お寺の臨海学校」ですが、子どもたちは本当に楽しそうに三日間を過ごしておりました。

 会場となった蓮舟寺(「れんしゅうじ」と読みます)周辺は城下町として発展したところで、最終日のウォークラリーでは古い町並みの中を班別に分かれて、造り酒屋・麩菓子製作所・提灯屋さん・足袋製作所・醤油醸造所・羊羹製作所などを見学しました。

 羊羹屋さんでは出来立ての羊羹をいただき、麩菓子製作所では長く大きな麩菓子ができる過程を見学しました。

 その他、豆腐や水鉄砲も大人の人たちに教わりながら自分たちで作ったり、キャンプファイヤーでのスタンツ(即興劇)も班のみんなで考え練習して発表しました。

 こうしたプログラムは東京教区南ブロック(神奈川・山梨・静岡の各県)内の各組(組は「そ」と読みます。地域のお寺の集まりのこと。南ブロックには8組ある)が順番に担当して企画・実行しているもので、今回は静岡西組が当番でした。

 静岡西組は東京教区の一番西にある組で、その西隣りは東海教区(愛知県と三重県)となります。ですから来恩寺にしても南ブロックのもっとも遠くにある組で、東名高速を使っても車で約3時間半のところに今回の会場寺院がありました。

 来恩寺からは途中で合流した坊守を含めて10名(大人2人・中学生2人・小学生6人)が参加しました。

 当初、8人乗りのワゴン車に10人全員(小学生以下の子どもは3人で大人2人とカウントするので、今回6名だから4名になる)が乗って行くつもりでしたが、道路交通法が6月に改正になり、高速道路では全員シートベルトの着用が義務付けられ、8人乗りのワゴン車は8人分のシートベルトしかなく、中学生2名は他のお寺さんの車に同乗させていただきました。

 今回、警察の人に確認しませんでしたが、こんな時はどう対処すればよいのでしょうか。誰か知っていたら教えてください。


2008年9月

「仏法聴聞」

 毎年11月11日から16日まで築地本願寺で厳修される親鸞聖人の「報恩講法要」ですが、今年から新門さまが毎日出座され、それに伴い「帰敬式(おかみそり式)」も毎日執行されることになりました。

 帰敬式を受式して法名をいただきたい方は、お早めに住職までお申し込みください。費用は大人1名1万5千円です。通常は京都でしか受けられませんので、ぜひこの機会に受けられることをお勧めいたします。

 その報恩講ですが、来恩寺は毎年11月の第3土曜日に勤めておりますが、今年は15日となり、築地本願寺の報恩講とぶつかってしまいました。

 住職は築地本願寺の布教部員であり、東京教区の布教団役員でもありますので、築地の報恩講をお休みすると後ろ指を指されるようで辛いものがありますが仕方ありません、来恩寺の報恩講を優先させましょう。

 と、このように住職は何よりも来恩寺と来恩寺のご門徒を大切に考えておりますので、来恩寺有縁の皆さま方も来恩寺の報恩講をはじめとする各種行事には何を差し置いても参加するようご努力ください。

 その来恩寺各種行事ですが、今月は「秋季彼岸会法要」が20日午後1時30分から勤まります。お彼岸は、多くのお方が「お墓参りの期間」と勘違いされております。ですから大きな墓園ですとお墓参りの方がその期間に集中して道が大渋滞しております。

 お墓参りも結構ですが浄土真宗のお彼岸は「仏法聴聞」のためにありますので、まずはお寺でご聴聞していただき、その後お墓参りをしましょう。

 お寺の法話会などに来られますと、この「来恩寺だより」に掲載していない情報をお知らせすることもありますし、施本やグッズを差し上げることもあります。

 そして何より嬉しいのは、法友(み教えの友)と会えることです。住職も住職として一番嬉しいのはお寺とご縁のなかった人がお寺に来るようになり、み教えを喜んでくれることです。

 ぜひ住職を喜ばせてください。お願いします。


2008年10月

「お念仏の中で」

 住職の母が9月28日にお浄土に往生しました。78才でした。

 ひと月ほど前に兄から「母親の容体が危ないから帰ってこい」と電話がありました。母親が入院していることも知らなかったので大変驚きましたが、8月下旬に兵庫の実家近くの病院へ家族でお見舞いに行きました。

 その時の兄の話では、母親は腰痛で私立病院に入院したのですが、どうゆう訳か意識がなくなり、その病院から「うちの病院ではこれ以上無理です」と転院の話をされたそうです。

 母は近くの公立病院に転院し、その二日後ぐらいに我々がお見舞いに行ったのでしたが、その時は話をすることも出来ず、ただ耳元で声を掛けるだけでした。

 数日後、兄からまた電話をもらい、今は会話が出来るほど意識が回復し、長女の映美の声はよく聞こえたと言っていた、と教えてもらいホッとしておりました。

 亡くなる3日ほど前に、また意識がなくなった、覚悟しておけ、と兄から連絡をもらいましたが、次の日、また兄から連絡が入り、横浜の親戚のおばさんが亡くなった、橋本家を代表して通夜に行ってくれと頼まれたので、28日の通夜に出席するため、横浜へ車を飛ばしている途中、兄から電話が入り母が往生したことを知りました。

 横浜のおばさんは、43才で亡くなった祖母の妹で、行年99才でした。祖母の顔も性格も知らない私は、そのおばさんに祖母をイメージしておりました。

 横浜のおばさんと母はとても仲が良く、通夜でお会いした親戚の人たちに母が往生したことを伝えると大変驚いておりましたが、口々に「あなたのお母さんには良くしてもらいました」とお礼を言ってくれました。

 祖母と母を同時に亡くしたような寂しさがありますが、またお浄土で会えるという確信がありますので、今はお念仏の中で寂しさ悲しさをしっかりと味わわせてもらおうと思います。

 南無阿弥陀仏…。


2008年11月

「僧侶の装束」

 母の通夜・葬儀のために実家である兵庫のお寺へ帰りました。

 神奈川と違って兵庫は浄土真宗のお寺がたくさんありますので、約40名の付き合いのある僧侶方が母の葬儀に出仕(しゅっし・僧侶としてお参りすること)してくれました。

 来恩寺からも3名の総代さんたちが葬儀に参列してくださり、実家のお寺のご門徒の皆さんも感激しておりました。

 たった一泊だけでしたが実家のお寺に帰り、通夜の晩は兄ともゆっくり話ができたことは母も喜んでくれたことだと思います。

 また、通夜・葬儀の受付や僧侶方のご接待のお手伝いをしてくれていた人たちが、私の知っている昔からのご門徒さんたちの息子さんやそのお嫁さんたちであったので、世代交代がしっかりできていることに安心しました。

 実家のお寺は先年、阪神淡路大震災で被害を受けていた屋根や天井・壁などを、ご門徒さんからの寄付(約1億2千万円)で修理したばかりで、兄や母とともにその大事業の中心となってくれていた総代さんや世話人さん、そして婦人会と壮年会の会員の皆さんも母の死を悼んでおりました。

 通夜の晩の兄との話の中で驚いたことが一つあります。それは真宗信仰の篤い地域では当たり前のことだそうですが、兄や母の僧服(袈裟・衣など)は、すべてご門徒さんからの寄付だそうで、施主の皆さんは家族の法事の時に、寄付した僧服を兄や母に着てもらって法要を勤めるそうです。

 そういえば実家からいただいた古い袈裟や衣には、どれも法事の当事者の法名・俗名と施主の方の名前が縫い込まれておりました。

 兄が言うには「施主の方々は自分の家族の法名が縫い込まれた僧服を着て僧侶がお経を読んでくれることを喜びとしている」とのことでした。

 そういうことで来恩寺も住職の実家のお寺を見習って僧服の寄付を受け付けることにいたしました。希望者は法事の3ヶ月前ぐらいまでにお申し出ください。

 住職と一緒に袈裟や衣を選びましょう。

 来年6月には長男が得度します。


2008年12月

「紙面の一新」

 「ライオン寺だより」の2009年1月号(つまり来月号のことです)から、紙面を一新しようかと考えております。

 何を、どこを、どのように、などの具体的な案は今のところございませんが、正月号でもありますし、次月の2月号で200号になりますので、「何かをしなければならないのでは?」という思いと、次期アメリカ大統領オバマ氏の「チェンジ」に付き合ってあげようと思うからです。

 ということで、皆さま方には1月号のどこが変わったかよく確かめていただきたいと思います。どこかが変わっているはずです。多分…。

 ところで、このライオン寺だよりは、住職が執筆し編集しているものですが、創刊当初より読者の投稿は認めておりません。

 一度でも投稿を認めて掲載すると「私も載せてもらおう」と、投稿が殺到するのが明らかで、ライオン寺だよりの読者にはそんなお調子者が多いということも住職はよく知っているからです。

 投稿は認めませんが「おもしろい企画」のご提案は大歓迎です。

 念を押しておきますが、あくまでも「おもしろい」企画です。しかも、採用する・しないは住職の独断で決定いたしますので、皆さま方にはそこのところをよく心得て「ご提案」ください。

 こんな風に書きますと提案しにくくなると思いますが、思いつきで結構ですのでご提案はドシドシお願いいたします。私の経験から申しますと、くだらない提案や企画(失礼)をヒントに、素晴らしい案が生まれるものなのです。

 例えて申しますと、麻生首相の「給付金案」から「消費税の増税案」が生まれるようなものです。(どちらも愚案なので例えにならないか…)

 とにかく、来恩寺は「楽しいお寺」を目指しておりますので、住職の練りに練った企画(思いつきの企画も多々ある)に皆さま方は「イエス・ウイ・キャン」とぜひご協力ください。

 10月に行きました「全国仏壮大会」のテーマは「現生正定聚(いま まさに 仏の智慧を 得たなかま)」でした。楽しいお寺の原点の言葉です。


2009年1月

「聴聞のご縁」

 住職の好きな中国のことわざに、「有縁千里来相会 無縁対面不相識」というものがあります。意味は「縁あらば千里を会いに来るも、縁なくば会うてもすれ違うまま」です。

 本当にそう思います。縁があれば、どんなに遠く離れていても会って語らう事ができますが、縁がなければ、近くにいて顔を会わせていても、話をすることもなければ存在の認識もないのです。

 仏教でも「縁なき衆生は度し難し」と言い、縁のない人はどうにもならないと、縁の大切さを言われております。

 ですから、住職は何とか皆さんに仏法聴聞のご縁に遇ってもらおうと、あの手この手の縁作りを考えております。それがライオン寺だより新年号の表紙と2ページ・3ページの諸行事です。

 たとえば、5月と10月に予定している来恩寺のゴルフコンペですが、皆さんは「住職がゴルフ好きだから計画したものだ」と想像されるかも知れませんが、決してそうではありません。

 住職がゴルフコンペを計画するのは、コンペで住職と一緒の組でプレーする人とは、最低五時間ぐらいは一緒になりますので、その間に仏教の話を何度かできると考えているからです。

 このように来恩寺のすべての行事は、住職の涙ぐましい自己犠牲によるご縁作りであると皆さんはご認識ください。

 ところで、50年に一度の親鸞聖人御遠忌法要が二年後に迫ってまいりました。今年の4月には来恩寺の所属する鎌倉組の参拝日(春と秋の2回)が決定し、参拝旅行のコースなども夏頃までには決まり、募集も始まることと思います。

 来恩寺有縁の皆さまには、何を差し置いてもこの法要だけはご参拝ください。住職の企画するゴルフコンペとは桁違いのスケールですので、参加して後悔することは決してないと思います。

 住職は、自分の喜ぶ「仏縁」を皆さまにも味わって欲しいと願っております。人間の価値観など木っ端微塵に砕かれる、そんな仏の価値観を聴聞によってぜひ味わって下さい。

2009年2月

「200号」

 この「ライオン寺だより」が、ついに200号を迎えました。
 1992年7月号が創刊号でしたので、16年と8カ月が経過したことになり、飽き症で三日坊主の私(住職)にとっては奇跡としか言いようのない出来事です。

 創刊の理由は、葬儀やご法事でご縁のあった方(特に喪主)に、仏事の場だけでなく引き続き浄土真宗のみ教えを聞いていただきたいという願いがあったからです。

 特に仕事や健康状態等で、法話会などのお寺の行事に参加できない人に「こんにちは、お寺からやって参りました」と、気軽に家庭を訪問できるこの「ライオン寺だより」は、来恩寺の宝であり、住職の頼もしい助っ人でもあります。

 また、この「ライオン寺だより」は、来恩寺のインターネット・ホームページとも連動しており、PDFファイルに変換してメールマガジンとしても配信しておりますので、皆さんのご家族やお知り合いの中に、パソコンでインターネットを利用している人がおられましたら、ぜひメールマガジンの読者登録(無料)をお勧めください。(携帯電話のメールには非対応です。)

 それにしても「16年と8カ月もよく続いたものだ」と、我がことながらつくづく関心いたしますが、読者の皆さんにも「飽きもせずによくお付き合いくださるものだ」と、驚愕の想いを持っております。

 とにかく、今後も充実した誌面作りを心がけ(住職の考える「充実」とは「面白い」「笑える」と同義語です)、「来恩寺でよかった」と皆さんに喜んでいただける寺院活動を展開したいと思います。

 皆さま方も、住職と一緒になって楽しい寺院作りにご協力ください。そのためには、参加できる行事には積極的にご参加いただき、楽しい笑顔と優しい言葉を振りまいていただければと思います。

 皆さん最初は不安な想いで行事に参加されるようですが、大丈夫、すぐに来恩寺の雰囲気に打ち解けられるはずです。

 なぜなら、住職が単純で分かりやすい性格だからです。

 ということで今後もよろしく。

2009年3月

「おくりびと」

 5月24日の鎌倉芸術館での「記念行事」のチケットが来恩寺に届いておりますので、申し込まれた方は来恩寺まで取りに来てください。

 チケットは一枚二千円ですが、来恩寺有縁の皆さまには、来恩寺が半額を補助いたしますので千円で結構です。他寺院の門徒の方には内緒にしておいてください。

 ところで米アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した「おくりびと」の滝田洋二郎監督と、映画制作のきっかけとなった小説「納棺夫日記」の著者、青木新門さんは、共に富山県の出身ですが、同じ富山県(富山市)の自動車メーカー「光岡自動車」が、霊柩車「おくりぐるま」の新型車を二月二十四日に発表しました。

 光岡自動車では七年前から「おくりぐるま」の愛称で霊柩車を販売しており、滝田監督がその車を意識して映画のタイトルを付けたかどうかは分かりません。

 新型「おくりぐるま」のデザイナー青木さん(富山って青木姓が多いの?)は「映画を見て、つらく悲しいだけというだけの死のイメージから、死者は尊厳と優しさを持って送るべきだという認識に変わった。尊厳と優しさを持って死者を運ぶための車をイメージしてデザインした」と話しております。

 そんな尊厳と優しさにあふれた新型車(写真を見る限り私には普通の霊柩車にしか見えないのですが…)をオシャレに乗り回したいお方は、光岡自動車(電話0120・49・3360)にお問い合わせください。

 それにしても絶妙のタイミングで(アカデミー賞発表の翌日)新車を発表するものだと感心してしまいます。

 また「おくりぐるま」の愛称もなかなかのものです。「霊柩車」でなく「おくりぐるま」ですと、知らない人が乗っていても、何となくそっと手を振りたくなるような気になります。

 この映画をきっかけとして人々が「死」をもっと明るく考えるようになればと思います。「死」は永遠の別れではないのです。

 ぜひご聴聞を…。

2009年4月

「カラスの勝手?」

 小学4年の長女と散歩をしていて、「カラス なぜ鳴くの〜」と童謡『七つの子』を私が歌うと、「カラスの勝手でしょ〜」と娘が歌ったので、「それはドリフターズでしょ。本当の歌詞で歌ってごらん」と私が言うと、「え?、何?、カラスの勝手でしょ〜、が本当じゃないの?」と聞いてきました。

 娘に詳しく聞くと、童謡の『七つの子』は学校で習った覚えがなく、友達みんなが「カラスの勝手でしょ〜」と歌っているから、その通り覚えてしまったそうです。

 このままでは作詞の野口雨情さんと、作曲の本居長世さんに申し訳ないので、娘には本物の歌詞と、みんなが誤解している「かわい・かわいと〜」の歌い方を教えてあげました。

 さて、そのカラスですが、3月に入ってから一組の番いがライオン寺墓園内に巣を作ろうとしております。

 椰子の木の下に針金や針金ハンガーがたくさん落ちていたのを不思議に思って椰子の木を見上げてみると、針金と小枝でできた、まだ住んではいないが、ほぼ完成型の巣を発見したのが最初でした。

 カラスは子どもが生まれると、巣に近づくものを襲う習性がありますので、石材店の社長さんに巣の撤去をお願いしたところ、暗くなってからハシゴと長い竹を使って巣を取り除いてくれました。

 巣作りに利用した針金は相当量あったそうですが、カラスはその後も、あちらの椰子の木、こちらの椰子の木と、新たな巣作りを試みておりますが、完成前に撤去するという我々とのイタチごっこが続いております。

 最近は一番高いクスノキのてっぺんで巣作りを始めましたが、こちらも何とか撤去いたしました。

 現在まで6回ぐらいそんなイタチごっこが続いておりますが、カラスが持ってきた針金はものすごい量になっております。一体どこから持ってくるのでしょうか。

 それにしても最近のカラスの巣が鉄骨造りとは驚きました。ま、何を利用しようとカラスの勝手なのですが…。

2009年5月

「本山常例布教」

 ご本山の常例布教で、先月末からお寺を留守にしておりましたので、ライオン寺だよりの発刊が遅れてしまいました。

 当初はご本山の講師部屋でライオン寺だよりの原稿を4月中に書いて、メールでお寺へ送ろうと考えておりましたが、本山での布教が一日4座あり、五日間の布教日数でしたので、合計20座の法話の内容を確認(法話はすでに出来ておりました)するのに以外と時間を取られてしまい、ライオン寺だよりと5月24日の鎌倉組記念行事の司会者原稿やパワーポイントの編集などは手付かずの状態で茅ヶ崎へ戻ってまいりました。

 幸い、今月のライオン寺だよりに緊急性のある記事はありませんでしたので、連休中の発送でも支障はありませんでした。

 ところでそのご本山の常例布教ですが、初めてのことでしたのでとにかく緊張しました。特にご門主さまがご出座されたお朝事での法話は、間違ったことを言っては取り返しがつきませんので(本当はいつでも間違ったことを言ってはいけないのですが…)、相当緊張しました。今考えると、何であんなにガチガチになっていたんだろうと不思議に思うくらいです。

 聞法会館総会所での法座は、最初は少し緊張しましたが、日が経つにつれて雰囲気や聴衆にも慣れてきて、最後は調子に乗って先日(4月1日)厳修された御動座法要の感動ビデオ(来恩寺が撮影・編集したもの)を皆さんに見てもらいました。

 実際、2百年に一度の御動座のビデオには、聴聞に来られていた皆さんも相当感動しておりました。阿弥陀堂内の仮御影堂(左余間)から親鸞聖人の御真影が御輿に載せられて、修復された御影堂へ向かう際、阿弥陀堂御本尊の阿弥陀如来さまの前で立ち止まり、御影堂修復中の10年間お宿を借りていた御礼をするかのように、みんなでお念仏を称えさせていただいた場面は本当に感動的でした。

 とにかく、良い経験となった本山常例布教でした。

2009年7月

「住職の提案」

 今月のライオン寺だより表紙に書きました住職の提案(おもいつき)をもう少し説明いたします。

 提案@の「お寺以外での講演会」ですが、先日、鎌倉組のお待ち受け法要で行われた島田洋七氏の講演「がばいばあちゃん」がヒントとなっております。

 鎌倉組の法要には鎌倉芸術館がほぼ満員の約1500名の皆さんにお集まりいただきましたが、来恩寺での講演会では収容人数が多くても100名程度ですので、一般大衆に案内することをためらいます。

 住職は、浄土真宗にご縁のある方はもちろん、真宗以外の人にも真宗の教えの素晴らしさを知っていただきたいと常々考えておりましたので、先日の洋七氏の講演は今後の可能性を考える上で、大きなヒントとなりました。

 提案Aの「格安日帰りバスツアー」は、住職が大型免許を取得する動機となった企画ですので、ぜひ実現したいと思います。

 じつは坊守の母親が毎月、こちらの病院での診察がてらに来恩寺へ遊びに来ており、昨年五月は箱根「山のホテル」へツツジを見に行ったり、六月には鎌倉のお寺へのアジサイ見学、秋には栗拾いに行ったりしました。

 今年は鎌倉文学館のバラ園や小田原城のアジサイとアヤメも見に行き、とても喜んでくれましたので、ぜひ来恩寺の皆さんとも一緒に行きたいと思います。

 この日帰りバスツアーは、@できるだけフリープランのツアーであること(時間に余裕を持つ)。A足に負担の少ない場所へ行く。B住職の好奇心を最優先とする。を条件といたします。

 これら講演会・バスツアーの企画は、開催が具体的に決まりましたらこのライオン寺だよりでご案内いたしますが、バスツアーはマイクロバスの定員の関係で、ライオン寺だよりに掲載する前に法話会等で募集する場合があると思います。

 来恩寺有縁の皆さまには、「とにかく毎月第三土曜日はお寺へ行こう」というお気持ちをお持ちいただければと思います。ヨロシク。

2009年8月

「地黒ですけど何か?」

 夏、真っ盛り、今年も「日焼け」の季節がやってまいりました。

 住職は生まれつき色黒で、子どもの頃から「日焼けコンクール」などでは毎回優勝しておりましたが、自分で努力したという意識がありませんので、この優勝はあまり自慢はできません。

 地肌が元もと黒いので太陽の光を吸収しやすいらしく、誰よりも短時間で日焼けをしますし(あまり赤くならない)、また、一度日焼けをしますとなかなか落ちない体質のようです。

 ですから、去年の日焼けが落ちる頃また夏がやってきて日焼けするという「日焼けの上塗り」的人生を今日まで送ってまいりました(最近は恥の上塗りが加わりつつあります)。

 住職の三人の子どもたちも、みんな私ほどではないにしても比較的色黒で、決して色白ではないと思います。そんな子どもたちの中で、唯一の女の子である長女のエミは、最近日焼けを気にしているようです。

 二年ほど前の長女と友だちの会話です。

 友だち「エミちゃん色が黒いね。どうして?」

 エミ「うーん、この前ハワイへ行ったからかな…。」

 友だち「えっ、ハワイ?。エミちゃんスゴーイ。」

 エミ「エヘヘ…。」

 ハワイへ行ったのはこの会話の一年前のことです…。

 やはりエミも私と同じように黒くなりやすく落ちにくい体質のようです。

 この夏休み、プールで遊ぶのが好きな長女は、日焼けを気にしながら学校のブールへ通っております。日焼けというリスクよりも、プールの楽しさの方を悩みながらも優先しているようです。

 私は、子どもの頃は日焼けなどのリスクを気にせず大いに遊ぶことを奨励します。でも、大人になってからは違います。大人の日焼けはシミや皮膚ガンの原因ともなりますので要注意です。

 私が色黒で得をしたことはニキビなどの肌トラブルをほとんど経験しなかったことです。でもそれだけです。

 色白の得の方が多いような気が…。

2009年10月

「衣替え」

 10月です。10月1日は本来ですと制服などの衣服が冬物へと替わる「衣替え」となるのですが、住職は11月頃に法衣の衣替えを行っております。

 夏服への衣替えは通常6月1日からですが、こちらも住職はひと月早めた5月頃に行っており、夏と冬の法衣は約6ヶ月ずつでの交替となります。これは住職の夏・冬の法衣に対する平等精神とは一切関係なく、単に湘南地方は5月になるともう暑く、10月いっぱいまでは夏服の方が過ごしやすいという住職の体感温度の関係からです。

 ところで日本においてのこの衣替えの歴史は平安時代にさかのぼるそうで、やはり中国の影響を受けて始まったものだそうです。

 鎌倉時代からは調度品も季節によって替えるようになり、江戸時代には着物の種類も増えたため、幕府は公式に年四回の衣替えでの出仕を制度化したそうです。

 そう言えば「忠臣蔵」の元となった江戸城松の廊下での刃傷沙汰は、出仕時の着物の種類をわざと間違えて教えた・教えないが事の発端であったような気がいたします。当時の衣替えはそれほど厳格な制度だったのでしょうか。

 現在のように6月1日と10月1日に衣替えが行われるようになったのは、明治6年の太陽暦採用以降だそうで、制服が定められた役人・軍人・警察官などの官公庁から、制服着用を義務づけた民間団体へと広まって行ったそうです。

 学生服で通学していた住職の中学・高校時代、必ずクラスに一人か二人は衣替えを忘れてみんなの笑いものになっていた者がおりましたが、地球温暖化が進んだ昨今は省エネなどのためにも、制服の必要性や衣替え時期の自由化などの検討も必要かと思います。

 衣替えとは話しが少し違うのですが、住職が中学の頃は男子は全員髪の毛の丸刈りを強制されておりました。今考えるとなぜ強制だったのか不思議に思いますが、当時は何の議論もなく当たり前のこととされておりました。

 一度くらいは習慣・慣例等の点検をしてみる必要がありそうです。

2009年11月

「本山成人式」

 早いもので先月26日に、長男順正が20歳になりました。

 最近はこの「雑記」にあまり登場しなくなりましたが、ライオン寺だよりの創刊当時は、頻繁に長男の記事が雑記紙面を賑わせておりました。

 現在東京の大学に通っている長男ですが、来年1月11日の成人の日には茅ヶ崎に戻り、市が主催する成人の日の式典や祝賀会に参加する予定のようです。

 ところでご存知でない人も多いようですが、京都の西本願寺でも毎年成人式が執り行われております。

 こちらは一般の成人の日の前日(成人の日が1月の第2月曜ですので前日の日曜日・来年は10日となります)にご本山の阿弥陀堂で挙行されます。

 今年は兄の長男(四人姉弟の三番目)も順正と同じく成人となりますので、兄家族と一緒に私たちもご本山での報恩講法要参拝と、成人式に出席させてもらうつもりです。

 同じように成人となるお子さんやお孫さんがおられましたら、ぜひ西本願寺での成人式をお勧めいただければと思います。

 参加費は無料。帰敬式の受式を希望の方は3千円が必要。

 申込み締切は12月24日ですので、それまでに来恩寺へお申し込み下さい。

 ところで住職は自分の成人式はどこにも出席しておりませんので、長男のご本山での成人式はちょっと楽しみですが、どこかの成人式のようにお酒を飲み過ぎて暴れないように気をつけたいと思います。

2009年12月

「みんなが一緒」

 皆さんあまり気にもしていないと思いますが、来恩寺には「仏教婦人会(仏婦)」と「仏教壮年会(仏壮)」、そして「子ども会」があります。というか、正確にはそれぞれ宗派に単位登録しております。

 住職の考えで寺院の教化活動を女性・壮年・子どもと分けて行うのでなく、通常はみんなで活動し、組や教区のそれぞれの研修会には該当者に参加していただく、そんなスタンスで住職がおりますので、個人的に「私は仏教婦人会の会員」などという意識は皆さんにないと思います。

 住職がなぜみんなでの活動を重要視するかというと、それぞれが分かれて活動しますと横のつながりが希薄になり、最悪の場合、大げさなようですがお互いに無関心になり、むしろ敵対視するような関係になってしまう恐れがあるからです。

 実際、住職の知る限りでも複数の寺院で仏婦と仏壮の関係が「壊れてしまっている」状態をよく耳にいたしますし、一度関係が壊れてしまいますと、修復するのはなかなか容易ではありません。

 そんなこともあり住職はみんな一緒の活動を大事にしていますが、もう一つの理由は家族単位でお寺に付き合っていただきたいと思うからです。

 お母さんだけ、お父さんだけ、子どもだけといったお寺との関係でなく、遊ぶならみんなで遊ぶ、学ぶならみんなで学ぶといった家族単位の活動が、これからのお寺や地域に必要なのではと住職は考えております。

 ところでなぜこんな事をこの雑記に書いているかというと、住職が来年の行事予定をそろそろ考え出したからです。

 来恩寺の恒例行事として定着した「花まつりボウリング大会」や「餅つき大会」などは家族での参加を想定したものですので、ぜひご家族でお申し込みいただければと思います。また、再来年の親鸞聖人七五〇回大遠忌法要も五〇年に一度の法要ですので、ぜひご家族でご参加いただければと思います。

 とにかく来年もこのライオン寺だよりを隅々までご精読下さい。

2010年1月

「返金」

 昨年7月から皆さまにお返ししている新境内地取得のための「預かり金」。ようやく12月中にほぼ全員の方にお返しできましたが、二名の方とは連絡が取れませんでした。でも何とか探し出して1月中にはお返ししたいと思います。

 「預かり金」は、できるだけ住職と坊守の二人でご自宅に届けるようにしましたが、どうしても銀行振り込みになってしまったり、お寺で手渡すようなこともありました。そんな皆さまには失礼の段をお許し下さいますようお願い申し上げます。

 笑ってしまったのですが、預かり金をお返しにご自宅を訪ねますと多くの方から、「もしもの時はよろしくお願いします」と葬儀の予約をされてしまいました。

 皆さん住職の顔を見ると死を連想するのでしょうか…。住職は死神ではありませんのでご安心くださいますようお願いいたします。

 それから、皆さんの「もしもの時」、住職がそばにいる可能性はほとんどないと思われますので、「もしもの時」は来恩寺に連絡するよう、ご家族や周りの人にお願いしておいた方が良いと思います。そちらの方が確実です。

 それと、これもご自宅を回りながら気づいたことですが、日中はお仕事等でお留守のお宅がものすごく多いということです。住職たちは電話をしてから車でご自宅を訪ねるようにしておりましたが、車の中から電話をしてもお留守か留守電になっているお宅が多かったです。

 とにかく、そんなこんなで昨年は何かと多用な一年でしたが、皆さま方には本当にお世話になりました。今年も忙しい一年になると思いますが、皆さま方には「住職は忙しいので…」などと遠慮することなく、何なりとお申し付け下さい。

 よく考えてみますと、住職は「暇」よりも「忙しい」ほうが好きですので、皆さんから「あんなこと」や「こんなこと」のご提案・ご用命がありましたら嬉しく思います。

 ですから住職とは気遣いなくお付き合いください。

2010年2月

「大改修」

 ライオン寺墓園近くの市街化調整区域に、今の三倍ぐらいの規模の新本堂を建立する予定でしたが、市から「そんな大規模な建物は調整区域内では無理」と断られましたので、なんとか現在の本堂で大人数の参拝者・行事参加者を受け入れられるように改修したいと考えております。

 計画としましては三階の住職一家の住居を改修して納骨堂にすれば、現在二階の半分を占めている納骨堂スペースを広間として利用することができ、八十から九十名を収容することができます。

 三階に移った納骨堂も倍のスペースに広がりますので、室内納骨堂の取得を希望している皆さまのご要望にも応えられます。

 このように三階まで門信徒の皆さんに利用していただくことになりますと、当然エレベーターの設置も必要になることと思われ、現在、エレベーターの業者さんに規模や設置場所を相談している状況です。

 そんなことで、この計画が皆さんに承認され改修が完成すれば、住職一家は当分の間、近所に家を借りて住むことになりそうですが、昼間は広くなった二階広間で門信徒の皆さんと文化的な「趣味の集い」を持ちたいと考えております。

 「趣味の集い」と言えば聞こえが良いですが、住職のめざすところは、「不良中年や不良老人のたまり場」といったところでしょうか。

 とにかく、「暇なのでお寺へ行こう」「お寺へ行けば誰かがいる」など、そんな「ちょっとした楽しみの場」としてお寺が機能すればと思います。

 昼食も、みんなでお金を出し合ってみんなで作れば、安上がりで美味しくいただけると思いますし、時には住職の運転するマイクロバスでの「ご近所の旅」も楽しいと思います。(早く実現したいです)

 ということで大規模本堂の夢は次期住職にでも任せて、現住職は限られた空間や資金の中で、知恵を絞った楽しい企画に専念したいと思います。

 でも今度の改修は外壁の塗装など、ちょっと費用が掛かりそうです。何か良い案は…。

2010年3月

「寄付金」

 来恩寺のホームページなどで住職は「今までのお寺のイメージは捨ててください。来恩寺は住職の目の色が黒いうちは、入壇料や年会費、強制的な寄付は一切ありません。でも、住職がある日突然、白目をむいて歩いていたり、カラーコンタクトを着けだしたらご注意ください。」と皆さま方に訴え続けておりますが、最近はその寄付に対する住職の考えが少々変わりつつあります。

 考え方が変わるといっても、強制的な寄付をいただくようなことはありませんので、繊細で壊れやすいお心をお持ちの来恩寺有縁の皆さまはご安心下さい。

 その寄付とは、まず、来年4月から始まる「親鸞聖人750回大遠忌法要」の来恩寺寄付金(宗派割り当て金?)と、大遠忌にあたっての築地本願寺本堂改修への寄付金を皆さまから募集するものです。

 両方の寄付依頼額約2百万円は、来恩寺会計からすでに本山と築地本願寺に送金いたしましたが、総代や世話人の皆さん、そして法話会に集まられた皆さんに相談したところ、50年に一度の大法要の寄付でもありますので、来恩寺有縁の皆さんに広く呼びかけて欲しいというご意見がありましたので、この度、強制でない自主的な寄付をお願いすることといたしました。これは、布施の喜びを皆さんと共有したいと思う住職の心遣いです。(そんな心遣いはいらない?)

 また、先月もこの「雑記」でお知らせしましたように、外壁の補修や室内の改修・エレベーターの設置などの総経費の概算が判明しましたら、総代さんたちと相談してこちらも強制でない自主的な寄付のお願いを後日皆さまにいたしたいと思います。もしそうなれば現在の本堂の建設以来、約17年ぶりのお願いとなります。

 でもまずは、親鸞聖人750回大遠忌の本山と築地本願寺への寄付金にご協力下さいますようお願いいたします。「一口5千円で何口でも」といった寄付になりそうです。

2010年4月

「手芸部」

 春です。

 若い頃から、春は何か新しいことを始める季節のような印象を持っております。大学生にもなるとそうでもないのですが、小・中学生の子どもと一緒に生活しておりますと、春は新たなスタートの季節という思いが強いものです。

 そのスタートですが、今年小学校六年生になる長女は、四年生から始まった部活で四年はバトミントン部を選択し、五年生では手芸部を選択しました。

 でも、その手芸部の選択は大きな勘違いからでした。

 担任の先生の評によりますと、長女は学校では快活な性格で(家ではワガママですが)、男女を問わずクラスの人気者だそうで、みんなに冗談を言っては笑わせている性格です。

 そんな長女が手芸部を選んだのは、手芸部とは「皿回しや」「ジャグリング」などの手で行う芸を習う部活だと勘違いしたからでした。

 坊守が笑いながら私に報告してくれたのは、去年の五月、学校から帰ってきた長女が「おかあさん、手芸ってなに?。皿回しをしたり、ボウリングのピンみたいなのを両手でぐるぐる回す芸のことじゃないの?」と質問したということでした。

 坊守が「はあ?…。手芸って編み物をしたり、縫い物をすることよ」と説明すると、長女は「えぇ?。皿回ししたりすることじゃないの?」と大変ビックリしたそうです。

 どうやら手芸を大道芸か何かと勘違いしていたらしく、坊守は「もう可笑しくって…」と私に報告してくれましたが、長女はどこか天然ボケの要素があるみたいで、こんな早トチリや勘違いをしている発言がたまにあります。

 でも長女の「手芸」という漢字の解釈は間違ってはいないと妙に感心してしまった私ですが、勘違いしながらも入部した手芸部では布で小物入れなどを上手に作っては喜んでおりましたので、それはそれでよかったと思います。

 でも長女の皿回しやジャグリングの芸も見たかったです。

2010年5月

「百周年」

 先月十八日、私が二十六才〜二十九才までの三年間(約二十五年前)赴任していた、浄土真宗本願寺派ハワイ開教区コロア本願寺の設立100周年行事がカウアイ島の現地寺院でありました。

 歴代開教使(住職)に招待状を送付したらしく、私にも二月の下旬になって届きましたので、坊守と長女と一緒に参加させていただきました。

 コロア本願寺の本堂は私が帰国した六、七年後に焼失してしまい、それからはホールの舞台にご本尊を安置して、日曜礼拝や各種法要を行ってきたそうです。

 当日は、なつかしいメンバー(門徒)の方々と再会でき大変嬉しかったのですが、コロア本願寺の現状を聞き、少し淋しく思いました。

 ハワイではホノルル市は人口も増え活気があるようですが、カウアイやマウイ・ハワイなどの島部と、ホノルルのあるオアフ島でも郡部では人口の過疎化が進んでおり、寺院の維持も容易ではないとのことでした。

 コロア本願寺では、本堂が焼失した直後は本堂の再建話もあったようですが、過疎化による門徒の減少を考えたとき、果たして再建が可能なのか、再建しても維持できるのか、など議論があったようで、結局は近隣のお寺三ヵ寺が統合し、開教使も三ヵ寺を兼務することになったようです。

 日本でも同じような過疎化の波が地方都市に押し寄せております。特に山間部や離島などは、まともにその波をくらい人口がドンドン減少しております。

 理由はいろいろあるのでしょうが、人が少なくなりますと寺院の運営・維持は困難になります。ですからそんな地方の住職さんたちは、ほとんどが兼職して私財を寺院の運営に回しているようです。

 この度の100周年には、離郷したメンバーたちも一時帰省してお祝いをしておりましたが、日本でも門徒の人たちが故郷の寺院に数年に一度でも集まれる、そんな企画を考えてみてはと思うことです。

2010年6月

「親友の選挙」

 ライオン寺だより(郵送分)二面でお知らせしましたように、住職の友人、かめはら了円君が夏の参議院選挙に立候補する予定です。

 来恩寺有縁の皆さまには、住職と一緒にぜひ彼を応援してくださいますよう、重ねてお願い申し上げます。

 彼とは大学の同期・学友というだけでなく、同じアルバイトに精を出した仲で、そのバイトとは新幹線の車内販売(ワゴンでなく、アイスや名物などの単体をかごに入れて販売するもの)でした。

 それは彼が探してきたバイトで、彼から「タダで新幹線で東京へ行けるし、タダで東京に泊まることも出来る」という甘い言葉に誘われて始めたものです。

 十八才の若者にとって、「東京」「タダ」というフレーズはパブロフの犬のように、口からヨダレが出るようなフレーズでした。

 私たちは新大阪がベースの「日本食堂」という会社の車内販売でしたが、当時は新幹線に食堂車があり、そこのコック長には絶大な権限がありました。誰とでも仲良くなれる性格の私は、すぐにいろんなコック長と仲良くなり、あるコック長(中年の女性)はキッチンに私を招待してくれて「今日のキミの仕事は私の料理の味見をすることだ」と、いろんな料理を食べさせてくれました。

 私を「哀れな貧乏学生」とでも思ったのでしょうか。しかしどう思われても「東京」「タダ」に加えて「食堂車で食べ放題」は夢のようなバイトでした。

 終電近くの電車の車内販売員は東京で宿泊となり、宿泊は八重洲口近くの寮のような場所でしたが、八重洲周辺は想像していた賑やかな「東京」とはまったく違っておりました。「これが東京なの?」と、東京のイメージが崩れたのを記憶しておりますが、今思えば世間知らずな十八才だったと思います。

 一体、かめはら君と一緒に東京まで何往復したことでしょうか。まあ、そんなこんなで彼と私は親友となりました。

2010年7月

「一人体制」

 来恩寺の法務等のお手伝いをしてもらっていた石崎君が、都市開教(新寺建立)をめざしてただ今勉強中です。

 来恩寺は当分の間、法事等に関しましては住職一人体制となりますので、ご協力をよろしくお願いいたします。

 今年中には長男が得度する予定ですが、まだまだ即戦力とは行きませんので、葬儀等で法事が重なった場合は、近隣寺院の僧侶方や、築地本願寺にご協力をお願いすることになります。

 そんな中で、特に住職が心配しておりますのは、今年のご自宅での盆法要です。どう考えましても、時間的・体力的に一日に回れる軒数は十二、三軒でしょうか。

 出来るだけ皆さんのご希望日時にお参りしたいと思いますが、ご希望に添えない場合もありますので、その節はご容赦ください。

 それから、土・日のご法事に関しましても、出来ましたら会場をお寺にしていただければと思います。ご自宅や霊園ですと、車での往復の時間を計算しますので、一日の法事の件数が半分程度になってしまう場合もあるからです。

 住職としましては、出来るだけ多くのご家庭のご法事にお参りさせていただきたい、ご法話をさせていただきたいと思いますので、土・日に関しましては特別な事情がございませんでしたら、お寺でのご法事をお願いいたします。

 ご法事の少ない平日でしたら喜んでご自宅に伺います(むしろご自宅の方が好きかも…)。

 とにかく、そんなこんなで一人体制の大変さを実感している今日この頃ですが、お寺やお墓の掃除やライオン寺だよりの発送業務などに関しましては、門徒の皆さんがお手伝いしてくださいますので大いに助かっております。

 一応、今後の掃除の予定をそれとなく発表しておきます。七月十四日、八月十八日、九月二十二日です。午前十時からお掃除、昼食後にライオン寺だよりの宛名ラベル貼りです。お時間がございましたら弁当持参でお集まり下さい。

2010年8月

「他派本山参拝」

 親鸞聖人750回大遠忌法要の鎌倉組団体参拝旅行(2010年10月11日〜13日)の、来恩寺の定員がもうすぐ一杯になります。

 鎌倉組全体では400名の募集ですが、来恩寺はバス一台分の50名を予定しておりますので、あと2、3名で定員に達します。

 来恩寺だけでバス一台になりますと、宴会とホテルなどは変更することは出来ませんが、途中の観光やショッピングは変更できますので、参加者の皆さんの希望を聞いて、今後行き先をじっくり考えたいと思います。

 また、住職はこのような組の団体参拝だけでなく、個人的にもご本山へは何度か参拝したいと考えております。特に真宗他派(大谷派など十派ある)の本山での法要や、あるいは親鸞聖人の師、法然聖人の八百回忌も同じ年に当たりますので、浄土宗の知恩院などにも参拝出来たらと考えております。

 一番早い真宗他派本山での法要は、本年11月の真宗木辺派錦織寺での大法要です。錦織寺は滋賀県にありますので、新幹線とレンタカーでの参拝となりますが、興味のある方は一緒に行きましょう。

 昔から住職は、軽いフットワーク(ごちゃごちゃ考えずに、とにかく行動すること)をモットーとしてきましたので、このような参拝をある日突然、法話会の日などに発表することが今後もよくあることと思います。特に人数に制限のある小旅行(マイクロバスだと25名ぐらい)や小規模ゴルフコンペなどは、ライオン寺だよりで募集いたしませんのでご容赦ください。

 とにかく、来恩寺有縁の皆さまには、毎月第三土曜日の法話会だけは出席するよう心がけましょう。特に来年は大遠忌法要の年ですので、様々なアイデアを提供したいと思います。皆さま方には何が飛び出すか分からない、ビックリ箱を開けるような気持ちで法話会にご参加いただければと思います。

 木辺派錦織寺への参拝は今月の法話会で発表いたします。

2010年9月

「関係の希薄さ」

 各地の生存不明高齢者が問題となっております。

 この八月末には、山口県防府市が文政七年(1824年)生まれの186歳の男性の戸籍が残っていると発表しました。

 この男性、何をしていた人か分かっておりませんが、明治元年が1868年ですから、生きておれば明治維新を44才の時に迎えております。

 山口県といえば幕末・明治維新の立役者がそろう長州藩ですので、この男性も尊皇の志士として新国家建設の一翼を担っていたのでしょうか。

 このように今回、戸籍上で発見された超高齢者の人物像など想像してみることは、ロマンがあって楽しいことではありますが、全国各地で生存不明の高齢者が連日のようにゾロゾロと出て来ていることには驚かされます。

 兵庫県姫路市では170歳男性を含め、120歳以上の906人が戸籍上生存しており、川崎市も戸籍上120歳以上が462人で、いずれも住民票はなく、年金などは受け取っていないそうです。

 それにしても、なぜこのような事態になってしまったのでしょうか。

 警視庁によると年間1000〜1400人の身元不明遺体(正式には行旅死亡人と呼ばれる。旅行ではなく行旅。)が発見されるそうです。

 これは、日本の年間の死亡者数全体の約0.1%、つまり、1000に一人が身元不明者というとんでもない数です。

 家族や親戚、あるいは友人・知人にも知られず、ひっそりと亡くなっていく人がこんなにいたとは…。

 そういえば今回の一連の報道で、自治体の調査に対して家族の者が「父(母)は別の姉弟(親戚)の家にいるはずだ」などと答えていた、といった事実が判明しました。

 でもそれらの言動は「…はずだ」といったもので、実際に電話などをして確認したものではありませんでした。

 家族や自治体をはじめとして、社会全体の「関係の希薄さ」が気になります。

2010年10月

「長男の得度」

 長男の通う東洋大学白山学舎の学園祭が10月31日から11月2日まで開催されますが、長男はその前に京都西本願寺で、僧侶となる「得度式」を受式いたします。

 来恩寺の法話会の10月16日夜に京都から帰宅する予定ですので、法話会にお集まりの皆さまには残念ですが、剃髪したての長男の青光りした頭をお見せすることは出来ないと思います。

 11月20日の報恩講法要には出勤できるそうですので、得度からひと月ほど経ってしまいますが、長男の初々しい僧侶姿をぜひご覧ください。

 私が得度したのも長男と同じ大学三年の時でした。

 京都市西京区の阪急「桂駅」近くにある本願寺西山別院が本願寺派の研修施設で、そこで朝から晩まで休む暇もなく僧侶としての基本を叩き込まれました。

 教義や作法を教えてくれる教官方はたくさんおられましたが、自ら「西山の赤鬼、青鬼」と称していた二人の常駐教官が特に厳しかったのを記憶しております。

 当時は、勤行はもちろん、すべての講義が基本的に正座での受講で、やさしい先生は「足を崩しても良いよ」と言ってくれましたが、食事の時も正座でしたので、研修の日々(11日間)も半ばを過ぎる頃には、一回の食事時間が三分と掛からなかったのを憶えております。

 そして赤鬼・青鬼の罵声と正座の痛みに耐えられずに、得度式を受けることなく途中で退所していく者も何人かおりました。

 現在は勤行と作法以外の講義や食事は、イスとテーブルになり楽になったそうですが、何代目かの赤鬼・青鬼は今でも健在なのでしょうか。

 西山別院での研修が終わりますと、最終日前日夕刻(親鸞聖人が青蓮院で受式したであろうと思われる時刻)に、本願寺阿弥陀堂のロウソクの薄明かりの中での厳粛なる得度式に臨みます。

 静かな感動の時間でした。

2010年11月

「長男の得度 2」

 長男がご本山での得度式を受式して戻ってまいりました。

 先月の法話会終了後にお寺に帰って来ましたので、長男の剃りたて頭と運よく(?)遭遇できた方も何人かおられました。

 長男に聞きますと、やはり得度習礼(しゅらいと読む・厳粛な得度式を受式する為に直前の十日間、真宗僧侶としての作法や教義などを徹底的に学ぶこと)は、とても厳しかったらしく、「死ぬかと思った、二度と行きたくない」と言っていましたが、得度式は一生に一度しか受けることができませんので、また行きたいと思っても不可能です。

 この得度式と得度習礼は、年に八回程度行われており、毎回80名前後の者が参加しますが、回によって対象者が異なり、今回長男が受けましたのは50才以下が対象の習礼で、21才直前の長男は一番の年少者だったそうです。

 また昨今、浄土真宗本願寺派は世界中に広まりつつありますので、今回の習礼も、20名ほどの外国人参加者がいたそうです。もちろん皆さん50才以下です。

 そんな習礼から帰ってきてすぐに長男が私に報告したのは「死ぬかと思った」ということと、「外国人には外国人だけの得度式と習礼を行うべきだ」とのことでした。

 その理由は、作法などの講義は基本的に畳か板の上で正座(座布団はありません)で受講しますが、講師はまず日本語で日本人に教え、その後、同じ内容を外国人に英語で教えていたそうです。

 ということは、受講生たちは通常の二倍の時間正座していたということで、日本人も外国人も足の痛みで泣きそうになっていたそうです。

 長男の報告をかわいそうと思いながらも笑いながら聞いておりましたが、日本人が正座をするようになったのは、千利休が狭い茶室での座り方として取り入れたのが始まりらしいです。

 ですから長男も、恨むのなら本願寺やご講師を恨むのでなく、千利休を恨みましょう。

2010年12月

「木辺派本山」

 お祭り騒ぎの大好きな住職は、親鸞聖人750回大遠忌法要も真宗各派(10派ある)本山での法要全部に参拝する予定です。

 親鸞聖人の尊敬された法然聖人の800回忌も同年に当たりますので、真宗各派だけでなく、浄土宗本山も参拝させていただく予定ですが、先日、真宗各派のトップを切って木辺派本山錦織寺(滋賀県野洲市)が、親鸞聖人750回御遠忌法要を厳修しました。

 木辺派は宗派所属寺院数が250ヵ寺ぐらいですので、法要も八日間と短めでしたが、ちょうど西本願寺の秋の法要(全国門徒総追悼法要・布教大会)と同時期でしたので、西本願寺と併せて参拝・ご聴聞させていただきました。

 この「大遠忌法要・真宗各派本山参拝」は、法話会後のティータイムで皆さんをお誘いしたのですが(10名を超えれば住職の運転するマイクロバスで行く予定でした)、結局、誰も賛同者がおりませんでしたので、私一人での参拝となった次第です。(涙…)

 セルフタイマー付きデジタルカメラとミニ三脚を片手に、滋賀県野洲の木辺派本山錦織寺へ行って参りましたが、錦織寺は田んぼの中の村に建つ少し大きめのお寺といった感じでした。当日、錦織寺の回りの道路は通行止めとなっており、いろんな露店が出て結構賑わっておりました。

 私はまず、山門の所で三脚を使ったセルフタイマーで記念撮影をし(なんせ一人ですので…グスン)、受付で御懇志と引き替えに記念品を貰い、その後、主会場の御影堂(親鸞聖人の御木像を安置している)に向かいましたが、満堂でしたのでお隣の阿弥陀堂で林智康先生(龍谷大学教授)のご法話をモニター越しに聴聞させていただきました。

 この住職の記念写真と各派本山の記念品は、来恩寺二階広間に順次展示する予定です。皆さま方には、どこの本山が一番太っ腹か審査していただきたいと思います(冗談です)。

 このほか、住職は親鸞聖人の「みあとを訪ねて」も歩きます。ご一緒しませんか?

2011年1月

「御跡を訪ねて」

 いよいよ親鸞聖人750回大遠忌の年が明けました。

 先月号でもお知らせしたように、住職は西本願寺だけでは飽きたらず、真宗各派本山の大遠忌法要と、知恩院など浄土宗本山での法然聖人800回遠忌法要へも参拝するつもりです。なにしろ50年に一度ですので…。

 また、稲田(茨城県)から京都まで、親鸞聖人が歩いたであろう御跡を訪ねる企画にも積極的に参加する予定です。こちらはすでに、稲田〜新治間18.8キロを歩いてまいりました。

 この「御跡を…」の今後の予定(来恩寺の近く)は、戸塚〜平塚間は1月22日、平塚〜小田原間は1月23日です。来恩寺は平塚・小田原間を担当しており、10数名が歩く予定です。最終区間は4月9日で、750回大遠忌法要の初日朝に西本願寺へ到着いたします。

 また、難所の小田原・箱根間(1月29日)は、つい先日得度して僧侶となった長男が、大学の友人たちと歩きます。彼らには50年後の親鸞聖人800回大遠忌まではぜひ元気でいてもらい、このような企画を引き継いでいただきたいと思います。

 東海道沿線にお住まいの皆さまには、先頭と末尾に「親鸞聖人のみあとを訪ねて」と書かれたのぼりを立てて歩いている集団を見かけましたら、ぜひご声援をお願いしたいと思います。

 この集団は一区間約20名で歩いておりますが、服装はみんなマチマチです。白いハッピを着て太鼓を叩いて歩いている集団は、我々とは違う団体ですのでお間違いのないようにお願いします。

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